第101話
神崎隼人 "JOKER" の日常は、再び「作業」へと回帰していた。
だが、その作業の質は、C級の頃とは比較にならないほど濃密で、そして常に死の匂いがつきまとう、スリリングなものだった。
B級ダンジョン【古竜の寝床】。
その灼熱のカルデラと溶岩の洞窟は、もはや彼の主戦場。
彼は、あの日手に入れた新たな指輪【亀裂のある螺層】をその右手の指にはめ、自らのビルドを新たなステージへと進化させていた。
【混沌の血脈】がもたらす混沌ダメージという分かりやすい火力を捨て、代わりに、彼は圧倒的なまでの「安定性」を手に入れた。
指輪がもたらす、毎秒24のライフ自動回復。
それは、彼の既存のリジェネ能力と合わさり、彼のHP自動回復量を、秒間100に迫る領域へと引き上げていた。
B級の雑魚モンスターである、【竜人族の精鋭部隊】。
彼らの攻撃は、確かに重い。
だが、そのほとんどは、彼のこの異常なまでの回復能力の前に、意味をなさなかった。
彼はもはや、彼らの攻撃を恐れない。
ただ正面からその全てを受け止め、そして自らの剣で、それを上回る速度と手数で蹂躙していく。
その戦い方は、決して派手ではなかった。
だが、そこには絶対的な王者の風格が漂っていた。
どんな攻撃も意に介さず、ただ淡々と敵を処理していくその姿。
それは、視聴者たちに、これまでにない絶対的な安心感を与えた。
彼の配信は、もはやハラハラドキドキのジェットコースターではない。
ただ静かに、そして雄大に流れ続ける、大河のようなコンテンツへとその姿を変えていた。
そんな地道な周回を続けること、一週間。
彼は、B級ダンジョンという新たな環境に、完全に適応していた。
最初は苦戦を強いられていた竜人たちの連携攻撃も、今ではその全てを読み切り、完璧に対処することができる。
彼の周回ペースは日に日に上がり、それに伴い、彼の経験値と資産もまた、雪だるま式に増えていった。
そして、その一週間の終わり。
彼が一体の【竜鱗の守護者】を、その巨大な盾ごと粉砕した、その瞬間。
彼の全身を、黄金の光が包み込んだ。
【LEVEL UP!】
レベル30。
ついに彼は、その大台へと到達した。
レベル27から、30へ。
この一週間で、彼は3つものレベルを上げたのだ。
新たなステータスポイントとパッシブスキルポイントが、彼の魂に刻み込まれる。
彼の力は、また一段上のステージへと到達した。
『おおおおお!レベル30!おめでとう!』
『ついに、大台乗ったな!』
『この一週間の努力が、報われたな、JOKERさん!』
コメント欄が、祝福の声で満たされる。
隼人は、その声援に静かに頷きながら、自らの成長を噛みしめていた。
だが、彼は新たに手に入れたパッシブスキルポイントを、すぐに割り振ろうとはしなかった。
今のこのバランスを、彼は気に入っていたのだ。
火力と、耐久力。
そのギリギリの均衡の上で踊る、この感覚。
下手にどちらかを強化すれば、この絶妙なスリルが失われてしまうかもしれない。
彼は、もう少しだけこの綱渡りを楽しむことを選んだ。
そして彼は、危惧していた火力の減少も、杞憂に終わったことを知る。
確かに、【混沌の血脈】を失ったことで、彼の一撃の威力はわずかに低下した。
だが、その代わりに手に入れた圧倒的な安定性。
それが結果的に彼の手数を増やし、トータルでのDPS(秒間ダメージ)は、以前とほとんど変わらなかったのだ。
むしろ、MP回復レートが上昇したことでスキルをより気軽に使えるようになり、戦闘のテンポは向上してさえいた。
結果的に、彼の指輪の更新は、大成功だったのだ。
その日の夜。
ダンジョンから帰還した隼人は、自室でいつものようにSeekerNetのマーケットを眺めていた。
それは、もはや彼の日課であり、そして唯一の娯楽だった。
彼は、ふと思い出したように、あの指輪の名前を検索窓に打ち込んだ。
【亀裂のある螺層】。
彼が今、その指にはめている相棒。
そして、彼はそこに表示された光景に目を疑った。
彼が購入した時と、全く同じ性能の指輪がオークションに出品されていた。
だが、その価格が異常だった。
現在価格、70万円。
入札件数は、すでに10件を超えている。
彼が購入した時の倍以上の値段で、激しい入札合戦が繰り広げられていたのだ。
「…マジかよ」
彼は、思わず声を漏らした。
たった一週間で、ここまで高騰するとは。
彼は、その理由をすぐに理解した。
耐性。
B級の壁を越えるために、誰もが血眼になって探し求めているその能力。
それが三種類もバランス良く付与され、おまけに高いHPリジェネまで付いている。
この指輪は、まさにB級に挑む全ての探索者にとって、喉から手が出るほど欲しい逸品だったのだ。
そして、彼は改めて自らの「運」の良さに感謝した。
あのタイミングで、あの価格でこの指輪を手に入れることができた。
それは、まさに奇跡的な幸運だったのだと。
(…相場は、水物か)
彼は、呟いた。
そして、彼は覚悟を決めた。
これ以上の装備更新は、もはや数十万円という単位では済まない。
次に彼が何かを手に入れようとするならば、それは必ず100万円以上の大金が必要になるだろう。
B級というテーブルは、それほどまでに過酷で、そして金のかかる場所なのだ。
彼はその事実を改めて胸に刻み込んだ。
そして、彼の心に新たな決意の炎が灯る。
ならば、稼ぐまでだ。
100万だろうと、1000万だろうと。
この狂ったテーブルで勝ち続け、そして全てを手に入れてみせる。
彼のギャンブルは、まだ始まったばかりなのだから。
物語は、主人公がB級という新たな環境に完全に適応し、自らの成長とこの世界の厳しさを再認識しながら、次なる高みへの決意を新たにする、その静かな、しかし力強い瞬間を描き出して幕を閉じた。