5月24日
どうやら僕を利用した儲け話はまだ続いているらしい。
もう「あいつ」とは絶縁したし絶縁されたし、一切関係がない。だが残党どもはまだか細い幻想を抱いているようでつきまとってくる。去年の夏などは一億払うからと提案してきた。僕などに一億円だ。ならば彼らの取り分はいったいどれほどなのだろう?もしかしたら諦めるに諦めきれない大金なのかもしれない。
ため息混じりに「お金なんてくだらない」と呟いてから、別にくだらなくはないか、と思い直す。お金があればできることはたくさんある。
でも僕は自分の力で稼いだお金以外はいらない。正直なところ、そんな儲け話、僕には関係がない。
彼ら自身が言っていたようにAIや物まね芸人に僕っぽい小説を書かせて売り出せばいいのだ。
たとえばDDTプロレスの「ヨシヒコ」のプロレスは見る人誰しもを感嘆させる。誰しもが「ヨシヒコ」に拍手を送る。とても遣る瀬無いことだけど必ずしも本物が求められてるわけではないのだ。「ヨシヒコ」でプロレスが成立するのだから小説もAIや物まね芸人で成立する。僕である必要はどこにもない。
僕は僕で勝手にやる。僕が僕の好みでやる。
世間にウケない?
ああ、そう。世間ね。ハハハ。世間なんてどこにあるんだよ?
「あの太陽が偽物だってどうして誰も気づかないんだろう?」
このフレーズ、いったいどこで知ったんだっけ?
僕だって知らなければ気づけなかった。だから、誰も気づかなくたって仕方がない。世界が今、君ら自身が今、濃霧に吞み込まれようとしていることなんて知らなくてもいい。
目を失っても蚯蚓になれば土を食って生きていける。蚯蚓は土壌を肥やす益虫だ。蚯蚓が耕したふかふかの土の上には、いつかきっと新たな世界樹が生えるだろう。茂った葉は陽を遮り霧をはらみ、世界を夜と見まがうほどの闇に包む。そんな世界はきっともう目を必要としない。
世界樹から落ちた果実はもしかしたら蚯蚓にも恩恵を与えるかもしれない。それを幸せだと感じることもあるかもしれない。貪ったその果実がかつて失った自身の眼球だったとしても、目が見えなければ自分は幸せだってきっと胸を張れることだろう。
でも、僕はそんな世界はお断りだ。僕は世界樹の外で生きていく。
世界樹の枝を這っていた蝸牛にとって、背中に負った内向きの殻こそが彼の世界だ。