#3 エントルコード管理庁
車に乗せられ約15分。重たい沈黙が痛かった。コウタロウは不安そうに黙ったまま、私の手を握っていた。私の左手はガラス片でザックリ切れて血塗れだったので、止血の為に包帯がきつく巻かれ、車から降りる頃には痺れて感覚が無かった。車から降りた途端に、2人の人影が建物から走ってきた。片方は私の父さん。もう片方は誰だろうか、コウタロウと同じ暗い青っぽい髪色で、何処かで見た覚えのある顔だ。「麗花ー!」「恒太朗!」走ってきた2人に私たちは抱きしめられる。「父さん、痛いよ。私怪我してるんだから。」「はっ、すまない。聞いてるばかりだったから俺はもう心配で心配で…」「パパ!」「恒太朗!無事なのか?」「うん!お姉さんが助けてくれたんだよ!」コウタロウは無邪気なもので、嬉しそうに父親に私を紹介している。「麗花お姉さんね、ぼくの話聞いてくれて、手繋いでくれて、かっこよかったよ!」「阿澄君の娘さんが?なんとお礼を言って良いやら。本当にありがとう。」「いえ、そんな。」「いや、恒太朗が無事なのは紛れもなく君のお陰だ。君が居なければ我々が到着した頃には手遅れだった可能性が高い。」恒太朗の父親もエントルコード対応省の職員だったのか。何なら父さんと仲が良さ気だ。「まぁ、それほどでも〜?////」「なんで父さんが照れてるの!」「だって、雄太君がこんなに本気で感謝してるところ初めてみるもん。」「ちょっと檜山さん、阿澄さん、エントルコードと直接対決した怪我人とエントルコードの宿主なんですから。早く通してください!」作業服の1人に怒られてしまった。「あーはいはい、回収班は冷たいねー。」「俺達はこの子らの保護者ですから同行しても構いませんね?」「分かりましたよ。取り敢えず、阿澄さんは救護室、檜山さんは検査室に行ってもらいます。」「待って!お姉さん行っちゃヤダ!」どうやら恒太朗はまだ不安なようだ。「大丈夫、一旦手当してもらうだけだから。直ぐに会えるよ。」「恒太朗、麗花さんはお前の為に怪我をしたんだぞ。手当しないといけないんだ。」「うん、ごめんなさい。でも、本当にまた会えるんだよね?」「会えるよ!父さん同士も友達みたいだしね。」こうして恒太朗は安心したようだ。今度は檜山さんと手を繋いで作業着の集団に連れられて行った。「阿澄さんはこちらへ」私は私で、父さんと一緒に救護室へ行くこととなった。
消毒液のキツイ匂いの中、手当されながら父さんによる事情聴取が始まった。「まず、この手の怪我はどうした?エントルコードの攻撃によるものか?」「いや、恒太朗に近づく為に窓ガラスを叩き割ったんだよ。」「はぁ⁉素手で割ったのか?いいや、救助のためだよな。偉かったな。」父さんは私の頭をポンポンする。「ちょっと、私もう大学生なんですけど。」「拗ねないでくれよ、素直に褒めてるだけなんだから。」「ふふ、ありがとう。」「あの部屋へはどうやって入ったんだ?」「外廊下から仕切り板をぶち抜いてね。」「なるほど、つまりベランダの仕切り板と窓ガラスの両方を破壊したって訳だな。ははは…」「あははは…」「まったく思い切りが良すぎる!」「怒らないでよ、私だって必死だったんだから!」そうこうしている内に手当が終わったらしく、救護係が「しばらくしたら呼びに来ますんで、待機しててください。」とだけ言い残して廊下へ出て行ってしまった。
2人きりになった途端に父さんは手を組み、真剣そのものといった雰囲気で私に聞いた。「麗花、本当の事を言ってくれ。どうやってあのエントルコードを処理した?」突然の真剣モードに面喰いながらも、父が私の為にこのタイミングを待っていたのだと悟った。「私自身もまだよく分からない。恒太朗を守らないとって強く思ったら、握っていたカッターがいつの間にか剣に変わってて、その剣でエントルコードの腕を斬って…」今度は父さんが面喰った顔をした。「それは…!お前が知っている筈のない技術だ!」「知っている筈ないってどういうこと?管理庁がまだ公表してない事実があるって事?」「そうだ、これはまだ事例が極めて少ない。事実というより仮説の段階だから公表もまだだ。」「父さんは何を知ってるの⁉教えてよ!私が何をしたのか!」「不安になる気持ちは分かる。だが、今はまだ教えられないんだ。お前の状況を上に報告して今後どう扱っていくか決めなくては。」「ちょっとそれどういう意味なの⁉それじゃあまるで私…!」言いかけた時、扉がガラッと開いた。「あのー、大丈夫ですか?喧嘩してるみたいですけど…」さっきの救護係の人だ。「いや、大丈夫。娘は今になって不安になったらしい。けど、もう大丈夫だろう、な?」どうやらここでは話さない方が良いらしい。「は、はい…大丈夫です。」戸惑いながらも怪しまれないように返事をした。あの剣は一体何なのか?この答えによっては私の処遇が大きく変わるだろう。最悪の予想をした場合、危険と見なされて処分されてしまうかも…。寒気がしてきて、私も父さんの手を握りたくなった。
「こちらの部屋でお待ち下さい。」通された部屋は教室を半分位の大きさにしたような感じだ。「この後は講習を受けてもらって、他に異常がなければ帰って頂いて結構ですので。」講習?エントルコードについて学ぶのだろうか、と思っていたらまた扉が開いて檜山さんに連れられた恒太朗が入ってきた。「あ!麗花お姉さん!」私に気づくと嬉しそうに駆け寄ってくる。「ね?また会えるって言ったでしょ?」「うん!」どうやら思っていた以上に懐かれているらしい。父親2人は暫く微笑ましそうに私達を眺めていた。「それじゃあ、そろそろ講習を始めるからな。2人とも、席についてくれ。」父さんの声掛けに恒太朗は「はーい」と良い返事をして私の隣に座った。檜山さんはいつの間にいなくなったやら、父さんが教壇のような所に上がって話し始める。ぼさぼさの黒髪に手入れをしていない髭、変な柄のTシャツに白衣という恰好の父さんが教壇に上がると、大学の理科の先生みたいだ。
「まずは、エントルコードについて軽くおさらいしてからにしよう。エントルコードとは感情の具現化現象だ。」恒太朗がキョトンとしているので補足する。「目に見えない気持ちが、見えたり触れたりするようになるってことだよ。」「そっか。」恒太朗は私にコクコク頷いて見せる。「あぁ、すまない。恒太朗くらいの子に講習するのは初めてでな…」父さんは困った顔をして資料を眺めた。すると扉から大きくノックの音がして「阿澄さん!緊急でお電話です!」と声がする。電話での連絡にしては緊迫感満載だ。まだ何か問題が残っているのだろうか?嫌な予感がしたので、小さく頭を振ってそれを振り払った。「分かった、今行く。麗花、恒太朗への説明を任せても良いか?」「任せてよ。私の専門分野だからね!」無理してニヤッと笑みを返すと、父さんも同じような顔で「頼んだぞ、じゃな!」と手を振って出て行った。私は恒太朗に向き直る。「父さん忙しいみたいだから、私が教えね。」恒太朗は特に不安そうな様子は無く、またコクコク頷いた。「エントルコードの基礎知識からだったね。」父さんが教壇に置いて行った資料をめくっていく。「エントルコードにはレベルがあって、レベルが高いほど色々な事をしてくるよ。」「レベルは5個あるんだよね?」「そうそう!下から順に、シード<マニフェート<ヘビー<グランド<ヴォイドだよ。」「まに…?」「ここは覚えなくても大丈夫!具体的に説明するね。」資料の裏側に簡単にイラストを描く「始めのシードは普通の状態。エントルコードの種は皆の心にあるんだよ。」恒太朗は口を半開きにしたままゆらゆらと頷く。どうやらとても集中しているようだ。「次にマニフェート。エントルコードが見える人には見える状態だね。さっきの恒太朗が出した、青くて大きいヤツもこのレベルだね。」恒太朗の丸くて青い目が少し潤む。無理もないことだが、自分がしたことの責任を感じているのだろう。ここは触れないようにしてさっさと進んでしまおう。「そして、ヘビー。症状が重くなっていって。グランドではエントルコードが移動したりし始めて、ヴォイドになると宿主の命が危ないんだよ。」ここまで一息に言って、恒太朗の肩に手を置く。「だから、君が無事で本当に良かった。後遺症も無いみたいだし、大した被害も出ていないよ。」恒太朗はポロっと涙を零したが、直ぐにごしごしと拭って「うん!ぼく、大丈夫!」と言って見せた。なんと健気なことだろう。感心しながら話を切り替える。「この資料、父さん達の仕事についても書いてあるよ。恒太朗はお父さんのお仕事について知ってる?」「パパのお仕事は、はかせ!」なるほど、檜山さんは博士だったのか。「うんうん、博士は研究省の研究室で、エントルコードについて調べるお仕事だね。」「パパね、新発見が大好きって言ってた。」「へぇ~なるほど。だから博士になったんだろうね。」恒太朗は父親の話になると嬉しそうだ。「私のお父さんは、対応省の研究員なんだ。エントルコードの情報を集める仕事をしてるんだって。」「エントルコードって、まだ調べるところがあるの?」「そりゃあもちろん!エントルコードの姿形や行動は宿主の人それぞれ。だからエントルコードが発生したときって何が起こるか分からないんだ。」「う~ん?」「難しいよね。でも、人の命が掛かってることだから。できるだけ分からないことを分かるようにしていかないといけないんだ。」「よく分からないけど、大事なお仕事なんだね!」「うん!それで十分だよ!」良かった。恒太朗は素直だから、下手なことを言ったら簡単に傷つけてしまうだろうと思っていた。しかし恒太朗は、もう前を向き始めている。強い子だ。恒太朗を元気づけるつもりが、どうやら元気を貰ったのはこっちの方だったらしい。そのまま恒太朗と談笑していると、父さん達が戻ってきた。「麗花さんは、少々話があるから残ってもらいたい。恒太朗は俺と一緒に家に帰ろうな。」エントルコードの発生源である「宿主」の恒太朗が帰宅して良いのに、私は残って話があるとは…嫌な予感が少し目の前に迫ってきているようだ。「お姉さん、じゃあね!またお話しようね!」何も知らない恒太朗は上機嫌で檜山さんと共に行ってしまった。父さんと2人取り残された私だが、父さんは味方だと信じているので冷や汗をかく程度で済んでいる。「さて麗花、先に謝っておく。すまないがここからは研究省の仕事だ。俺は同行するくらいしかできない。しかも前例のない事態だ、今後どうなるのか俺にも分からない。」こんな悲痛な表情の父さんを見たのはいつぶりだろうか、つられて泣きそうになってしまう。「大丈夫だよ。予想はついてるし、何を言われても恒太朗を助けたことに後悔は無いよ。」これは本心だ。どのような処分が下されようとも、私がやったことは正しいと胸を張って言える。たとえあの剣の正体がエントルコードだろうと、恒太朗の命を救ったことは変わらない。「分かった。こっちだ。」こうして私達は白い廊下へ踏み出した。
閲覧ありがとうございます。
予告より投稿が遅れたことをお詫び申し上げますorz
この3話投稿時点で6話の途中を書いてるんですが、このままのペースで大丈夫かな?という不安があります。何かご意見ありましたら是非コメントをお願いします。