#1 日常
黒板に長々と書かれた文字は、教室の後方で窓からの日光に微睡む私には一文字も読み取れない。いや、読みたいとも思わない。「こういった心の問題から、エントルコードが発生するんですね。だから皆、なにか困ったら大人に相談するんだよー。」「「はーい!」」つまらない授業だ、いつもつまらない道徳の授業だが今日は特に詰まらない。特別授業という名目だが、実際は交通安全の注意喚起の授業と何も変わらない。用意された映像では小学生が怖がらないように配慮された、ポップなイラストと簡単なチャート図。加えて先生が板書しながら口頭で説明することのどれも私にとって新しい知識ではない。なんなら、私の方がもっと詳しく正確に説明できる。なぜなら、私の尊敬する父親はエントルコード対応省で働いているからだ。今、同年代に向けて説明するなら「強い不安や怒りから発生する怪物」とでも言えば伝わるだろうか。本当は怪物という表現は誤解を招くから使わない方が良いだろうけど、まずはエントルコードの危険性を理解して貰わなくては。
この時の私は、小学4年生にして既に父さんと同じエントルコード対応局の職員を志していた。エントルコード災害について父さんからたくさん話を聞いていたから、当然それを防ぐ方法を学びたかった。まだエントルコードについて解っていることは少なく、発生前に宿主になりそうな者のメンタルケアをするくらいしか手段は無かった。それを知った私はカウンセラーを目指した。今思えば小学校低学年の児童にしては現実的すぎる夢だと思う。子供らしくないと子供ながらに感じとっていた。こんなひねくれものの私だが、病のような心持ちに苦しむ人類を救いたいという大層な願望があった。安直で、現実的で、夢の無いこの夢が私の原動力だった。
そんな私、阿澄麗華は友達の少ない数年間を過ごし、大学に入学した。相変わらずエントルコード対応省のカウンセラーを目指している。どうやら私はエントルコード感受性値、エントルコード適正値がともに高いらしい。父の薦めもあって心理学科へ進学し、奨学金も多めに受けている。特待生枠とは違い、生まれつきの特性だけで貰える奨学金には少しモヤッとするが、今の生活にはありがたい。なにせ、亡くなった母に代わって私が働かなければいけないところを大学にまで通わせて貰ってるのだから、贅沢なことだ。自宅へ車を走らせながらぼんやり考える。エントルコード適正値が高いということは、自分からも発生しやすいということ、だが私は自分の心くらいは受け止められる準備がある。感受性が高いのなら、誰かの心にも寄り添える。これは私の天命なのだ。
そうこうして私はマンション付きの駐車場に車を停めた。5時頃に夕食の買い出しへスーパーに行く前に、レポート課題を片付けるとしよう。エレベーターに乗り込み、扉の閉じるボタンを押そうとした時。「ちょっと待ったー!!」うるさい声が飛んでくる。小走りの足音に仕方なしと観念して、エレベーターの開くボタンを押してやる。「すみません、書類を家に忘れちゃって…」「君、今月もう3回目だぞ。」この青年は同じマンションの3階に住んでいる私の後輩だ。知り合いという訳ではないが、制服で分かる。「ごめんなさい、でも急いでて…」息を切らしているからか、その先は聞き取れなかった。彼がいつも降りる3階のボタンも押して、今度こそ扉を閉める。そういえば、この子はいつも早い時間に帰ってきているなと思った。「君、四区高の生徒だろ。横田先生は元気?私、四区高の出身だから」「あぁ横田先生は僕の担任で、学年の理科担当ですよ。」「おぉ、奇遇〜。私の担任も横田先生だったんだよ。」「優しくて良い先生ですよね!」「わかる~、私が部活辞めるタイミングで色々助けてもらったんだ。」「先輩は何部だったんですか?」「女テニ」「かっこいいっすね~」「でも人間関係で上手くいかなくて」「なんとなく分かります。態度悪い人が多いイメージです。」「だろ?」話していたらチーンとベルが鳴って、3階に着いた。「じゃあ僕はこれで…」「おう、横田先生は帰るの早いから急げよ。」「はい、それでは!」まったく騒々しい後輩だ。でもこれからこの調子なら、アイツが駆け込み乗車してきてもイラっとせずに済みそうだ。
またもやベルがチーンと鳴って、我が家がある5階に着いた。「ただいまー」「おかえりー」玄関に若葉が寝転んで漫画を読んでいた。「若ちゃん、スーパー行かん?」「行こうかな」廊下の本棚前は大体誰かに占領されている。隣の部屋にも「ただいまー」と声を掛けると大地の眠たげな声で「かえりー」と返ってくる。高一と中一の妹弟は今日も私より早く帰ってきて趣味の時間を過ごしているようだった。私が物心つくより昔、弟の大地を生んで直ぐに母さんはエントルコード災害で命を落とした。母に代わって家事を3人で分担している私たちはきっとそこらの学生よりかは忙しい。さて、レポートを終わらせねば。私は自室のPCの電源を入れた。
それから私が自室を出たのが約一時間後。「姉ちゃん、もう買い物行こうよ。今日は焼肉丼が食べたいな。」「おう、今準備してたとこだよ」いつものごとく妹と共にスーパーへ行くのだった。妹のリクエストに応えて今日は肉を買うことにした。我が家では2日に1回スーパーへ行くので、半額シール付きの商品が目当てなのが常だ。こうしていつも我々の食糧は日持ちしないもので構成されているのだ。そうして買った肉たちは3人の力で美味しそうな焼肉丼に変身した。「「「いただきまーす!」」」3人で勢いよく夕飯を食べる。タレが染みた肉もサラダも美味しい。やはり日本人は米と野菜を食べなければ、と思う。「ねぇ姉ちゃん、今日も父さん遅いの?」「うーん多分ね、まだ連絡来てないから」いつもの事ながら父さんは何時に帰宅するのか。ある意味で我々子供にとっての永遠の謎である。父さんの仕事場は重要な対応研究室だから、きっと問題があれば何時間と言わず何日でも帰って来ないのだろう。私としては毎日帰って来るだけでも上々だと思うのだが、妹弟達には少々酷かも知れない。「肉のタレ作りすぎちゃったから、焼肉丼も食べてもらわないと困るね。」一応メールを送っておいて、風呂に入る時間になるまでゲームをするとしよう。
「おーいただいまー」風呂から上がって髪を乾かしていると、父さんの声が聞こえてきた。「お帰りなさーい」声を返すと、大きな鞄をガチャガチャ鳴らして廊下から父が顔を出した。「すまない、遅くなっちゃったな」といつものように謝ってくる。「うん、今日のご飯は焼肉丼だよ。ご飯よそっておくね。」父の謝罪はサラッと流して夕飯を食べるように促す。父さんが自室に荷物を降ろす間に、髪を乾かしてしまってドライヤーを片づけた。茶碗によそわれた白米に肉を寝かせてタレをかけていると、部屋着の父さんがのっそりとリビングに現れる。「おぉ、いい匂いだな」「今日のタレは大地が作ってくれたよ。」「それは楽しみだ、いただきます。」「サラダ多めがいいよね?」「あぁもちろん!」そこに洗濯物干しが終わったのだろう弟が入ってきた「お、父ちゃんお帰り」「あぁ、ただいま。今日のタレ、大地が作ったんだって?センスあるなぁ」「へへっそうかな?俺が好きな味で作ったから、きっと父ちゃんと俺の味覚が似てるんだな。」「たしかに、家族は味覚が似るって言うもんね。」他愛もない会話をしながら私は食洗器で乾燥が終わった食器を棚に戻す。やらなければと思っていたシンクの掃除は、私が風呂に入っている間に若葉がやってくれたらしい。綺麗になったキッチンを見て満足した私はそのまま自室に戻ることにした。そんなこんなで私の一日は終わる。今日もいつもと変わらない良い一日だった。
2月8日、今日もいつも通り学校へ行って勉強をして、家に帰って課題と家事を済ませる
ーはずだった。
車で帰宅途中のこと、橋を渡って先の角を曲がった途端、目に飛び込んできたのは私が住んでいるマンションの直ぐ隣に突っ立ってる様に見える、晴れた空に異様に浮かび上がるような、巨大な青い人型だった。「なんだ…アレ?」パパーっと後ろからクラクションを鳴らされてハッと我に返った。とにかく只事じゃないのは確かだ。家族の顔が浮かび、良くない心臓の高鳴りを感じる。冷や汗をかきながら車を走らせているとある違和感に気付いた。誰も騒いでいない。まさか皆アレが見えていない…?中にはアレが居る方向へ向かって歩いている人間すらいるのに、パニックになる様子も無い。ここから導き出される答えはただ一つ。アレは「エントルコード」しかも実体化したばかりでエントルコード感受性が低い人間には見えないレベル「マニフェート」だ。ヤツに近づくにつれ、焦りは冷静さへと変わっていく。エントルコードに対する知識か、それとも生存本能か。自分でも驚くほど思考は冴えていた。なるほど、今は午後1時頃か。小中学生の帰宅時間ではないのは幸いで、多くの大人はエントルコード感受性が低いから、アレが見えていない。だからパニックにもなっていないのか。私はスピードを上げ、真っ直ぐマンションへ向かった。
閲覧ありがとうございます。小説読みの方は初めまして。どうも、雪丹です。
主な生息域はリンク貼っておくので良かったら遊びに来て下さい(^^*)
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ちょっと個人的に面白い設定思いついたので、小説書いてみました(祝)
2話は続き地で書いているので出来ればすぐに読んでいただきたいですw 感想もらえたら喜びます。
私が好む作品たちはいつも誰か死ぬ(大抵は私の推し)ので、自分が書く作品くらいは誰も死なないで大団円のハッピーエンドを迎えられたら良いなとは思っています。とはいえ、その場の思いつきの連続で書いているものですから、これは死んだな…。と思ってしまったら死ぬ他無いだろうとも思います。現時点でキャラ13人まで設定考えて、発足するところまでは下書きできてるので、このままある程度の平和な感じで最後まで行ってくれれば良いんですけどねぇ…。