03 ライン交換したいんです
花見の後から新しい会社にも少しずつ馴れ、あゆさんともだいぶ打ち解けた。
と言っても話しをするのは会社だけで電話は用もないのにするのが気が引けていた。
そんな時はラインでも、と考えたが僕はあゆさんのラインを知らなかった。
電話番号は都合よく手に入れたが、ラインを聞けずにいたのは遠慮があったから。
もし嫌な顔されて無理に、なんて感じになるのを避けたかった。
尤も、そうはならないだろうとも思っていたのだが……。
別に普通に聞けばいいのにそれが出来ないでいた。
それは資料室でファイルを物色してた時のことだ。
あゆさんと部長が入って来た。
「ここのファイル、そっちの棚に移しててくれるか?」
「はい。今日中ですか?」
「出来れば頼むよ」
「はい、分かりました」
そんな会話のやり取りをしてた。
部長がいなくなると、腕組みをして悩むあゆさんの姿があった。
「ファイル整理ですか?」
「あ、鈴木君。そうみたい。今日やることだらけだったんだけどなぁ」
「がんばってよ」
「はい。がんばります!」
資料室に二人きりで、今こそライン交換のチャンスでは?
僕は戻る足を止め、あゆさんの元へ近づく。
「あの、あゆさん」
「どうしたの?」
「……いや。ごめん、何でもない」
「何々? 気になるんだけど……」
「大したことないから。あ、後で」
僕は逃げるようにその場を離れてしまった。
さぞ怪しい姿に映っていただろう。
「何でこんなことで緊張してんだろうな……」
◇ ◇ ◇
外回りの営業から帰って来た後に、もう一度資料室へ行く機会があった。
自分の使いたいファイルを探しに行く。
残業という程ではないが、皆が帰った後会社に一人残っていた。
ファイルはすぐに見つかるが、ふと今朝のことを思い出した。
「あれ? ファイル移動してないな?」
あゆさんが部長に言われてたファイルの移動が出来てないことに気づく。
しばしの間その場で考えた。
あゆさんが忙しいと言ってた言葉を思い出す。
「……しょうがねーな」
僕はそれからファイル移動に取り掛かった。
そんなに多い量ではなかったが、一時間程の時間を費やした。
結局、その日は自分の残りの仕事に手を付けられなかった。
あゆさんが喜べばいいか、という僕の自己満足。
何でそんなことまでしてるのか、自分自身で不思議に思っていた。
◇ ◇ ◇
次の日“やって置きましたよ”なんて言うと恩着せがましい気がした。
これは僕の性格が物語ってる。
僕はファイル移動の件を黙っておくことにした。
昨日の時間は何だったんだろう?
素直に気づいたから手伝った、そう言えばいいだけなのに……。
結局、その日も帰って来てから前日出来なかったファイルを探して資料のまとめ。
二日連続で自主残業することになってしまった。
皆が帰る中、僕は残って残務処理に勤しむ。
一人、二人と帰宅の途に着く。
もちろんあゆさんも帰って行った。
全員が帰って一人になった後、誰かが会社に戻って来た。
「まだやってるの?」
「あゆさん? あー、うん。後少し」
戻って来たあゆさんに僕は何かを期待してた。
「忘れ物でもした?」
「うん、そう」
正直がっかりした。
あゆさんはすぐに帰ってしまった。
それから十分ぐらい後に再びあゆさんが戻ってきた。
「あれ? どうしたの?」
「お腹空かない? カップラーメンとおにぎり買ってきたよ。食べよ」
「え? ありがとう」
二人だけの社内。
カップラーメンだけど、あゆさんと二人で夕食。
「たまにはこういうのもいいよね?」
「そうだね。でも、何で?」
僕が理由を聞くとあゆさんは黙ってしまった。
何か考えるような仕草をした後、ようやく理由を話し出した。
「昨日、ファイル移動してくれたでしょ?」
「えっと……」
「鈴木君ぐらいしかやってくれた人、浮かばないよ。部長と話ししたの聞いてたでしょ?」
「えー、あー、実は……」
手伝った僕の方が気まずい感じなのはなぜだろう?
あゆさんが怖い顔で睨んでる。
「何で言ってくれなかったの? 今日やろうと思ったのに移動してあったからびっくりしちゃった」
「言ったら恩着せがましいっしょ?」
「もう……」
「だいたい、昨日やっておけって言われたのに、やってなかったんでしょ?」
「あれは後でもいいって了解取ったから、今日やろうと思ってたの」
「何だ。そうだったんだ。じゃあ、別に急いでやらなくても良かったのか」
親切心の逆効果。
あゆさんは申し訳なさそうな顔していた。
「もしかして、さっきもそのこと聞こうとして戻ってきた?」
「うん。実はそう。でも、聞けなくって……」
「あゆさんらしい」
「それってどういう意味?」
お花見以来、久しぶりにあゆさんとゆっくり話せていた。
あゆさんとの会話はほのぼのとして僕は仕事の疲れが癒されてる気がした。
話してる途中、あゆさんがスマホを取り出した。
そして僕の前にスマホを差し出す。
「ライン交換しよう」
「いいんですか?」
「もちろん。何かあったらラインしてよ。その方が楽な時ってあるよね」
「はい」
あゆさんの方からライン交換をしてくれたことに顔が綻ぶ。
「まだがんばるの?」
「もう少しだけ」
「じゃあ、がんばってね」
そう言うとあゆさんは帰って行った。
仕事が片付いてなかったが一緒に帰れば良かったと後悔する。
それでもスマホのあゆさんのラインを見てると嬉しい気分になれた。
早速帰ったあゆさんにラインを送ろうと思ったが何を書こうか迷ってると先にあゆさんから届いた。
お疲れ様、がんばって、そんな他愛もない内容にスタンプが添えられてある。
「昨日の朝、言おうとしてたことって何っだったの? 凄く気になってました」
最後にそんなの内容が綴られていた。
「実はあゆさんとライン交換したかったんですが言えずにいました」
僕は正直に返信した。
これもラインだから言えることだ。
「言ってくれれば良かったのに」
その後は、仕事もしないで延々とあゆさんとラインのやり取りを続けていた。
こんなことなら最初から素直に聞いておけば良かったと思ってしまった。