01 恥ずかしがり屋な事務員さん
「藤本さん、これお願い出来ますか?」
「……」
「あの、藤本さん?」
「は、はいっ! すすすみません」
目も合わせず手渡したファイルを手に取る。
彼女は返事をすると真っ赤な顔をして逃げるように去ってしまった。
それは事務員にお願いしなければならない仕事を彼女に頼んだ時の出来事だった。
まだ会社に入ったばかりで馴れておらず、中々頼みごとをし難い状況だった。
僕が三人いる事務員の中で彼女にお願いした理由に大した意味はなかった。
おばさん事務員は怖くて、若い事務員は声かけづらい、そんな消去法からだ。
彼女の名前は藤本歩。
会社の皆からは“あゆさん”そう言われてる。
名字で呼び合ってる会社の中で彼女だけは名前の、しかも愛称で呼ばれてるのが不思議だった。
僕は前の会社を退職した後、高校時代の先輩を頼りにして中途採用でその会社へ入った。
前の会社では営業的な仕事やノルマに追われてほとほと参っていた。
しかし、結局入った会社でも営業的な仕事を任せられることになる。
それでもノルマは少なく、人間関係がギスギスしていない。
給料は前の会社より安かったが、アットホーム的な所が僕に合ってたと思う。
あゆさんは会社の事務員。
おばさん事務員と若い事務員とに挟まれて大変そうな二十七歳。
僕が二十三歳だったから四歳年上ということになる。
眼鏡をかけて知的で頭が良さそう、それが僕の第一印象だった。
ところがそんな見た目とは違い、おっとりしてておっちょこちょい。
失敗してはおばさん事務員に怒ら、若い方にもミスを指摘されてる。
案の定、影では“どんあゆ”そんなあだ名も付けられてた。
“どんくさいあゆ”だか“どんまいあゆ”誰が付けたか知らないがそんな意味の略らしい。
そして、もう一つの影のあだ名が“成金”だと言う。
彼女の家がお金持ちのせいもあって、嫌味を込めてそう呼ぶ人もいた。
名前が“歩”だから、金に成ると将棋の方から持ってきた意味だと聞いた。
彼女自身、僕が接した限りお金持ちを鼻にかけてる様子は伺えなかった。
そんなたくさんのあだ名も付けられており、彼女は会社の中ではある意味人気者だ。
綺麗とか可愛い、そんな感じはなく実に素朴。
大人しいというか、ほのぼのしてる雰囲気だけは見ても分かる。
さて、それで……。
顔を赤らめて逃げてた彼女の態度で、僕は向うが自分に気があるのではと勘違いした。
「あの、先輩」
「何だ? 祐」
「藤本さんって、もしかして俺のこと?」
「バカ、それは違うよ」
「そうですか? でも、あの態度って……」
「あゆさんは人見知り激しくて、赤面症なだけだよ」
彼女の性格は会社の皆が知っていた。
仕事は遅いけど一生懸命頑張るから彼女は誰にでも好かれていた。
だが、人見知りの激しい彼女とは、僕は打ち解けられないでいたのが現状だった。
話しかけても続かないのは、彼女に問題があったという訳だ。
仕事の上でも普通に接して欲しいが、どうやらまだまだ時間は掛かりそうだ。
僕は会社で彼女が特別気になってた訳でもない。
おちょこちょいでドジな所につい目がいってしまう、そんな程度だ。
現に僕には付き合ってる彼女がいた。
だが、僕はそれから少しずつだが彼女に惹かれていくことになる。
そして、まさか彼女を好きになってしまおうとは、この時の僕には思ってなかったことだった。