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王都への旅立ち~そして襲撃

「次、ハート前へ」

 地方都市『ビブリア』にある魔法学校の訓練場──召喚術の授業で教師に指名されたハートは他の生徒たちの前に出た。

「──我、天と人とを繋ぐ者」

 ハートが召喚術の呪文を唱える。

 輝く光の粒子──魔法力がハートの体から溢れ、その髪がふわりとなびく。

「天界の使い魔よ、出でよ!」

 ハートの前に、白い光の魔方陣が出現した。

(出ろ──出ろ!)

 ハートが強く念じる。

 今回もこの召喚術に失敗したら、いよいよこのクラスから除名されかねない。

 数年前、魔法術──特に召喚術の資質を見いだされこの魔法学校に入学したハートであったが、理論や魔法の構造式を理解した一方で、実際の術の発動──召喚術の対象として最も下位とされる、天界に住まう『使い魔』の召喚は、長い間できないでいた。

 定期的に行われる魔法の試験に合格できなければ、指導や補講が行われる。

 しかし、それでもなお授業の課程についけいけない場合は最悪の場合、この学校から除名されることになっていた。。

 今回の試験で落ちれば、いよいよ除名が近いのを感じていたハートは半ばすがる気持ちで術の成功を祈る。

(頼む──)

 ハートの体が力み、魔方陣がより一層力強く輝いた。

「……」

 しかし魔法陣からは何も現れず、そのまま魔法陣が霧散して消え、沈黙が流れる。

 結局、今回もまたハートは試験に失敗してしまった。



「……」

 学校からの帰り道、ハートは苦い表情で歩いていた

──このままじゃ退学になる。

 親がいないせいで小さいときから働くしかなかった自分がせっかく掴んだチャンスなのに、ここでダメになったらまたあの生活に逆戻りだ。

 うつむいて暗い考えをしていたハートは独りぶんぶんとかぶりを振った。

(俺は、魔術師になって、一人で生きていくんだ!魔術師になって仕事につけば、親がいなくたって誰かの世話にならなくていい。それに、あいつとだって)

「ハート」

 考えこんでいたハートに、突然声がかけられた。

「!──リルフィリア」

 ハートが驚いて顔を上げた先に、一人の少女が立っていた。

 リルフィリア=アルメール──ハートと同い年の幼なじみであり、ハートと同じく魔法学校に通う女の子だ。

「どうしたの、暗い顔してたよ?」

 先程までのハートの様子を見られていたのか、リルフィリアが心配そうな表情でハートの顔を覗いてきた。

「なんでもないよ!」

 ハートは慌てて何事もないかのように首を振った。

「そう?──ハート、試験はどうだった?」

 不思議そうな顔で一旦引き下がったリルフィリアであったが、その直後にハートの悩みの根本的原因に触れてきた。

「え……?別に……」

 はぐらかそうとしたハートであったが、自ずと視線が下がる。

「そっか」

「……」

 ハートの様子から試験の結果が芳しくなかったことを察したリルフィリアは、ハートを気遣うように声のトーンを落とした。

 一方でハートは、試験に落ちてしまったことに加え、リルフィリアにこんな自分を見せてしまっていることに、一層つらく悔しい気持ちになる。

「じゃあさ、私と一緒に練習しようよ」

「え?」

「練習すれば、きっとできるよ。私もそうだったし」

「……いいよ、店の手伝いがあるし、お前も飛び級のクラスの勉強で忙しいだろ」

 ハートはリルフィリアの提案を断った。

 親がいなしハートは普段学校が終わったら、自身が居候させてもらっている居酒屋の手伝いをしていた。そのため、学校が終わったら夜まで働く日々を送っている。

 他方リルフィリアは、年齢こそハートと同じものの、魔法学校一番で優秀と評価されている生徒だ。

 彼女は学校唯一の飛び級の生徒で、すでにハートやハートと同年齢の生徒の課程を修了し、より高学年の授業を受けている。

 特に彼女の召喚術は他の学生のそれよりも高度なもので、ハートが苦戦している『使い魔』よりも高位である『精霊』の召喚を──これは魔法学校でも教師にすらできない──を可能としていた。

 そんな優秀なリルフィリアは、毎日勉学に勤しむ日々を送っていた。


「そう……」提案を断られ、リルフィリアが寂しそうな表情をした。

 そんな彼女の顔を見て、ハートは自分の言ったことに少し後悔する。

「途中まで帰ろう、リル」

 話題を変えるように、ハートが口を開く。

 ハートたちと同じように帰り道を歩く他の学生が、ちらちらとリルフィリアのほうを見ている。

 彼女は正直、かなりの美少女だ。

 長い銀の髪はきらきらと輝き、翡翠のような美しい瞳を持つ。長く均整のとれた肢体は、その身にまとう学校の制服が、まるで彼女のためにデザインされたかのように似合っている。


「……」

「?……どうした、リル」

 一緒に歩き出したハートとリルフィリアであったが、何やらリルフィリアの様子がいつもと違った。

 今日の彼女はいつもより口数が少なく、表情も乏しい。

 すると、リルフィリアが口を開いた。

「実は……、私、王都に行くことになったの」

「えっ?」

 リルフィリアの唐突な発言に、思わず間の抜けた声がでた。

「王都に何しに行くんだ?」

 王都は、この『ビブリア』のずっと東にあるこの国で最も大きい都だ。

 『ビブリア』のような小中都市をいくつも経由してたどり着く遠いところに、リルフィリアが何のために行くのだろう?

「王都の偉い人に呼ばれたの。王都の大魔法院に行くようにって。」

「行くって……ずっとってことか?」

「……うん」リルフィリアがこくんと頷く。

 大魔法院とは王都にある魔法分野におけるこの国の最高学府だ。

 魔法や歴史、その他の分野の蔵書は星の数ほどあり、全国から集まった優秀な生徒が最高レベルの勉学に励むと同時に、権威ある研究者たちによって魔法の基礎および応用の研究が日々行われている。

──そこに、リルフィリアが通う?

 自分でも動揺しているのがわかった。

「私、この間、また先生に呼ばれて訓練に行ったの。」

 リルフィリアがいう訓練とは、魔法学校において優れた資質を持つリルフィリアだけに特別に行われている召喚術の授業のことだ。

 この訓練のことは他の生徒には秘密にされており、リルフィリアは口外しないという約束のもと、ハートにだけこのことを教えてくれていた。

 リルフィリア曰く、この授業は魔法学校の校長や各科目の先生立ち会いのもと行われているらしい。

「そしたらね、私、自分でもよくわからなかったんだけど、天使さまを召喚したんだって」

「天使ぃ!!──んぐっ!」

 思わず大きな声を出した俺の口をリルフィリアが手で塞いだ。

「ちょっと!」リルフィリアが俺の口を押さえたまま、辺りを見回して、そのまま強引に俺の腕を引っ張って歩き出した。

「──おい!」

 リルフィリアに引っ張られたまま路地を抜け、誰もいない開けた場所に出る。

 柵に囲われた芝生と一本の果樹の樹が立つ、町のの憩いの場だ。

 ここなら物陰もないから、誰かの聞き耳も立っていない。

「天使って、お前天使を見たのか!」

 天使──それは精霊よりもさらに上位の存在である、神の使い。

 神の意思や教え、導きを神に代わって人間の世界に啓示すると言われている。

 しかし、その存在は今この時代、誰も見たことがないはずだ。

 使い魔や精霊は、召喚術によって現に存在が確認されているが、誰も見たことがない天使そして神の存在は、使い魔や精霊の存在から推測されているだけだ。

 ただし、ひとつ特殊な例として天使の存在が認められたのは、伝承に聞く聖女ファティナの場合だけだった。

 千年以上前、聖女ファティマは神の啓示を天使から授かり、それによってこの国が生まれたという。

「天使ってどんなのだった?!」

 ハートは興奮しながらも、大声は出さないように気を付けながらリルフィリアに訊ねる。

 言い伝えられていることには、天使は輝く光の羽を持ち、美しい女性の姿をしているらしい。

 しかしリルフィリアは首を振った。

「私は見てないの……先生たちが見たって……」

「?」

「私はそのとき精霊の『降霊術』を練習していたんだけど……」

 『降霊術』──それは、使い魔や精霊そのものを召喚するのではなく、その存在や力を、自身に宿す召喚術の派生技である。

 例えば炎の精霊を自身に降ろせば、その力──炎を操る能力を一時的に授かることができる。

 ただし、精霊を降ろすという高等な『降霊術』は、普通の学生はもちろん、ほとんどの魔術教師であっても習得してはいない。

 この『ビブリア』でそれができるのは、魔法学校の校長とリルフィリアぐらいだ。

「そしたらそのとき、いつもと違う、何か変なことが起きて。私は途中から何も覚えてないんだけど、先生たちは『なにか』が私に降りてきたのを見たみたい」

「へえ……」

 スケールの大きい話に、そのままリルフィリアの話を受け止めるしかないハート。

 しかしさらに驚くべきはここからだった。

「そしたら私、なにか言ったみたいで……。先生たちはそれは神さまの預言だって」

「預言!?」

 再び大きな声を出したハートに、リルフィリアは慌てた様子でハートの口を押さえる。

「預言かどうかはわからないよ……でももしそうだったら、私たちの学校じゃ手に負えないからって、校長先生が王都に行けって」

 リルフィリアがハートの耳元で小さく話す。

「王都の、魔法院のすごい人たちにほんとにそうか見てもらうってことか?」とハート。

「多分……まだ詳しくは聞いてないんだけど」

「でも、なんでまた通うことになるんだよ。一回見てもらうとかそういうじゃだめなのか?」

 ハートが疑問をぶつける。

「わかんない……でも実は前から先生には魔法院に行かないかって言われてて……」

「えっ」

「そのときは断ってたの!」リルフィリアが声を大きくした。「私、この町のことが好きだし、お父さんやお母さん……ハートだっているし……でも今回のことがあって……」

 リルフィリアはそこて黙ってしまった。

 リルフィリアの様子からするに、魔法院への誘いをもう断るに断りきれなくなったのだろう。

「……」ハートも何も言えなくなり二人の間に沈黙が流れる。

 突然告げられた別れ──ハートにとって、この少女の存在はとても大きいものだった。

 幼児のときからこの町の孤児院で育ったハートは、はじめ誰も友達と呼べる存在がいなかった。

 そんなときに、ふとしたことから知り合ったのがリルフィリアだった。

 二人は親しいなかになり、しばらくしてリルフィリアは魔法学校に入学した。

 そしてリルフィリアは魔法学校で教わったことを、魔法に興味を持っていたハートに休みの日などを使って教えてくれた。

 そうするとハートが、リルフィリアから教えられたことをもとに魔法術が使える片鱗を見せ始めた。

 それが今こうしてハートが魔法学校に通えている理由だ。

 ハートに魔法を扱う資質があることをリルフィリアが両親に話すと──リルフィリアのお父さんはこの町の名士で、孤児院育ちのハートを他のこどもと同じように分け隔てなく優しく接してくれた────両親はハートを魔法学校に推薦してくれたのだ。それに、魔法学校に通うため孤児院を出ることになったハートに、今の住まいを人伝えに融通してくれたのもリルフィリアの両親だった。

 ハートが魔法学校に入学してからもリルフィリアはハートを支え続けてくれた。

 孤児院育ちのため、最低限の読み書きや算術しかできないハートに、魔法術に関する書籍を理解するために言葉や文法、その他あらゆることをリルフィリアは教えてくれた。

「いきなりこんなこと言ってごめん……」リルフィリアは力なく呟いた。

「いつ、行くんだ?」

 ハートが問う。

「一週間後……」

 別れまでたった一週間しかないことに、ただでさえ動揺していたハートは、ガンと頭を殴られたようなショックを受けた。

「一週間後の朝に、王都から来る騎士団の人たちといっしょに行くの……」

 リルフィリアも辛そうに目を伏せた。

「もっといろんなことがわかったら言うから……また学校でね、ハート」

 そう言ってリルフィリアは、居たたまれなくなったのか、ハートを残して小走りで去っていった。



 リルフィリアがいなくなる……。

 胸に大きな穴があいた気がしながら、ハートは自宅──居候させてもらっている町の居酒屋に帰り着いた。

「おう、ハート!おかえり!」

 帰ってきたハートに気が付いた中年の男──店の亭主のクラフトがハートに声をかけた。

「ただいま、クラフトさん……」

 ハートはその快活な男、亭主のクラフトに小さな声で挨拶する。

「どうした、元気ないな?」

 いつもと違うハートの様子に、クラフトが怪訝そうな顔で問いかける。

「いや、なんでもないよ。──すぐ準備にいくから」 

 詮索をさけるようにハートはクラフトのそばをすぐに通りすぎると、二階にあるハートの部屋に学校の鞄を置き、制服から普段着に着替えて店の厨房に入った。

 しばらくして、店はやって来た客たちでにぎやかになった。

「……」

 そのなかで働くハートであったが、いつも大声で聞こえる客の喧騒も今日は耳に膜がかかったように遠くに聞こえた。

 そして気がついたら、いつの間にか店を閉める時間になっていた。



 次の日、学校の昼食の時間になった。

 しかし、昨日会いに来ると言っていたリルフィリアであったが、ハートのところに姿を現さなかった。

 何か忙しいのだろうと、その日は自分を納得させたハートであったが、さらに次の日、また次の日とリルフィリアと会うことはできなかった。

──このままじゃ……

 旅立の日がどんどん近くなるのに焦ったハートは、夜に借り部屋を抜け出し、リルフィリアの自宅まで訪れた。

 しかし真夜中であったので、もちろんリルフィリアの家のどの灯りも点いておらず、リルフィリアとその家族は全員就寝しているようだった。

 ただ、それだけなら誰かを起こしてでもリルフィリアに会うつもりでいたハートであったが、リルフィリアの家の正面に行ったところ、何者か──小さな手持ちの照明に照らされたその姿はこの『ビブリア』の治安を守る騎士団の兵士のようであった──がリルフィリアの家を警護しており、ハートがリルフィリアの家の戸を叩くことはできなかった。

(なんでだよ……)

 落胆して自分の住まいに戻るハート。

 そしてリルフィリアに一度も会えないまま、旅立ちの日はやってきた。



「……」

 小鳥のさえずりとともに、ハートは借り部屋の寝床で目を覚ました。

 とうとう今日、リルフィリアが王都へと旅立つ。

 このまま別れることになるのか…… 

 ハートは今日も学校だが、このままリルフィリアと会わなければきっと後悔する。

「──よし!」

 ある決意をしたハートは、勢いよく立ち上がった。





『ビブリア』を囲む城壁のうち、ハートは王都がある方向である東の門に向かい、平時の日中は解放されている城門をくぐった。

──あれか!

 城門のすぐ近くに、リルフィリアが言っていた一団はいた。

 幌のついた一台の馬車と、十数人の軽装備の兵士、そして彼らが乗るのであろう何頭もの馬が見えた。

(リルフィリア!)

 ハートが一団のなかに、彼女の姿を見つけた。

 リルフィリアはちょうど、馬車の幌の中に、後部にある乗降口から入ろうとしているところだった。

「リル!」

「?!──ハート!」 

 突然かけられたハートの声にリルフィリアは驚いて振り向いて、ハートの姿を認めるとパッと表情を明るくして急いで馬車から降りてきた。

「リル!」

 彼女の姿に、ハートの胸にいままで押し殺していたいろいろな気持ちが沸き起こり、急いで彼女のところへと駆け寄っていく。

「誰だっ!」

「うわっ!」

 しかし突然現れたハートに対して、馬車のそばにいた兵士が二人の間に割って入り、ハートに向けて携えていた槍を向けた。

「待ってください!友達なんです!」

 リルフィリアが兵士を止めようと声を上げるも、ハートを警戒した兵士たちはそのまま槍をハートに向けて構える。

「何事だ」

 すると、馬車の前のほうから、凛々しい声がした。

 現れたのは、一人の女性騎士であった。

「槍を下ろせ」

 高貴さを感じさせる丈の長い青の衣の上に、輝く銀のアーマープレートを体の各所に装着し、マントを纏ったその女性騎士は堂々とした身振りで兵士たちを制すると、ハートの前に立った。

「何か用かな、少年?」

 きりっとした切れ長の目がハートをじっと見ながら、女性騎士はハートに問いかけた。

 ハートより背の高いその女性騎士の、後ろでひとまとめにした金の長髪がそよぐ風に揺れる。

「俺はハートっていいます。『ビブリア』の魔法学校の生徒で、そこにいる女の子を見送りにきたんです」

 麗人の騎士に見つめらながらハートは、内心どきりとしながら問いに答えた。

「そうか、彼女の友人か」

 女性騎士はそこで背後のリルフィリアをゆっくりと見ると、リルフィリアの様子からもハートが怪しいものではないと判断したようで、周囲の兵士に武器を下げるように命じた。

「──いいだろう、もう出発の時刻だが、別れの挨拶をするといい」

 そう言った女性騎士は、横に退いて道を開けた。

「すみません!」

 寛容な女性騎士におじぎをしながら、ハートはリルフィリアのところに駆け寄った。



「ハート!どうしてここに?!」

「お前に会うために決まってるだろ!」

「学校は?!」

「そんなのいいんだよ!」

 リルフィリアは驚いた顔をしたものの、次第にその表情が柔らかくなって、ハートに微笑んだ。

 その瞳が、こころなしか揺らめいてきらきらしている。

「ごめんね、会いに行きたかったけど、いろいろあって時間がなかったの。先生からも家と学校以外出歩いちゃだめだって言われてて……」

 リルフィリアがこれまでのことを詫びてきた。

「いいよ、そんなの……」

 ハートもやっとリルフィリアに会えたことで、いままで抱いていた暗い気持ちがきれいに晴れていた。

「よかった……ハートに会えた……」リルフィリアが安心したように呟いた。

「俺もだよ……」ハートも心からほっとした。


「──出発する。リルフィリア殿、馬車に乗られよ」

 女性騎士が二人のところにやってきてそう告げた。

「あっ、ハート……」

 リルフィリアが後ろ髪引かれる思いで、ハートを見る。

「行けるところまで見送るよ。」とハートはリルフィリアに言った。

「えっ」

「途中までついてくよ。俺はそこからまた戻ればいいから。──そこまで一緒にいる」

「…………うん」

 リルフィリアはこくりと頷いた。

 


 そして女性騎士を先頭に、騎馬兵の一団とリルフィリアを乗せた馬車が進みだした。

 ハートはその後をついていく。

 一行は馬や馬車に乗っているとはいえ、ゆっくりしたスピードで進むので、徒歩のハートも遅れずについていくことができた。

 するとリルフィリアが、馬車の後ろにある乗降口から顔を覗かせる。

 それを見たハートがリルフィリアに向かって大きく手を振ると、リルフィリアははにかんで小さく手を振り返した。


 

 そうしながらしばらくすると、一行の足が止まった。

 どうしたのだろうと不思議に思ったハートのところに、前方にいた女性騎士がやってきた。

「少年、どこまでついてくるつもりだ?」

 ハートに問う女性騎士。

「もう少しついていっていいですか?」ハートはしっかりと女性騎士の目を見て主張した。

「しかし、こうも『ビブリア』から離れてしまっては危険だぞ」

「大丈夫です!道を辿ればもどれるし、まだ日も高いので」

 ハートは負けじと食い下がった。

「ん……」

 女性騎士は小さく息を吐くと、腰に手を当てて何か考える仕草を見せた。

「それなら、馬車に乗れ」

「えっ」

「年端のいかぬ少女が、一人で王都に旅立つのだ。きっと心細いだろう。しばらくの間、話し相手になってやれ」

 女性騎士はなんと、ハートに馬車へ乗ることを許可した。

 驚くハートに女性騎士が続ける。

「──かまわないさ。だが、小一時間程度だ。あまり遠くまでいくと、君が迷ってしまうからな」

 リルフィリアの護衛を任務とする彼女たちに、このようにする義務も義理もない。

──この一行を率いる女性騎士による温情的な措置だ。

「ありがとう!騎士さん」

 喜ぶハートは大きな声で女性騎士にお礼を言った。

「ふふ」ハートにお礼を言われて女性騎士は微笑んだ。

「私はウィンクルムユースティス。王都騎士団の一隊を預かっている。短い間になるが、よろしくな少年」

 女性騎士──ウィンクルムはそう告げると、輝く金のポニーテールを揺らして一団の先頭に戻っていった。


 ウィンクルムの許可により、他の兵士に誘導されたハートは馬車に乗り込んだ。

 一部始終を見ていたリルフィリアが嬉しそうにハートを迎える。

 二人は、馬車のなかの左右の縦座席に対面になって座り、そこからいろいろな話をした。

 これから王都でどんなことをするのか、どういう風に暮らすのかといったこと、『ビブリア』に残るの両親のこと──とはいってもあまり心配はいらないようで、王都の魔術院に通うことになるリルフィリアはそこに用意されている宿舎で暮らしながら魔術院に通い、一方で、夏と冬にあるという長期休みには『ビブリア』に帰ることが──移動手段としての馬車の費用も魔術院持ちという──できるらしい。

「なんだ、そうだったのか」

 リルフィリアと今生の別れになることすら覚悟していたハートは少し安堵した。

「ごめん、私も後から知らされることも多くて……」

 リルフィリアが申し訳なさそうに言う。

「なら、お父さんとお母さんにも会えるんだな」

「うん!」

 彼女の両親が気がかりな風に言ったが、本当はハートは自分がまたリルフィリアに会える、そのことに一番喜んでいた。

 二人の間に、穏やかな空気が漂う。

「──じゃあ、俺も魔術院に行く!」

 突然そう思いついて、ハートは言ってみた。

「えっ!」きょとんとするリルフィリア。

「お前みたいに、俺も学校ですげえ優秀になって魔術院に引き抜かれてやる!」

 ハートが威勢よくそう宣言すると、驚いた顔をしていたリルフィリアがクスリと笑った。

「なんだよ、おかしいかよ」

 憮然とした顔をするハート。

「ううん」リルフィリアは首をふって、それからまっすぐハートを見つめた。

「ハートならできるよ!私、ハートがすごい魔術師だってわかるもん」

 リルフィリアの言葉に、ハートの胸はあたたかさでいっぱいになった。



 それからまたしばらく馬車が進んだことであった。

「?──なんだろう?」

「どうしたの」

 何か変な感じがしたハートは、辺りが気になって、馬車の後ろの乗降口から外を覗いた。

 しかし、一見したところ何も起きていない。

 先程からと変わらず、馬車の後方に騎馬の兵士らが続いている。

「ごめん、なんでもない」そう言って席に戻ろうとしたハートでかったが──

「うわっ!」

 突然、馬車が急停止して、慣性でハートは前につんのめった。

「大丈夫、ハート?」リルフィリアがハートを気遣う。

「なんだよ急に……」

 身を起こしながらハートが馬車から外を見ると、何やら兵士が慌てた様子でいるのが見えた。

「魔物だ!」

「かなりいるぞ!!」

 ガシャガシャと鎧を揺らして馬を馬車の前へと走らせる兵士たち。

「魔物!?」

「えっ」

 聞こえた声にハートとリルフィリアも反応する。



 一方、騎士団のなかではじめに異変を察知したのは、一団の先頭を進んでいたウィンクルムであった。

 えも言えぬ違和感を感じたウィンクルムは、手を後方の兵士たちに掲げて示し、一団を停止させた。

──なんだ……?

 ウィンクルムが辺りに目を走らせる。

 すると、ガサッ、ガサッと街道を囲む周囲の森から、枝葉を強く揺らす音がした。

 そして、森の木々の間から、無数の何かが姿をあらわした。

(──魔物!なぜこんなところに!)

 ウィンクルムが目にしたのは、狼のような姿をした魔物の群れ──狼のようなといっても、その体格は人間界の狼よりも一回り大きく、硬質なごわごわした長い毛皮に全身が覆われており、頭部の大きな顎からは長く鋭い牙を覗かせている。

 魔界に住まう狼型の魔物──ウルヘルヴだ。

(多い!かなりの数だ!)

 ウルヘルヴの群れは一団を囲むように、周囲の木々の間から姿を現している。

 その数はこちらの兵士よりも多い。

 ズウン!ズウン!

 すると今度は、地響きとともに、斜め前方の森の木が、バキバキと音を立てて倒れた。

──なんだ!?

 ウィンクルムがそちらに顔を向ける。

 そして戸惑うウィンクルムの前に、倒した木々を踏み割って、一体の巨大な魔物が現れた。

(こいつは──ミノガントス?!)

湾曲した角をもつ雄牛の頭部に、樹木より太い四肢を持つ巨人の魔物──ミノガントスだ。

 ズシン、ズシンとミノガントスが大きな音を立てて歩く。

 筋肉の巨大な塊の両腕には、長い柄と巨体な刃を持つ斧が握られている。

(なんで、こんな魔物が──)

 ウルヘルヴ自体は、魔物としては珍しくない──ただ現れるとしても数体がせいぜいで、こんなにもの数の出現に出くわした経験はなかった。

 ましてや雄牛の巨人ミノガントスは、かつて王国が魔王の指揮する魔物の大軍団に侵攻された『王都防衛戦』において、魔王軍の尖兵として猛威をふるったと言い伝えられているだけで、その実物を見るのははじめてだった。

 五メートルを超すその巨体は、弓兵や投擲兵が束になって攻撃してやっと倒せるほどで、槍や剣を携えただけの歩兵や騎兵が何人いても倒せる相手ではないという。

「くっ……」

 そんな伝承レベルの魔物が、どうして比較的安全な地とされる地方都市『ビブリア』近くの林道に現れたのか──ウィンクルムは、自分たちの置かれた状況がかなり危険であることを感じた。

「隊長!」

「落ち着け、総員戦闘準備!

馬車を守れ!!」

 動揺する部下の兵士たちに号令をかけ、ウィンクルムも腰の剣を抜く。

 兵士たちがとハートが乗る馬車を中心に円形に展開し、馬車を囲む魔物と対峙した。

 ウィンクルムは、道を塞ぐ形で立ちはだかるミノガントスを鋭く睨む。

「……コ……セ……」

「?」

 すると、ミノガントスがその口を動かし、何やら音を発した。

「オンナノコドモ、ヨコセ……」

(こいつ人語を──!?)

 知性の欠片もなさそうな凶悪な魔物が言葉を発したことに驚いたウィンクルムであったが、それ以上に気になったのはその内容であった。

(女の子ども──リルフィリアのことかっ!)

 この魔物たちの狙いは馬車に乗る今回の護衛の対象、リルフィリアというのだろうか。

「お前たち、馬車のリルフィリアを──」

ウオオオオオッ!!

「ッ!!」

 指示を出しきらないうちに、ミノガントスがけたたましい雄叫びをあげた。

 そして、それを合図にしたように、ウルヘルヴの大群がウィンクルムたちに襲いかかってきた。


ここまでお読みいただいてありがとうございます。

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