7.出立
『仙人殿の他にも《仙人》がおられたのですな』
その後、ドリスさんと少し話していると、狐さんがやって来ました。
「いえ、彼女は《人間種》ですが《仙人》ではありませんよ。その証拠に角が生えています」
『鹿のようなものではなく?』
「残念ながら普通の《人間種》に角はないのです」
この世界には獣人という《人間種》もいるらしいので、その方々には生えているかもしれませんが。
そうして狐さんと話していると、ドリスさんが恐々と口を開きました。
「なんじゃ……? この禍々しい魔物は。恐ろしいほどの力を感じるが……」
「こちらは狐さんです。この辺り一帯を治めている非常に強力な魔物です」
「そ、そうか。……お初にお目にかかる。ワシはドリスと言う。よろしくな」
『吾輩の方こそよろしくお頼み申す、ドリス殿』
互いに自己紹介を終え、居心地の悪い沈黙が流れます。
それを破ったのは、狐さんの《意思疎通》でした。
『……仙人殿の言っておられた奇妙な気配というのは彼女のことだったのであるか?』
「ええ。彼女の転生に合わせて気配が収束していただけだったようです」
『そうであったか。この森の平穏を脅かす存在でないようで何よりだ』
「良かったですね」
一応同意はしましたが、実のところ私は狐さんほど森の調和を望んではいません。
どちらかというと、全てを成り行きに任せ、あるがままの姿を重んじるべきだと思っています。
私や狐さんのような超常の存在の過干渉は、過剰な偏重をもたらしかねませんから。
されど、超常とはどこからか、過干渉とはどれだけか、といった線引きができない以上、狐さんの取り組みを否定するつもりもありません。
そして、彼の最上位種としての責任感や、支配者として責務を果たそうとする姿勢には敬意が持てます。
そういうわけで、私は彼の活動にはノータッチでいます。
『それで、ドリス殿はこれからこの山で暮らされるのですかな?』
「そうじゃのぅ……いや、そう長居はせぬよ」
「どこかへ行かれるのですか?」
「ああ。ワシは故郷を目指そうと思っておる。あそこにはそれなりに思い入れがあるからの」
ワシを殺した人間ももう寿命で死んでおるはずじゃしの、とドリスさんは付け加えました。
口にして自身の目的を再確認できたのか、彼女はうんうんと自分の言葉に頷いています。
「そうと決まれば早速出発しようかの。短い間じゃったが世話になった」
「いえいえ、このくらい人間として当然のことです」
『吾輩はほとんど何もできておりませぬが。お気を付けて』
「うむ、ではさらばじゃ、〈ナイトフライト〉!」
短く礼を告げたドリスさんは、闇を噴出させてそのまま飛んで行ってしまいました。
何とも急な別れです。
『嵐のような方でしたな』
「ですね。…………私も彼女に付いて行こうと思います」
『おや、それはまた如何なる理由で?』
「小さな子供を一人で放り出すわけには行きませんから」
普段は不干渉こそ美徳と標榜している私ですが、それとこれとは話が別です。
転生しているとはいえ、あんな幼子を一人で旅に出すのは気が引けます。
『しかしドリス殿の旅がいつ終わるかはわかりませぬぞ。目的地の方角も知らぬと言うておった』
「ええ。しばらくここには帰って来られないでしょうね」
『……寂しくなりますな』
「これまでお世話になりました。また会えたらよろしくお願いします」
次に会えるのがいつになるか不明なため、挨拶をしておきます。
さすがに今生の別れとまでは行かないと思いますが、その辺りは本当に未知数ですので。
『お気を付けて、仙人殿。私はこの山に残りますが、いつでもお帰りをお待ちしておりますぞ』
「ありがとうございます。それでは」
最後に会釈してから、地面を蹴ります。
体が弾かれたように宙へと躍り、そして《神足通》にて再度跳躍。
瞬く間にドリスさんに追いつきました。
「失礼、ドリスさん」
「わっ!? なんじゃヤマヒトか。お主、恐ろしく気配が薄いの。して、何用じゃ?」
「あなたの旅に私も同行させていただきたく」
「まあ、別によいが、どうしたのじゃ?」
「私もこの地に来て随分経ちます。そろそろ外の世界を見て回りたく思ったのです」
ちびっ子が心配だからですとは言いませんでしたが、今話したことも噓ではありません。
私がここを出るきっかけを、心のどこかで探していたのは事実です。
「そうかそうか。人間に詳しいお主がおればワシも助かる。是非とも共に来てくれ」
「はい」
軽くオーケーをもらい、空を飛ぶ彼女に並走します。
しばらく無言で飛び続け、山をいくつか越えたところで私から話しかけました。
「ところで、進行方向に目安などはあるのですか?」
「ない。ワシはワシの勘を信じて飛んでおる」
「……そうですか」
何かしら口出しすることも考えましたが、止めました。
ほぼ直進できていますし、このまま進んでも問題はないでしょう。
「……腹が減ったの。休憩としようか」
「お昼ですしね」
「あやつなどは旨そうじゃな」
山と山の間に広がる平原にて草を食む羊さん。
それに目を付けたドリスさんは、そちらに進路を取りました。
「〈アビスバリスタ〉!」
「メェぇっ!?」
深い闇が長大な矢と化し、高速で羊さんを貫きました。
悲痛な断末魔の声を上げ羊さんが絶命したと、気配で感知します。
「《レベル》も上がったようじゃ。やはり一からじゃと上がりが速いの」
「あの羊さんもそこそこ強い魔物ではありましたからね」
五段階中に上から四番目。
生態系のピラミッドでは、普通の魔物や小動物より一段高い所に位置しています。
ヌシ級の魔物には二回りほど劣りますが、《レベル1》で勝つのは難しい魔物でした。
「ふふん、これでも元は《魔竜王》じゃったからの。斯様な魔物に手間取ることなどあり得ぬわ」
「お見事です」
地面に降りて、羊さんに近づいて行きます。
首の下から胴体にかけて穴の開いた死体の前で、ドリスさんは膝を突きました。
そして──、
「それでは」
ガブッ。
──火も通さずに首筋に噛み付きました。
「っ!? ぶぺっ、ぺっ。不味っ!? ど、毒でも入っておるのかっ?」
口元を真っ赤に染めて、彼女は狼狽しています。
「毒の気配はありませんよ。恐らく、種族が原因かと」
「どういうことじゃ……?」
「人間はドラゴンほど生肉丸齧りに向いてはいないのです。煮たり、焼いたりしてからでないと。それに毛皮は食べられませんからね」
「そ、そうなのか……」
苦い顔をしていますが、納得はいったようです。
私が数度凪光を振るって羊さんを解体すると、ドリスさんは肉に向かって腕を向け、〈魔術〉の構築を始めます。
「では、改めて。〈ブレイズブレ」
「ちょっと待ってください」
想定を遥かに超える膨大な魔力が集まり出していたので、慌てて制止しました。
「なんじゃ? 折角リョーリをするところじゃったのに」
「その〈魔術〉では消し炭になってしまいます。もう少し威力を下げた方がいいかと」
「このぐらいか?」
「その半分くらいで」
「ならばこれくらいじゃな。〈ファイアフォグ〉」
このように、羊の調理の始まりは、先行きの不安になる幕開けでした。