31.交代
普段運動をしない人間が急に激しい運動をするのは危険です。
いきなり階段を全力ダッシュしようものなら、体のあちこちを痛めたり、体調を崩したりすること請け合いです。
ポイルス氏に至っては、私が追いつくと同時に絶叫し、白目を剥きながら泡を吹き卒倒してしまったのですから、急な運動というのは恐ろしいですね。
気絶した彼を抱えて螺旋階段を降りて行きます。
初めの踊り場では、ヴェルスさんと町人達が固唾を呑んで待っていました。
「捕まえて来ましたよ」
「「「うおおぉぉぉぉッ!!」」」
割れんばかりの歓声が《迷宮》中に響き渡ります。
《防御力》が低ければ耳が痛くなっていたことでしょう。
「待たせたな! って、もう終わってたか」
狩人長率いる精鋭チームが《迷宮》に入ってきました。
ナイディンさんや弟子達、内通者の方々も一緒です。
騎士達との戦いは終わったのでしょう。
群衆を掻き分けて私達の前にやって来ます。
「後はそこの坊……ヴェルス様に任せたのでいいんだよな?」
「はい。次期領主として責任を持って引導を渡します」
ヴェルスさんが深く頷きました。
橙の瞳には昏く剣呑な光が灯っています。
「すみません狩人長、今から降ろしますので後ろの方々を下げていただけますか?」
「おっと、こりゃ悪ぃ。お前ら、一旦入口の方まで戻るぞ」
最初の踊り場に詰め寄せていた人達が引いて行きました。
これで私も下りることができます。
スペース的な問題もさることながら、肉を前にしたダイエット中のライオンさんみたいな目つきの方も数人いたので、迂闊に降ろすのは躊躇われたのです。
「よいせっと」
《万里の貪縄》で縛ったポイルス氏を踊り場の床に置きます。
うっ、と小さく呻き声が聞こえ、彼は目を覚ましたようでした。
「んん……なっ!? こ、これはどういうことだ!?」
困惑したように周りを見回した後、ハッとしました。
気絶するまでの記憶を思い出したようです。
「ぐっ、こ、この……っ」
慌てて縄を振り解こうとしますが、簡単には解けない特殊な縛り方をしていますし、貪縄自体の強度も非常に高いので無駄な行為です。
そんなポイルス氏の首元に、ヴェルスさんが濁剣の刃を差し出しました。
「領主ポイルス・ボイスナー、あなたにはここで死んでもらいます。何か言い残すことはありますか?」
「ひっ、ままま、待てっ、ボクを殺せば絶対に後悔するぞ!?」
悲鳴じみた声でポイルス氏は叫びました。
「ぼ、ボクが死んだと武帝が知ればすぐに次の領主を遣わすはずだ。でも、そいつはきっとボクよりも税を重くするぞ! 領主に反逆した領民なんて死ぬまで搾取されるに決まってる!」
「ご心配には及びません。これからは僕がこの地を治めますので」
「……は?」
ポイルス氏は唖然とした表情をされました。
「お、お前、まさか帝都から遣わされた貴族なのか……?」
「違いますよ、僕は武帝の命令で来たわけではありません。ただ、あなたの死後にここを守るというだけです」
「は、ハハハハハッ、無知とは恐ろしいものだな! 良いことを教えてやろう、武帝は下克上など決して認めない。お前がボクを殺したと知れば、必ずや軍勢を差し向けお前の息の根を止めるだろうっ」
「ご心配には及びません。僕達は負けませんので」
「なっ!? 勝てるわけないぞ! 悪いことは言わんからボクを生かせ!」
どうにか説得を試みるポイルス氏でしたが、ヴェルスさんは頑として譲りませんでした。
意志の固さを理解したのか、ポイルス氏は攻め方を変えました。
ヴェルスさん達が勝てるとは思っていないようですが、彼の目的は我々を言いくるめて生き残ることなので当然の判断です。
「後ろの下民共っ。お前達はいいのか!? こんな若造を領主にして!」
そんな問いに皆さんは冷めた視線を返しています。
少なくとも今より酷くはならない、と言いたげでした。
そんな空気を払拭しようとポイルス氏は舌を回します。
「どうせこいつも力を手にすれば堕落する! ボクと同じようにね! お前達はそれでいいのか!? 私を生かしておいた方がより安定した治世を──」
「はぁー……。お前なぁ、自分が今まで何して来たか分かって言ってんのか?」
呆れたように狩人長さんが口を挟みました。
「た、たしかにこれまでは少し厳しかったかもしれないが」
「少しだとッ!?」
ポイルス氏の発言に狩人長が堪らず怒鳴りました。
他の方々も色めき立っています。
このままでは不味いと思ったヴェルスさんが、一つ咳払いをして空気を変えます。
「あなたが思っているようなことにはなりませんよ。私は《迷宮》を皆さんに開放しますから」
「……何を、言っている?」
「この《迷宮》を町の誰でも使えるようにするのです。いえ、誰でもは言い過ぎましたが、とにかく私は《迷宮》を独占しません」
そう言い切る彼を見ていると、昨夜のことが思い出されます。
『本当にそれで良いのですか? ヴェルスさん一人では限界があると思いますが』
《迷宮》で《ドロップアイテム》を集めて町を富ませる、と言ったヴェルスさんに私はそう問いかけました。
『もちろんナイディンやロン達にも入ってもらいます。領主だけでなく騎士も《迷宮》を使っていますからね』
『力なき民に代わって危険な《迷宮》から《ドロップアイテム》を入手するのが貴族の使命、ということでしょうか』
『そうです。微力ながら精一杯頑張るつもりです』
『……その制度が本当に最良なのでしょうか』
貴族だけが《迷宮》を使うというのは古くからの慣習であるようですが、外部から来た私にはそれが非効率的に思えました。
『この際です、《迷宮》を開放してはいかがでしょう』
『それは……たしかに《ドロップアイテム》の流通量は増えると思いますが。しかし、《迷宮》は敵の強さが階層ごとに決まっているため《レベル》が上げやすいです。力を無闇に与えては戦乱の火種となりかねません。貴族の手できちんと管理して行くべきかと』
『ですが現在の貴族達は腐敗し切っていますよね』
『う……』
『全くですな』
ヴェルスさんとナイディンさんが揃って項垂れます。
『思い返してみてください、ハスト村の皆さんは力を得たくらいで暴れ出すような人達でしたか?』
『…………』
『それに《迷宮》を開放し各地の狩人さん達に《レベル》を上げてもらえば、野生魔物の被害も減らせますよ』
『そうですね……』
『どうするかはヴェルスさん次第です。人を統べるのは人であるべきですので、私は政に助言以上の干渉は致しません」
《自然体》があるために政治も上手く回せるでしょうが、それはある意味でコンピューターに支配されたディストピアと同義です。
私が主体となって組織をうごかすのは、何か致命的な事態の引き金となりかねません。
「民衆の手綱を握りづらくなる、という問題点もたしかにあります。さりとて利益が大きいのも事実のはず。猶予は僅かですが、どうか悔いの無いご選択を』
翻って現在。
ヴェルスさんは己のビジョンをポイルス氏に語りました。
「ば、馬鹿なのか!? 《迷宮》を開放するばかりでなく、《職業》まで下民に与えるだと!? 《職業》は天より賜りし神聖な加護、我ら領主にのみ許された選ばれし力なのだぞ!? それを愚民に与えるなど言語道断だっ」
「そうかもしれません。ですが僕は僕がこれまで会って来た人々を信じることに決めました」
このことは昼間に聞かされて私も少し驚きました。
ヴェルスさんの精神的ゆとりのためにも、《職業》の優位くらいは残しておこうかと思っていたのですが。
しかし、《職業》も分け隔てなく与えた方が民草の自衛力は高まります。
ヴェルスさんは一晩でその結論に至りました。
そして、その対等な力関係になるという公約によって町民からの信頼を得たのです。
貴族の優位性を全て捨て去ったヴェルスさんを見て、ポイルス氏は絶句しました。
「では、言い残すことは以上と言うことで」
それを見たヴェルスさんが剣を振り被り、狩人長が大きく頷きます。
「そっ、そうだ、減税してやるっ。ボクを生かしたならば来年からの年貢は半分で」
「もう殺して良いぞ」
「〈竜爪斬〉」
「あ、が……」
〈上級剣術〉がポイルス氏の肉体を斬り裂きました。
致死量を遥かに超えて余りある血液が辺りを濡らしていきます。
こうしてこの地の領主、ポイルス・ボイスナーはその人生に幕を下ろし、そしてヴェルスタッド・トゥーティレイクが新領主となったのでした。