29.貴族ポイルス
私達の前に標的の領主、ポイルス氏が現れました。
弛んだ腹、曲がった背、およそ戦士とは思えない体つきですが、その《レベル》は三十七。
一緒に現れた騎士長よりも上です。
「ん? んんん~? あの賊共の顔、どこかで見たような気がするぞ?」
「御前会議などで出くわしたのでしょう。騎士達を寄せ付けぬ実力、恐らく近隣貴族の差し金と思われます」
「おお、そうかそうか。汚らしい下民だと思ってたけどどっかの騎士だったかぁ、面倒なことをしてくれるよ。犯人が分かったら陛下に報告しないとね」
ポイルス氏と騎士長がそんな会話をする裏で、ヴェルスさん達も言葉を交わしていました。
「ったく、俺達が相手することになっちまったみてぇだな」
「狩人長の読みは外れたね」
狩人長の立てた作戦はこうでした。
私達が東側で騒ぎを起こし、それを警戒してポイルス氏が逃げてきたところを、《潜伏》に長じた精鋭チームが暗殺する。
そういう手筈だったのですが、やはりと言うか何と言うか、そう上手くは行きませんでした。
「領主の増長を見誤りましたな」
領主の持つ《職業》の力は大きく、《レベル》が同じくらいの騎士が相手でも簡単に倒せてしまいます。
それ故に彼は自身の力を過信しているのです。
魔物退治に出ない臆病貴族など夜襲で脅かせばすぐに逃げ出すはず、という狩人長の見立てとはそこでズレが生じました。
「いけるか? ロン」
「へっ、誰に聞いてんだ」
「雑兵の相手は拙者とロン殿にお任せください」
皆さんが敵から視線を外さないまま小さく頷きました。
こういった事態も想定済みだったため、対応に迷いはありません。
「予定通り、ヤマヒト殿の助けは借りず乗り切りますよ!」
「おう!」
「ハッ」
「卑しい下郎共め。ボクの剣を持って来い!」
「こちらに」
「よしよし、ボクが先陣を切る。お前達も援護しろ!」
「「「御意」」」
そして両集団が園庭にてぶつかり合う、
「〈フレイムバースト〉」
その直前にアーラさんが〈魔術〉を放り込みました。
塀壊しに使ってから充分に時間が経っているので、〈術技〉のクールタイムも問題になりません。
「っ、防げ!」
騎士長の指示で魔術師の騎士達が防御〈魔術〉を展開。
水の盾や土の盾が空中に現れ爆炎を受け止めます。
その間にポイルス氏とヴェルスさんは激突、剣戟を開始しました。
「騎士の分際で領主に歯向かうなんてさぁっ、不敬だよねぇ!? 本当は生け捕りにして飼い主を吐かせるところだけど、今のボクは急いでるからさっ。生かしてあげるのは後ろの女共だけだよっ」
「下衆めっ、僕はあなたなどに負けません!」
「ハっ、ただの騎士が《職業》を持つ貴族に勝てるわけないだろう? 頑鉄剣の錆にしてあげるよ!」
《パラメータ》だけ見れば、タチエナさんを攫った盗賊団頭領すら凌ぐポイルス氏。
そこへ《迷宮》産と思しき《パラメータ》上昇効果の指輪六点と、さらに頑鉄剣とやらも《装備》しています。
彼の《パラメータ》は強力な変異種のそれと遜色ありません。
──されど。
「……くっ、なぜ騎士風情にボクが押されるっ!? 《パラメータ》では確実にこちらが勝っているはずっ」
「私利私欲のために動くあなたとはっ、背負っているものが違います!」
「ぎっ、くっ、このっ。妙な剣技を使いやがってっ」
逆袈裟に振るわれた頑鉄剣を、ヴェルスさんの濁剣が最小限の動作で受け流します。
そのままポイルス氏の体勢が整う前に反撃。
無理な体勢で回避、後退したポイルス氏の頬には、ツーと垂れる赤い線が一筋。
「《パラメータ》はなかなかですが、コボルド王を倒せた僕ならッ」
ヴェルスさんはすかさず距離を詰め、動揺の抜けていないポイルス氏と斬り結びます。
濁剣の一撃で《毒》を付与されたポイルス氏は一歩、また一歩と下がらされており、どちらが優勢かは一目瞭然です。
「こっ、この力、まさか高位貴族からの!? いや待て、高位貴族ならこんな回りくどいことをせずとも……」
「ハァッ」
「ぐぅっ!?」
盗賊団の頭領以上の《パラメータ》、だからと言ってスペックでも上回っているわけではありません。
《パラメータ》はあくまで補正値。
元の肉体が弱ければ、それだけスペックも下がります。
ポイルス氏は領主を継いでからまともに鍛錬をしていないようで、体には余分な脂肪がへばりつき、剣の腕も鈍り切っています。
これではせっかくの《パラメータ》も活かせません。
総合的な強さとしてはコボルド王と同程度でしょう。
「クゥっ、おい騎士共っ、早くボクに加勢しないか!」
「もっ、申し訳ございませんポイルス様! こいつら、二人だけなのぐあっ」
「余所見とは余裕ですな」
他の騎士達は前衛二人とアーラさんの〈魔術〉で足止めされています。
そのことにポイルス氏が気付き、歯噛みした瞬間でした。
「ここです!」
「なっ!?」
ギィィィン!!
一際大きな金属音と共に頑鉄剣が宙を舞いました。
ヴェルスさんの渾身の一太刀を半端な防御で受けてしまった結果です。
ポイルス氏は後退り、尻餅を突きかけるもその瀬戸際で持ち直しました。
そしてそのまま背を向け、
「あ、あ、ひ、ひああああぁぁぁ!?」
一目散に逃げ出しました。
向かう先は南。正門のある方向です。
「待てっ」
ヴェルスさんも後を追います。
他の騎士達は自分の戦いで手一杯でそれを阻もうとはしません。
そもそも彼らはあまり献身的な気配ではないので、余裕があっても保身を優先したのでしょうが。
さて、丸腰ながら剣と言う重荷を捨てたポイルス氏の逃走速度はかなりのものでした。
高い《パラメータ》の助けもあり、ヴェルスさんとの距離は縮まりません。
ポイルス氏があと少しで正門に辿り着く、そんな時でした。
「あれは……」
星々瞬く夜の空に、赤い輝きが現れました。
その輝きの正体が炎の〈魔術〉であることは、火を見るくらいに明らかです。
打ち上げ地点はこの庭園のすぐ傍。
貴族とすれ違わないよう慎重に進んで来ていた精鋭チーム及び協力者の騎士達が、こちらの状況を確認して合図を出したのです。
屋敷の外から多くの足音が聞こえて来ました。
「「「ウオオォォッ!!」」」
「あ゛ぁぁぁぁっ!?」
ヴェルスさん達を倒すため見張りすらいなくなっていた正門を、多くの町民達がぶち破りました。
ポイルス氏の表情が著しい恐怖に歪みます。