chapter1_1 楽園の日常
青い海。
青い空。
白い砂浜。
緑豊かな大自然。
海岸から見える景色はそれだけだ。
俗世から隔絶した孤島の、ちょうどこの砂浜に私は打ち上げられていたらしい。
らしいというのはその時の記憶が無いからだ。
もっと正確に言うと、それ以前の己に関する全ての記憶が無い。
この島にやって来てから約1年。
依然として記憶は戻っていない。
自分が誰で、どこで生まれ育ち、そしてなぜこの島に流れ着いたのか。
その全てが思い出せない。
時間が経てば記憶が戻ってくれると信じて、悠長にこの島での生活を楽しんでいたが、時間とは恐ろしいほど簡単に過ぎ去ってしまうようだ。
常春の気候のせいでいまいち感覚がつかめなかったというのもある。
今朝何気なく同居人に、私がこの島に来てからどれくらい経ったのか聞いてみなければもっと時間が流れていたかもしれない。
穏やかな微笑みを浮かべていたが、内心呆れていたのか少し心配である。
ちなみにこの同居人、名前をナギという。
彼は浜に打ち上げられていて、しかも記憶も行くあてもない私を引き取り、今日まで一緒に暮らしてくれている。
ナギを含め、身元不明の私を受け入れてくれたこの島の人たちに恩返しをしたいと思いつつ、残念ながら誇れるものは馬鹿力と(少なくともこの1年は)風邪一つひかない健康な体しかないので、私は島の便利屋というか、面倒事の処理をしながら生活している。
この島は一日もあれば島の周りを一周できるほど小さい。
さらに島の居住区は約1割で、残りの9割は未開拓の森か、立ち入り禁止区域に指定されている(環境保全とか理由は色々あるらしいがその辺の詳しい事情はあまり分かっていない)。
しかもガス電気水道などのインフラはなく(水は地下水をくみ取って使う)、食糧は完全自給自足を余儀なくされる。
ナギがいなければ私はあっという間に飢え死にしていた。仮に飢えをしのいだとしても365日無加工の食材では心が折れていただろう。
まあ色々とサバイバル能力を試される場所ではあるが、ナギをはじめとする島の住民のおかげで、記憶が無いというのを時折忘れそうになるくらい穏やかな日々を送っている。天国のようなこの島でのどかな暮らしがいつまでも続けばいいなあと願うくらいにはこの生活を気に入っている。
現在私について判明しているのは、一年前浜辺に打ち上げられていたということと、そのとき体中に正体不明の大怪我を負っていたこと、名前を含む全ての記憶を失っていたことの3点のみだ。
名前がないのは不便だろうと言うことで、世話人であるナギが、「シグレ」と名付けてくれた。
由来は、発見されたときちょうど一瞬だけ雨が降っていたかららしい。
さて、砂浜での散歩も一息ついたし、身体もほぐれたことだし、そろそろお仕事を始めるとしよう。
「シグレちゃん、おはよう。今日も早いね」
「おはよう!」
島の中央部に足を運ぶ途中で島の住人に声をかけられた。
「あとで僕の家寄れるかい?採ってきた野菜と果物あげたいんだけど」
「おはよう。それは嬉しい!仕事終わったら寄るね!」
朝の挨拶と世間話をしてると、嬉しいお誘いを貰った。
この島の住人は気さくで、優しくて大好きだ。
10分ほど歩き、島の広場的なところに到着した。
そこに佇む東屋みたいなものの中にポストがある。
依頼人がこのポストに頼みたいことを投函すると、中身を私がチェックして、用件に応じて現地に赴くといったシステムである。
早速今日の仕事を把握するためにポストを開ける。
「今日頼まれたことは、資材の伐採・運搬と社の雨漏りの修繕か」
前者は住人からのお願いで後者はクズハからか。
クズハというのはこの島に一つだけある社というかなんだかよく分からない場所の神主的なポジションの人で、この島においては相談役というか顔役であり、困ったらまず彼を尋ねることになっている。
私が島の便利屋をやっているのも彼の指示だったりする。
『記憶も無い、とりたてて特技もない。そんなほぼ穀潰しを住まわせてあげるんだから肉体労働くらいしなさい。せいぜい島のため、ひいては私のためにきりきりはたらきなさい、わかった?』
とのこと。
全く返す言葉がない。
と、物思いにふけっている暇は無さそうだ。
さて、どちらを先に片付けようか。
少し悩んだが、資材の運搬を先に片付けることにした。
木材は意外と重いし、大変だと思ったからだ。
「よし!今日も頑張るぞ!」
私は資材置き場へと歩き始めた。
「いやーシグレちゃん。助かったよ」
「いえいえ、また困ったら連絡よろしくです!」
仕事を片付けて、依頼主から労いの言葉を貰う。
それに応えて次の仕事場に向かう。
如何に謎の怪力を持っているとはいえ重労働だった。少し休憩してからいくか。
考え事をしながら歩いていると向こうから修道服姿の人物がやってきた。
「あれ?カヤ?どうしたの?クズハと一緒じゃないなんて珍しいね」
カヤはクズハの社?的なところでシスターをやっている、多分私より年下の女の子である。
社なのにシスターな時点で設定ががばがばなのだが、特に誰も文句を言ってないので多分いいのだろう。
ものすごく無口、というより話しているところを見たことがない。
基本的に非言語的コミュニケーションで進めて、必要なときは筆談で会話する徹底ぶりだ。
でもとても素直で優しいいい子である。
今日も妖精のようなかわいさ、抱きしめたい!
『むかえにきた。くずは、まってる』
手に持っているノートをこちらに見せてくる。
「げ、後回しにしたの気づかれたのかしら」
『伝言、後回しとはいい度胸、こき使ってあげるからさっさと来なさい、以上』
続いて書かれた言葉に驚愕を通り越して呆れるしかない。
「エスパーですか.......。今行きますよ」
慣れっこなのだが、この的中率、クズハは絶対超能力とかもってると思うのだが。
教えてくれてありがとう、と返事をして足早に社へ急ぐ。
「遅い」
到着早々文句を言われた。
美形に凄まれると迫力が倍増である。
「そんなこと言われましても。一応毎朝確認してますけど急ぎの用事には向かないですよこのシステム」
早く来て欲しいなら直接オーダーしていただきたい。
「呑気に朝の散歩やら体操やらしてる暇があるならさっさと確認して来れるでしょう?」
まるで私の行動を見てきたかのように告げられて、さすがに焦る。
「何で知ってるの?!怖っ!どこで見てたの!?」
「そんなことどうでもいいから。ほら、さっさとお礼奉公始めなさい」
「はーい、仰せのままに」
納得はいかないがとりあえずこれ以上機嫌を損ねないように修繕を始めることにした。
カーン、カーン、カーン。
屋根に登り、雨漏りを直す。
だが正直この社、雨漏りを直した程度ではどうにもならないレベルでボロい。
台風でも来たものなら一瞬で崩壊するだろう。
結局社全体のメンテナンスもすることになった。
「ところでお前さん、ここにきて一年が経ったけど、記憶はまだ戻らないのかい?」
作業中の私にクズハが話しかけてきた。
「いやーもうさっぱりすっかり思い出せないんですよね~これが」
「呑気というか愚鈍というか.......」
事実を述べただけなのだが、お気に召さなかったようだ。
ため息混じりに毒を吐かれた。
「相変わらず口が悪いなあクズハさんは」
「はん、お前に綺麗な口上並べたって意味など無いでしょう?」
「それにしたって、いつになったら後始末をつけるつもりなのかしら」
最後の方が上手く聞き取れなかった。
「何か言いましたか?」
「何も。さっさと片付けて次の仕事場にいきなさい、後は任せたわ。手を抜いたら容赦しないけど」
そう言い残してクズハは去っていった。
「はいはい分かりましたよ~」
「.......私、次の仕事のことなんて言ったっけ?」