chapter3_1 本名
過去の自分を思い出すのは、正直怖い。
だけど、私は逃げたくない。
自分は何者で、ヨゾラとナギとどんな関係だったのか。
私は知りたい。
「そうですか。あなたは、結局諦めてはくれないのですね」
「きっと、あなたが想像するよりずっと、現実は残酷ですよ」
当然ナギは難色を示した。
でも、すぐに諦めたかのように目線を下げ、一言呟いた。
「そこまでの決意があるなら、好きにするといいでしょう。」
再び目が合ったときには、憂いの面影はなかった。
「わたしはわたしのなすべきことをするまでです」
「クズハさんに呼ばれているので、話が以上なら失礼します」
そういって彼は出て行った。
声はかけられなかった。
「.......これでよかったのかな」
力が抜け、床にしゃがみ込む。
思い出したい宣言をするだけでこんなに疲労するとは思わなかった。
「悪いわけないだろ!」
突然ヨゾラが声を発する。
「ひゃあっ!いきなり大声出さないでよ」
「ああ、悪い。.......でも、アンタの選択は間違ってない。絶対に。俺が保証する」
熱を帯びた目で私を見つめるヨゾラ。
その目を見るだけで、自分の選択に自信が湧いてくる。
そうだ、私は、この人のことを知りたいと願ったんだ。
「そうだよね。うん、ありがとう。ヨゾラ.......ううん」
立ち上がりながらヨゾラに声をかける。
「私、あなたの本当の名前が知りたいわ。よかったら教えてもらえるかな?」
それと、私とあなたが今まで過ごしてきた話が聞きたいわ、と付け加えて。
彼は一瞬驚いて、そして今まで見た中で一番柔らかい表情ではにかんだ。
「もちろん」
夜をはらんだ双眸に、優しさが見え隠れする。
この瞳に出会って、私の時間は動き出したのだ。
「俺の名前は、ライラ」
「異国の言葉で、『夜』を意味するらしい」
「ある人が、『夜の満点の星空を集めたみたいな、綺麗な瞳だから』と名付けてくれた」
「シグレ、アンタが俺にくれたんだ」
「.......そうか、だから初めて会ったとき驚いてたんだ」
私は記憶が無い状態で、同じように名前を呼んだのか。
驚くわけだ。
「私が付けた.......ってあれ?でも、息子、とかじゃないよね?」
名付け親、的な?でもどうみてもライラを育てるのは不可能な気がするんだけど.......。
「そんなわけないだろ。ちょっと事情があって、自分の名前が、あまり好きじゃないんだ」
「そうなのか.......じゃあライラって呼べばいいのね?」
「そうしてくれると助かる。とても気に入ってるんだ」
地下室で出会ったときはまさかこんなに穏やかに会話する仲になると思わなかった。
嬉しい反面、何も覚えてないのが申し訳ない。
「ごめんなさい。教えて貰って、ありがたいのだけど、何も思い出せないの」
「そんなことは気にしなくていい」
力強く頷くライラ。
「俺はシグレが思い出したいと願ってくれたことだけで十分だ」
「そうなの?.......うーん。あ、そういえば私の名前!私の名前ってなあに?」
「? 名前だけは覚えていたんじゃないのか?」
「いえ、名前も全部覚えてないの。『シグレ』というのはナギが付けてくれた名前なのです」
「アイツが?.......どういうことだ?」
「え」
「付けるも何も、シグレはアンタの本名だ。ナギがあそこまで徹底的に記憶を思い出すのを妨害するもんだから、名前は覚えていたものだと思っていたが.......?」
「確かに。名前って一番記憶に残ってそうだもんね」
よくよく考えると妙な話だ。
地下室にライラを閉じ込めるほどに、私に関する情報を私から遠ざけようとしておきながら、どうして私に本名を伝えたのだろうか。
「ナギ.......」
あなたは何を隠そうとしているの?