fragmentTB2 聖母哀傷 SHE IS an Ordinary woman
夕立の件から、俺は人間に期待するのを止めた。
愚かで救いようのない、集団でなければ生き残ることの出来ない人間は哀れな生き物だ。
彼らが好き勝手生きるのならば、俺だってそうしよう。
そう決意し、気まぐれに俗世をかき回し生きていた。
人々は俺のことの妖狐だの化け狐だの言い始めていたがどうでもいい。
俺はお前達を使って暇つぶしをするだけだ。
そんなことを続けていたある日、俺は狐憑きの姫に出会う。
当時俺は女陰陽師に憑依していた。
その女の名前である、葛の葉と名乗っていた。
仕事を請け負ううちに、貴族御用達の術士となっていた。
今回の依頼は狐憑きとなった姫を調査しろという内容だった。
「では早速、その姫に会わせていただきますわ」
「ああ、くれぐれもよろしく頼む」
いつの時代も、地位と権力を持つ人間は横柄で自己中心的だ。
「女中に案内させる。着いていくといい」
「おや、お側で見張っていなくていいのですか?」
いくら貴族御用達といえど、部外者に変わりは無い。
こう言った家族や親類縁者への依頼の場合、大体術士が危害を加えないかどうかを自らの目で確かめたいと監視を希望するのが常だった。
「構わぬ。好きにするといい。不要なら女中も下げさせる」
依頼人は面倒くさそうに吐き捨てる。
陰陽師に依頼するほど、現状に憂いていると思っていたのだが、この者から苦悩や祈りは感じられない。
これは一体どういうことだろうか。
「こちらが姫様のお部屋でございます」
屋敷は有力貴族の住処ともあって無駄に広かった。
それにしても遠すぎないか。
母屋から一番離れた所にある、案内がなければたどり着くことも難しそうな所に、ひっそりと建っていた。
「では私はこれで」
言うやいなや女中は元来た道を戻っていった。
不用心過ぎないか.......。
(ああ恐ろしや、近づくこともためらわれる。どうして私が案内役なんて.......。本当に運が無い)
「.......」
(狐憑きなど、側によるだけでどうなるか分からない)
(虚け姫、どうせ虚言か妄想だろう。頭のねじが取れてしまったとは可哀想に)
使用人達の声が聞こえる。
ああそうか。
合点がいった。
狐憑きと嘯かれ、虚け姫と嘲笑される。
つまりここの姫は、この屋敷において頭のおかしい厄介者なのだ。
今回の依頼は姫を救うことではなく。
異常者であるという箔がほしかっただけなのだ。
「反吐が出る」
「人間はどこまで醜いのだろうか」
このままとんずらしてやろうとも思ったが。
ここまで狂人と罵られる姫の姿を一目みたいと、考えを改めた。
「お前さん、人間じゃないわね」
面と向かって、挨拶もそこそこに開口一番。
姫は俺の正体を当てた。
「.......何をおっしゃいますの?」
一応とぼけてみる。
「ああそうかい。人という設定で、俗世に生きているのか。」
「それなら最初に言うべき事ではなかったわね」
「すまない。曖昧にするのは苦手なのよね」
この姫のどこが狂っているのだろうか。
人間には珍しい、極めて理性的で怜悧な女だ。
「.......」
「ああ、別に父上に告げ口するような野暮なことはしないから安心なさい」
烏の羽根のように艶のある漆黒の髪をなびかせ、姫は告げる。
「.......流石ですわ。取り繕う必要はないようですわね」
「そうだねえ、自然体でお願いしたいわ。その口調も、化けている女子を意識しているのなら、普通でいいわ」
「.......そう言うなら」
「うむ。堅苦しいことはなしでいこう」
楽しそうに姫は笑う。
「久々の客人だ。盛大にもてなしたいところなのだが、生憎ここには何もない。謙遜ではなく本当に。つまらないかもしれないが、そこは承知してほしいわ」
「構わない。俺の用事はお前を調査することだからな」
「それは良かった。存分に調べる事ね」
「名前を名乗っていなかったわ。私の名前は氷雨。お前さんは?」
「.......葛の葉」
氷雨。雨。
その言葉に、昔別れた人間を思い出す。
「違う違う」
「?」
「お前さん自身の名前を聞いてるんだよ」
「.......この女の名前は葛の葉という。だから葛の葉と呼べばいい」
「つまり、お前さん自身に名前はないのね」
「必要ないからな」
「ふむ、なるほど」
「お前さんはそれでいいかもしれないが、私が不便ね」
「今度来るまでに、考えておくわ。お前さんに似合うすてきな名前を。」
頼んでもいないのに氷雨はやる気に満ちている。
「待て、次回だって?」
「おや、今回だけで調査を終えるつもりかい?」
「だって私たち、まだ何も知らないじゃないか」
「.......見たら分かる。お前は正常だ。あやかしになぞ憑かれていない」
「ははは。分からぬぞ?ひょっとしたら巧妙に隠しているだけかもしれない」
「.......正直言うと、ここでお前さんがいなくなったら」
「私はまた誰とも関わることはなくなるのだ」
「.......」
「虚け姫の我が儘を、聞いてもらえないかしら」
「!?」
氷雨は、全部知っているのだ。
自分がどんな風に周囲に思われているのか。
頭のおかしい女として隔離されている事実を。
「確かに、この謁見だけでは分からんな。何回か調査が必要だ」
彼女の顔がぱあっと明るくなる。
「うむ、そうね! 結論を急ぐ必要は無いわ!」
「では、また今度」
「ええ、また今度」
今日の調査だけでは不明瞭。次回も続行する旨を依頼人に告げた。
金なら出す。好きにしろ。
こちらを見もせず、一言呟いた。
何回か氷雨と会うにつれて、分かったことがある。
彼女には、人には見えないものが見え、聞こえない者が聞こえる。
それは死者の声だったり、希楼種の本体だったり、様々だ。
周囲にはもちろんそれは分からない。
だから狂人と疎まれて、嘘つきと虐げられる。
人間の愚かなところの一つだ。
自分が、多数が共感し得ない、理解できない者を異物として排除する。
人間はいつまで経っても進化しなかったということだろう。
俺は彼女の唯一の友として仲良くなった。
彼女は利口で、博識で、話が合った。
周囲の人間と同じ種とは思えないほど。
「貴方の名前。決めたわ」
「それはね.......」
2週間ほど経っただろうか。
依頼人が業を煮やして俺を呼び出した。
俺は「彼女に取り憑かれていたあやかしの除霊に成功した」と報告した。
もちろん真っ赤な嘘だ。
元々憑いてないものを取り除くことはできない。
だが、馬鹿正直に「彼女は正常です」と言ったところでコイツが納得するとも思えなかった。
なのででっち上げることにした。
これで彼女の幽閉が解かれるといいのだが。
依頼人で在る彼女の父親は、そうか、と一言言うだけだった。
除霊がきちんと行われたか確認したいので、3日後また来ると告げた。
3日後と言ったものの、なんだか嫌な予感がして、次の日こっそり屋敷に忍び込んだ。
そこで目にしたのは.......。
「なんで」
一面の赤。
側には血まみれの懐刀。
美しい髪を散らして血だまりの中心に彼女がいた。
一目見て、もう彼女が此の世にいないことを理解した。
氷雨の手には手紙が握られていた。
×××へ
そっと手紙を手に取り、中身を見る。
×××へ
突然のお別れになってしまってごめんなさい。
貴方には理解しがたい状況かもしれないから、挨拶も兼ねて、事の顛末をここに記す。
私は物心ついたときから、他人には理解し得ない世界を見ていたの。
そんな私を周囲は気味悪がって、遠巻きに見ていたわ。
それでも一応、大事にはされていたのよ。
だけどここ最近状況が変わったわ。
私に弟が出来たの。
待望の男の子。
もちろん私は嬉しかったわ。
だけど周りのみんなは私をもっと恐れた。
弟まで狂ってしまわないように、私をここに隔離しました。
貴方を呼んだのも、私がおかしいって事を客観的に証明したかったのよ。
それか、一応娘のために何かをしているという免罪符がほしかったのね。
貴方の報告を聞いたわ。
私のために頑張ってくれてありがとう。
でもごめんなさい。
うちの人たち頭が固いの。
今度弟の元服の儀が行われる。
その前に、私はここから遠い場所、誰にも会えない遠い土地で幽閉されることが決まったわ。
そして私は死ぬまで、今度こそ誰にも会わずに暮らすの。
でもそんなのってあんまりじゃない?
だから自由になるために戦うことにしたの。
貴方はなにも悪くないわ。
誰も悪くないの。
どうしても悪者を決めなければならないとするなら。
時代が悪かったのかもしれないわ。
最期に貴方に会えてよかった
私を理解してくれる人がいて良かった
私と対等に接してくれるひとがいて良かった
貴方を置いていってしまうのが心残りだけど
でもきっと貴方なら.......。
そこで手紙は終わっていた。
彼女はどこもおかしくなかった。
俺は俺に出来ることをやった。
しかし、彼女の扱いは変わらず。
存在を無かったことにされた彼女は、自由を手に入れるために自ら命を絶った。
俺に手紙を遺して。
俺がこの屋敷の人間を根絶やしにすることはたやすい。
でもそんなことをしてももう氷雨は戻ってこない。
雨が降るたびに思い出す。
今でも思う。
彼女は生まれる時代が違えば、もっとよく生きられたのではないかと。