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涙が流れるまで

作者: 中原蓮

祖父が死んだ。

入院したことと日に日に悪くなっていることは聞いていた。

大学の試験が終わり、その日の夜遅く地元に帰ってきた。

「もうほんまにやばいぞ。」と父が車のアクセルを踏み込みながら言った。

スマホに書かれたどんな文字を見るより怖かった。

なんとなく病室は映画やドラマで見るように静かだと思っていたが、予想以上に騒がしかった。

その騒がしさはわざとらしく空回りしていた。

病室に入ると、人工呼吸器を使っての呼吸音がけたましく鳴っていた。

「けたましく」ほどではなかったと思うが、機械仕掛けの呼吸が祖父の叫びのように聞こえて泣き出しそうになった。

ドラマみたいだなと思いつつ言われるがまま手を握るとその叫びは苦しさだけではないとわかった気がした。

前日までは頷いたりできたそうだがこの時点ではもう手を握るのもままならない状態だった。

けれど握っているのが俺だと気づき、必死にその手を握り返そうとしていることがわかったような気がした。

涙はこぼれそうでこぼれなかった。

家に帰ってからも呼吸音は忘れられなかった。

次の日の早朝、病室に行くと警告音が鳴っていて母が必死に呼びかけていた。

陳腐な表現だけれどまさにその瞬間時が止まったようだった。

しかしもう誰の呼びかけにも応えることはなかった。

そこからの死に伴う事務作業は素早く感じた。

葬式の会場に祖父の名前が堂々と掲げられているのを見ると不思議に思えた。

出棺のとき大勢が泣いていて、もらい泣きしそうになったが泣けなかった。

偶然それまで俺は死というものを身近に感じたことがなかった。

けれどこの夏で人生に終わりがあることを実感し、焦りを覚えた。

これまでの俺の人生はおもちゃのボールのような進み方をしてきた気がする。

何も考えず一番疲れない生き方をしてきた。けれど年齢を重ねるにつれて自分の意思を問われることが多くなってきた。

ボールではなく自分の意思で動ける「人」にならなければいけないのだろう。

自分が「人」として意思を持ち、一歩踏み出したとき泣くことができるような気がする。


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