297 ロイスマリア武闘会 ~新たな道へ~
続きです。
遼太郎は、気を失うレイピアを優しく支える様に、体を起き上がらせる。そして、軽く頬を叩くと目を覚まさせた。意識を取り戻したばかりで、朦朧としているレイピアの頭を優しく撫でる様に触ると、遼太郎は神気を流し込んだ。
「ちっとばかり、辛いだろうけど耐えろよ」
遼太郎の言葉通りに、頭に神気を流し始めて数秒後、レイピアは目を見開き、悲鳴を上げ始める。
「あぁあああ、ああぁああぁあぁああ。いやぁああぁ、やぁああ。いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
蒼白となった顔、ブルブルと震えている体。痛切な叫び声が試合会場にこだました。
「やだ、やだ、やだ、やだ、やだ、やだぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「駄目だ、ちゃんと見ろ! そして受け止めろ!」
遼太郎は、レイピアが記憶の底に封じていた過去を蘇らせていた。レイピアの頭に、かつての凄惨な映像が鮮明に映る。
家の戸は全て破壊され、集落のいたる所に首のない死体が転がる。流れ出た血は所々に集まり、ぬかるみを作っている。集会場の広場には、父と母を始め同胞達の首が晒される様に並べられていた。
昨日まで笑っていた顔が、生気なく据えられている。それは、幼い姉妹の心を凍りつかせるに充分な光景であった。
どれだけレイピアが悲鳴を上げようと、遼太郎は同じ光景を何度も見せ続ける。やがて叫び続ける、レイピアの声は枯れていく。
「こいつらは、お前達を助ける為に命を投げ出したんだ。お前達を救う為に、全てを賭したんだ。喚いてないで見ろ! 誇れ! こいつらはお前達を逃がすために、戦ったんだ。お前の父と母、そして同胞達の立派な最期をちゃんと目に焼き付けろ!」
遼太郎は、レイピアを死に向き合わせた。彼女の同胞達が、無為に死んでいったのではない事を教えたかった。
幼い姉妹の心を壊したろう光景、だがそれを乗り越えなくてはならない。何故ならその死には意味が有る。同胞達が命を賭して守ったのが、姉妹の命であるのだから。
死んでいった者達の誇りを無駄にしてはいけない。据えれらたどの首にも、怒りの表情は浮かんでいない。誰もが誇らしい最後を遂げた。傷だらけの体、流れ出た血の跡、どれもが戦いの軌跡。だから嘆かずに誇れと。
容易に受け入れられるはずがない事はわかっている。簡単に割り切れるなら、今頃はもう立ち直っているはずなのだ。姉妹が心を凍らせたのは、自身を守ろうとした自然な行為である。他者を排し内に籠るのも無理は無かろう。そして恐怖故に剣を振り続け、他者を害し続けた。殺せば殺す程に、心が壊れていく事も知らずに。
そんな姉妹の生き方は、同胞達が望んだ事であっただろうか。決して同胞達は、姉妹にこんな未来を望んではいなかっただろう。
遼太郎は、在りし日の記憶も蘇らせ、レイピアに見せた。
食卓はいつも笑顔が絶えなかった。母が料理をしている時に手元を覗き込むと、お父さんには内緒だよと、味見をさせてくれた。遊びに出かけると、大人達が明るく声をかけてくれた。遊び疲れ、父の背中で寝息を立てた事もあった。
母からは家事を教わり、父からは狩りを教わった。そして狩りの時に父は語った。
「いいかい、狩りは命を奪う事なんだよ。奪った命を糧に、俺達は生きる事が出来るんだ。だから感謝しなきゃ駄目だよ、森は俺達に恵を与えてくれるんだ。忘れちゃ駄目だよ、全ての命は循環しているんだ」
こんな事を教えられる者が、同族の刃で果てたところで、それを恨むだろうか。
両親が本当に教えたかったのは何なのか。
同胞達が守りたかったものは何なのか。
遼太郎は問いかける様に、何度も繰り返しレイピアに記憶を見せつける。
思い出せ強く気高い父を、思い出せ優しい母を、思い出せ温かい同胞に囲まれた集落を、思い出せ、思い出せ、皆の笑顔を。
温かい記憶が、緩やかに凍った心を溶かしていく。失った感情が蘇っていく。レイピアの瞳からは数百年の間、流した事のなかった涙が零れていた。
零れ始めた涙は止まる事はない。次第に嗚咽するレイピアから、声が零れた。
「おどうざん、おがあざん」
怨言ではない言葉であった。そしてレイピアは声を上げて泣いた。
遼太郎は神気を流すのを止め、泣き崩れるレイピアの傍らで、じっと待った。
数百年の間、レイピアは泣けずにいた。それでいい、それが始まりなのだから。
暫くの間、レイピアは枯れる程に泣き続けた。やがて泣き止むと、頭を上げて遼太郎の目を見る。その顔には、試合前とは違い表情が浮かんでいる。まだ硬いがしっかりと意思が宿っている。
レイピアの表情を確認し、遼太郎は静かに口を開いた。
「理解したか?」
レイピアは静かに頷いた。そして、遼太郎は言葉を続ける。
「なら、わかるよな。お前は最後の時まで生き続ける義務がある。命を奪った者達へ贖罪する義務がある。これからは、贖罪の為に生きろ! 決して投げ出すな! お前が奪った命の中にも、嘆いている者は居るんだ! 出来るな!」
遼太郎の問いかけに、レイピアはゆっくりと頷いた。レイピアの様子を見届けると、遼太郎は立ち上がりレイピアに背を向ける。
「あ、あの。妹、その。ソニアは」
小さく呟く様にレイピアの口から出た言葉に、遼太郎は首を横に振った。
「俺はそれほど万能じゃねぇ。お前の妹は、俺じゃ治してやれねぇ。だけどな」
少し遼太郎は振り返ると、レイピアに笑顔を見せた。
「お前が贖罪を続けるなら、手を差し伸べてくれる奴はいるだろうよ。覚えとけ、世界はお前が思っているよりも優しいんだ」
そして、遼太郎は歩みを進めた。遼太郎の背中を眺めていたレイピアは、ふと自分の手元に視線を落とす。心が病んでいても、何をして来たのかは理解している。そうでなくては、妹を支えて生き長らえる事は出来なかっただろう。
だからこそ考える、血塗られた手で何が出来る、何をすれば贖罪になる。レイピアは直ぐに答えは出せなかった。同時に妹を思い浮かべる。自分が居なければ碌に食事も出来ない妹、指示をしなければ何も出来ない妹。その妹に罪を負わせてしまった。
悔いても悔やみきれない、レイピアは深い後悔に苛まれていた。そして妹ソニアに会いたいと、レイピアは立ち上がり歩き出した。
一方、控室から外に繋がる入り口で、女神ラアルフィーネとエレナが遼太郎が出てくるのを待っていた。遼太郎が控室から出てくるなり、エレナが頭を下げる。
「冬也のお父さん、ありがとうニャ。あんな奴でも、亜人の仲間ニャ」
「よせ、頭を上げろよ」
遼太郎は頭を掻きながら、エレナに答える。そして、女神ラアルフィーネを見やると呟いた。
「ラアルフィーネ、似合わねぇ事をしたって思ってんじゃねぇのか?」
「少しね。いくら仲間想いのあなたでも、昔なら下等なエルフは滅びろって、一蹴したでしょうね」
「俺はなぁ、人間として生きたんだ。価値観が変わって当然だ」
「でも今回は、そんなあなたに助けられたわ。ありがとう」
「てめぇまで何言ってやがる! 後は知らねぇぞ、てめぇらで何とかフォローしやがれ! そもそも、俺の息子と娘が手を出さなかった案件に、親父の俺が首を突っ込んでんだ。親バカ丸出しだろうが!」
「ふふっ。感謝の証に少し教えてあげる。フィアーナはね、あなたがミスラだって事、最初は気が付いてなかったみたいよ」
「馬鹿かてめぇは! あいつは今でも俺の嫁だ、それで充分だ!」
「直接言ってあげたら?」
「余計なお世話だ、色ボケ女神!」
少し顔を赤らめながら、遼太郎は悪態をついて宿舎へと戻った。エレナは遼太郎の姿が消えるまで、頭を上げる事はなかった。
☆ ☆ ☆
その夜、宿舎の一室ではソニアを抱きしめて、涙を流しながら謝るレイピアの姿があった。どれだけ泣いて謝ろうとも、表情をピクリとも変えないソニア。それだけに、レイピアの悔恨は深まるばかりであった。
徐に戸を叩く音がし、レイピアは立ち上がり戸を開ける。そこには、神妙な面持ちの女神ラアルフィーネとエレナが立っていた。
レイピアは両者を部屋へと招き入れる。昨日までの自分なら、絶対にしなかっただろうが、何故か女神達を部屋入れなければならない気になっていた。
部屋に入るなり、エレナが口を開く。
「結論から言うニャ。規定で神とそれに類する者は大会に出場禁止、東郷遼太郎は出場資格が無くなったニャ。自動的に、お前が勝ち上がるニャ」
レイピアの反応はない。エレナはレイピアを繫々と見つめながら、言葉を続けた。
「どうするニャ? お前はまだ戦う気が有るニャ?」
「私は・・・・・」
レイピアは言い淀むと、少しソニアに視線を移す。沈黙が室内を包む。
その沈黙を破る様に、柔らかい笑みを浮かべ、諭す様に女神ラアルフィーネが口を開く。
「あのね。私はあなた達に命じたわ、この大会に出なさいってね。私はあなた達が変われる機会を与えてやりたかった。あなたは充分に理解したのでしょ? それならもういいわ」
「でも、わたしは・・・・・」
「あのね、あなたがしたことは、簡単に許して良い事じゃないの」
「はい」
「あなたの命一つで、埋め合わせが出来る問題でもないの」
「なら、私はどうしたら?」
「一緒に探しましょ。あなたがわからないなら、一緒に考えてあげる。ねぇレイピア。わたしの眷属にならない?」
犯した罪の重さなら、アルキエルの方がよっぽど重い。一度はこの世界を切り捨てようとした自分達、原初の神の罪は殊更に重いだろう。女神ラアルフィーネは、迷い始めたレイピアをこのまま放置し、自らの力で道を探させる事が良いとは思えなかった。
自分に出来る事が有るとすれば、共に悩み答えを模索する事だろう。そう思い、レイピアに手を差し伸べた。
「でも、私は・・・・・」
レイピアは直ぐに頷く事は出来なかった。遼太郎は言った、贖罪を続けるなら手を差し伸べる者が現れると。
だが自分はまだ何もしていない、手を差し伸べて貰う資格はない。レイピアは差し出された手を取る事が出来ずにいた。
再び訪れる沈黙。次に沈黙を破ったのは、エレナであった。エレナは一本の剣をレイピアの前に翳すといい放つ。
「これはお前が試合会場に置いてったやつニャ! 何で捨てていったニャ?」
「私にはもう必要がない!」
俯きながら首を横に振り、レイピアは剣を受け取ろうとはしなかった。
「違うニャ。お前はまだ逃げてるニャ!」
「何を!」
エレナの言葉に反応し、レイピアの声はやや大きくなる。そして、エレナは声を荒げて続けた。
「これはお前の同胞を殺した剣ニャ。だからボロボロになっても、お前ら姉妹はこれで亜人を殺して来たニャ! 恨みは何も生まないニャ! それがわかっても、お前はまだ逃げるニャ? いい加減にするニャ! 冬也の父親やラアルフィーネ様は優しいから言わないニャ! 私はそんなに優しくないニャ!」
エレナは深く息を吸い込むと、怒声を上げる。
「いつまでも逃げるな! ちゃんと罪に向き合え! 戦え! この剣を取って示して見せろ! お前がもう、今までのお前じゃない事を、ちゃんと示してみせろ!」
エレナは、強引に剣をレイピアに押し付ける。
「試合は明日。私が見極めてやる。必ず来い!」
エレナの言葉には強い意思が宿っていた。苛烈であったとしても、その意思はレイピアの心を動かすには充分だった。
しっかりと剣を握り絞めて、レイピアは頷く。もしかすると、これが最初の一歩になるのかもしれない。赤い髪の伝承は終わりを告げ、新たな道を進もうとしていた。
ようやくひと段落し、次は準決勝です。
次回は1/10の投稿予定です。
お楽しみに。