第三話 社畜からのジョブチェンジ
目が覚めたのは11時だった。
スマホの画面に表示された時間が信じられなくて、時間を二度見した後直ぐに着信履歴をチェックする。
特に着信もなければ、緊急を要するメールも着ていない事を確認してようやく安堵しスマホを枕元に放り投げる。
……9時までに起きられなかったのは初めてだった。
前日がどんなに遅くとも、必ず一度は目を覚まして洗濯をする余裕くらいはあったはずなのだが、どうやら昨日は相当参っていたらしい。
「……連絡……したほうがいいかな」
俺は今頃一人で仕事をしているであろう少し年下だと思われる黒髪の部下の姿を思い浮かべるが、直ぐに頭を振って否定する。
今頃彼女は休憩する暇もなく業務に取り掛かっているはずだ。そんな相手に電話した所で業務の邪魔をする以上の効果は発揮しないだろう。
「はぁ……休日は家に仕事を持ち込まないのが俺の持ち味だったんだけどな」
昨日から気持ちがざわつくのは昨日の部下の態度から、罪悪感を感じているからだろう。
何しろ、忙しさにかまけて俺は彼女の名前も直ぐには思い出せないし、興味が無かったから年齢も聞かなかった。彼女自身の事を聞いたことも一度もなかっただろう。
「彼女が現場に居た時は……何回か食事には行ったことがあるような気がする」
勿論、他の従業員と一緒にだが。
以前からブラックよりであった我が社も、数年前までは明確な閑散期も存在した。
そんな時には慰労も兼ねて上司と共に現場の従業員に食事を振舞っていたのだ。
それが株主が変わってからは状況は一変し、利益を出す為にかなり無茶な事が行われるようになってしまった。
元々悪かった定着率が極端に悪化したのもその頃からだ。
何度も入る監督署からの指導。
その度に叱責される上司達。
その煽りを食らう俺たち末端管理職。
右を見ながら左を見ろと言わんばかりの命令に、次々入れ替わる同僚達。
そんな状況の中で会社の消耗部品として動いていた俺は、いつしか人間らしさを失っていたのだろう。
いつの間にか現場リーダーになっていた今の部下である彼女を俺の部下に推薦したのも、課長なりに俺を心配していたからなのかも知れない。最も、最後までその恩に報いる事は出来なかったが。
ともあれ、俺はまだ壊れていないらしい。
昨夜は疲れからか物騒な事を考えてしまったような気はするが、とりあえずは仕事に関する強迫観念は薄れている。
今更俺がどうこうできるわけではないし、部下がうまくやっていると信じるしかない。
そもそも、彼女が1人でも何とかなるように昨日あれ程詰め込んだのではなかったか。
そう思うとなんだか大丈夫なような気がしてきた。
俺は右の肩を軽く回すとベッドから降りて伸びをする。
まずは着たままになっている服の洗濯からはじめよう。
その後は朝食──もとい、昼食を食べて一眠り──
そこまで考えた所でドアの方から物音がした為振り返る。
遠目からではわからないが、どうやら郵便物が投函されたらしい。
手紙か何かだろうか?
新聞はとっていないし、通販を使った覚えもない。
俺は不思議に思いながら郵便受けに投函されていた紙袋を取り出す。
どうやらメール便らしかった。
「変だな……。何も注文した覚えはないんだが……」
首をかしげつつも俺は送り主の欄に目を向ける。
そこに印刷されていたのは「Alchemist運営事務局」の文字だった。
「Alchemist? なんだそれ? そんなもの見た事も聞いた事も──」
そこまで考えた俺の脳裏に一つの画面が浮かび上がる。
確か前回の休みの日にそんな単語を見た覚えがあるはずだ。
そして、その時に散々悩んだ事実を思い出し、俺は駆けるように寝室──といっても1部屋だが──に駆け込むと、PCの電源ボタンを強く押す。
起動までには多少の時間は掛かる。
その時間に俺は手元のメール便を破くように開くと、中に入っていた2つの品物と一枚の紙を手に取った。
「ショックリング一式と内服薬の解説書?」
紙に書かれた文字を目で追った後、立ち上がったPCに素早くパスを打ち込んでブラウザを開く。
目指すのは前回プレイするかどうか悩んだAlchemistとかいう過疎ゲーの公式HPだ。
履歴から追ってたどり着いた公式HPの一点を見つめた俺は半ば予想していた事に一つの事を確信する。
あの時の俺は住所氏名を入力して、後は送信すればいい所まで手順を進めていた。
あの後送信していないのならば公式HPのボタンは「ゲームのDL」となっているはずだ。それは、あの時確認していたからわかっている。
しかし、今現在のトップページのボタンは「ログイン」になっていた。
どうやら、あの時寝ぼけた拍子に送信ボタンを押してしまっていたらしい。
「なんて間抜けな事を……でもまあ、今の所これ以外の怪しい書類とか勧誘とかないしな」
俺は解説書を左手に持ったまま、2錠1組になっていた白い錠薬を右手で拾い上げる。
多分だが、以前公式掲示板に書かれていた怪しい薬とはこれの事だろう。
俺は一体何の為の薬なのかを確認する為に手に持った解説書に目を向ける。
そこに書かれていた内容を大まかに頭に入れてみた。
まず、付属のショックリングをUSB経由で接続しないとゲームを操作する事ができない事。
次にショックリングにはゲーム内の感覚を共有するために微弱な電気が常に流れており、通常の状態では痛みでゲームをプレイ出来るものではなく、痛み止めとしての錠剤を飲む必要があるらしい。
うん。
このゲームの会社のアイテム課金以外の集金手段がわかったぞ。
今回送られてきた痛み止めは2錠。
そして、一度の服用に使用するのは2錠。
つまり、今回送られてきたのは“1プレイ分の体験版”だ。
ご丁寧に追加の痛み止めの購入先としての連絡先まで記載されている以上本気でこの方法で集金するつもりなのだろう。
「なんて姑息な会社なんだ」
しかも、その胡散臭さからプレイするプレイヤーが殆どいない状況を作り出しているのならば、完全に失敗していると言えるが、よく考えたらサービス開始が1年前で未だに続いている事を考えたらそれなりに売れているのだろうか?
疑問は尽きないが胡散臭さのみで見ればかなりハイレベルだ。
ともあれ、お試し分が来てしまった以上は興味が沸くのも人間というもの。
特に、前日にあれだけ消耗していた事もあり、あまり難しい事を考えたくなかったのかもしれない。
初めに試しにショックリングを繋げずに「ログイン」のボタンをクリックしてみる。
すると、画面にセットアップ画面が出てきたので手順通りにセットアップする。
しばらく待っているとセットアップ終了とともに新たなウィンドと共にスタートボタンが現れた。
ここまでは特に問題なかったので俺は迷わずスタートをクリックしたのだが、画面に出たのは「リングが接続されていません」の文字。
一瞬どうやって判断しているんだ? と思ったが、よく見るとウィンドウには他に「設定」の項目も存在しており、そこでリングの設定をする事が分かった。
俺は多少の怪しさを感じながらもUSB端子にショックリングのコードを差し込み、設定を済ませるともう一度スタートボタンを押すのだが、今度は「リングが装着されていません」の文字。
本当にどこで判断しているんだ? と思うも、確かリングには微弱な電気が流れていると解説書には書かれていた。もしかすると、それがセンサーのようになっているのかもしれない。
俺はかなりの怪しさを感じながらショックリングを右手の人差し指に嵌める。
しかし、スタートボタンを押そうとした時に“それ”は唐突にやってきた。
「んぎいぃぃぃぃっ!! なにこれぇぇ!!」
右手の人差し指を起点として発生した痛みは全身に広がり、まともに会話が出来ない程の状態になってしまった。
どこが「微弱な電気」!? 完全に家庭用電源の電圧超えてんだけど!? 俺的に!!
急いでリングを外そうとするも、外そうとすると更なる痛みが発生し、とても外せるものでもない。
俺は藁でも縋る勢いで左手に握っていた錠剤を片手で押し出すように開けると、口の中に放り込む。
本音を言えば多少の痛みだったら薬を無視してプレイしようと思っていたのだ。
しかし、どうやらこのゲームを作った企業は自らの営業スタイルに対して一切の妥協を見せるつもりはないらしい。死人が出たらどうするつもりだと本気でツッコミを入れたくなった。
「…………はあ、はあ……何とか……収まってきたな」
かなり半信半疑だったが、錠剤の鎮痛作用は本物だったらしい。
感電を抑える薬なんて聞いた事が無かったから、あの痛みは感電以外の何かなのかもしれない。そういう意味では、ゲーム内の全ての感覚を~の謳い文句も冗談か何かではなく、開発者としては本気だったのかしれないが。
「くそっ、会社経営者はキチガイしかいないのか」
それで許すかどうかは別である。
取り敢えず、薬を飲んでしまった以上は元は取らなければ割に合わない。
俺は今回限りでこのゲームには二度とログインしないと心に決めて、再び画面に目を向ける。
だが、そこに映し出されていたのは──
──転移リングの装着と強制変態促進剤の服用を確認しました。これより転移準備を開始します──
「……え?」
目の前のディスプレイが激しく揺れる。
いや、ディスプレイだけでなく、部屋全体が揺れている。
俺は急いで立ち上がろうとして──指先一つ動かせない事に気がついた。
そこで気づく。
(部屋は揺れてない。揺れてるのは……俺だ)
痙攣したように震える体が限界に達し、椅子から転げ落ちた俺は左即頭部をフローリングの床に強かに打ち付ける結果になったが、痛みは全く感じなかった。まるで、さっきの薬の鎮痛作用が効果を発揮しているかのように。
──ゲートオープン確認──
──これより転移開始──
相変わらず画面に流れ続けるメッセージが妙に目に入る。
動かぬ体でメッセージを追いながら、最後のメッセージを目にした時に俺は気づくのだ。
──お待たせしました。体感型オンラインRPG Alchemistへようこそ。その身が朽ち果てるまで存分にお楽しみ下さい──
悪意に満ちた開発者は、このメッセージを見せる為にワザと画面を見入るような何かをしたのではないかと──
◇◇◇
目が覚めたのは知らない部屋の中だった。
木造の狭い部屋だ。
広さは四畳半ほどだろうか? 今俺が契約している部屋よりも更に狭い。
今時ワンルームでもこんな物件ないのでは? と考えるが、都内とかだったらもっと酷い物件はざらにあるような気がする。
一応ベッドに横になっていたが、ベッドはクッション性の欠片もない木製のベッドに粗末な布をかけただけの寝心地最悪の代物だ。
俺は体を起こすと周りを見渡す。家具はベッドが一つと小さな鏡台に椅子二つがあるだけの、他にはなんにもない部屋だ。
だが、それ以外の存在がこの部屋にいた事を俺は最初から気がついていた。
というか、気がつかない筈がない。この何もない部屋に存在するには存在感があり過ぎたから。
「おはようございます剣士様!」
その存在に目を向ける。
そこにいたのは真っ白な髪を腰のあたりまで伸ばした一人の少女だった。
髪だけでなく透き通るような白い肌。更に言うなら着ているワンピースも汚れ一つ無く純白そのもの。
年の頃は十代前半というところだろう。屈託のない笑顔からは何の邪気も感じられなかった。
「そして、ようこそお越し下さいました。私の名はシルキー。この度“ソウザ”様と運命を共にする事になりました使い魔です! 今後生涯ソウザ様に誠心誠意お使え致しますので、ご自由にお使いください!」
一気に言いたい事を言い終わった後に元気に、そして見た目の年齢相応の可愛らしいお辞儀をする彼女を見ながら、考えていたのは、彼女が口にした名前だった。
──ソウザ──
それは俺がAlchemistを始める時に登録したキャラクター名であった。
そして、俺の腰には1本のロングソードが下げられており、同時に職業として登録した“剣士”のような姿だった。
「……何がなんだかわからねえけど、一つだけ決めたわ」
俺の名はソウザ。かつては山崎 相馬と名乗っていた元社畜であり現剣士。年齢不詳、状況不明。
しかしながら、案内人がいるというのは多少幸運材料だとも言える。
「“目が覚めてこのふざけた夢から覚めたら”、あのふざけたメッセージを残した野郎だけは絶対にぶん殴ってやる」
明確な敵意を口にした俺に対して、顔を上げた白い少女──シルキーが可愛らしく首をかしげた。
──この日俺は、社畜から剣士へとジョブチェンジを果たす。
最も、それは望んでいた状況とはかけ離れた、決して“リセット”出来ない生活の幕開けであった。