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Alchemist  作者: 無口な社畜
第一章 ホームタウンから出てみよう
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第二話 優しい笑顔の裏側で

 今日も元気に社畜中


 そんな投げやりな言葉が浮かぶほどに現状を憂いた俺がいる。

 場所は自社事務室の自分の机。目の前のPCの画面には直ぐに裁かなければならない案件から2ヶ月先の案件までがガントチャートで示されて、並行した業務の期限が刻一刻近づいている……もとい、今すぐにでも進めなければならない業務に追われていた。

 

 キーボードとディスプレイの間には自前の手帳が楽譜のように立てかけられ、叩かれるキーボードの音はさながら音符に沿って奏でられるメロディーのようだ。


「くそぅ。捌いても捌いても一向に予定が軽くならねぇ。そもそも、最近手帳を見ないと自分の予定が把握できないとか。新しい事を頭に入れた途端に古い事を忘れるとかところ天か? 加齢って怖いね」


 画面と手帳に交互に視線を向けながら泣き言を零す俺に対して、隣で作業していた部下から諦めに似た言葉がかかる。


「係長。それ年齢関係ないと思いますよ? 単純に仕事量が多いだけです」


 特に返事を期待した訳でもない独り言に答えた部下の手も動いたままだ。それもその筈。俺ほどでは無いにしても、隣の部下の仕事も彼女の許容量を完璧に超えてしまっているのだから。

 それでも、無駄話とわかっていながら口を止めないのは、この笑うしかないような状況の中で黙々と作業をし続ける事の方が苦痛である事を知っているからだ。


「最低でもこの案件だけでも片付けないとな……。あれっ? なんだこの見たことのない業務は……。シット! あの上司バカ俺の休み中にシレっと自分の業務を差し込んでやがる!」


 業務を振ってきたのは俺の直属の上司ではなく、その上の上司だ。しかしながら決して役職名は口にしない。場所が自分の課の室内で本人がいなくともどこにでも耳は潜んでいるのだ。

 これを肝に命じずに陰口を叩こうものならマジの地獄を見る事になる。


 ちなみに、ここで言う地獄とは別に降格とか減給とか会社に居場所がなくなるとか、そんなものでは断じてない。

 別に俺にとって降格なんか痛くも痒くもないし、減給された所で家族もいなけりゃ趣味も時間もない身だ。会社に居場所がなくなったら辞めれば(リセットすれば)いい。


 俺達が恐れているのはただ一つ


「係長。お願いですから物騒な事を口にしないで下さい。誰かに聞かれでもしてあの上司バカの耳に入ったら、説教という名の戯言を聞かされ続けて業務が焼き付きます」

「その言葉そっくりそのままお前に返してやる」


 俺達の業務は管理全般だが、俺達の業務の停止はそのまま末端までの業務の停止に繋がる。

 今は辛うじて繋がっている状況だが、今日はまだ2人で行っているから何とかなっているとも言える。

 普段は1人作業をしている事が多いのだが、理由としては俺たち2人が交代で休日を取っている為だ。


 実際の現場では休日は存在するのだが、それ故俺達の業務が圧迫しているとも言える。

 何故なら、休みなく稼働していれば何とかなる案件もなくはないのだから。

 しかし──


「俺達の状況を誰かに押し付けるわけにも行かんしなぁ……はあ、ここへ来て今まで課長がどれだけ俺達の事を守ってくれていたか分かったよ」

「……そうですね」


 俺と部下は一瞬だけ今では空席になってしまった嘗ての上司の机を見る。

 言うまでもなくこの会社の定着率は最悪だ。昨日まで一緒に仕事をしていた仲間が今日になって突然いなくなっているなんて事は日常茶飯事である。

 

 そもそも、隣で苦楽を共にしている部下にしたって、半年前に退職者の穴を埋める為に急遽現場から上がってきた人間なのだ。俺が昇進した後の期間だけで数えても、既に5人目の部下なのだから。

 その前からとなると……既に数を数えるのも馬鹿らしいレベルだ。


 だからだろうか。


 俺はいつの間にか一緒に仕事をする人の名前を呼ばなくなっていた。部下も俺の事を役職名でしか呼ばない。

 今の俺達の部署に役職者は俺しかいないから特に問題はないのだが、真実はもっと下衆な理由だ。


(名前を覚えた所でどうせ直ぐにいなくなるんだ。あの絶対に辞めないと思っていた課長でさえ辞めたんだぞ……)


 俺が本当にきついと思った時には必ず、そしてさり気なく業務を受け持ってくれていた課長の優しい笑顔を思い出す。

 俺達の体を気遣ってこっそり有給を促してくれた上司はもういない。最後は壊れて、今は精神病院のベッドの上で養生しているはずだ。


「……恩人に対して見舞いにも行かず。今更ながら俺は最低の人間だな」

「……私達が行った所であの人のトラウマを刺激するだけですよ。なにより、私達が業務を止めたらもっと沢山の人が路頭に迷います」


 俺の愚痴に律儀にフォローを入れてきた部下に対して、俺は「そうだな」と口にしながらスケジュールを確認する。

 この話題を最後に業務に集中しようと思ったからだが、それでも一言だけ部下に対して口にする。


「お前もさっさと結婚でもして、寿退社でもしちまえよ」

「残念ですがこの環境では出会い自体ありませんし、直ぐに愛想を尽かされますよ」


 手を止めずに答えた部下に俺は小さく笑う。


「その程度の事で愛想を尽かす男なんか最初から相手にしなけりゃいい」


 俺の言葉に隣の部下は一瞬だけ手を止める。

 それが分かったのは彼女が叩くキーボードの音が途切れたからだが、俺が注意を促す前に再びタイピングの音が奏でられた。


「出会って直ぐにはわかりませんよ。でも、そうですね」


 部下はそこで一度言葉を止めて、


「同じような職業の人であれば理解しあえるかもしれません」

「アホか。マイナスとマイナスを掛けてもプラスにはならんよ。現実ではな。そんな奴と結婚してみろ。不幸になる未来しか見えん」


 即答した俺に対して、彼女は少し考えたのか、しばらく無言の時間が過ぎる。

 会話の消えた事務所に響くのは2人の人間が奏でるタイピングの音のみだったが、その音も少し力強いターン! という音と共に呟きが漏れる。


「そこに想いがあっても……ですか?」

「関係ない。追い詰められた人間は他人の事など考えない。いや、考えられない。これは俺の実体験だ。だから、お前はさっさと理解ある男と結婚してこの地獄から抜けたほうがいい」


 部下の為を思っての発言だったのだが、当の部下本人は俺の言葉が不満だったらしい。

 その後は退勤の時間まで部下が一言も言葉を発することはなかった。

 ただ、俺はというと、最後に部下が「お先に失礼しますっ!!」と言って頭を下げる姿を見ながら、「そういえばこの会社に入ってから歓迎会も送別会もしたことないな」等と、関係ない事を考えていた。



◇◇◇



 現在時刻27:58。


 自主的な無償労働(サービス残業)に慣れた筈の俺だったが、流石にこの時間に帰宅となると溜息の一つも付きたくなる。

 一応、今以上の修羅場だった時に朝方に帰宅──風呂だけ入ってとんぼ返りしたから帰宅というかはわからないが──した事はあるにはあるが、途中不機嫌さを全く隠さずに嫌な雰囲気で仕事をしていた部下と一緒の部屋に居た事と、そんな状況に我慢できなくなって部下の業務のいくつかを受け持った為、単純に業務量がかさんだ事、後は次の日が休日だった事からいつもよりも余分に業務をこなしたので余計に神経をすり減らしてしまったのだ。


 更に、いつもよりも早く帰宅させた部下に対して、「珍しく早く帰れるんだから、友達に連絡して男でも紹介してもらえよ」と軽口を叩いた俺に対して、普段怒った事など殆どなかった彼女にしては珍しく両目を吊り上げて荒げた声で帰宅の挨拶をされた時は本気で恐怖した。

 俺的には本気で彼女の将来を考えての発言だったので、理不尽この上ない。そもそも、夜遅くまで男女が一つの部屋に居続けるのも宜しくないだろうに……。


 俺は覚束無い足取りでベッドに近づくと、服も脱がずに倒れこむ。

 ベッドの傍の窓に引かれた遮光カーテンの隙間から、薄らとだが動き回る光が見える。どうやら、そろそろ新聞配達の活動時間らしい。


(……疲れた……今日は本当に疲れたな……)


 現場のキャパも知らずに無茶な予算計画を立てる経営陣も、予算を達成するために対応不可能な注文を取ってくる営業も、掲げられた計画を遂行する為に設備投資もせずに人員を削減する上司もみんな死んでしまえばいい。


 現場からの不満のはけ口も俺達の仕事の一つだが、切実な現場の声はどれも俺達が無理をしいてしまっているが故の悲鳴でしかない。決して無視してはいけない生の声だ。

 人が減ってしまえば現場の生産性が落ちる。

 しかし、生産性が落ちればその日の納品に間に合わないし、下手に間延びさせれば予定外の物流費だってかかってしまう。


 頭の中で次々と浮かんでは消える問題点の改善策を即座に打ち消す新たな問題点。

 人情を取れば立ち行かず、非常になれば戦線は崩壊する。

 次第に疲弊してしまった俺の頭に現れるのは自分を甘やかすかのような逃げ道。


(……リセット……)


 家に帰り付いたにも関わらず頭の中をグルグルと回る悪魔の声を他人事のように聞きながら、俺は一つの事を考える。

 しかし、それは意味のない考えだ。


 この世はゲームではない。


 ゲームでない以上リセット等と言うものは存在しないのだから。


(……はは……本当に今になってよくわかるよ)


 急速に意識が離れていくさまを実感しながら俺は思う。


(辞める前の課長もきっとこんな気持ちだったんだろうなぁ……)


 あの優しい笑顔の裏側で。

 

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