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Alchemist  作者: 無口な社畜
第一章 ホームタウンから出てみよう
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第一話 休日の暇つぶし

 目が覚めたのは9時だった。


 俺はアラーム画面のまま停止しているスマホの画面を一瞥した後、大きな欠伸と伸びをする。

 なんというか社畜の性とでもいうのか、必ず一度はこの時間に起きてしまうのだ。

 恐らく、本能的に休日とはいえ最低限やらなければいけない事があるという事を知っているからだろう。


 俺は右手で髪を掻きむしりながらベッドから降りると、散らかしたままになっていた服を拾い集めて全自動洗濯機に放り投げたあとにスイッチを押す。

 この後に朝飯を食べて、少し時間を潰した後にそのまま寝落ちしてしまい、夕方に起き出して洗濯物を干し、風呂に入って夕飯を食って寝る……というのがいつもの休日の流れである。


 こうして考えると休日の総睡眠時間は20時間近いのだが、不思議とそれを過剰と思った事はない。

 何しろ、それだけ寝ても万年睡眠不足の頭の中の霧が晴れる事は殆どないし、自然と眠りに落ちてしまうという事はそれだけ体が睡眠を欲しているということに他ならないという事なのだから。


 それならば、本能の赴くままに惰眠を貪ることも悪いことではないはずだ。

 何時だったか寝溜めは効果がないとか、意味がないとかいう話を聞いた事があるが、体験者から言わせてもらえば個人的には“効果は有る”だ。


 濃厚なブラック臭を撒き散らしている我社であるが、一年の中には少ないながらも閑散期も存在する。

 そういった時は当然帰宅も早くなるので十分な睡眠時間を得る事が出来るのだが、そういう時は不思議と休日もいつも通りに目が覚めるし、日中に眠ることもない。当然、勤務中にPCの前で意識をなくしたり、歩きながら寝てしまうという事もないからだ。


 最も、そんな期間は極々短期間であるため、直ぐに出口の見えないデスマーチへと突入してしまうのだが、大抵の場合そういった閑散期限定ではあるものの、会社から有給の取得を推奨される。一応、ホワイト企業を目指しているという言葉が嘘ではないと感じる瞬間だが、この判断が会社の方針か、上司の独断かによって忠誠度が変わるというものだが、ほぼ間違いなく上司の独断だろう。従業員の査定の項目に『有給の使用状況』があるような頭のおかしい経営陣にそんな良心があるとも思えない。


 それは兎も角、自由にできる休日の数時間は貴重なひと時だ。

 今ではすっかり社畜が板についてしまったが、今の会社に就職する前は自由な時間の全てをゲームに明け暮れるゲーム好きな人間だった。


 ただ勘違いしないで欲しいのは、ガチでゲームをやりこんでいるような廃人ではないという事。あくまで、ライトな感じで面白そうなゲームを買ってきてはクリアするまでプレイした後、また次のゲームを購入……というように、途切れなくゲームをやっていただけに過ぎない。


 当時好きだったのはRPGやSRPG。それからたまにノベルゲームなんかもやっていた。

 学生の頃は時間が有り余っていたからこその趣味だったが、就職してからというものその状況は一変する。


 とにかく時間がない社会人生活。

 面白そうなゲームを買ってきてもやる暇もなく積んでいく日々。

 特に時間のかかるRPGやSRPGなどとても出来ず、次第にゲーム自体をやらなくなっていった。

 

 そんな状況が数年続き、ひょんな事から知ったのがネットでできるオンラインRPGだった。

 オフラインのRPGばかりやっていた俺にとって、初めは短調で動きの少ないストーリーに、中々上がらないレベル。終わりの見えない作業のような内容に、「どこが面白いのか?」と疑問に思っていたものだが、やっているうちにだんだんと引き込まれていった。


 そこはもう一つの世界だった。


 出口の見えない作業は正に今の俺の状況そのもの。

 淡々と繰り返される日常や、時折向けられる他人からの好意や悪意は、正に現実世界の人間関係の縮図だ。


 しかし、その世界の自分はスキルを覚え、レベルを上げれば、少しづつではあるものの、確かに強くなる事が出来た。

 費やした時間が確実に身になる事が実感できた。


 努力が報われる世界。


 それが俺が初めてオンラインゲームをやった時の実感だった。

 最も、それも他者からの悪意で簡単に壊れる事もあるということも今では理解しているが、ゲームの世界のいい所は嫌になれば『リセット』出来ることにあるだろう。


 現実はリセットなど出来ない。

 どんなに嫌な事があったとしても、歯を食いしばって堪えなければならない事も存在する。

 嫌になって壊れて、全てをなかった事にしたくても、現実でのリセットは『死』そのものだ。


 現実ではそれでもリセット()を選んでしまう人がいる事も確かである事を考えると、ゲームの世界で好き勝手出来る事は俺にとっての一種のストレス解消になっていた。

 好きな時に好きな時間だけログインして、嫌になればリセット、もしくは二度とログインせずに違うゲームを探す……。


 そんな事を繰り返しているうちに、いつの間にか俺のプレイスタイルは終了寸前の不人気ゲームか、超過疎っている不人気ゲームに好んでログインするようになっていた。

 理由はゲーム(理想の世界)でまで他人と絡んでいたくなくなってしまったからだ。人が2人以上集まると争いが起こるという言葉を嫌というほど実感してしまった結果だった。


 そんなわけで、現在俺は自室のPCの前に座って新たな過疎ゲーを探している真っ最中だ。

 つい最近までやっていたゲームはホームタウンで恐ろしく頭の悪いキチガイに絡まれてしまい、嫌になって辞めた。あの言動はどう考えても子供に違いない。別にゲームをやるのに年齢の話は持ち込みたくないが、人との交流がある事くらい考えて行動して欲しいと思う俺は大人げないのだろうか? まあ、もうログインしないからいいけどね。


 ちなみに、家族と同居でもしていようものなら休みの日は一日中引きこもってネットゲームをしていたら文句の一つでも飛びそうではあるが、幸いな事に一人暮らしである以上安心である。

 ……真実は、毎日深夜に帰宅してくる俺にヒステリーを起こした妹の行動を切っ掛けに追い出されたようなものだけど。


 家族からの転職して欲しいという願いを頑なに拒否したあの頃の自分を本気でぶん殴ってやりたいが、今となっては慣れてしまったという事と、それなりに良い給料。それから再就職が面倒くさいという理由から行動に起こさずにいるのだが。


 そうして嘗ての自分を思い出しつつ過疎ゲーを探していた俺だったが、一つのゲームタイトルに目を留める。


「Alchemist……超体感型RPG! 全ての感覚が体験できるこの世界こそ、全てのプレイヤーへ提供するもう一つの現実です?」


 なんて地雷臭漂う紹介文なんだ。

 興味に惹かれた俺はAlchemistの紹介ページから公式HPまで飛んでみると、そのあまりのダメっぷりに歓喜した。ちなみに、正常なゲーマーにとっての“ダメ”は俺にとっての“当たり”である。


「サービス開始から1年経つのにイベントもアップデートも数える程度。当然公式掲示板は全く盛り上がってないし、そもそもプレイしている人間が居るのかもわからない程の書き込み数と内容だな」


 公式掲示板に書かれていた内容の殆どはこのゲームがどんな物かを問うものか、ゲームを始める事ができないという苦情。それから、なんだかわからないが、怪しい薬がどうのという書き込みもあった。怪しい薬ってなんだよ。ひょっとして白い粉か?


 試しにゲーム名で検索もかけてみたが、ゲームとは全く関係ないものが大量に出てくるばかりでこのゲームに対する事は全く出てこない。

 最も、あまりにも検索件数が多かったものだから流しで見た程度であるためひょっとしたらどこかにあったのかもしれないが、少なくとも探すのが困難なレベルのゲームであるという事は分かった。


「過疎ゲーなのは間違いないし、取り敢えずものは試しだ」


 そもそも、どうやってサービスを維持できているのか理解できないレベルのダメゲーだった部分が気に入った。

 特に、明日にもサービス終了しそうな雰囲気が高ポイントだ。


 俺は早速ゲームをDLすると、ゲームの登録画面へと進めていく。

 ゲーム内で使用する名前、職業、ホームタウンの選択が終わると、ゲーム内情報の登録終了の表示が画面に映る。


「あれ? アバターの選択とかないのか?」


 そんな俺の疑問をよそに画面は進み、現れたのはプレイヤーの氏名と住所の入力画面だった。

 その表示を見た瞬間、俺のこのゲームに対する不審という感情が芽生える。


「……本作は体感ゲームである都合上、相応の機器を使用するため、送付先のご住所をご記入ください?」


 更に読み進めると、機材はレンタルである事、料金は発生しない事、個人情報は悪用しないとの注意書きがされてはいたが、個人情報の取り扱いに煩い昨今において、この怪しさ満点の文面は頂けない。ここへ来てこのゲームが話題にも登らないほど過疎っている理由が分かった。


「大抵の人はこの画面を見た時点でブラウザバックするんだろうなー」


 どうりで公式掲示板にこのゲームに対する質問ばかりだったわけだ。

 そうなると謎の薬というワードが気になるが、これ以上進むのは勇気がいる。


 見て見た限りだと必須事項は名前と住所だけだ。電話番号も口座情報も記入の必要はないらしい。というか、項目自体が無い。

 俺は取り敢えず必要事項を打ち込んではみたものの、送信ボタンをクリックしないまま考え込む。


 名前は兎も角、住所はそれ程問題ない。

 何分気軽な独り身だ。何かあっても引っ越せば住むし、それくらいの貯金はある。

 何しろ収入はそれなりにあるのに使う時間も趣味もない。ストレス解消替わりにやっているオンラインゲームも、全て基本無料のゲームで、課金したことすらない。


 最悪、実家に帰るのもありだろう。未だに実家にいるらしい妹に騒がれるだろうが、最近は母親も帰ってくるように言ってくるようになってきたし、妹のヒステリーで追い出される事もないだろう。というか、妹はさっさと結婚でもして家を出て欲しい。……未だに彼女すらいない俺が言った所で説得力はないのだが……。


 とはいえ、リスクはリスクだ。

 俺はしばらくPCの前で腕を組んだ状態で唸っていたが、如何せん度重なる無償労働による睡眠不足がたたったのか、唐突に意識が遠くなる。

 ……悩んでいるうちにいつもの活動時間が過ぎているのに気がつかなかった。



◇◇◇



 目が覚めたのは夕方だった。

 取り敢えず、一度寝て睡眠不足状態だった頭をリセットするのは有効だったらしい。


「何を悩んでたんだ。こんな怪しいゲームパスだ、パス」


 俺は大きなあくびをしながら目の前のPSに映っていた画面を閉じると、直ぐにシャットダウンする。

 日中寝た時点で俺にとっての休日の自由時間は終了だ。この後は終わっているであろう洗濯物を干して、食事の準備と風呂の準備が待っている。

 その後はもう寝るだけだから、比喩でもなく自由な時間はないのである。


 ……しかし、この時の俺はやはり寝ぼけていたのだろう。

 どうしてこの時にもっとよく確認して作業を終了しなかったのか、数日後に痛恨の想いを味わうことになる。

 

 ──決して後戻り出来ない状況の中で。


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