第六話 暗き闇に浮かび現れ
街灯の無い町並みに月のない夜。
そんな時間に街と外を隔てている門柱に背を預けながら、俺は夜空を見上げていた。
それは現代人である俺にとってはそうそうお目にかかる事のない漆黒の闇であるという認識だったが、周りを見通す事の出来ない暗闇というものは、かえって大空に浮かぶ星空を際立たせる結果となっていた。
その中でも、普段ならば月明かりで見る事が出来ないほんの小さな星の明かりが、この世界でとても軽々しく散っていく使い魔達のようで、何だかとても悲しい気持ちになっていた。
しかし、俺は思うのだ。
普段は見る事の出来ない小さな星明かりであろうとも、見えないだけでそこに確かに存在するのだと。
「……こんな夜更けに、こんな場所で。一体何してるんスか?」
「……ん? ああ。実は人を待っていてね」
そう。
たとえ、姿は見えなくても、今はこの場にいなくとも。
「そうスか。大変スね」
「いやいや、そうでもないさ」
本当に必要だと。大事なのだと気づいた時に。
「丁度待ち人も来たことだし……ね」
きっと。すぐ傍にいるはずだから。
◇◇◇
待っていた相手──コウガは、出会った時と同じように白い戦闘服に二本の双剣を腰に下げていた。
違っていた点を敢えて挙げるなら、妙な光沢を持った赤い宝石のついたネックレスを首から下げていたくらいだろう。
闇に慣れた目であっても彼の表情の機微は確認できないほどの暗闇ではあったが、それでも、短い一言の後に俺に一瞥をくれて脇を通り過ぎるコウガの態度から、俺に対する興味はそれほど無いのであろう事は容易に想像できた。
そんなコウガの後ろをつかず離れずの距離を保ちながら、後をつけてどれくらいの時間が経ったか。
かなりの時間が経ったような気もするし、大した時間が経っていないようにも感じる。
ただ、いくら周りを平野で囲まれているウッドロックといえど、その街明かりが見える程度の距離である事から、それほど長い時間ではないのだろう。
「……それで。いつまで後を付けてくるつもりなんすか?」
コウガが足を止めてそんな事を言ってきたのはそんな時だった。
足を止め、首だけを後ろに向けたその仕草は、以前感じた人当たりの良さは全くなく、どちらかといえば彼がセラフィーに取っていた態度に近いだろう。
もちろん、あれほどの敵意を向けられているわけではないが、拒絶感というか壁というもので考えるならば似たようなものだ。
「いつまで? そうだな……。もしも、君がこのままどこへも行かずに、家に戻って眠りにつくなら俺も帰宅するだけなんだがね。けれど、そうでないならば、君が“妙なこと”をするまではこのまま夜の平原を散歩するつもりではあるね」
俺の言葉にコウガは眉を寄せた──ように見えた。少なくとも、これ以上無駄な行動をする気持ちは失せたようで、首だけでなく、体全体を俺の方に向けた。
「悪趣味っすね。俺にそんな“妙な”趣味はないっすよ?」
「はっはっは。心外だね。君の方こそ俺にそんな趣味があるように見えるとでも? 少なくとも、俺自身夜のデートは君みたいな野郎なんかではなく、若い女の子と二人きりで行いたいものだけどね。例えば──」
そこで俺はわざと意味ありげに1拍おいて。
「──君の所の使い魔のような……ねっ!」
言葉の終わりを待つまでもなく吹き抜ける風と共に奔る両腕の衝撃。
そも、あの風の牙に喰いつかれたのが両腕だけで済んだのは、以前に同じような攻撃を身をもって体験していたことと、これまでの仕事で戦闘経験を積み、昔の勘を取り戻していた事が大きかった。
「……懐かしい攻撃だけど、今回は以前と違って事故という訳ではなさそうだね」
顔の前で交差していた両腕を下ろしながら、後方に駆け抜けていったであろうコウガに尋ねる。
「どこへ連れて行った」
しかし、返ってきた答えは俺の質問とはかけ離れた、それだけで聞けば意味のわからない短い問い。
「何の事だ? それだけでは君が何を言いたいのかわからないな」
その疑問に対して、俺は敢えてわざとらしく──それこそ、挑発するように答える。
「セラフィーを……俺の使い魔をどこへやったか聞いているっ!!」
言葉使い、態度、雰囲気。
その全てを変化させて敵意を向けてくるコウガに向き直り、俺は咄嗟に体を捻りながら右手を上げる。
同時に右腕のガントレットに奔る衝撃は、その場所をコウガが駆け抜けていった証。さらに言うなら、今回俺の耳に届いたのは金属同士の衝突音である。これは、コウガがこちらに対して確かな殺意を持って武器を使用してきた証明であった。
「……酷いな。同郷の人間に対してこの仕打ち。君はひょっとしてこの世界で殺人も犯した事があるのか?」
「こちらの質問に答えろ」
明らかに噛み合っていない会話。
これはお互いがお互いに相手の主張を聞かずに、自分の主張のみを押し通そうとしているからだが、この感覚は非常に見慣れた光景だった。
何しろ、労働者の愚痴を聞いて宥めすかすのも俺の仕事の一部だったのだから。
こちらに一本の短剣を向けているコウガに視線を向ける。
とりあえず今の所抜刀した獲物は一本のみで、残りの一本は腰の鞘に収まったままだ。
しかし、返答次第では残りの一本も抜いて襲いかかってくるだろう。
先程までは勘と経験で偶々上手く捌いたが、それはあちらが本気になっていないという部分が大きい。
何しろ、相手はこちらよりも高いレベルを有し、高レベルのクエストもこなせているであろう“使徒”なのだ。
今の所は本気で殺しには来ていないが、それはあくまでもこちらが彼の使い魔であるセラフィーの情報を持っているとあちらが思っているからであり、対応しだいではアッと言う間に殺されてしまうだろう。
「その質問の意味がよくわからないから答えられずにいるのだが……けど、そうだね。君の質問が“今現在の君の使い魔の居所”を訪ねているという意味であるならば、『知らない』というのが俺にとっての嘘偽りのない答えだね」
「それを証明できるものは?」
「無いね。でも、逆に聞きたい。どうして俺が君の使い魔の居所を知っていると思った?」
俺の答えはどうもコウガにとっては納得のいく答えではなかったらしい。
現在はお互いの姿形が捉えられるギリギリの距離──闇が深いので精々5m位だが、その距離でさえハッキリと分かる程に苛立った気配を撒き散らした。
「今現在あんたがしている不審な行動で怪しまれないとでも思ったのか……っ!?」
「不審? ……あー……確かに、言われてみればそうかも」
さも、言われて今気がつきました。とでも言うような俺の態度に、コウガは空手であった左手を腰の短剣の柄へと移し、無言のまま一歩を踏み出す。
その行動で俺は自身の選択の間違いを自覚したが、腹の中に溜まった鬱憤まではどうにもならない。
「君にとっては不審と思えるこの行動だけど、俺にとっては不自然でも何でもなかったから気にもしなかったな。こっちだってこれが依頼でさえなかったらご遠慮願いたいくらい位なんだぜ? 誰が悲しくてこんな夜中に男の後をつけなくちゃならないんだってね」
鬱憤。
そう、鬱憤だ。
今回の事象に対してセラフィーは悲しんでいた。
シルキーは恐らくだが、同情していたと思う。
なら俺は?
「依頼だって? いったい、誰から、どんな依頼を受けたって言うんだ」
俺が感じたのは…………怒りだった。
浅慮な子供が自分勝手に引き起こした悲劇。
そして、その悲劇を起こした張本人が、被害者ぶって1人の……いや、2人の少女を不幸にしてしまっている事に対して。
「依頼の内容は言えない。それが依頼者からの約束だからな。でも、そうだな……こいつは俺の独断だけど、あまりにも君が気の毒だから、依頼者の名前は教えてやってもいい」
俺は自分の中のスイッチを切り替える。
今まではお互いあくまでも話し合いの延長の馴れ合い程度の警戒しかしていなかったが、相手がこちらに対して殺すつもりで来るのなら、こちらもそれに合わせるだけだ。
「依頼人の名は“セラフィー”。君の使い魔だよ」
言い切った後に俺の身に降りかかったのは突風というよりは“暴風”。
咄嗟に腕を正面でクロスして防御したまでは先ほどの再現だが、先ほどと違ったのは俺が吹き飛ばされた事だろう。
降りかかる2本の閃光をガントレットで受けきる事が出来たのは奇跡に近いと思える程に、俺の目にその剣筋は視認できなかった。にも関わらず攻撃を受けたと実感できたのは、両腕が痺れるほどの衝撃がはしったからだった。
「やっぱり! やっぱりお前が奪ったのか! 俺からあいつを──セラフィーおぉぉぉぉっ!」
吹き飛ばされ、転がりながらも。
相手の声に向き直れるよう痺れる右手で感覚だけを頼りにしながら地面を叩いて跳ね起きて。
「散々不当な扱いをしておいて、今更雇い主ぶってんじゃねーぞ! このクソガキがぁっ!!」
溜まっていた鬱憤を大声で吐き出し、更に追撃を掛けようとこちらに向かってくるコウガに向かって、俺は拳を握り突撃した。