第三話 優しい人
セラフィーを部屋に招き入れる為に取り急ぎ俺達がしなければいけないのは、テーブルの上の片付けと、座る場所の確保だろう。
テーブルの上をシルキーが、俺がテーブルの周りを片付けるまでの間、セラフィーには外で待ってもらうことになったわけで、何とかお客を招き入れる事が出来るようになったのは来客から10分ほど経ってからであった。
正にリアル「今部屋の中散らかってるから」状態だが、この部屋の広さでそんな事を口にする日が来るとは思わなかった。
「…………」
「…………」
「…………」
しかしながら、それから30分経っても静まり返った室内で途方にくれながら、俺はあの慌てて片付けたのは何だったんだ? と、思わずにはいられない状況にいた。
配置的には、長方形のテーブルのベッド側にシルキーがベッドに腰をかけた状態で座っており、その正面に俺。そして、俺の左手側、ちょうど玄関のすぐ傍の椅子にセラフィーが座っているという構図だった。
俺達にお願いがあって来たという事だったが、席についてからの彼女は俯いたまま無言のままで座っており、まるで石像のようだ。
流石に肉感があるので石像は言い過ぎだが、それくらい静かで存在感が希薄という意味だ。
目の前のシルキーはというと休日を潰されたからだろう。明らかに不機嫌そうに俺を見ている。
そこで見ているのがセラフィーではなく俺というのがミソだ。
やはり、ここ最近のシルキーの俺に対する不信感は相当なものだと推察できる。
「……えっと……。俺達に頼みがあるって事だけど……」
しかし、この沈黙は俺に効く。
いつまでもこの状態だとシルキーの責めるような視線に俺自身が耐え切れなくなってしまう恐れがあった為、先を促す意味も込めて件の来訪者に向かって声をかける俺。
そんな俺の想いが通じたのか、セラフィーは少しだけ俺に視線を向けると、ゆっくりと事の顛末を話し始めた。
──【白い閃光】のコウガ──
彼がこの称号で呼ばれるようになったのは、意外にもここ半年の事らしい。
実は、そう呼ばれるまでの彼はレベル上げや攻略といった事には消極的で、どちらかといえばこの世界でのんびり過ごす事を良しとする平和的な少年だった……らしい。
らしいというのは、この頃はまだせラフィーはコウガの使い魔ではなかった為に、町の人から聞いた情報をまとめたからという事だった。
そんな彼が変わったの7ヶ月ほど前の事。
それまで殆ど課魂せず、クエストもギリギリ生活できる範囲でしかこなしていなかった筈が、急に魂貨使いが荒くなったばかりか、高難易度のクエストに足を運ぶようになったそうだ。
当然、実力に見合わない挑戦で死ぬ事もあったようだし、何よりも度重なる課魂で彼の魂貨は短期間で一気に残り少なくなったそうだ。
魂貨で家も買い、毎日傷だらけになりながらも高難易度クエストに挑む日々。
流石に町の人達も心配し、何度も無茶はしないように声をかけていたそうだ。
だが、その度に彼は「大丈夫。俺がヘボいだけっすから」と言って取り合わなかったそうだ。
やがて彼はその努力の甲斐あってか【白い閃光】の称号を得て、怪我をする事も劇的に少なくなり、周りの人達もホッと胸をなでおろすようになった。
──ある出来事が起こるまでは──
「何があったんだ?」
俺の問いにセラフィーは口を噤む。
しかし、ここまで話しておいてそれを抜きにして依頼を受ける事は出来ない。
それが俺の視線から言外に伝わったのだろう。
やがて諦めたように先を告げる。
「……コウガ様の前任の使い魔であるナナ様がお亡くなりになって……私が次の使い魔に選ばれました」
……コウガの家に行った時から何となく予想はしていたが……それを当事者から聞かされるとその悲壮な感情が伝わってきてくるものがある。
だが、それだけでは分からない事がある。
「確か、使徒と使い魔はその命を共有しているはずだ。最も、使徒が先に死んでしまう場合はカルマが増えるというリスクを伴うだけで本人の命は尽きる事はないと聞いているけど──」
俺はそこで一度言葉を切るとセラフィーを見る。
「──2人目とはいえ、次の使い魔も主人となった使徒の寿命に引っ張られるんじゃないのか?」
「その通りです」
俺の言葉に頷いた後、セラフィーは先を続ける。
「私がコウガ様の使徒になった時、これまであった魂貨の量が大幅に減って、残り少ない日数しか生きられない事を知り、ショックを受けたのは事実です。ですが……重い足取りで私が向かった先に待っていたのは、そんな事なんかどうでも良くなるような現実でした」
その当時の事を思い出したのだろうか。
セラフィーは急に体を小刻みに震え出すと、膝の上で握り締めていた両手で頭を抱えるように縮こまる。
「……訪れた家へ着いた後、何度呼び鈴を鳴らしても反応が無くて。それでも私は使い魔だからご主人様が帰られるまでずっと待つつもりで玄関で4日間ほど待ちました。でも、いつまで待ってもやってこない状況に不思議に思ってドアノブを回したら──」
──玄関に鍵はかかっておらず、拍子抜けするほど簡単に、セラフィーはコウガの家の中に入る事が出来てしまったという。
「……いけない事とはわかっていました。ですが、私は使い魔に選ばれてしまったから……例え、その命が残り少ないものだったとしても、仕えるべき主人が決まったら、最後まで使徒様に仕えるのが私達神城の一族の使命ですから。ですが……私が……私が……あ、あの部屋で……み、……見たのは……」
とうとうセラフィーは頭を抱えたままテーブルに突っ伏し、声を震わせながらも──
「……既に事切れて……死臭を発しているナナ様の遺体をその胸に抱いたまま……虚ろな目をこちらに向けているコウガ様でした……」
──当時の状況を口にした。
「……ひっ……」
「…………」
その状況を想像してしまったのだろうか、小さく悲鳴を上げるシルキーだったが、その声すら聞こえないのか、セラフィーは続ける。
「そこからは大変でした。コウガ様とナナ様の遺体を引き剥がし、葬儀の手配と部屋の片付けと後始末……呆然としたまま動かないコウガ様に何日も何日も話しかけて……でも、全然ダメで……」
口には出さなかったが、前の使い魔の遺体とコウガを引き剥がす際には相当酷いやり取りがあったはずだ。それでも彼女は頑張ったのだろう。
頑張って頑張って、何とかコウガを立ち直らせようとした。
それでもダメだった……と。
だが、それだと最近会ったコウガの様子と辻褄が合わない。
「もう駄目だ。このままこの人と一緒に死んでしまうんだと諦めそうになった頃でした。今までふさぎ込んだままだったコウガ様が突然クエストに出る。と、言い始めたのです」
それは、生気の抜けたような今までの態度とは180度違う態度だったそうだ。
ただ、セラフィーにとっての不幸だったのはそれと同時にコウガがセラフィーを邪険に扱い出したことだろう。
だが、そんな俺の感想をセラフィーは首を振って否定する。
「邪険に扱われても良かったんです。あの人がそれで前を向いてくれるなら。私には目的を教えてくれませんでしたが、日に日に元気になっていくあの人の様子に、私はすごく嬉しくて。もうすぐ死んでしまう事が分かっていたのに、それでもとても嬉しくて」
その時の様子を思い出したのだろう。
頭を抱えた手を緩め、僅かに口元に笑みを浮かべたセラフィーだったが、すぐにその空気が悲しみの色に染まる。
「……一週間前の事です……」
恐らくここからが本題だ。
俺は少しだけ体を前に乗り出して聞く体勢に持っていく。
正面にいるシルキーは両手を耳に当てて目を瞑っていたが、後で内容は教えるとしよう。
そんな俺達に向かって、セラフィーは本題──今日ここに来た目的。俺達に対する依頼内容を告げる。
「コウガ様は言いました。ついに目的のマジックアイテムを手に入れたと。これで漸くお前を解放する事が出来るようになったと。私はどういう事か聞きました。だって、出会ってからこれまで私はコウガ様にこれほど好意的に話しかけられた事が無かったから。嬉しいという心情よりも、おかしいという気持ちの方が優ってしまったのです」
それは当然の反応だろう。
俺もコウガのセラフィーに対する態度は見ているからよくわかるが、毎日あんな対応を取られ続けている中で、いきなりにこやかに話しかけられても戸惑いの方が強い筈だ。
「そこで私は初めてコウガ様の目的を聞きました。まさか、ずっとそんな事を考えているなんて思いもしなかった。聞きたくなかった。聞くんじゃなかった」
再び頭を抱えた彼女は嗚咽を漏らし始める。
ついに泣き始めてしまった彼女に対して俺は何も答えられない。
ただ、話の続きを聴き続けることしか出来ない。
「コウガ様の目的は『一刻も早くナナと同じ場所に行く』事。でも、その為には私の存在が邪魔だった。コウガ様がすぐにナナ様と同じ場所に旅立てば、私も一緒に連れて行ってしまう事になる。それは絶対に避けたかったって。カルマを最大まで上げれば私との関係を切る事はできるけど、それだと私の寿命が減ったままだから、何とかする方法を探していたって……っ!」
ナナと同じ場所に行く。
それはきっと、この世を脱する最低の行為。
それでも、コウガには罪もないもう一人の使い魔を巻き添えにするわけにはいかないという良心が残っていたのだろう。
だが…………それはセラフィーの想いとは違っていた。
「そんなのってありますかっ! 死ぬ為に頑張っていた!? 私を関係ない存在にして、元の場所に戻す為に死ぬような目に会っていた!? 何ですかそれっ! 私そんなの望んでない! そんなことされてもちっとも嬉しくない! 全然嬉しくない!!」
泣きながら。
それでも憤慨し、彼女は叫ぶ。
しかし、そんな激情も長くは続かない。
頭を抱えて泣いていたセラフィーは、やがてゆっくりと顔を上げると、涙で濡れた瞳を俺に向ける。
「……コウガ様が見つけたマジックアイテムの名は【魔神の欠片】。新月の晩に使用する事で、使用者を魔物に変える呪いの宝玉です」
セラフィーの言葉に俺は驚く。
ざっとではあるが俺はショップで売っているアイテムを確認している。
その中に、そんなアイテムは無かったはずだ。
ならば、それは高難易度クエストの報酬か、レアドロップアイテムなのだろう。
「魔物になれば寿命も伸びて、カルマも最大値まで上がります。当然理性も失ってしまいますが、あの人にとってはそれは些細な事なんです。でも、私は……」
俺はセラフィーの瞳を覗く。
その瞳には光が失われ、絶望の色に染められている。
恐らく、彼女が出会った頃のコウガもそうだったのだろう。
でも、こんなのはおかしい。
こんなのは絶対に間違っている。
「だから……お願いです」
だから……俺も決める。
「あの人を止めて下さい。私はどうなっても構わない。でも……本当はとっても“優しい”あの人を……」
自分勝手で、自分一人が不幸だと思ってる甘ちゃん野郎に──
「……魔物なんかにしないで下さい……」
──“責任”を伴う社会の理を教えてやる。