第二話 青い髪の来訪者
さて、今日は何をしようか。
ベッドに上半身だけ起こした状態で既に明るくなっている窓の外に目を向けながら、俺は漠然とそんな事を考える。
この世界に来て3ヶ月もすれば、流石にここが夢とか幻覚の類ではない事くらいわかってくる。
殴られれば痛いし、怪我をすれば血も出るし、意識を失う事だってある。
生きているというリアルな実感。
それを感じるたびに俺は元の世界の事を強く思うようになっていた。
だからだろう。
『異界の覗き魔』なんていう称号を得たのは。
ステータスに限らず、この世界で手に入れる事ができる力は全てそれまでの行動の結果である。
それは称号やスキルも例外ではない。例えば、俺のもう一つの称号である『偽装剣士』はスキル“格闘術LV1”を習得した時に唐突に現れた。
あまり口には出したくない名前の称号ではあるものの、体力と力と俊敏の基礎能力が上がる優秀な称号ではある。
そして、もっと口に出すのがはばかられるような不本意な名前の称号が、先に出した『異界の覗き魔』だ。
この称号は二か月ほど前に“元の世界の夢”を見た朝に唐突に現れた。
そして、何の称号かを理解した俺が力を行使した結果現れたのが『小さき黒穴』のスキルだ。
これは、最初に覚えた『偽装剣士』とは違い、先に称号を覚えたパターンだった。
ちなみに、スキルと称号だが、メニュー板を見ることでどういった効力があるのかというのがわかるようにはなっている。
確かに、突然名前が現れただけでどんなスキルかわからなかったら使う事などできる訳もないから当然の機能なのだろうとは思う。思うのだが……。
「大雑把な説明しか出ないのが玉に瑕だな」
思わず口にしてしまった俺の声に、テーブルで朝食の準備をしていたシルキーだったが、少しの間不思議そうな表情を俺に向けただけですぐに朝食の準備に戻ってしまう。
最近では出会った頃のように俺の行動一つ一つに一喜一憂する事がなくなったのだが、彼女の年齢からすればいい傾向なのだろう。まあ、最近の俺の扱いに不満を持っているとも言うが。
ともあれ、メニュー板でのスキルや称号の説明である。
例えば『偽装剣士』の説明文だと「剣を扱うことの出来ない剣士。体力、力、俊敏の値が上昇する」となり、スキルである格闘術は「武器を使用しない戦闘技術。熟練により威力上昇」となっている。
対する『異界の覗き魔』の説明文は「異界へ風穴を空ける資格を有する者」となり、スキルである『小さき黒穴』は「異界へ繋がる覗き穴を開ける能力。覗くくらいしか使用用途がない」という説明文で終わっているのである。
そんな説明文なら当然使用するだろう。
異界……つまりは俺が元々いた世界ということだと思ったから。
だからこそ、俺は何も考えずに『小さき黒穴』を使用した。
その瞬間、俺の左目の視界が突然切り替わり、見たことのある女性の姿を映し出していた。
彼女が手にしていたのは白い封筒。【退職届】と書かれたその封筒を俺達の上司である部長の机に提出している所で俺は慌てて『小さき黒穴』を閉じるに至った。
理由は至って簡単で、メニュー板に映るステータスを見ていた俺の右目が、上昇するカルマを目にしてしまったからだ。
上昇したカルマは3。時間にして大凡3分ほどだと思う。
つまり、『小さき黒穴』のスキルは、使用すると1分につきカルマを1上昇させるスキルということになるという事だ。
これは俺たち使徒にとってはかなり致命的なリスクであり、本来こちらを説明文に入れなくてはいけないのではないか? と、激しく思ったものだが、書いていない以上は仕方ない。当然、その日以来俺は『小さき黒穴』のスキルは使用していない。
ただ、気になる点があるとすれば、あの時の光景が本当に元の世界を写したものかどうかという点だ。
もしもあの光景が現実であるならば、俺の部下だったあの子は会社を辞めてしまったということになる。
まあ、俺がいなくなった状態で何の人的補充も行われなかった場合、完全に彼女のキャパを超えてしまっていただろうから、別段不思議でもないのだが、それでも俺が原因であると考えると少しだけ気の毒ではあるのだが……。
あるのだが、今は戻れない世界の事よりも今、この瞬間俺達がこの世界でどう生きていくかである。
そこで最初の悩みに戻るのだが、ある程度金が貯まって能力的にも余裕が出来てくると選択肢が増えるのは大抵のゲームであれば当然の流れであると思う。
今の俺達の状況はまさにそれで、初めこそ力のなさから安い報酬の依頼を受けつつ、所持金をジリジリと減らしながら何とか生活していくしかなかったのだが、ある程度力が着いた頃はそれなりに報酬のいい依頼にも対応できるようになり、今では贅沢さえしなければ貯金できるほどになっている。
恐らく、運営としてはこのしんどい時期を飛ばす為に課魂せざる得ない状況に追い込んで課魂させ、ここからゲームをスタートさせる魂胆だったのだろう。
つまり、俺は本来課魂者が立つであろうスタート地点に漸く降り立っただけという事になり、そこまでに3ヶ月を使ってしまったという事になるのだが、おかげでこれまで勝手に減ってしまう分以外の魂貨を使用する事もなく来れたのだからよしとしよう。
俺は「よしっ」とひと声かけるとベッドから降りて伸びをすると、ちょうどテーブルに座ったシルキーに向かって声をかける。
「というわけでシルキー。今日はこれから何をしたい?」
「何がというわけなのかはわからないのですが、取り敢えず朝ごはんを食べて欲しいのです」
右手をテーブルの上に翳して朝食を勧めてくるシルキーに苦笑しながら、俺は席に着くと朝食を見る。
拳くらいの大きさの丸いパンに、目玉焼きにサラダとスープ。日本でもよく見かけた朝食のメニューだが、俺達のこれまでの生活を考えたら朝食にパンが出てくるのは驚愕に値する。
一応保存食だからあまり上等ではなく固めではあるものの、パンである事には違いない。ひたすら魔物肉ばかりを食べていた時期を考えると感涙咽び泣く状況である。
「いや、当然朝飯は食べるけどさ。それよりも今日一日の行動を決めとこうかと思って」
「……当然の如く後回しにされる朝ごはんしか準備できなくてすみません」
「いや、誰もそんな事言ってないだろう。わかった、わかったよ。今日の予定は朝ごはんを食べながら考えよう」
唐突にテンションの低くなってしまったシルキーに白旗を上げたあと、俺は「いただきます」と口にしてパンに手を伸ばして口に運ぶ。やはり少し硬いが食べられない事もないし、不純物の混ざった独特の風味が、純白で柔らかなパンに慣れてしまっていた俺にとっては逆に美味しく感じられた。
「……出来れば、今日は訓練もお勉強もお仕事もしたくないのです」
朝食を開始して少ししてから、サラダをもそもそと食べていたシルキーが弱々しく口にしたのはそんな願いだった。
聞いた直後は「こいつは何を言っているんだ?」状態の俺だったが、よくよく考えてみればシルキーと出会ってから3ヶ月経つが、初日の買い物の日を除くと連日訓練と勉強と依頼板での仕事の日々だった。
朝、朝食を取った後は依頼板に行って適当な依頼を見つけて仕事をこなす。その時の仕事の終了時間にもよるが、早めに仕事が終わればすぐに次の依頼を受けて、大体太陽が傾く位まで働き続ける。
その後は商店街に行って生活必需品や装備、食料を買い込み、夕方になるまでシルキーを無駄に連れ回し、家に帰ったら夕食もそこそこにシルキーに魔道書を押し付けお勉強。そこから夜になった所で夕食を食べて、体を拭いて洗濯などの家事を済ませた後にステータスチェック後に就寝。
稼ぎによって多少の違いはあるものの、概ねそんな毎日を送っていた。
「あれ!? これどんなブラック企業!?」
「ぶらっく……何ですか?」
なんてこった!
しっかり睡眠時間をとっている事もあり、俺自身は全く気にしていなかったのだが、普通に考えて休日なしの職場ってヤバくないか? まさかの91連勤達成である。
ブラック企業に対して激しい憎悪を燃やしていた筈の俺自身がまさか同じことをやってしまうとは……。
何だか、今更ながら罪悪感が芽生えてしまった。
「……あー……そうだな。それじゃあ、今日は休日にしようか」
「休日? それじゃあ、今日は訓練もお勉強もお仕事もしなくていいのですか?」
「うん。シルキーの自由に過ごしていいよ」
「本当ですか!」
俺の言葉に今までのローテンションが嘘のようにシルキーはパンを片手に勢いよく立ち上がった。
その豹変ぶりに俺のほうが吃驚したが、キラキラと輝いているシルキーの瞳を見たところで、「そういえばこの子って出会った時はこんな綺麗な瞳をしていたな」と思い出す。最近は死んだ目をしていた状態しか見た事なかったからすっかり忘れていた。
「それなら、シルキーは今日はソウザ様と一緒にお買いものに行きたいのですっ!!」
「はぁ? 買い物ならいつも行ってるじゃ……」
「違うのです違うのです!」
大事な事なのか2回繰り返しながら首を左右に振った後にシルキーが俺の口元にパンを伸ばしながら興奮したように叫ぶ。何? これ食べていいの?
「あんな武器とか魔道書とか保存食しか売ってなくて、怖い人ばかりで汗臭いお店でのお買い物がしたいわけじゃないのです! 初めて会った日みたいに、色んなお店に行って、二人で選んだ家具とか小物とか……そういった物を買いたいのです」
「汗臭いって……いやまあ、言いたい事はわかるが、今のところ別に必要な物はないだろう? そもそも、この小屋にはもうこれ以上の荷物は入らないぞ。……あぐ」
シルキーの言葉に答えながら、突き出されたパンを半分ほど噛みちぎって咀嚼する。
すると、そこに至って漸く俺に向かてパンを突き出していたことに気がついたのか、持っていた半分になってしまったパンと俺の顔を交互に見るシルキー。
だが、逡巡したのは僅かの間で、すぐに手にしていたパンを口に運ぶともぐもぐと咀嚼していた。
どうでもいいが、立ったまま食べるのは行儀が悪いと思う。人の物を許可なく口にした俺が言えた権利はないが。
「んぐ……別に結果的に買わなくてもいいのです。ただ、今日は一日お金の事とか、ステータスの事とかは忘れて、ソウザ様と一緒にいたいだけなのです」
「ダメですか?」と少し俯き、上目遣いで聞いてくる少女に「駄目」と言い切る鬼畜度は流石の俺にもない。確かに91連勤の過重労働を課した上で何を言っているのだと言われるかもしれないが、無いったら無いのだ。
「……そうだな。わかったよ。今日は一日──」
そこまで言った俺の口を止めたのは、玄関から聞こえたノックの音だった。
俺とシルキーはお互い顔を見合わせた後に玄関に視線を向ける。
この世界に来てからここまで、俺達の小屋に来客が来たことなど無い。厳密に言うならば初日に家具を運んでくれた人達が訪ねてきたから初めてではないが、その時俺はコウガの家に行っていたから、俺自身としては無かったのだ。
そんな事を考えている間にも、返事をしながらシルキーが玄関に向かって家具の間を縫う様に歩く。
相変わらずの狭い部屋を実感するが、気にした素振りも見せないシルキーが開けたドアの先にいたのはいつか見た青い髪の少女。
「こんな朝早くに申し訳ありません。私の名はセラフィー。使徒であるコウガ様の使い魔です。本日は──」
律儀に腰まで頭を下げた後に、青い髪の少女は来訪の目的を告げる。
「──我が主である、コウガ様を助けて頂きたくお願いに参りました」
その願いは、俺達にとっての新たな仕事の始まりであり──
──連続92日以上の勤務が決まった瞬間でもあった。