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Alchemist  作者: 無口な社畜
第一章 ホームタウンから出てみよう
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エピローグ

係長が無断欠勤をした。


 一日目は日頃の疲労が限界に来たのだろうとそっとしておこうと思い敢えて連絡はしなかった。

 しかし、二日目ともなると流石に心配になって電話を掛けたが、何度掛けても留守番電話のメッセージに阻まれて連絡が取れず、そのうちコールも出来なくなってしまった。恐らく、バッテリーが切れたのだろう。

 それでも、二日間の一人業務で溜まってしまった仕事に追われ、それ以上は何も出来なかった。


 そして……今日で三日目。


 今日こそはと待っていたにも関わらず、就業開始時間になっても現れない係長の姿に、気がついたら私は飛び出してしまっていた。

 

 業務が焼き付く寸前なのはわかっている。

 今は絶対に落としてはいけない重要度の高い商品が連続してある事も。

 しかし、頭の中で大音量で鳴り響くアラームと一緒に浮かび上がるそのような問題さえ、今の私は無視する事が出来た。


 そんな時に唐突に響く電子音。

 それが会社支給の携帯電話の電子音だという事に気がつき、画面を見る。

 表示されたのは件の部長バカからのコールだった。


 私は無言で携帯の電源を切ると、ガタゴトと揺れる車内で揺れるつり革を掴む左手に力を入れて握り直し、ここは公共の移動機関である電車の中で、携帯の通話はマナー違反なのだから当然だと自分自身に言い聞かせた。


 ……そういえば、結構な付き合いであるにも関わらず、係長の家に行くのは初めてだったな……。



◇◇◇



 飛び出す時に引っ掴んできた住所録と連絡網を頼りに訪れた先にあったのは、二階建ての一般的な集合住宅だった。

 手元の住所録にある住所には“202”の数字が見えることから、部屋は二階にあるのだろう。

 

 私は一度だけ大きく深呼吸すると目的の部屋に向かって歩く。

 だが、心配事がないわけじゃない。

 昨日何度も電話を掛けたけれど、一度も繋がることがなかった。

 ひょっとしたら、本当にぐっすりと眠りこけてしまっているのかもしれないが、今日はもう三日目だ。ただの疲れだとしも流石に目が覚めるだろうし、着信履歴を見れば折り返して連絡しようと考えるはずだ。


 にも関わらず、連絡がなかったのは……。


 頭の中に浮かぶ最悪の状況を首を振って吹き飛ばすと、私は“202”と表示された扉の前で立ち止まる。

 表札はない。

 郵便受けにはいくつかの配達物が挟まっていたが、回収された様子は見られなかった。


 私はドアの横に備え付けられたインターホンに目を向けると、その丸いボタンをグッと押し込んだ。

 しかし、ドアが開くどころか、中から物音一つしない。


「……係長?」


 今度はドアをノックしながら呼びかけてみる。

 しかし、反応しない室内。

 焦った私はドアノブを回してドアを開けることを試みるも、鍵の掛かったドアが開く事は無かった。


「……っ!」


 嫌な予感が止まらない。


 私はドアから離れると急いで一階へと駆け下りる。

 そのままドアの表示を一つ一つ見て回り、その中の“管理人室”と表示されたドアに飛びついた。


「すみません!! 誰かいませんか!!」


 インターホンはあったのだが、それを押す事すら煩わしかった私は、ノックと呼ぶには乱暴な動作でドアを何度も強く叩いた。

 それが迷惑だったからだろう。部屋の中で何かをひっくり返したような音が響いたあと、乱暴な足跡と共にやはり乱暴に金属製の扉が押し開かれた。


「何だい! 朝っぱらから迷惑なやつだねぇ!」


 部屋の中から出てきたのは、パーマ頭のちょっと恰幅のいい中年女性だった。憤怒の形相を浮かべているのは、私の行動が原因だろう。

 それは分かってはいたが、今の私は関係ない。


「朝早くご迷惑をかけて申し訳ありませんが、お願いがあります。すぐに202号室のドアを開けてもらえませんか」

「はあ? そんな事出来るわけないだろう? 馬鹿かい?」


 彼女の元々の性格なのか、それとも私の行動に腹を立てた為なのかはわからないが、随分と好戦的な態度を取る女性に対して、私は深く頭を下げる。


「そう言わずにお願いします。私は山崎相馬の関係者です。二日前から音信不通になってしまった為に訪ねたのですが、ドアに鍵が掛かっていて入れず……」

「鍵かかってりゃ入れないのは当然だろう」


 私の言葉につまらなそうに鼻を鳴らす管理人の態度に私は思わず反論する。


「中で何かがあったとは考えないのですか! 彼は一人暮らしです。もしも、倒れていたとしても誰も気がつかず──」

「部屋にいないんだろ。大方どこかに出かけて──」

「そんな余裕があったと思ってるんですかっ!!」


 どこまでも面倒くさそうな態度の管理人に対して、私は思わず彼女の両の二の腕を両手で掴み、息が掛かる距離まで顔を近づけて叫ぶ。


「彼が! 何時に帰ってきて! 何時に出かけていたかも把握していないのですか!? 他の住民からの苦情だってあったんじゃないんですか!? 早朝に出かけて! 深夜に帰ってきていた彼が外出!? どこに! そんな余裕があったと!? 知っていてよくそんな口がきけるな! 疲れ果てた体で! 疲れ果てた精神状態で! もしも中で倒れていて……最悪の事態にでもなっていたらどうするつもりだ!? 答えろ!! クソババアッ!!」


 私の言葉に目の前の中年女性の顔色がサッと変わる。

 勢いで色々不味い事を言ってしまったような気がするが、この際それはどうでもいい。

 そんな私の気迫が伝わったのか、


「わ、わかったから! すぐに202の鍵持って行くから、ちょっと待ってな!」


 女性は私の手を体を捻るようにして振り払うと、すぐに部屋の中へと飛び込んでいった。

 ドアを閉め忘れていることから部屋に引き篭ったりするつもりはないようだ。

 

 そして、宣言通りすぐに鍵を持って戻ってきた女性を伴い、係長の部屋に再び向かう。

 結構な声量で怒鳴ってしまったからだろう。一階の住人の何人かがドアから顔を出していたが、私たち二人は無視して二階へと駆け上がる。


 階段から上がって二部屋目にある係長の部屋まで小走りで近づくと、慌てた手つきで鍵を差し込み、ドアを開ける中年女性。

 ドアが開いたことで部屋に飛び込む私と、やはり慌てて中に転がり込む中年女性ともみ合いながら入室する。


 しかし、そこに広がる光景は──。


「……誰もいない?」


 脱ぎ散らかされた靴と服。

 ベッドの傍に放り投げられたスマートフォン。

 閉められた窓。


 私は寝室以外も全ての部屋の状態と窓を確認したが、全ての窓は施錠され、彼の姿も確認できなかった。


「……ほら見な。やっぱりどっかに出かけたんだよ」

「……靴も服も残して……ですか?」


 呆れたのか、それともホッとしたのか判断のつかない溜息を吐いた中年女性に対して返した私の疑問も、女性にとっては大した事ではないらしい。


「服にしろ靴にしろ、複数持ってるのが普通だろ。むしろ、一つしか持っていない方がおかしい」

「鍵も、財布も、カードも、携帯も残して? 鍵は合鍵を持っているとしても、生活に必要なものを残しているのは何故ですか?」


 放り投げられたままになっていた服のポケットから数々の小物を出した私を見て、管理人であろう中年女性はじっとそれらを見下ろしてくる。

 何を考えているのかはわからないが、先程までとは違い随分と思いつめたような表情だった。


 そんな時の事だ。


 私はわずかな音に気が付いて、音のする方に目を向ける。

 視線の先にあったのは一台のパソコンラック。

 何故か横倒しに倒れていた椅子の向こう側にあるデスクトップ型のパソコンの起動ランプがついていたのだ。


 私は立ち上がるとディスプレイの傍まで近づいて、マウスを小さく左右にスライドさせる。

 すると、今まで真っ暗だった画面が光を発し、ゲームかなにかのサイトのトップページのようなものが表示されていた。


「……Alchemist?」


 そのゲームのタイトルであろうか? 単語を口にした時だった。


「……警察に連絡したほうがいいかもしれないね……」


 呟くように口にした管理人の女性に向かって振り返る。


「あんたの言う通りさ。山崎君に対しての苦情は確かにあった。でも、その件で訪ねた時の山崎君の姿を見た時に、私は苦情の事を口にできなかったのさ。その……余りにもやつれていたからね」


 その時の事を思い出しているのだろうか、悲しそうな顔をした管理人の女性。


「いつかはこういう日が来るんじゃないかと思っていたんだよ。でも、面倒事を起こして欲しくなかった私は、全てを見て見ぬフリをしていたんだねえ」


 そこまで言って大きく息を吐いて。


「警察に連絡したほうがいい。この状況で玄関に鍵が掛かっていたのなら、本人が外から鍵を掛けたって事だろう? もしも山崎君が全てに疲れ果ててこの部屋を出て行ったのなら、確かにお金も電話も必要ないだろうさ」


 その言葉に私自身の体温が下がったような感覚に陥る。

 そうだ。疲れてこの部屋で倒れていただけならばまだ良かった。

 こうしてこの部屋に飛び込んできた私たちが見つける事が出来たかもしれないのだから。それは絶対最悪じゃない。


「──お金が必要じゃない場所に行こうとしてるなら……さ」


 私はすぐに自身のスマホを取り出し、警察に通報しようと指を伸ばす。

 しかし、その直後に起こる着信音。

 表示に浮かぶのは会社の電話番号。恐らく、電源を切られた社用の携帯にかけるのを諦めて、こちらにかけてきたらしい。


 だが、今はそれどころではないのだ。

 私は取り敢えず出るだけでて、すぐに切るつもりで繋げたのだが──


「はい。佐伯です。部長、申し訳ありませんが、今それどころでは──」

「馬鹿っ!! それどころじゃないのはこっちの方だ!! 原材料が不足していてラインが二本しか稼働してないぞ!! 稼働しているラインも二時間遅れだ!! 今日のスケジュールは誰が作った!? お前じゃないのか!?」

「……え……?」


 ……コノヒトハナニヲイッテイルノダロウ?


 今一番重要なのは係長の行方を探す事で、その為に私は仕事を投げ打ってここまで──


 …………仕事を投げ打って………。


 未だ電話口から聞こえてくる怒鳴り声を放置してスマホの電源を切ると、私は管理人の女性に問いかける。


「すみませんが、電話を貸して頂けませんか?」

「そりゃ構わないけど……。いいのかい?」

「いいんです」


 困惑気味に聞いてくる管理人の女性を促して退室する。

 思わない事がないわけじゃないけど、今はそれよりも重要な事が目の前にある。

 それが現実逃避だと分かってはいるくらいの冷静さは取り戻していたけど、それでも私が向かうのはこのアパートの管理人室だった。


 今日は長い一日になるだろう。

 それはきっといろいろな意味で。


 ──この日。


 我が社の命運を握っているとでも言うべき最も大きな取引先からの商品を、納期に間に合わせる事が出来なかった。




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