第八話 調査と実証実験
第八話「調査と実証実験」
「……」
拠点に戻り、ギョットからお帰りなさいと一言を貰う。
その一言でも嬉しいものであった。例え、人型ではないとしても、意思の通じる者が戻った場所にいることは良いものだ。
そう思ったのも束の間であった。なんとなく、そう、何気なくメタンガスを製造する特殊な容器に近づいた。
例の香ばしい匂いがしない。残りかすを溜める桶にも何も残っていない。慌てて容器の蓋を開けると――見事になにもない。
一体どうやって蓋を開けたのだろうか。茫然として落した蓋を、ギョットは柔らかい身体を伸ばし、器用に蓋のつまみを掴んで元に戻す。ああ、こうやってやたのかと、納得をしてしまう。
『ごめんなさい。つい』
私はその手の趣味もないし、性的興奮も覚えはしない。また、ギョットのことを汚らしく、おぞましい生き物だとも思わない。
糞を食す生き物は自然界には幾らでもいる。通常の人がしないだけだ。ギョットは人間ではない。人と同じ扱いをしてもしょうがないのだ。
『ま、まあ、仕方がないことですね』
冷静を装いつつ、実際は困った事態だ。このメタンガスの製造をかなり重宝していたのは事実である。
これからは暖かくなる季節である。汗を流す際に温かい湯はいらない。水でも我慢を出来るが、寒い時期までには冷水を温めて、お湯を作るガスは貯蔵したい。
だが、ギョットはそれを許さないだろう。気付いた時には容器が空になっている可能性が高い。
糞尿の処理に困ることはなくなったというのは朗報だが、他のことが犠牲になったのでは笑えない。
寒い時期に温かさは必要だ。人は寒さの中で簡単に死ぬ。悪い夢は、夢であることが望ましい。凍え死ぬのはまっぴらごめんだ。
よって、帰ってから早々にクリア・ジェムの解析をするために調査と実験を行うことにした。昨日使用した能力の後遺症で、頭が重く、だるい感じはするも、身体が動かないわけではない。
あの偶然にも起きた馬鹿馬鹿しい事故の結果を見て、思いついたこと――エネルギーとして変換が可能ではないのかという、思い付きが正しいことを実証する必要がある。
思いついたことが正しいかどうかを確かめたい。そう思った時に人は様々な行動をする。
過去の記録を読み漁る、類似のことを知らないか多くの人から聞き取りをする、又、正しいかどうかを実験して証明をする。
だが、簡単に証明ができない場合もある。過去に該当する記録がない。類似する記憶がない。幾ら実験しても成功をしない。
多くの人はいつしか諦めてしまう。ありはしないと思いこみ、出来るわけがないと周囲から馬鹿にされ、放りだす。そして、失敗だったと思いこむ。
だが、それでも諦めない者がいる。奇人変人と呼ばれ、周りから白い目で見られても気にしないような、太い神経と頑丈な精神を持つ者――幾分か柔になったが私もそのような心を持っている。
無駄と思われるようなことを、色々と試していく。量を変える、時間を変える。幾つもの試験を積み重ねる。
時に、気晴らしに森に出掛け、仕事がてらの猟と駆除活動を行う。森の中はいつもと変わりはない。
様々な動物が生息し、魔獣が徐々に跋扈し始めているような感じがする。気のせいかも知れないが。
拠点に戻れば、クリアジェムを潰して液状にする。ギョットは始末をした魔獣の糞や死骸を処理して、クリアジェムを産みだしているから、量的な心配は当面ない。
そんな事をしていれば、一週間程度の時間は、あっという間に過ぎ去ってしまう。
ふと覗いた小さい鏡に自分の顔が映る。顎に伸びた髭が汚らしい。アトスの立派な髭とは大いに違う、無精髭。いい加減に剃る必要があると思う。
だが、もう少し。あと少し。なんだか、今回こそは良い結果の出る気がする。そう思うと、手を止めることは出来ない。
量的なことや、時間的なことは関係性が無いのかも知れない。別の方法を考える必要がある。
クリアジェムは一定の衝撃や力を加えると液状化することは判った。液状化しない限りは引火性能は発揮されないことも判っている。液状化後、元に戻ることがないと思われる。
固形化する温度、融点、沸点、引火点、発火点は、解明していないのと同じだ。この住居にある器具では何も分からない。精々、火を近づければ引火することが判った程度だ。
無味、無臭だ。手で扇いでも匂いはしなかった。味を確かめるのは――迷ったが、毒性はないと信じ、小指の先にわずかに付け舐めてみた。腹を下すことも、眩暈を感じることも、呼吸が止まることもなかったものの、わずかに酩酊感を感じた。もしかすると、アルコールに近い成分であるのかも知れない。
いずれにしても、ないない尽くしの拠点ではまともに調べることは出来やしないと、心が折れ欠ける。都市へ行けば、調べる施設もあるが、出来れば頼りたくはない。
じゃあ、適当にして見ればいい。何かが囁く。水に油というじゃないか。無謀なことだろう。
ああ、薄めてみればいいのか。分離するわけじゃないから、混じり合う訳ないだろう。馬鹿なことだ。いい加減に止めたらどうだ。
どこかの誰かが、そう囁いている。ここには、私一人しかいない。いつでも、聞こえてくる、嫌な奴らの声。それを無視して、期待をしないで、手にしたカップへ水をクリアジェムと混ぜ合わせて、実験に使い続けているアルコールランプの中に注ぎ入れる。
火種を近づける。今までなら、盛大に火は灯り大急ぎで蓋をする事の繰り返しだった。
直ぐに消し止められるよう反射的に、蓋へ手を伸ばし、火が灯ったランプの芯に被せようとした手が止まる。火は、ほどよく灯っている。芯が瞬く間に燃え尽きる程の勢いはない。
囁き声は静まり返り、何も音はしない。変わりに私が奇声を上げる。成功した時に自然と湧き上がる、あの心地よい高揚感が喉から溢れ出る様に声を出させる。
「ヒャハアー、成功だ! 凄いぞこいつは!」
私が上げた素っ頓狂な叫び声に、静かに見守っていた、もしくは寝ていたギョットが反応してビクリと身体を揺すぶる。驚いたようだ。
『へ、エッ、な、何が?』
『凄い、凄いぞ、ギョット!』
空になったメタンガス貯蔵の容器にクリアジェムと溜めてあった雨水を構わずぶち込む。
もしかすると、家が吹っ飛ぶかもしれない。
危険も無茶も承知の上だ。
吹っ飛んだところでバラックみたいな住居だ、構うものか!
自分の命を省みることさえ忘れて、家のガス器具に火を灯す。アルコールのように揮発しているのか、どうか、今の私には調べることは出来ないが、火が灯ることは判った。
それだけでいい。十分だ。実験は成功した。これは、世紀の発見だ。人類の悪夢を払拭する可能性を秘めている。――無理だと諦め、不自然に自分の真意を歪ませ続けていた、悪夢の一部が晴れる。
夢見た、文明の復興が可能になる。旧都市遺跡に埋もれる、夢の様な技術、文明の形をもう一度再現することが可能になったのだ。
気分が高揚をしている時は、なにをしても上手くいく気がする。クリアジェムに対して様々な実験を試みたくなる。
もし、配合比率を変えるとどうなるのか?
もし、他の液体と配合すると、どのような変化をもたらすのか?
エネルギー以外の使い道はあるのだろうか?
脳裏には、幾つもの疑問とそれを調べて見たいという好奇心が湧き上がってきてしようがない。
拠点の実験小屋にこもり、幾日かを過ごす。瞬く間に時間は過ぎ去った気がしてならない。日々発見がある。その喜びに、私は浸っていたのだ。
しかし、本来の仕事を忘れてはいけないものだ。手持ちの食糧となる狩り肉を集め、魔獣の駆除をしなければいけない。
魔獣の腐肉や、排泄物も又、ギョットがクリアジェムを産み出すのに必要なものだ。現にギョットは、いい加減腹を空かしている様な雰囲気を醸し出している。
「フウ、狩りに行きましょう。ギョット」
『そうだね、アラムさん。たまには外で身体を動かさないと』
ギョットはゆっくりとした動きで、私の身体をよじ登り、狩猟に出ると言うことを肯定する。
では、早速身支度を整えて、狩りに向かおう。随分と久しぶりな気がしてならない。森は、いつものように私を拒否しているだろうが、構わずに行こう。
そう、高揚感と言うものは、良いことばかりではない。私は、油断をしていたのだ。全てが上手くいくかのように錯覚し、周囲への配慮が足りなくなっていた。
軽い足取りのまま、森の中を進む。獲物の気配を探りつつ、慎重に進む。木々の隙間から、陽射しが零れている。本日も晴天だ。
鹿がいた。私はゆっくりと追いこみ、狙いを定め、いつものように仕留める。
三本角がいた。ギルドから伝えられたように、この島へもどこからか追われて、知らぬ間に入り込んできているようだ。
一頭のオス。縄張りを作ろうとでもしているのだろうか。異常を感じ、辺りを伺うが、木の陰に隠れた私とギョットを見つけることは出来ていない。
銃を構え、弾を撃ちこむ。辺りに銃声が響き渡る。
無事に仕留めることが出来た。
木の陰から身を出し、三本角の元へと向かう。明日には、ギョットのエネルギーとなり、クリアジェムを生産する元になる。
今後は、拠点の近くに集め、ギョットのエネルギーとして貯蔵をしておいた方が良いかもしれない。手間は増えるが、それ以上の価値がある。
そんな事を考え乍ら、三本角へと近づいた時に、ヒュッと風を切る音が耳を掠めた。
ギョットが乗っている肩に違和感を感じる。何かをしたのか。そう思い、肩を見ると、細い棒のような物が肩に刺さっている。
コレハなんだと言う、疑問。そして、認知した瞬間に熱い感覚が肩に広がる。
「ギョット、大丈夫ですか?!」
念話で通じる筈なのに、声を出して確認してしまう。相手から丸判りだ。そもそも、あれだけ派手な銃声をたてた段階で、私の位置を把握していたのだろう。
『ボクは大丈夫だけど、アラムさんは大丈夫なの』
大丈夫ではない。矢が刺さった肩に痛みが伴い始めている。近いうちに行動へ支障が出始める。
しかし、モタモタはしていられない。相手はこちらを狙っている。第二の矢は直ぐにでも放たれるだろう。痛みを堪えて、茂みの中へと姿を隠す。しかし、相手からは、その行動さえも見えているのだ。
「そいつは、なんだい! 犯罪者! 魔獣を飼育するのはご法度のはずだよ! それが原因で都市を追われたのかい!」
私を狙撃した相手は隠れながらも声を上げている。聞いたことがある女性の声。森の茂みが不自然に揺れる。相手は三人はいる。スソーラと一緒にいた若い二人の男だろう。
「スソーラ! 違います! ギョットは魔獣ではありません!」
相手から姿を隠しつつ、距離を取る。信じてはもらえないだろう。現に、そんなわけあるかいと、こちらの答えを嘲笑うかのような声で返答をされる。
「さあ、都市犯罪者に制裁を加えようじゃないか! 都市兵は当てにならないからねえ! 私達でやろうじゃないか!」
まともではない。あの時のいざこざの仕返しだったのだろうが、ギョットを見たことで正当性を得たと勘違いをしている。
『ギョット、念話で相手に語り掛けられませんか?!』
『駄目だよ、アラムさん! ボクの言うことをまるで判っていないみたいだよ!』
ギョットの返事は否であった。何故、念話が通じない。いや、念話は対話する相手と意思の疎通ができなければ話すことはできない。彼女達はギョットが会話をできるとは思ってもいない筈だ。もしかすると、聞き取ることさえ出来ないのかも知れない。
存外不便な能力だ。しかし、今はそんなことについて考えている場合ではない。
私はスソーラ達から逃げながらも、痛みを堪えて肩に刺さったクロスボウの矢をどうにか外し、投げ捨てる。
矢はギョットを貫通していたが、ギョットは痛がる素振りは無い。本当に彼は大丈夫のようだ。
矢を抜いたことにより血が出ると思っていたが、ギョットが肩を覆ているせいか、思ったより出血は少ない。直接圧迫で出血を押えてくれているのかも知れない。
ギョットに感謝をしつつ、森の奥へと逃げる。だが、相手も新猟師のはしくれだ、歩みは遅くも私の後を確実に追ってくる。
奥へ、奥へと私は逃げる。森の奥は暗がりが深くなる。先程までは高揚としていた心も、暗澹とした不安の波紋が広がりつつある。
いずれは死ぬことは判っているが、こんなことで死にたくはない。私は、必死で逃げる。
この目で、人類の文明の復興を見届けるまでは死ぬわけにはいかないのだ。