第五話 ギョット
第五話「ギョット」
人類が心地よい夢を見ていたのは、一世紀より前の事だ。
今は、悪夢の中に取り残されている。
そもそも、前兆は至る所にあったと言って良い。多くの先進国の文明レベルが高くなり、発展途上の国もこぞって物質の消費を加速させていった。
衣食住は豊かになり、人口が増えた。その一方で貧富の差は大きくなり、貧しい国々はよりいっそう貧しさに喘いでいた。
そのことについて、誰もが知りながら、問題を提起しながらも、解決は先送りにされて行った。誰もが、目の前にある幸福を手放したくはなかったからであろう。
どれだけ声高に、貧富の差が広がることに意見を言う者達も、自分の身が滅びるまで、貧者に対して尽くす者は数少なかった。
貧しい者達を救うよりも、自分達の身に将来降りかかるであろう問題について解決をすることが優先だったのだ。
人口増加による食糧の問題、飲料水の問題、エネルギーの枯渇、自分達が垂れ流す、大小様々な大量の汚物を処理できなくなり、発生し始めていた環境的な不衛生、そのどれもが未解決でありながら
も解決策を見いだせないままでいた。
そこに、新たな問題が発生した。
今までに存在しない生態系の発生が、人類にとって、悪夢の始まりであった。
この新しい生き物は「人間」のみを襲い、喰らう生き物であった。
当初はどの国も、駆除をすれば問題はないであろうと高を括っていた。一部の動物愛護者達が、このおぞましいと言える生態系でさえも、無知なる慈悲の心で駆除することに猛反対をした。
保護活動家と駆除をする者達とのにらみ合いが続くなか、ある森林付近の集落において大惨事は起きた。
新たなる生態系「新生種」の大規模発生と襲撃である。
その場に住む、九割近い人間が魔獣に食い殺されるという事態に至り、保護を唱える者は消え、人類は新生種を敵とみなし、大規模な駆除活動に乗り出した。
だが、失敗に終わった。
人類の叡智といえる科学技術を駆使した駆除活動を、あざ笑うかのように、新生種は至る所で大量に発生した。草原や森の中、海中、空の上、都市の中からさえも湧く様に現れ、人を襲い、喰らって行く。
餌となる人間は地球上の至る所にいたのだ。そして、大部分の人間は武器を手にしても戦うことが出来ず、ろくな抵抗が出来ないままに食われ、新生種の増殖に寄与をした。
そして、新生種はもう一つ新たな害をまき散らしていた。彼らの死がいである腐肉や、排泄する汚物は人に対する毒を持ち、土壌を汚染し、食料を支えてた多くの農耕地を台無しにしてしまった。
人類が長い年月を掛けて築いた都市文明の多くは、終わりを告げる。文明の象徴たる様々な灯は消えおち、増え続けていた人口は、食われ、飢え、渇き、大幅に減少することになる。人々は、自分達
を滅亡へと追いやる新生種を憎み恐れ、
--「魔獣」と呼んだ。
自分達は魔獣によって滅ぼされる。誰もがそう信じて疑わず、悲観にくれた。だが、ここで思わぬ事態が発生する。
人口の減少に寄り、食うべき者が減ったことによる、新生種の減少である。
人しか食わない、新生種達は他の生き物を襲うことはない、逆に、肉食の猛獣達に襲われれば、殺されてしまう。下手をすると、大型の草食動物や、小型の雑食性の動物達に集られ、襲われる。
残念なことに、人類の増加が原因で、多くの動物たちは絶滅危惧種となり、新生種を速やかに駆逐する--人類が復興する時間を稼げる--ほどの数は存在をしていなかった。ここに来て、地球環境を省みなかった人類は手痛いしっぺ返しを食らったのである。
皮肉なこと、いや、判り切っていたことであったのかも知れないが、人口が大幅に減少したことにより、地球の生態系は徐々に回復し、又、新生種はその数を減らしていった。
だが、魔獣がその身に持つ肉の毒は他の生態系へも影響を与えたのか、多くの動物から、新生種の遺伝子を引き継いだと思われる者達が現れ始めた。
「魔獣」の本能を持ちつつ、食性が草食、肉食、雑食となり、今迄見たこともなく、人類に嫌悪を与えるような姿を持つ新生種が多くなり、人しか食わない魔獣たちは数を減らしつつある。
『人しか襲わない新生種を第一世代と呼び、食性を改めた者達を第二世代と呼びます。最近では、他種との交配を可能にする新生種も現れつつあり、これらは第三世代と呼ぶようにしています』
『交配てなに?』
『異系等の生態と交尾、性交をして、子を成す行為と思ってください』
『ふーん、オークやゴブリンみたいなものなのかな』
時折放つ、ギョットの言葉に、この世界――地球の常識と、齟齬を感じる。
私の知る生物学の書物にスライムやオーク、ゴブリンといった言葉はなかったが、別の書物にはそれらの生き物に対しての解説があったことを思い出す。
幼い頃に読んだ、幻想的な物語の中で登場した、想像上の生き物達に付けられた分類的な名称だ。
どのような生き物であったかはよく覚えていないが、多くは品性がなく、人類に敵対するような生き物であったことは、うろ覚えにだが、記憶している。
ギョットは地球の常識と言える知識はないと言って差し支えない。だが、私の知らない世界の知識を持っている様子は伺える。
私の使用した、「銃」を「術」と呼んだこと。
ギョットは、銃を使った私を魔術師かなにかと勘違いをしていた。
手品師ではない。呪文を唱えることで炎や水を産み出すような者達と思ったようだ。
『私達はそのような異能を使う人達を「異能者」とよび「新人類」として認知をしています』
『じゃあ、銃は術とはちがうの』
『ええ、キミが言う術、異能のような力ではなく、扱いを覚えれば誰もが取り扱えるように技術を用いて製造された道具、武器といえるでしょう』
ギョットは、そうなんだと答える。なんとなく理解をしているようだ。
『僕の知る武器は剣や槍、弓矢なんかだけど』
『まあ、最近は、そのような武器を手にして狩猟をする者も多いですが、多くの者は護身用の武器として取り扱い、メインの武器として扱っていません。……私が知る、変わり者の友人が、原始的な武
器を使って狩りをしてはいますが』
ギョットは、いつの時代からいたのだろうか。私の知る限り、剣や槍を武器の主体としていたのは、歴史的にもはるか昔の事だ。
僻地に住む、文明を嫌悪し距離を取っていた一部の民族が取り扱っていたようだが、それらの民族は旧世紀の時に、文明の波に取り込まれ滅んでしまったはずだ。
もしかすると、ギョットは私の知る、どの場所にも居た訳ではなく、もっと別の世界から来た存在なのかも知れない。
ふと、頭の中にそんな考えが過ぎる。余りにも荒唐無稽で、馬鹿げた推論だと思い直す。
――だが、これほど魅力的な考えもないのも事実と言えた。
『ところで、本当になにも食べなくて良いのですか?』
私は魅力的な答えを振るい落とすように、取りつくろったような質問をギョットに向ける。
ギョットは私が用意した昼食――菜園で取れた野菜のサラダと、鹿肉のステーキに、軟体質の身体を伸ばし、器用に、サラダの葉と、ステーキ肉の一切れを体の中に取り込むと、透明な青い肉体の奥へと取り込み、私の目の前で直ぐに消化をした。別段、草食性ではなかったようだ。
だが、結論として私が取るような食事は彼にとって好ましいものではないのか、残りに手を出すことはなかった。
『ごめんなさい。僕のエネルギーとなるような、食べ物ではないみたい』
彼に味覚は無い。質問をしていた中で味と言う概念がないように伺えたが、今の答えで私としては決定的になったと言える。
彼が行う食事は、エネルギーの摂取であり、味覚を楽しむような嗜好はないようだ。より、高いエネルギーの食べ物を求めるのであろう。
彼にとって、エネルギー効率の高い食料とはなにか。興味深いが、それが何かは判らない。彼自身が、その食料の名称を良く分かっていないから答えようがないのだ。
まあ、そのうち嫌でも判ることになるであろう。ギョットも何も食べずにいる訳にはいかないのだ。
『ねえ、アラムさん、ここにはアラムさん以外の人はいないの?』
念話をしながらも摂り続けていた昼の食事を終えた私に向けて、ギョットがこう尋ねてくる。
『ええ、私しかいません。気になりますか』
『人間さんは、大体、誰かと一緒に行動をする事が多かったみたいだから。一人でいるのは凄く強い人が多かったから、アラムさんも強い人なのかな』
『いいえ。私は弱い人間ですよ。弱いから、大切な人を守れずに、住んでいた処を追われ、今は、独りでここに住んでいるのです』
そう、私が弱いせいで、私はここにいる。ギョットの何気ない質問は、それを不意に思い出させた。幼い子供のように知識の少ない、彼に、悪気はないのだ。
『そう? アラムさんは弱くなんかないよ。あんな大きい生き物をすぐに倒しちゃうくらいなのに』
『まあ、それは武器の性能によるところが大きいですから、私の実力とは言えませんね』
私の答えが難しいと感じるのかギョットは身をよじらせ悩んでいるような仕草をする。見ていて面白い。
独りでいると、時折訪れる寂しさを、彼と言う存在は紛らわさせてくれるようだ。見た目は人ではないが、喋り相手としては、良い隣人であるのかも知れない。
彼が、人ではないから、人から離れ暮らすことを続けていた私としては、尚更、受け入れやすかったのかも知れない。
彼が、飽きて出ていくまで、ここにいて貰っても良いと思う。短時間の邂逅でそう思わせてしまうほど、私は誰かとの共生に飢えていたのかも知れない。
昼の一休みを終え、私は再び森に入ろうとすると、ギョットも共に来ると言う。まあ、独りで勝手の知らない場所にいるというのは、居心地が悪いのであろう。
『判っているとは思いますが、森の中は危険ですので、勝手な単独行動はしないで下さい』
『でも、強いアラムさんがいるから大丈夫だよ』
ギョットは机の脚を伝わってスルスルと降りると、床から擦り寄り、椅子に座る私の背をよじ登り、肩にまとわりつく。どうやら、移動の際は私を利用するようだ。横着なものだ。まあ、多少、重たいが良しとしよう。
ツリーグラットンが縄張りにしようとしていた一帯の掃除を始める。ようは、糞や死骸の後始末である。討伐証明を剥ぎ取った遺骸は、出来れば離れた場所に捨てたいが、労力も馬鹿にならないため
そこまで手が回らないのが実情だ。
遺骸が腐れば余計な生き物を呼び込み、土壌をわずかずつでも汚染していく。そう遠くはない時期に、この森もカナダ大森林のように、魔獣が跋扈する環境へと変化ししまうだろう。
我々、人間は生存争いに敗れた側だ。変化に対して抗いはするが、文句を言う訳にはいかないのだ。
「ああ、こんな場所にもフン場があります」
数は少ないが多少まとまっている糞をかき集め、木桶に溜める。そろそろ、いっぱいになる。今日はこの辺りで切り上げるとしよう。
ギョットは黙って私のやることを肩から見守っているようだ。なにも言葉を発しない。眠っているのかもしれない。
『ギョット、そろそろ住居に戻ります』
『ねえ、アラムさん、集めたものはどうするの』
『一ヶ所に集めて、有効利用をしています』
ギョットに硝石丘のことを話しても理解ができないだろう。適当な言葉でぼかすように説明をしておく。ギョットはそうなんだと呟くと、また、黙ってしまった。
どことなく様子がおかしい感じはするが、まあ、何か思う所があるのかも知れない。汚物を集めて有効利用するのは、自然界ではごく当たり前の事のはずだ。人間がしているのは珍しいことかもしれ
ないが。
帰りの道筋は、昨日雌のツリーグラットンを仕留めた方へと進み、遺骸の状態を念のため確認しておく。万が一、好まざる生態が森へ進入していないかを確認しておきたいからだ。
特に変わった様子はない。一部、食い荒らされた痕も、昨日のままだ。日中は暖かかったせいか多少、腐敗が通常より早く進行しているようだ。
ふと、肩から重さが消える。肩にまとわりついていたギョットがツリーグラットンの遺骸へと飛び降りたのだ。
『どうかしましたか? ギョット』
『アラムさん、食事を摂らせて貰います』
彼はそう言うと、腐敗が始まったツリーグラットンを包みこみながら徐々に消化を始める。遺骸は瞬く間に、彼の柔らかい肉の中で分解、消化され泡のように消えていく。
茫然とする私の目の前には白骨だけを残した遺骸が残る。
『少し、物足りないけど、多少はエネルギーになったみたい』
『ギョット、キミは、腐肉食性のようですね』
ギョットは私の出した答えに、良く分からないと答えながら、又、私の肩によじ登る。それにしても、一部損傷があったとはいえ、百キロ近い肉を分解消化しても「多少」とは結構な大食いだ。
『毒の影響はありませんか』
『なんともないから、大丈夫』
将来的には判らないが、現時点ではとくに魔獣の毒の影響はないようだ。
内心では驚いている。彼は、魔獣の肉を処理することが可能な生き物なようだ。だとすれば、魔獣の腐肉のせいで、進行が進む土壌の汚染については彼がいれば解決策となりえる。
ただ、彼と同じ生態系が地球のあちこちで発生をしていればの話だが。
糞で重くなった木桶を、硝石丘へと放り込む。
『匂いは感じないのでしたね』
『匂いというのが良く分からないけど、なにかがいっぱいあるのは判るよ』
ギョットは淡々と私の問いかけに答える。硝石丘の内部で発する熱を感じているのだろう。日々の積み重ねで、溜めに溜めた硝石丘だ。私の努力の結晶ともいえよう。
家畜や菜園の世話を終えて、身体にこびり付くような汚れを洗い落とすためにシャワーの準備をする。
『アラムさん、なにかするの?』
『温かい水を浴びて、身体の汚れを落とすのです』
そう言うと、裸になった私はギョットを抱えてシャワー場に入る。彼も又、汚れているだろう。艶やかでツルリとした体表だから、汚れも直ぐに落ちるだろう。
『ひゃあ、温かいよ! アラムさん!』
『そうですか。温度を感じることはできますか』
ハハハ、と笑いながら、柔らかめのブラシで彼の身体を洗う。身震いしている。触覚もあるようだ。この辺りの感覚がないと、知性ある生き物として色々と不都合が生じるのであろう。
『どうですか、心地よいですか』
『良く分からないけど、悪くはないよ!』
身体を洗われる事を厭う生き物も多くいますが、ギョットはそうではないようだ。共生する上で、不潔が好きな生物よりかは好ましいと言える。
ひとしきり、身体を洗い、辺りが暗くなることには食事を済ませ、私は寝床に潜り込む。彼には、大きめの篭の中に毛布を敷き詰めた、簡易的に作った寝床を用意した。
毛布の柔らかさが心地よく、気に入ったようだ。お互い、疲れていたのか特に会話をすることもなく、直ぐに、眠りへと落ちていった。
夜の物音に気付き、目が覚める。篭の中を見る。ギョットがいない。彼が、起きて、どこかに向かったようだ。排泄行為か、又は、不審な行動。
ベッドからゆっくりと降りて、静かに彼の後を付ける。進みは遅い。聴覚がない彼は物音を立てても気付かないだろうが、振動できづく恐れがある。熱源感知は厄介だ。気付かれれば直ぐに、私の存
在を知られることになる。
若干の距離を取りつつ、彼の後を追う。ゆっくりと、ゆっくりと確実に何処かへと向かっている。彼が目安とするのは熱だ。行ける場所は限られている。
彼は確実に硝石丘のある場所へと向かっている。あそこに、一体何の用があるのか。まさか、気を使ってあそこで用を足すつもりなのか。
硝石丘のある一画に辿りついたことを見届け、足を速めて、その場へと近づく。もし、用を足していたとするなら悪いことをしたことになる。
ギョットは、身体を広げて硝石丘を自らの肉の中に包み込むようにしている。
そして、確実に分解、消化をしている。包みこまれた硝石丘、魔獣の糞の塊がどんどんと消えていく。
『ギョット、待て、待ってくれ!』
『ア、アラムさん。ごめんなさい。エネルギーが足りなくて、つい』
そうは言いつつも、彼は、硝石丘の消化を止めることはしない。私の努力の結晶が、見る見るうちに消化されていく。彼は、腐肉食性であり、糞食性なのだ。
野生の動物において、別段おかしなことでは無い。糞の中には吸収されなかった栄養が詰まっているのだ。小型のものから大型動物に至るまで糞を食べる生き物は多い。
だが、魔獣の糞を食する物はいなかった。糞虫でさえも、滅多に見向きもしない。その点で、ギョットは唯一無二の存在だと言える。あとは、菌類がいる。あれは、本当に何でも分解をしてしまう。
今は、そんな事を考えている場合ではない!
『ギョット、だ、駄目だ、それは私の努力の結晶なのです!』
『だけど、とても多いエネルギーを含んでいるから』
結局、私の努力の結晶であった硝石丘は一晩のうちに、ギョットによって消費されてしまった。何と言う大食い。
余談だが、知らずと付けた「ギョット」と言う名は、イタリア語で『大喰らい』を意味すると言う。
私は一人傷心するも、ギョットの可能性に驚いてもいる。彼と言う存在は、人類を悩ます魔獣の排泄物に対して、いや、旧世紀の人類も抱えていた問題を解決する生き物と言える。
私の目の前で、硝石丘、魔獣の糞を全てたいらげたギョットは身震いをすると、肉の中に透明な筒状の塊を産み出し、外へと排泄をしていく。
袋に入れれば一杯になる位の量の塊を体外へ排出すると、最後にもう一度身震いをすると、満足し、すっきりとした雰囲気を醸し出している。
『ハア、ギョット、凄い食欲ですね。ところで、これはなんですか』
『ごめんね、アラムさん。多分、排泄物』
一つ一つは片手で持てる程度の大きさをした、筒状の透明な謎の物体を彼は、何気なく排泄をしたようだ。
すっかり忘れていたが、排泄行為を見られて、恥ずかしいと思うのは人間くらいなのだ。