第四話 出会い
第四話「出会い」
本日もあの悪夢を見ることはなかった。こんなことを確認していると、結局、過去の忌まわしい出来事を思い出してしまうので、性質が悪いことには変わりはない。
当面の間、陰鬱な気分を味わうことになりそうだ。早く忘れてしまいたいものだ。
毎朝の日課である菜園の手入れ、家畜の世話をした後に、朝食を済ませて、身支度を整え、仕事場である森の中へと出向いて行く。本日は快晴。
鬱蒼と葉が生い茂り、木漏れ日程度しか陽が差さない森の中では、余り意味がないことのように思えるが、それでも晴れている日とそうでない日の光量は違う。
それに、私の気分も違ってくる。やはり、晴れている日の方が仕事をするには清々する。足取りの軽さも違ってくる。
昨日までとは、違う場所を目指して進んでいる最中、あまり聞きたくはない生き物の声が聞こえてくる。何かに対して威嚇の行為をしている声。
声の質感からして雄であることは間違いない。随分と気が立っているようだ。雄同士の縄張り争いか、それとも、私以外の人間が森の中に立ち入っていたのだろうか。
雄同士の縄張り争いであれば、一匹を仕留めた後に、もう一匹を相手どらなければならないので、それなりの覚悟が必要だ。
しかし、私の狩場とする狭い範囲内で短い期間に二匹の雄が遭遇する確立は小さいはずだ。万が一、異常繁殖の恐れもある。
後者はあまり考えにくい。ジュノーの狩人達は、あまりこの島の森で狩りをすることはない。より獲物の多いカナダ大森林の方向へと向かって行く。この辺りで狩りをしている変わり者は、私くらい
のはずだ。
ただ、ジュノーへ向かう旅人が何らかの理由で迷い込んだ可能性も捨てきれない。
魔獣であるツリーグラットンは、人の存在を確認すれば、逃げることなく襲い掛かることは間違いがないのだから。
「ギチギチギチ」
顎牙を執拗なまでに打ち鳴らし、雄の特徴である触覚をビュンビュンと振り回して威嚇行為を続けている。人であれば、とっくに襲い掛かているはずだが、どうやらそれ以外の生物であるため、縄張
りから出ていけと執拗に威嚇をしているのであろう。自分よりも強いと踏めば適当な所で逃げだし、弱いと思われれば、いずれは襲い掛かるであろう。
茂みに隠れて観察をする私の目で見る限りでは、あのツリーグラットンは相手を弱いと踏んでいる。直ぐにでも襲い掛かる勢いだ。
手にしている銃の弾込めは済んでいる。狙いを定め、撃ちさえすれば、こちらに気付いていないツリーグラットンを仕留めるのは容易い状況だ。
しかし、私は少々困惑をしている。ツリーグラットンが襲おうとして威嚇している生き物に問題がある。
長年、生きてきた。たかだか三十数年、四十年にみたない程度かもしれないが、それなりに人より生物に対する見識は深いと言う自覚もある。
しかし、世界は広い。私が見たこともない生物がいても不思議はない。あって当然だ。それでも、ある程度の範疇で収まるべきではないかと、心の底では考えているのかも知れない。
今、目に映る生き物は、過去の資料を思い出しても、あのような存在があったことを私は知らない。慢心だと思われるかもしれないが、過去のどのような学者であっても、知っている者はいないであろう。
透き通るような深い青い色をした、一抱えはありそうな茸の頭をしたような、その生き物は、襲い掛かろうとしているツリーグラットンに恐れをなして、なんとなく身を縮め、震えているように見え
る。
体表は滑らかな質感を感じさせ、震える際に波立つ様子で、肉体が柔らかいのであろうことを思わせる。
粘菌と言うものを森のあちこちで見かけはするが、あのように大きな存在ではない。
大型のキノコかもしれない。だが、あれほど活発に動くことはないであろう。浅学な私は、動くキノコというものを、見たことも、聞いたこともない。
私は、銃を構えつつもその未知なる存在に頭を悩ませながらも、観察しているため、撃つことを忘れている。
『助けて! ダレか助けて!』
少年のような声が、不意に鳴り響いた瞬間、余計な雑念は消え、私は銃を瞬時に構え、狙いを定め、ツリーグラットンの急所に目掛けて銃弾を放つ。
着弾と共に血飛沫を上げながらも、こちらに気付き、よろめきながらも向かってくるが、数歩の内に膝から折れて崩れ落ちる。上手く仕留めることが出来たようだ。
「誰か! 誰かいるのですか!」
ツリーグラットンを仕留めたことを確認して、茂みから直ぐに立上り、周囲に向けて声を上げる。私以外に人の気配はどこからも感じなかった。
頭に響いた声は明らかに子供のものであった。子供が一人でこのような森に居ることは危険だ。直ぐにでも保護をする必要がある。
しかし、私の声に対して反応はない。銃声に恐れてしまい、竦んでしまったのかも知れない。そう思い、茂みをかき分け、仕留めたツリーグラットンがある方へ歩き、姿を見せる様にする。
『アア、人間だ。助けて、悪いことはしないから。殺さないで』
「ど、どこにいるのですか!? 子供を撃つ様な非道はしません。この森は危険です。直ぐに姿を見せて下さい!」
私から姿は見えないが、相手からは見えているようである。随分と怖がられているようだ。少々、気の焦りがあったせいで不用意に駆除した獲物に近づいてしまった。
『ア、危ない!』
仕留めたと思った、ツリーグラットンの触覚が私の身体に目掛けて、鞭を打つ様に動く、咄嗟の事で躱すことは出来ないと判断をして、手にしていた手斧で叩き落とすように触覚を打ち落とす。
本来の動きをされていれば、とてもできない芸当だが、弱り切った身体で行われた、不意を突いただけの攻撃であったため、何とか凌ぐことができた。
触覚はまだ、動いているものの、こちらを襲うほどの力はもうないようだ。弱弱しく、倒れた地面から、わずかに浮かせて動いている程度だ。
「どうして、そこまで人間を憎むように、襲うのですか?」
表情からはなにも読み取ることが出来ず、しかし、睨むようにこちらを見続けるツリーグラットンに向けて、返答されることのない問いかけをしてしまう。
改めて銃に弾を込めて、倒れたツリーグラットンに向けて、とどめの銃弾を放つ。動くことはもうない。更に近づき、手にした斧で首をかき切る。
斧の切っ先は先程受けた触覚のせいで刃こぼれをしている。研ぎ直す必要がある。余計な手間が増えたことに内心で舌打ちをする。
『凄い、じゅ、術を使うの?』
「何を言っているのですか? 貴方を撃つことはありませんし、襲うつもりもありません。直ぐに姿を見せて下さい」
『? さっきから、ここにいるよ』
一拍の間を置いて、私の返答に対して姿の見えない相手はそう答える。僅かの沈黙が訪れる。そして、私の背中に冷たい汗がブワッと吹き出す。
「じょ、冗談は止めなさい! こ、こ、この森は本当に危ないのです。す、直ぐに姿を見せて下さい!」
余りの事態に、内心怯えつつ、もし、性質の悪い悪戯をしているのであればお仕置きが必要だと思いつつも、ないことを願って、見えない相手に呼びかけを続ける。森の中に自分の声が響き、反響を
している。
ジュノーに住む友人がからかうようにする酒の席での与太話を思い出してしまう。くだらない、余計な話は、聞くことではない。
『ここ、人間さんの足元』
足元には地面しかない。更にゾッとする。地面の中にいるとでも言いたいだろうか。それなら、静かに眠っているだけで良いではないか。
見たくはないが、反射的に足元を見る。先ほどの透明な青色をした奇妙な生き物がいるだけだ。
『助けてくれてありがとう、人間さん』
私が、青い物体に眼を向けた瞬間、頭の中に先程からの声が響き渡る。目線が青い物体に釘付けとなる。
眉間の間を指で押さえる。疲れているのか。自覚はしていないが、疲労が溜まっていたのかも知れない。
今日はこれで家に戻り、休むとしよう。ここ幾日かは、獲物にも恵まれた。猟の成果は十分にある。当面、肉に関しては困ることはない。一層の事、ジュノーに行くまで狩猟を休みにした方が良いのかも知れない。
『大丈夫、人間さん。どうかしたの』
そんなことを知らずに、心配するかのような声が、頭に響き渡る。ふと、おかしなことに気付く。声が、周囲に反響をしていない。直接、脳の中に語り掛けられるような感覚、このことに覚えがある。
頭の中で思うように、声の相手に対して問いかける。
『これは、念話ですか?』
『念話? なにそれ』
相手は、念話の意味が理解出来ていない。もしかすると、念話で会話することが普通だと思っているのかも知れない。そして、私を見て『人間』と呼ぶ、違和感。
恩人でも、オジサンでも、貴方でもない。人間と呼ぶ。同じヒトであれば、あまり考えにくい呼び方をする。
私は、青く透明で柔らかそうな物体をじっと見つめ、呟く。
「……あー、もしかして、語り掛けているのは、これですか」
『ハイ、人間さん。助けてくれて、本当にありがとう』
これと言われたことに対して、何の悪意も感じていないかのように、嬉しそうに念話で語りかけ、犬が尻尾を振るように、透き通った青色の身体を左右にプルプルと震わせた物体を見て、私は再び、
――言葉を失ってしまった。
私は、とりあえずツリーグラットンの亡骸から討伐証明を剥ぎ取り、適当に処分し、青い生き物から若干距離を取った場所に座る。多少混乱をしている。よって、やるべきことをやって、心を落ち着かせたかった。
青い生き物は、私がツリーグラットンから討伐証明を剥ぎ取っている間、特に何も語り掛けてはこなかった。黙って、私がやることを見届けていた。表情が全く読めないため、興味があるのか、ない
のかも全く分からないから不気味だ。
こちらが腰を落ち着けても、逃げだそうとはしない。目も何もないから、こちらを見ているかどうかさえ分からない。
そもそも、これは、どういった生き物なのか?
『僕は見ての通りのスライムだよ。人間さん』
突然の語りかけに動揺する。心が、読まれたか。念話使いが心を読むとは聞いたことが無い。念話を使う場合は、相手と「対話をするという気持ち」が向いていないと会話は成り立たないと言ってい
た。一方的に語り掛けるだけか、認識さえもされないことがあると言われている。
もしかすると、先程の考えが相手に対して語り掛けた形として、聞こえてしまったのか。
『……キミは、心を読むのですか』
『? よく分からない。ただ、人間さんの声が聞こえたから……』
予想していた通りの答えであるが、真意のほどは判らない。手の内を見せない、誤魔化しの可能性は捨てきれないが、相手に対して無意識でも問いかけるような考え方には注意する必要があるようだ。
『スライムとは、何ですか』
先ほどの問いかけに対する答えで語られた、語句は、私にとって馴染みのないものである。今まで見た生物学の書物で、該当するような種別を私は知らない。
『スライムは、スライムだよ。知らない?』
『……残念ですが、私は知りません』
そうなんだ、珍しいね。と返されて困惑をする。世間一般では馴染み深い生き物なのだろうか。
少なくとも、私の人生で、スライムという生き物がいるとか、いたとか言う話を周囲の人達から聞いたことはない。私は湧き上がる好奇心と疑問の幾つかを抑えきれずに、スライムと名乗る彼に尋ね
てしまう。
他の者達なら、彼を見れば、例え念話を使われても、逃げだすか、先程のツリーグラットンのように威嚇をして追い払う、又は襲い掛かり殺してしまった可能性が高いだろう。
しかし、私は何故か彼に害意がないと自然に感じていた。ただの思い違いかも知れない。御伽噺の悪意ある登場人物のように、真意を巧みに隠して、最後は襲い掛かって来る可能性も捨てきれない。
傍から見れば、奇妙な風景――森の中で、人と青い巨大な粘菌のような生物が、互いに動かずにいる――であったのだろう。
だが、この森に立ち入るような物好きは、この辺りでは私ぐらいしかいない。だから、滅多に人と行き会うことはない。
彼と交わした有意義な念話による対話で、私は彼について幾つかの事が分かった。
まず重要なこととして、他の生物が持つ様な五感(痛覚・味覚・嗅覚・視覚・聴覚)をもっていないこと。
では私を何故、人と判別できたのか?
そのような判別は生物が持つ体温によって大体わかるということだ。又、触覚はあるため、触ったりすれば形から判別もできるという。
食性は不明だが、肉食性、雑食性ではないようだ。私が取りだした干し肉を与えようとしたが、取り込むようなことはしなかった。草食の食性である可能性が高い。
知性はあるが、知識は乏しいことも判る。現代の地球環境に対しても無知な反応だ。ツリーグラットンについても、良く分かっていないようだ。念話を続けていると、好奇心旺盛で素直な子供と話を
しているような感じがしてならなかった。
『ところで、キミはいつ、どこから来たのか判るのかい』
『……判らない。気付いた時は、ここにいたよ』
残念なことに彼の知性が、いつ、どこで発露したのかは判らないようだ。
もし、これが分かれば、科学的、宗教的に語られる、人類が何時、知性を持つようになったのかと言う論議に対しての答えの糸口が掴めた可能性があったのかもしれない。
そして、私は彼と語り合ううちに彼の事を、いたく気に入ってしまった。見た目はともかく、人以外の生物と会話ができるということに対して、興奮が抑えきれなかったせいもあるのだろう。
彼、「ギョット」は今、私の肩に乗り、私の住処である拠点へと一緒に向かっている。私が招待をしたのだ。ギョットは快く承諾をしてくれた。
ちなみに、彼は名前を持っていなかったため、私が適当に与えた名前を大層喜んでくれた。まあ、初めて会った時に意表を突かれた見た目でぎょっとしたから付けた名前だとまでは教えてはいないが。
共に行こうと言ったあと、嬉々として(見た感じだが)付いてきたギョットの歩みは、粘菌らしくあまりにも遅かったため、私は彼を肩に担いでやった。
『ありがとう。アラムさん』
『気にする必要はありませんよ』
触れた触感は見た目のようにツルリとして、柔らかい。重さは十キログラム程度に感じる。形もある程度自在に変化できるようで、肩に乗ると、肩口から胸にかけて垂れ下がるようにしている。
『人間がこんなに優しくしてくれたのは初めて』
まあ、彼を見れば普通のヒトは恐れるのであろう。未知との遭遇、ましてや人型ではない生き物であればなおさらだ。新種の魔獣と勘違いしてもおかしくはない。
私達、人間は新生種との生存争いに負けたと言って良い。旧世紀で繁栄を誇っていた文明は、ことごとく衰退をした。まだ、滅んだわけではないが、いづれ、人は地球上で築いた地位を、他の生物に
譲る時期が来るであろう。
それまでの間に出来る限りのことをする必要があるのではないだろうか。たとえそれが、新たな知性を持った人以外の生物に対する引継ぎであっても、快く、受け入れる覚悟を持たなければならない
であろう。
だが、大部分の人達は強く反発をすることが予想できる。私だって、簡単に割り切れることでは無い。しかし、だからといって、新たな可能性を差別するように摘み取ることもまた、行ってはいけな
いことなのではないのだろうか。
私は、ギョットを担ぎ、木漏れ日が差す森の中を歩いて行く。ギョットは何も語りかけて来ない。自問自答である私の独り語りを読むことは出来ないのであろう。
又は、判っていながらも、あえて何も言わないのかも知れない。だが、それは私にはわからないことだ。