第六話 衰退の価値
「だからな、せっかく手放せたものをわざわざ掴む必要はないってことだ。わかるだろう。」
立膝の上に両腕を預けながら座った老人は、私に笑みを浮かべて話しかけている。正直何を言いたいのかはよくわかっていない。
「そんなにも大事に抱えることはねえってことだ。元々必要なモノでもなかったんだよう。人もまた、あるべき姿に戻って、あるべき場所に帰ればいいだけなんだ」
火に当たりながら語り続ける老人の白髪が混じった長い髪は植物のツルか何かで結わられている。眉毛も髭も鼻毛も伸び放題だ。爪は噛んでいるのか伸びてはいないが、黒く汚れている。肌もガサガサだ。その見た目の割には悪臭がしてこない。
「おうおう、俺の女も同じだと言いたいようだ」
老人の隣に立つ中年の女性も笑みを浮かべ乍ら老人の言葉に肯いている。ただ、意味は判っていないのかも知れないが。
「アンタを見放した奴ら、アンタが見捨てたモノ。アンタの選択は正しいと思うぜ。そんなものはいらねえ! 悪い方に向かうだけだ。そしたら今度こそお終いだ」
情緒が不安定なのか老人は今度は少し怒りながら焚火にくべられた木を手にした枝で掻き落とす。火の粉が散り、お互いの姿を闇夜に映し出す。
老人も女性も身に何一つ纏っていない。隠すこともなく裸身を晒している。恥ずかしいなどと思うことはないようだ。
「人間もなあ、どう取り繕うと、もとは自然の一部よ。全てのものを投げ捨てて生きる道を選び直すことができるのは今しかねえんだ。危険も何もへったくれもねえ。ただ、生きるんだ」
「偶然……でもないのかな。騒ぎのするところに来てみれば君達がいた。運が……いいのだろうね。九死に一生を得たとでも言うのかな。ハハハ」
所長はそう言うと笑みを浮かべる。そんな必要もない者に対しても、愛想よくふるまっているだけなのかもしれない。
私達を殺そうと取り囲んでいた十字兵達はガルゲンと、ガルゲンが率いてきた死人と魔獣によって瞬く間に皆殺しにされた。反撃をする者もいたが銃弾をものともしない、物言わぬ者達は無慈悲に十字兵達を殺していった。
「よく働くだろう。ワームドックの作った寄生人種よりも精緻な動きか出来る。銃を与えれば撃つことも可能なんだ。まあ、生前の技術が身体に染みついているだけだからとも言えるのだけどね」
所長は当りの様子を伺う私に向けて、楽しく教える様に周囲の状況を説明してくる。正直彼の声を聞きたくはなく、耳を塞ぎたいが情報を得られるチャンスも逃したくはない。
「この、教義も御印も何もかも勘違いしたおバカな連中は多分欧州あたりから来たのだろうね。衰退前に造られたユーラシア貫通トンネルを抜けてきたのかな? どこかで見つけて動かしたのか工事用装着重作業着を身に着けていたようだし」
「お、欧州? それは……」
「この大陸の地続きでここより更にずっと西の方角にある領域の通称だよ。過去の名前だね。情報が途絶えた今現在に至っては意味があまりないことだよ」
所長は短い問いかけに対して、まるで価値の無い記録を伝えるかの様にスラスラと新しい情報を与えてくれる。
「それに気にするならあちらの子供の事を気にした方がいいと思うよ。アラム君。ギョットくんの出番だと思うけど?」
所長が指差した方向に目を向けると、ぐったりとしたオラークルを抱え静かに泣くロークの姿があった。
私は自分の顔から血の気が引いて行くのが判った。
オラークルの命は存続をしていない。
すぐに駆け寄り脈を取る。脈は無い。呼吸を図る。息をしていない。私は直ぐにギョットを檻から連れ出し、オラークルに抱えさせる。
「な、なにをしているんだい、アラム。オラークルは……」
「ギョット、頼みます! オラークルが死んでしまいます! 私を蘇らせたようにこの娘も!」
『わかったよ、アラムさん』
私の願いを素直に聞き入れてくれたギョットは直ぐに蒼く輝きだした。が、輝きは直ぐに治まる。
「ギョット、ど、どうしたのですか? エネルギーが足りませんか?」
多分、私の頭の中に浮かんだ最悪の答えをギョットが導き出さない様に願いつつ問い掛ける。
『ゴメン……。ダメ。オラークルはもう生き返らないよ。アラムさんの時とは違う。何かが足りないんだ』
そう、判り切っていたことなのだ。幾ら肉体が損傷せずにあったとしても魂と言う存在が切れ離されてしまえば人は人として蘇ることは出来ない。私は知っていたはずだ!
馬鹿なことを考えるな!
何を隠秘学めいたことをさも当然のように思いついている!
魂などと言う不可視なものの存在を信じてどうする?!
「どうして! 私に出来て、私よりずっと幼いオラークルには出来ないのです! 何が、何が足りないのですか!」
私はいつの間にかギョットを掴み上げ、荒げた声で詰問している。
「よかった……、やっぱり――」
所長がそう語ろうとした瞬間、私は初めて奇跡をみる。
「クル! 目を――」
オラークルの目が開き、ロークが戸惑いつつも、泣き笑いの顔を浮かべている。
そんな様子の姉をみたオラークルは、
「運命の波はまだ高く、出会いと別れを幾度も繰り返す――お姉ちゃんいままでありがとう」
そう伝えると微笑みながら又目を閉じてしまった。
ロークは声を出さずにオラークルに抱きつく。
私は呆然と立ち尽くす。
その様子を見届けた所長は安堵の笑みを浮かべてクツクツと笑う。
「ふう、驚いた。能力の残滓、いや生命活動の停止が能力の発露する条件だったのかな。うーん、勿体なかったかな。でも場当たり的であまり役に立たない能力だったかも――」
私は背の低い所長の胸倉を掴み上げようとするが、するりと避けられる。
「あ、アナタ――お前に人の何が判るというのか!」
自らの手で頬を撫で目を上に向け、少しだけ考えるそぶりを見せた所長は改めて笑顔をこちらに向けた。
「判るよ。君たちよりもよほど長く生きている身としては。それよりも僕は安堵をしている。これで、そこの娘が蘇りでもしようものならギョットくんは本当に神の御使いと認めなくてはいけない。だが、結果としてギョットくんもまた万能ではないことが判った」
横を向き歩きつつ、私達から距離を取って行く。向かった先には両脇から生やした複数の腕を組んでニヤニヤと笑うガルゲンがいる。
「よお、以前は世話になったなあアラムさん。アンタのおかげで俺は前よりも更に強化された。生かすも殺すも俺しだい。おっと、ストラーノ様には逆らえないがな。ギャハハハ――」
哄笑をあげるガルゲンの元にストラーノ所長はたどり着く。周りには死人とあの忌まわしき魔獣達。
「また、数が増えたね。戦力増強だ。あの狂信者達も一旦は退いたようだよ。僕と言う第三の勢力の存在を知ったからだろうね。でも、また、必ず襲いに来る。アイツラはそう言う存在。狂った信仰の行き着く先は大体同じ。そして、僕もまた戻って来る。必要だから。だから、また会おうアラム君。その時はギョットくんも一緒に連れて行こう。多分だけどギョットくんはキミと一緒でなくてはいけないようだから」
そう言い残し、静かに影の深い森の奥へと溶ける様に消えていく。そして、私の見える範囲には惨状だけが取り残された。
「何故、こうもたやすく人が死ぬのですか? 以前は小屋の中でゆっくりとした時間を過ごしていれば良かったのに……」
私は私の周りで立て続けに起こる事件にほとほと嫌気が差していた。自ら悪夢から逃げたのに。せっかく悪夢から抜け出せたと思ったのに。あざ笑うかのように急速に事象が駆け巡る。
ついていけない。正直そう思う。
『アラムさん……』
ギョットが申し訳なさそうに、心配げな思いをこちらに向ける。
しかし、今の私にとっては当てこすりに思えてくる。
「ギョット、キミは何をしたいんだ? 死にたかった私を助け、オラークルのような子供を助けない。どうして私の元に現れた? 神様からの思し召し? 救世でも仰せつかった? ふざけるな! 私はただ静かに暮らしたかったのに! 出会うべきではなかった……、私は――」
ギョットに向けて放つ私の罵りのような言葉を遮るように、頬に向けて拳が振るわれる。涙で目を腫らしたロークが睨み付けている。
「オラークルの能力はね、多分だけどあの子の何かを捧げて運良く助かるっていうふざけた力だったんだよ。私自身何度も助けられているから。大きい力を使うほどにあの子は幾日か寝てしまう。おかしいと思ったさ。寝るだけで済めばこんなに都合の良い力はないからね。オラークルは気付いていたのさ。命を捧げていることに。そして、今、私達はあの子の力に救われた。生き延びた。あの子の命と引き替えに。……アラム、あんた死にたいのかい。あの子が救ってくれたのに。ふざけるな! 死にたければ一人で逝きな。私達はやることが出来た。弔いだよ。望まれてはいないかも知れないけど」
ロークはそう言い残し「負傷者を集めな! 物資の残りをかき集めるんだよ!」と声を荒げ指図を始める。次の行動にもう移っている。自分と血の繋がった妹が死んだというのに。
「理解ができません、何故、殺し合う……」
私はふらふらと立ち上がり、ギョットに目もくれず、ロークが進むとは逆の方角へと歩みを進める。影のある森の方へ。暗い方へと。
どれくらい歩いたのか判らないが、こうして私は知らぬうちに目の前にいる襤褸もまとわない老人と女性とたき火を囲んでいた。
彼は「人は文明を捨てるべきだ」と嘯いた。私は「文明を興さなければ人類は立ちゆかなくなる」と反論をした。
「だが見ろ、それがこの結果。この様じゃないか。ご先祖様達がどんな生活をしていたのかさえも判らなくなるほどに、人類は衰退をしている。残すべき価値があるのなら、まだ残滓が残っていてもいいだろう?」
「残っていますよ。各都市遺跡に。死んでしまったものもありますが、埋もれているものもまだまだあるはずです」
老人の持論に私は応える。文明は消えた訳ではない。衰退しても、又、興せる。きっかけが、兆しが見えてきたのだ。
「ハッ、また、見つけ掘り起こして、復興させてやりたい放題やらかして滅びの炎を熾すのか。学ばないバカと同じじゃあねえか。ご先祖様のなかには「保護活動」とか「自然主義」とかをする連中がいたらしいが、結局街の中で叫んでいただけみたいだぜ。根本的な原因となる文明の中でわめき立てても説得もなにもないのによう」
だから俺は全てを捨てて森にいるんだ。寒くても暑くてもどうにか生き延びている。老人はそういう。本当だろうか? 極寒の最中に何一つ身に着けずにいれば人はたやすく死ぬのだ。
「生き抜くために暖かいうちに蓄えて、冬はじっと洞穴にこもる。この女といっしょに温めあいながらな。野生の生物はどれも同じ事をしているだろう? 人間にできないわけじゃあねえんだ」
笑いながら老人は私の疑問に答えてくる。女性はニヤニヤと不気味な笑みを浮かべたまま老人の応えに頷いている。
「この女だってなあ、街にいたときに襲われて、気が触れて、森に掛けだして、俺に拾われたんだ。いまじゃあ素っ裸でも人に襲われることもねえ。おかしいと思われているからさ。どいつもこいつも、興ざめで勃ちもしねえだろうよ」
種として衰退しそうなのに選り好みしている場合じゃないだろうによと、老人は吐き捨てる。自身はもう役立たずだからどうしようもないけどなと自嘲の哄笑をあげてもいる。
「……いずれにしてもなあ、お前さんが拾ったギョットとかいう魔獣は危うい。今の人類には不要だ。もういらねえんだ。文明を再興させる必要はねえ。このまま静かに滅ぶに限る」
そうすれば生き物として静かに生きていける。俺達はその見本だ。生き様だと老人は吠える。
そうだろうと思う。生きていくために必要な貨幣通貨、物品の交換、煩わしい人間関係も全て捨てて個として生きていく。
幾日こんなやりとりをしているのだろう。
食事はこの老人が恵んでくれた。
私も文明の再興など望まずにいっそうのこと――
そして、闇夜に爆発音が響き渡り、炎が上がる。
「また、争いか。こりねえなあ。ここも危ねえかな。さっさと逃げるに限るな。そう思うだろう」
「ええ、そう思います。好きこのんで殺し合いをする気が知れません。が、あの方向には私の知る人達がいます。私を見限ったのかも知れません。けど、やはりそれでも私はあの中に戻りたい。私は――貴方の考えとは相容れられない」
私は老人にそう告げる。そして手放さずにいた銃、前時代の文明の名残り、殺しの道具を手に取り立ち上がる。
「短い間ですがお世話になりました」
「まだだぜ。まだ終わらねえよ」
私の言葉に対して、とげのある答えを返す老人に向けて頭を下げて私は駆け出す。
今一度、私が投げ出した悪夢への始末をするために、私が投げ捨てた、かけがえのない友人を救うために。




