第二話 西の大陸の都市
「……ようやく大陸の姿が見えてきましたか」
目の先に広がる海に沿って、ぼんやりと広がりを見せる海岸線。
アリョーシャン列島をひたすら西へ向かい走り続けた結果、ようやく目的地となる西の大陸へとたどり着いた。当時で言うユーラシア大陸、ロシア領。我が祖国と並ぶ大国の一つであったということだが、詳しいことはよく判らない。
他の国々の情報が途絶えてからかなりの年月が経っている。人類の文化、文明の繁栄を衰退させた原因、魔獣の大発生と、直前に起こった電子情報の大断絶。
――双方の因果関係は判らず、又、発生原因も現在では読み解く記録が残されていない。
電子通信の類いが突如として使えなくなり、混乱する最中に魔獣の大発生という驚異を迎えてしまったため、国同士の連携がまともにとれないまま、各国共に衰退していったと言われている。ただ、生きるだけに必死な私達が知るよしもないことだ。
「オラークル、貴方の故郷はもうすぐですか?」
『ううん、海岸より森の中、場所はよく判らない』
私の問いかけに、念話で伝わる内容は、まだ、もう少しだけオラークルを送り届けるのには時間を要するという答え。海岸沿いに人の住む場所でもあれば聞いてみるしかないだろう。
時間を掛ければ、彼女を故郷へ送り届けることが出来るであろう。
ただ、送り迎えてくれる人が残っているかは判らない。場合によっては、私が引き取り、また、アンカレッジへと戻ることになるだろう。
驚いたことに海岸沿いの浅瀬を渡りきると、都市の外郭が見え始めた。海岸線の岸壁の奥に雑多な建物群が見え、あちらこちらから煙が立ち上っている。人が住んでいる証拠であろう。ちょうどいい、あの場所によってオラークルが住んでいた場所についての情報を探ろう。
しかし、浅瀬を愛車で渡ってきた私達の姿はあちらから見えているのだろうか。あまり目立ちたくはない。車で乗り込めばイヤでも悪目立ちはするが、別の大陸から来たとなれば更に悪くなる。
幸いなことに、浅瀬は都市を迂回するような位置の海岸へとつながり、無事に上陸する事が出来た。建物群からはかなり離れた位置にたどり着いたが、あそこまで続く道は整備されているのだろうか。ある程度の悪路は走破出来ると思うが、途中で徒歩になるかも知れない。
私の不安をよそに、保全はされていないものの道自体は建物があった場所へと続いていた。
そして、私が思った以上に街は栄えている。都市と言っても良い規模に思える。
だが、私の生まれた都市ワシントンと違い、活気に溢れ、力強く、雑多な雰囲気を強く感じる。前世紀の遺跡のような住居や建物、その間に詰めるように建てられるバラック群は都市のスラムを思い出させる。
人種も様々だ。白人、黒人、顔が平たい先住者の長のような人達も多くいる。そして驚くことに、ここでも魔獣のように他の生物の身体を一部に持つ別人種達がごく普通に町中を歩いている。
そもそも、かなり古くくたびれてはいたが、私以外にも車で乗り付けている者も多いことに驚いた。警備に当たっている兵士らしきものから街の中へ入るのに何も制限はないが、車で中へは入れないことを告げられた。
それにしても、一体何を燃料に動かしているのだろう?
化石燃料は一般人が動力に用いられるほど安価な品ではないと思うが、こちらでは事情が違うのだろうか。
ギョットが潜り込んだ鞄を肩から担ぎ、オラークルの小さな手をつないで街の中を歩く。多分この辺りは商店が立ち並んでいるのだろう。人混みがすごい。ネコのトゥートを空いた手で抱えたオラークルは、物珍しそうにキョロキョロと辺りを見回す。
「ここに来たことはないのですか?」
『うん。まだ小さいから街には連れていってもらえなかったの』
だから、始めてと続く。こうなるとオラークルから、この街について何か聞くということは諦めたほうが良いと言うことになる。
ふう、と聞こえないように小さくため息をついてから、街道沿いに連なる屋台で空いた小腹を満たしつつ、聞き込みを行うことにしようと思ったが私の手持ちの貨幣が通じるか判らない。
「しまったな、お金がない……」
金策が出来るほどの物資は手元にもないし、銃や愛車を売ることは流石に出来ない。オラークルは漂流したときに何も持ってはいなかった。
何か、体の良い働き口を探すか? 幸いなことに、この辺りでは英語も通じるようだ。オラークルの母国語の他にも、幾つかの言語が用いられている。オラークルはまだ幼いから、英語を習っていなかっただけなのかも知れない。
しかし、オラークルのことを思うと、金策にあまり時間を掛けたくはない。
人混みの流れの中で止まるわけにも行かず、考えながら、考えなしに歩いてはみたが、結局歩き疲れて、愛車の元へと戻ることにした。
「このポンコツ、ガス欠しやがったのか?!」
愛車が駐めてある場所に戻ると、一人の男がさびた外装をした、車両の後部が荷台となった車のタイヤに蹴りを入れて悪態を付いている。
燃料の把握ぐらいしておけば良いものを……
しかし、あのくたびれ具合からするとあちらこちらガタが来ているのかも知れない。私の誇らしき愛車のように、元から備えた機能が十分に発揮できないのだろう。
そして、その姿を見て、ふと思いつく。手持ちにある、最も手に入りやすく、それなりの数がありながら、他の人間では手に入らないもの。
「あー、もし、燃料がないのですか」
自分の車をにらみ、腕を組みしかめっ面でどうしようか考え込む男に声を掛ける。ジロリとこちらを睨んでくる。
「誰だ、見かけない顔だ。なにかようか」
「もし、宜しければ手持ちの燃料があるのですが……」
「あん? 田舎者か? 固形魔糞じゃあ、車は動かねえよ。液体なんて、臭いうえに、危なっかしくて持ち歩けやしないだろうが」
マグソ? こちらの大陸では馬糞で動力を動かす技術があるのだろうか。遙か昔から現在に至るまで、火を炊く固形燃料として活用はしているが、内燃機関の燃料として活用できるとなれば驚きだ。
「馬糞を燃料に出来るのですか?」
「はあ? ハッ、ハハハハハ、おい、どこから来たんだお前、魔糞燃料も知らないのか?! 魔獣の糞を燃料にするなんて常識だろう? なんだ、樹海の奥の奥にすむ、全裸男の親族かよ! それはねえか、服着てるもんな!」
男はこちらの無知をしきりに笑う。だが、私としてはやはり驚きだ。この街近郊では魔獣の糞を燃料に代替えする方法があるらしい。前世紀からさんざんに土壌を汚染すると苦しめられてきた、新生種がまき散らす排泄物に、利用方法を見いだしているとは思いもしなかった。
もしかすると、こちらの大陸のほうが、私の住んでいた北米大陸よりも文明が復活しているのかも知れない。だが、今は、そのことよりも、彼の勘違いをたださなければいけない。
「ええ、私は遠くから来たもので、この辺りのことに詳しくはないのです。ただ、私の持つ燃料を使えば車は動くと思いますよ。ほら、あそこの車は私のですから」
誇らしげになりそうな顔をどうにかこらえて、愛車に向けて指を向ける。にやけた目線を向けた男に驚きの顔が出る。
「おいおい、あんな新型の新車みたいなの滅多に見ないぞ。よっぽどの上流階級じゃなけりゃあ持てやしないはずだ。……あんた、からかってんのか?」
いぶかしげな視線をこちらに向けてくるが、私は論より証拠と言わんばかりに愛車へと歩み寄り、認証鍵をかざして車のエンジンを動かしてみせる。
「お、おお。本当にアンタの持ち物かよ。驚いた。いや、すまん、馬鹿にして。それよりも、燃料を持ち歩いているのか、一体、どうやって?!」
「それは、少々事情がありまして、あまり表沙汰には出来ないのです。まだ、実験途中とでも言いましょうか。いえ、危なくはないから安心して下さい」
私の言葉を聞いて後ずさりを始める男をなだめすかして、どうにか燃料の買い取りについて交渉を始める。所在の怪しい燃料を使うことに躊躇はしているものの、背に腹は変えられないのか、どにか燃料を買い取ることに同意をしてくれた。
「本当にいいのか? そんなカネじゃあ、本来なら燃料は買えないぞ。買い出しが終わって、手持ちが無くって、どうしようかと思っていたんだからなあ」
男も街から離れた場所から来たらしく、燃料はあると集落の人から聞いて安心していたところ、何かの手違いがありガス欠になってしまったため、どうしたものかと考え込んでしまったらしい。
「いえ、私はここで通じる貨幣の持ち合わせがありませんから」
「それくらいの金額じゃあ、ろくな物は買えんぞ。屋台でメシを何食か食べれば無くなっちまう」
それでも構わないと言って、私は男に見えないように愛車から持ち出し鞄に忍ばせた、幾つかのクリアジェムを燃料口付近で握りつぶし注ぎ込む。
クリアジェムの燃費性能なら満タンにするほど入れる必要はないはずだ。男に向かって、エンジンを始動させるように促す。
「おいおい、本当かよ。どの程度入れたか知らないが、それくらいで動くわけがあるわけ、え、おい!」
男が始動させたと同時に、息を吹き返したように車のエンジンは勢いよく始動する。
「……冗談みたいだ。帰りまで持つのか? 大丈夫なのか?」
「貴方から聞いた距離が正しければ、私の車の経験上、問題はないと思いますよ。お気をつけてお帰り下さい」
男は若干困り顔をしたものの、ああ、とか、うんとか言って車を動かす。金は事前に受け取っている。前金では渋々だったが、動かなければ返すだけだと言いはっておいた。
「ま、まあ、助かったよ。じゃ、じゃあ――」
男が改めて車を発進させようとしたとき、私はふと、ついでに聞きたいことを口に出した。
「失礼ですが、この辺りでここ数ヶ月の間に盗賊から襲われた村があることを知りませんか」
知らないだろうな、と思っていたが、予想外にも男は知っていた。
「ああ、街からもっと北にある森の中の別人種の集落のことだろう。被害は大きかったらしいが撃退には成功したらしいぞ。詳しいことは、街にいる別人種の傭兵隊に聞いてみな。なんせ、
そいつらの住む集落だからな。襲った賊はバカを見ただろうな。だが、気をつけろ、賊を追っ払うことが出来るくらい、荒っぽい連中だからな。それに、襲われた後からずっと気が立っているみたいだしな。あと、ついでだ、燃料は下手に売らないほうがいいと思うぞ。どうせ、組合だの利権だのが絡んでいるから、ろくな目に遭わないぞ」
男はそう言い残して、アクセルを踏み込み、早々に走り去っていった。予想外に手がかりをつかめた。別人種の傭兵隊。聞き込めば直ぐにでも見つかりそうだ。
では早速と、改めてオラークル達と共に街の門の方へと向かう。せっかく通貨を手に入れたのだから、この辺りの食文化にも触れてみたい。しかし、門を通り抜けて、人混みが多くなり始める中、人混みの先が騒がしくなる。
そして、人の頭上から物理的に首を伸ばした男と目が合う。こちらを見て、何かを叫んでいる。嫌な予感しかしない。
人混みを押しのけ、かき分け、険悪な雰囲気の集団がこちらへと向かってくる。ここから見る限りでも、好意的な雰囲気は微塵も感じられない。
一般人の腰の高さ程度しかない成人男性や、両肩に甲殻を纏わせた男達、様々な別人種達が物騒な物腰でこちらへと向かってくる。
気付くのが遅く、完全に逃げ遅れた。
だが、ここに来て、特に何もしていないはずだが……
「おい、アンタ。ここへ何しに来た」
逃げようにも、身に覚えのない私を別人種の人々は取り囲み、有無を言わさぬ様子で角のような触覚を頭から生やした、リーダー格の男が語りかけてきた。
どう、答える。
「その子をどこで見つけた!? 答えろ!」
甲高い声を上げて問い詰めてきたのは、背の低い男だ。よく見ると、リスのような尻尾を生やしている。
オラークルが目的なのか、何故……と言うよりかは、彼等が目的の傭兵団ではないのだろうか?
「彼女、オラークルを故郷の村に送り届けに来ました」
「みんな、本当だよ」
ここに来て、ようやくオラークルが相手に向けて言葉を発してくれた。間違いなく、彼女の村の知り合いのようだ。
「オラークル、無事、だったんだな! その男に、なにかされたわけではないんだな!」
「うん、大丈夫。この人に助けて貰ったの」
オラークルがそう言うと、リーダ格の男が駆け寄り彼女を抱え上げる。そして、ようやくというか、私としては初めて咲くような笑顔に出会えた。
「よかった! よかった! 姐さんもよろこぶぞ!」
小人男は跳ね回り、他の者も各々が喜びはしゃいでいる。周りで見学していた野次馬が冷やかしているが、聞く素振りもない。だが、往来でやるには目立つし、迷惑だったのだろう。街の衛兵のような者達がこちらへと向かってきている。
「再会に喜んでいる所、申し訳ないのですが……」
私が、オラークルを抱え上げている男へと暗に衛兵が向かってきているぞと語りかける。
「おお、アンタ、すまなかったな。オラークルの恩人に対して無粋な事をした。なに、安心しなゆっくりと出られるさ。おい!」
男が声を上げると、幾人かのいかつい者達が衛兵の方へと壁を作る。衛兵達は何事かと詰問を始めるが、男達は関係ないことだと逆に睨みを効かせている。
「あの程度のへっぽこ共じゃあ、俺達に手出しできやしない。悪いが、少しだけ付き合ってくれ。疑っている訳じゃあないが、オラークルの事について経緯を聞かせてくれ。悪いようにはしない」
男は私に声を掛けると、有無を言わさぬ感じで前に進み始める。他の者は私が逃げないように周りを囲み、笑みを浮かべながらも、先へ進むように促している。強制もいいところだが、こちらとしても微塵も悪いところはないのだ。おとなしく従うとしよう。
「さあ、座ってくれ。おい、酒とミルクだ。あと、適当につまむものも」
布と板切れ、細い丸太の柱で造ったバラックをつなぎ合わせた建物の中は薄暗くも、おかしな熱気を感じた。酒を飲み会話を弾ませる者達、紫煙を燻らせ目の焦点が合っていない者、ゲラゲラと笑う者、テーブルに突っ伏している者。
危なそうな雰囲気満載な場末の酒場もいいところだ。
年増だが色気を振りまきそうな給仕の女に、男は声を掛け、注文をする。他の者達も各々、近くの机に陣取り適当に注文をしている。店に入ったとき、私へ好奇の視線を送る者達もいたが、私のそばにこの者達がいることに気付くと直ぐに視線をそらして、何事もなかったかのように振る舞い始めていた。
この辺りの顔役なのだろうと直ぐに判る対応だ。
「酒、タバコ、大麻。オラークルの教育には悪いのでは?」
「なに、大丈夫さ。ここではないが、もう慣れている」
オラークルは給仕が持ってきたミルクに口をつけてコクコクと頷いている。
「……まあ、余計なことにまで口を出すつもりはありません」
「そうだな。で、オタクはオラークルとどこで出会ったのかな」
男は酒の入ったグラスを脇に置きながら机に両肘を付き手を組んだ状態で、こちらへにこやかだが有無を言わさない視線を送り問いかけてくる。ことと次第によっては、恩人でもただでは済ませないぞ、という雰囲気がにじみ出ている。
「信じる、信じないはお任せしますが、事実を語りますよ」
多分、信じられないだろう。だが、事実を述べるしか手段はない。さて、どうやってこの場を切り抜けられるか。最悪、靴でも脱ぎ、目の前の男に靴下をたたきつけて、悪臭を振りまいてでも逃げるとしよう。
「ふう、そんなところまで行っていたんじゃあ、見つからねえはずだ。そうか、わかった。アンタはオラークルの恩人の一人だ。後で、先住者という人達やあんたの友人にも礼を伝えて貰いたい」
私の語った信じられない事実を、男はすんなりと受け止めた。拍子抜けもいいところだ。
「こんな話を信じるのですか? 漂流して一ヶ月以上も、この少女が生き延びてこれたなんて――」
「まあ、オラークルだからな。この娘もな、アンタと同じ、能力を持っているのさ。俺達にもよく判らない不思議な力だ。まあ、おかげで色々と大変な思いもしているがな」
そう言うと男――周りにいる荒くれ者の別人種で構成された傭兵部隊を率いる副隊長は、オラークルの頭をくしゃくしゃと撫でる。
彼等が単純に四方山話に近い事実を受け入れられるほど、オラークルの能力は奇異なものということになる。
事実、大型魔獣がひしめく海洋の漂流を生き延び、先住者に助けられるという奇跡が起こっているのだ。
「で、アンタの目的はオラークルを故郷に送り届けるか、知っている人間に引き渡すと言うことだったな。目的は達成されたわけだが、どうする?」
「できることなら、しばらくこの辺りについて観光でもさせて貰いたいですね。オラークルの故郷にも興味があります。なにせ、多分、大陸を越えて来た久方ぶりの人間になるでしょうから」
トンボ帰りするのはもったいないというものだ。副隊長は、そうか、わかったと言う。
「案内役、寝泊まりする場所、わずかだが謝礼金もだそう。いずれにしても、集落には来て貰いたい。俺達の隊長、オラークルの姉にも会って貰いたいからな」
じゃあ、遅くなったが乾杯といこうと声が掛けられ、盛大に乾杯の駆け声が重なる。
私達の話が終わるまでお預け状態にあった周りの者達が一斉に騒ぎ出し、酒をあおり、紫煙をふかし始める。オラークルの姉は、このような荒くれ者達を率いているのか。彼女に似ない女傑のような人なのだろう。
まあ、会ってみれば判ることだ。




