第一話 種の生存
「死の海峡」と呼ばれるアリョーシャン列島は、植生豊かな大小様々な島と島の間を浅瀬で繋ぐ、アメリカ大陸と西の大陸をつなぐ架け橋と言って良い。
私達人類の文明が衰退の兆しを見せるより前は、そのような状態ではなかったと過去の地理学には記されていたが、今の現状は違う。
私の乗る愛車であれば、浅瀬を渡るのに支障は無い。死の海峡と呼ばれる由縁の一つとなる、めまぐるしい天候の変化も鉄の箱の中いれば影響は少ない。
時折に吹く突風でバランスを崩しそうになるが、安全運転を第一に考え速度を緩めて走行すれば何とか保てる状態だ。
ギョットがいる限り、餌となる新生種、魔獣の遺体や排泄物さえ手に入れれば、燃料となるクリア・ジェムはいくらでも手に入る。
そう、この厳しい環境の中にでも新生種は存在している。
生きて通過するには厳しいと言われるもう一つの理由でもある。
だが、私が思っていたことと、実際現地で繰り広げられる生存争いの装いは違っていた。
「魔小猿の遺体ですか……」
森林と沿岸の境の岩陰に埋もれるように、肉をついばまれ、無残な姿となった、魔獣の遺体は見つけられた。
文献によれば、地球にまず始めて見られた新生種がこの蟻と猿を掛け合わせたような醜い生き物、魔小猿だったと言われている。
二頭身で、大きい複眼にアゴ牙と長いかぎ爪を持つ、この魔獣は発見当初から他の新生種と同じように、人を見れば見境に襲いかかり、喰らい始めたということだ。
それほど大きい個体はいないため個々の危険性は低いものの、繁殖能力が高く、放っておけば数が増え、手がつけられない状態になり、幾つかの小さな集落が壊滅した原因となったらしい。
だが、それも前世紀の話だ。
人しか襲わない第一世代の新生種である魔小猿もまた人口が減るにつれて減少の一途を辿った。私としては、文献でしか見受けることが出来なかったこの醜い猿が、いまだに生き残っていたことへ驚きを感じている。
そして、生き物が生き延びるには栄養源となる食物があると言うことであり、少なくとも近くに、又は、この猿の行動範囲の中に人が住んでいる可能性があると言うことだろう。
できれば、生きたままの姿を見てみたいが、願いが叶うのは難しい様相を見せている。
どうにか生き延びた猿達も数を減らしたためか、従来の生態系から餌として扱われているようだ。このアリョーシャンに逃げ込んだと思われる魔小猿は多分だが、ネズミや狐と言った生態の餌に変わり果てたようだ。
厳しい環境の中で生き延びるには進化が足りなかったのだろう。寒さになれず、鈍ったままの動きでは野生の動物に襲われて当然だ。この先、まだ、この新生種の猿が住む縄張りを見つけられる事を期待したいものだ。
まあ、例え行き会ったとしても、駆除をすることになるだけだが。
「ただいま戻りました。オラークル、食事にしましょう」
『ハイ』
強い風が体温を奪い、寒さに耐えて戻った私達を車両の後部の格納庫からオラークルとトゥートが出迎えた。車は暖房を効かせるために運転状態のままだが、化石燃料のような排気ガスがでることもなく、静かに淡々と動いてくれている。
暖かい空気が逃げていかないように、中に入り扉を閉める。
冷えた身体に染みるような温かさだ。
「オラークル、パンと、昨日作ったトリ肉のスープで済ませましょう。これから、温めますので少し待って下さい」
私がそう言うとトゥートを抱えた金髪の白い肌をした少女、オラークルがコクリと頷く。
ギョットは外での狩りの際に見つけた先程のデモン・モンキーの遺体で済ませている。流石に、腐敗臭を放つ遺体を持ってくることは拒まれたので、その場で処理をして貰った。彼にとっては物足りなかっただろう。
本日も含めて、列島に入ってからの新生種を狩った成果はない。ただ、生存争いに敗れた新生種の遺体がちらほらと見受けられ、そのおこぼれに預からせて貰っている。
本音を言えば、助かっていると言わざるを得ない。できうる限り余計な争いはしたくはない。弾薬の残りは無いわけではないが、この先どうなるか判らない状況である今は、節約をしていかなければならないと考えた末だ。
オラークルは住んでいた集落が賊に襲われたと言っている。場合によっては、又、争いに巻き込まれる可能性がある。
そして、そこで、弾薬が手に入るとは限らない。今、私が使っている銃の弾薬は、なかなか手に入らない代物だ。弾薬を整える装備はあるが、材料が手に入らない。空の薬莢は極力拾ってはいるが、無駄な長物にもなりかねない。
雷管が手に入らないのだ。作り方が判らないと言って良い。
今後の一つの課題となるであろう。
ぼんやりと考え事をながら、温かい鳥肉を入れたスープに匙をつけてゆっくりと口に運ぶ。鳥肉から味がでるのか良い感じに仕上がっている。具となったトリはこの辺りでよく見かける、飛ばないわりには逃げる速度の遅いトリだ。私が近づいても襲い掛かることも逃げることもないので、捕まえ捌いて食料とさせて貰っている。営巣から卵も拝借をしている。感謝して、良い栄養源とさせて貰っている。
樹木を避けるため、波の荒い沿岸を走り進める。幼い彼女の記憶と地図があっていればの話になるが、2週間程度でオラークルが住んでいたと思われる集落にたどり着くはずだ。
しかし、長距離を一人で運転するのは想像以上にくたびれる。
ワシントンやアンカレッジへはアトスと交代しながら運転をしていたが、今回は私一人で運転を続けなければならない。十分な睡眠をとるようには心がけているが、長時間運転を続けるとかなり、腰に来る。
オラークルを早く送り届けてやりたいが、流石に途中で休憩を取らないと身体が持ちそうもない。天候が比較的穏やかな合間を狙い、ギョットやオラークルと共に辺りを散策し、気晴らしがてらの休憩を取るようにしている。
狭苦しく感じるようになった運転席から降り立ち、伸びをする。
筋肉や骨から軋んだ音が聞こえてきそうだ。
フゥと一息ついて辺りを見渡す。多少風は感じるものの、久しぶりに感じる穏やかな晴天。助手席のほうに回り込み、扉を開けてオラークル達を降ろしてやる。
私を見ていたのか、真似をするようにオラークルも身体を伸ばしている。
「さあ、少し歩きましょう。ずっと座ったままなのも身体に悪いですからね」
暖房の良く効きすぎた車内から出てきて直ぐのため、冷たい外気が心地よく感じる。火照った顔の辺りが、冷気で締まるようだ。
私がギョットを抱え、オラークルがトゥートを抱えて寄り添いながら、寄せては返す波打つ浜辺の際を散策する。
ふとオラークルが立ち止まりやや荒れた海の方角を眺めている。
「ああ、海洋に住む大型の新生種ですか、ここからでも見えると言うことは、かなり大きいのでしょうね」
影のように見える線のような身体をくねらせて海面から姿を現して、蛇のように身をくねらせつつ海中から頭を出さずにいる。
多分、チューブワーム型の新生種にあたるシーサーペントの類いであろう。当時の記録となった図鑑では見たことがあるものの、遠目からでも実物を見るのは初めてだ。
「確かに、あんなものに襲われ続ければひとたまりもありませんね」
呟くように私は独り言を漏らす。科学技術と文明の栄えた過去でさえも、海洋の行き来が行われなくなった由縁となる、海に住む大型の新生種達の姿をまざまざと見せつけられて、どうにもならないこともあるものだと、私は素直にそう感じた。
「あれが襲ってくることはないでしょう。もう少し歩きましょう」
オラークルはコクリと頷く。お互い、言葉による会話はできないが、同じ能力者で新人類同士、ギョットの中継を経てだが念話で意思の疎通はできる。
そして、私達以外誰もいないものだと何も気にとめていなかった私の耳に人の叫び声が聞こえてきた。
岩場の向こうから叫びは聞こえる。魔小猿がいたからには、人がいてもおかしくはないと考えてもいたが、これほど近くにいるとは思いもしなかった。
「助けに行きます。待っていて下さい!」
義務感に駆られるかのように、私はギョットを抱えたまま駆け出す。もちろん、銃は肩に担いでいる。手ぶらでこんな危険な場所を歩くわけには行かない。
『え、え、誰かいるのアラムさん?』
ギョットには聞こえないということは、能力者ではないと言うことだ。ただの一般人が魔獣がひしめく辺りを歩くとは、何を考えているのだろうか――
岩場にさしかかる手前で、悲鳴と叫びは不快な音に変わった。
「ナー!」
代わりにトゥートの叫び声が聞こえる。後ろを振り向くとオラークルが倒れていた。慌てて、オラークルの元に駆け寄る。抱きかかえ、様子をみると、ただ、眠っているだけのようだ。
そして、直ぐに私に抱えられたオラークルは目を開ける。
『ごめんなさい。ちょっとだけ、気分が悪かったの』
「いえ、こちらこそ気付きませんでした」
不意に訪れた彼女の異変に私は少しだけ気が動転する。ここ幾日かの状態で、特に問題は無いように思えたのだが……
彼女自身が病弱なのかも知れない。これでよく、漂流の中で生き延びられたものだ。今後は気をつけねばいけない。
『アラムさん、なにかあったの?』
念話で話が出来ても、音も、視覚も感じないギョットからは、私を含めて周囲の本来の姿は見えない。オラークルが、今、どのような状態にあるかもよく判っていないのだろう。
「いえ、大丈夫です。それにしても先程の叫び声は一体……」
今は岩場の影から不快な何かをこすりつけるかのような音と、獣のような声が聞こえてくるだけだ。
私はギョットをオラークルに預けて岩場に近寄り、そっと裏側を覗く。そこで珍しい光景が見て取れた。
背中にある翅から先程から聞こえる不快な音がかき鳴らされている。体長は3m程はあるであろうか。ずんぐりとした体型の海獣型の新生種なのだろう。
魔小猿と同じく第一世代の新生種、今では珍しい存在となり、やはり図鑑でしか見たことがなかった偽翼海獣だ。
セイレーンの名がつくように、こすり合わせた翅から出る音で、人を惑わし、おびき寄せてから襲いかかると言われていたが、実際に自分が体験するとは思いもしなかった。
そして、その魔獣の身体には、第二世代の新生種、鶏卵程の大きさをしたダニ型の魔獣王壁蝨が集っている。しかし、王壁蝨は血を吸う魔獣だが、血を吸われている時
に痛みは感じないはずだ。
痛みを伴う原因はもう一種の集っている無数の生物、クマネズミのせいであろう。
たまたま、巣の近くに上陸して、私という存在をおびき寄せようとした所を襲われたのかも知れない。運がないことだ。
私は担いだ銃をフェイク・セイレーンに向け、銃弾を放つ。あまり狙いは定めずに、素早い動作で装弾をして数を撃つ。弾に限りはあるが、今は気にしている場合ではないだろう。
音に驚いて、ネズミは逃げる。キングチックは十分すぎるほど血を吸ったためか、私に向かおうとするも動きが鈍い。逆に、逃げ遅れたネズミ達に噛みつかれ、そのまま持ち去られてしまう。あの、魔獣もネズミの餌に成り果てるようだ。
「いやはや、天然自然の力は人の営みよりよっぽど力強いですね」
私は、目の前で見た光景に感嘆を漏らす。必ずしも、新しい生態系が、従来の生態系を蹂躙するとは限らないということなのだろう。
岩場には偽翼海獣の遺体が残るだけだ。最近、あまり食べていないであろうギョットの良い栄養になりそうだ。
ギョットは魔獣を処理して、幾つかのクリアジェムを生み出した。この透明で効率の良い燃料は、幾つあっても無駄にはならないし、それほどかさ張らないので場所を取る心配もない。
私は始末をした偽翼海獣を見てアンカレッジの出来事を思い出す。
あそこの住人達は処理をした、魔獣の肉を食べていた。私も知らずに食べさせられたが、お世辞にもおいしい物とは言えなかったものだ。アンカレッジには、あの、目を合わせた者に対して一瞬の幻覚を見せ、聞かせた言葉をわずかの間、真実の様に思わせるという変わった能力を持つ先住者の青年エスペを含めて、私が住んでいたジュノーやワシントンに比べても新人類と呼ばれる能力者が多くいた。
そして、スソーラのように人為的に作られたのではなく、生まれながらにして魔獣の一部を併せ持つ別人種もいた。
新人類や別人種が産まれた原因は、もしかすると、魔獣の肉を食べることと何らかの因果関係があったのかも知れない。
では、先程のクマネズミ達の様に以前から魔獣を餌として捕食していた従来の生態系の生物達には変化がなかったのだろうか?
だが、そうすると私やアトスの親はどこかで魔獣の肉を口にしていた可能性もあると言うことになる。
アトスの一家は貧困に喘いだ時期があったと言うことだから、もしかすると可能性はあるかも知れない。
しかし、ワシントンで生まれ育ち、傲慢で偏見に満ちた感覚を持つ私の両親が魔獣の肉を食べることなど、まず、ないはずだ。
どうやら、この旅が終わった後に調べることが出来たようだ。
結果が良いものになると限らないが、調査する価値はあるだろう。




