第六話 ゴミ溜めの王
錆が浮き始めている鉄の扉の取っ手をゆっくりと下げ、僅かな隙間から中の様子を伺う。
暗闇の中でも、ある程度の様子を伺える私の目で見た限りは特に異常はないようだ。
「大丈夫です。入りましょう」
私は、すぐそばに控える、アトスとエスペ、そして、離れた所でせわしなく顔を動かし、周囲を警戒するネポースへと声を掛ける。
「今回はオイルラットの巣ではなかったのかあ」
「大丈夫ですよ。先ほどが不運なだけだったのでしょう」
地下のターミナルに潜り始めて三日程経過している。ネポースが持つ時計で、遂次時間を確認しているから間違いはないだろう。
今、いる場所は地下3階に位置するようだ。この辺りまで足を延ばすことは滅多にないと言う。
不思議なことだが、それでもネポースは、迷うことなく案内をしてくれる。
「共同体の連中が迷うことは、まず、ない」
ネポースの件についてエスペに尋ねると、そう答えが返って来ただけで、あとの詳しい事は判らずじまいだ。エスペ達、先住者も詳しい事は教えられていないのだろう。
「ネポース、ここも開けたことのない部屋で間違いありませんか」
「ああ、俺は開けたことはないよ。他の奴は知らないけどね」
部屋の中に入り、念のためネポースに確認をとる。案内役として、ここまで深い場所に来ることはなく、一人で来ることもないということだ。
たとえ来ても、余り部屋の扉は開けないらしい。時には、小型の魔獣の巣窟になっていることもあるからだ。
この部屋に至る前の部屋がまさにその状態であった。扉をわずかに開けた直後に、オイルラットが漏れ出してきた。
慌てて扉を閉めて、出てきたオイルラットを蹴り飛ばし、始末はしたが、ネポースは危うく一人で逃げて帰るところであった。
曲がった通路の奥で蹲り、ビクビクと警戒しているところをエスペに捕まり引きずられて戻ってきた。
小型の魔獣の群れを見て驚き、咄嗟に身体がうごいたものの流石に、一人で戻るのは危険だと察し、どうにかその場に踏みとどまった結果だろう。
良くも悪くも、私達だけではここから地上へ戻れる見込みが無いため助かったともいえる。迂闊な行動をした私にも責任があるため、あまり彼を責めるようなことはできない。
ちなみに、先の部屋は封印して開かない様にしておいた。今後、他の誰かが封を破って入るのは自己責任となるであろう。
部屋の中にめぼしい物は無い。幾つか見つけた保存食は全てネポースに預けている。
共同体の人間は、魔獣の肉だと思うものを決して食べない。彼の食糧となるものは限られてしまう。案内役に万が一の事が起きると、こちらの命にもかかわる。
そして、今回はギョットを連れてきてはいない。先住者の長の所に預けている。エスペが言うには、共同体の連中がギョットを見ればきっと案内役を断るだろうということだ。
前回はその事に気付かず、ネポースの様子を見て、思い至ったのだ。一歩間違えれば、今回の案内役もして貰えなかっただろう。
「なにかの書類か、記録媒体ばっかりだなあ」
「まあ、倉庫の利用方法等そんなものでしょう。ワシントンの所長の元に届けられれば、何か別の発見でもあるかもしれませんが」
鉄の棚に積まれる箱の中身を見る限り、今の私達に価値あるものは発見できなかった。
ここにある、記録媒体は、下手をすれば都市の設備でも解析が難しいかもしれない。
持って帰っても無意味な可能性になりかねない。次の時代に役立つ日が来ることを願って、元の場所に戻すとしよう。
四日目。野営の始末を終えて、また地下の通路を歩きだす。都市にくまなく広がっているという地下の空間は限りなく広い。
全てを探索するにはかなりの日数を要するだろう。今日一日探索を進めて、明日からは帰路につく予定だ。
地下三階は二階に比べて、崩落している場所が少ない。上の階のガレキが落ちている場所もあるが、通路は比較的無事な様子だ。
「おい、少し下っていないか」
「そんなことはないよ。道は平らだろう?」
探索を続け歩いている最中にエスペは、先頭を歩くネポースの方を不意に掴み、問い掛ける。
先ほどからクネクネと曲がる道を延々と歩いている。ネポースは気にせず歩き続けていたが、エスペは下に向かって降りていると感じたようだ。私とアトスも顔を見合わせる。体感的には降っているようには思えない。
「いや、わずかだが降っている」
エスペは私達が知らない間に地下三階から下の階へと降りていると言いたいようだ。
「まさか、階段を降りていないのに、そんなことはないよ」
「ネポース、この辺りに詳しいのかあ? 来たことは?」
「ないよ。一本道みたいなものだろう? 迷わないよ」
地下の探索の案内役を務めるネポースも来たことのない道を私達は何も知らずに歩いていたようだ。
「おいおい、そんな場所案内するなよ。危なくねえのかあ」
「だけど、見た事ない保管庫や倉庫を見つけたいのだろう? なら、行ったことのない場所を案内する方がいいかなって思っただけさ。どうする、引き返すかい? 引き返すなら、そのまま帰るようになると思うよ」
ネポースは悪びれもせずに、私達に向けて言い出す。もしかすると、早く帰還するために、わざと案内をしたのかも知れない。
「もし、このまま下っていたとして……、エスペは地下4階以降にいったことはありますか」
「ないな。余り地下深くには潜らない」
こいつらが行きたがらないと、アゴでネポースを指す。私はしばし、沈黙し、考え込む。
「……進みましょう。人が入っていないのならば、何か新しいものが見つかるかも知れない」
「えっ、本当に行くの?!」
帰ると言った答えを期待していたネポースが驚きの声を上げる。私としては、今日一日を費やして無駄足だったとしても、無駄足と判ったこと自体が収穫にもなる。
「よしでは、行こう」
私の言葉を聞き、エスペはネポースの肩を押す。悲壮感をただ良さわせた雰囲気のネポースはトボトボと歩き始める。
「自業自得だなあ」
アトスはネポースの様子を見て、苦笑いをしながらそう呟く。そして、私の顔を見て、
「お前の行動力を読み違えたよなあ」
と、肩をすくめて呆れ顔で笑った。
エスペの言う通り、地下通路はなだらかに降っていたようだ。当時の人達が、何故、この様な通路を作ったのかは判らない。
緩やかに湾曲した通路を降りきった後、無機質なコンクリートで固められた通路が延々と続いているが、そこかしこに扉が付いている。
「昔の、居住区かなにかだったのかあ?」
ネポースの手に持つ明かりに照らされた光景を見て、アトスは首を傾げる。エスペは顎を少し上げ、鼻をひくつかせ、何かを嗅いでいる。
「この先で、わずかに異臭がする」
エスペは先を指差して、異臭が漂ってくる通路の奥へと歩きだす。ネポースも後からついて行くが、少ししかめっ面をしている。
「ネポース、何か心当たりがあるのですか?」
「ああ、異臭がする地下の地下。こんな通路からも繋がっていたのかも知れない……。ここは、多分、地下五階だよ。俺にもはっきりと臭いが判る。まいったな、地下四階を通り越して、こんな場所にたどり着くなんて……。この先には、ゴミ溜めの王の居住エリアがあるから」
「ゴミ溜めの王?」
「着けばわかるよ。歓迎はされないけどね」
徐々に強くなる異臭。地下空間でこれ程の臭気を放ったままでいるのは色々な意味で良くないと思うのだが、何故かエスペは歩みを止めずに前へと歩き続ける。
まっすぐに続いた通路の先は幾つもの交差路があり、先頭をエスペからネポースに変わった。ネポースは、彼の言うゴミ溜めの王の元に連れて行ってくれるようだ。
「ネポース、別の道から進むことも可能ではないのですか? 別に無理して王とやらに会う必要もありませんよ」
「実は、地下五階から地下二階へ近道できる階段があるんだよ。だけど普通は使わない。ゴミ溜めの王に謁見したい奴なんていないよ。嫌味を言われるだけさ。でも、せっかくここまで来てしまったんだから嫌でも使った方が楽だろう。食料も少なくなりそうだし、無駄に歩くよりはいいと思う」
臭いがきつくなり、若干不快そうにネポースは語る。私は、自分自身の経験から臭いには強いが、アトスとエスペは袖口で鼻を隠している。
大きく頑丈そうながらも若干ひしゃげた扉が目の前にある。この扉の先から臭気は強く感じる。多分、ネポースの言うゴミ溜めの王とやらがいる場所なのだろう。
「王様だから、偉いのかあ」
若干鼻声でアトスはネポースに問いかけるが、ネポースは鼻をつまんで苦笑いのまま首を横にふる。
「俺達、共同体の人間が付けた通称だよ。遺跡の中にあるものを拾っては集めて捨てずにいるから付けた名前さ。何を考えているんだか、腐った魔獣の死体も持ちこんでいるほどでね。噂だと、ゴミの中に貴重な遺跡を隠しているらしいけど、とっても手を付けられる状態じゃあないよ。そもそも、手を付けようものなら烈火のごとく捲くし立てられるから」
そう言って、ネポースは扉についている、鍵の代わりをしていると言う部分に手をかざす。
「都市の末裔、共同体のネポースだ。避難所の扉を開けてくれ」
彼がそう呟いてから、少しの時間を待つと、扉に掛かっていたと思われる鍵が外れる音が鳴り、扉がゆっくりと静かに開いたが、漂う臭気の強さにエスペとアトスが顔を盛大にしかめる。
「ひでえ、臭いだ」
ネポースが避難所と言った場所はかなりの広さを持つ空間であった。アンカレッジの地下に住んでいた人達が一時的に逃げ込むための施設であったのかもしれない。
しかし、今は人の代わりに至る所にガレキや何らかの書類を入れた箱、壊れて使えそうもない道具の類に、魔獣の骨が散乱している。
「おい、早く出るぞ」
エスペは耐えられそうもないのかネポースに早く先を案内しろとせっついている。異臭には多少の耐久性がある私でなければ我慢できないレベルだ。
「わ、判っているよ! あたりのものには絶対触れないでくれよ、余計な揉め事を起こしたくないんだ」
ネポースはそう言うと足早に、それでいて床に散らばるゴミや残骸を踏み荒らさない様に慎重な足取りで先へと進む。私達もその後に続く。
先に進めば進むほど、ゴミの量は多くなる。一体どれだけのものを集めて、ここに集積しているのだろうか。そもそも、人が住むような環境ではなくなっている状態だ。
そして、ゴミがうず高く積った場所の中央に一人の老人が座っているのが確認された。
「スクルータ爺さん、悪いが通らせて貰うよ。少しアンタの持ち物の上を歩くが許してくれないか」
ネポースは眉をひそめたまま、ばねが壊れたソファーに座る老人に向けて声を掛ける。
「なんじゃあ、儂の財産の上を歩くっていうのか! 泥棒か! お前も泥棒じゃろう!」
老人はその場で立上り、ネポースを含めた私達に向けて怒鳴りつける。迫力はないが、耳障りな怒鳴り声だ。
「アンタの物に興味はないよ! 奥の階段からすぐ出ていくから、勘弁してくれ!」
ネポースはそう言うと、老人の返事を待たずにさっさとゴミの山の上を歩きだす。老人はその場でしきりに怒鳴り声を上げているが動こうとはしない。
「なんだい、あの爺さんは?」
アトスが臭いと、老人の怒鳴り声に不快そうな顔をする。エスペも良い顔をしていない。
「この部屋を占拠している爺だよ。俺達、上の階に住む共同体が見つけた時にはここに住んでいたんだ。ここは結構安全だからゴミを片付けて、俺達も住まわせてくれって話に来たけど、あの通り聞く
耳を持たないのさ」
「力づくで追い出そうとは思わなかったのかあ」
「……共同体にも暗黙のルールって奴があるからね。占拠した場所を強引に奪うやり方は止そうって、ご先祖様が決めたからね」
だから、時々あの手の輩が現れるのさと、ネポースは自嘲気味に語る。
彼らなりに、地下で生き抜くルールを決めた結果、少数の人間に広大で安全な空間を占拠されているという皮肉さが身に染みているのだろう。
階段がこの先にあると言う扉を、ネポースが開ける。この扉は錆が多少はあるものの、気密性も保ち、機能的に問題はないようだ。
そして、扉の先には二組の男女と一人の少女がいた。辺りを見回すと、生活用の雑貨が見受けられる。ここで寝起きをしているようだ。
「よう、ゴミ王の後継ぎに倅さん。元気そうだな」
外からネポースが皮肉気な笑みを浮かべて二人の男に声を掛ける。あまり、仲の良さそうな雰囲気ではない。
「おい、早く締めてくれ、臭くてたまらないんだ」
「自分の父親、王様の持ち物を臭いなんて言うなよ」
「どうでもいいから、早く入って締めてくれ!」
二人の男は口々に臭い臭いと騒ぎ、扉を閉めろと叫び始める。ネポースはニヤニヤとしながら扉の先に進み、私達も後に続く。私達が入り切った後に、少女が直ぐに扉を閉める。
暫くすると、異臭はしなくなる。上を見上げると、上階へと進む階段が吹き抜けの空間に続いている。吹き抜けは階段の高さを超え、更に上にまで抜けている。その上には換気装置でもついているのかも知れない。
「ふう、やっぱりここまでくると臭いはなくなる」
「上の階の人間が何しに来た? また、部屋を明け渡せって交渉に来たのか。ご苦労なこった。無駄なのにな。親父は耳を貸さないよ」
ゴミ王の倅と言われた男が、嫌味そうにネポースへ向けて言う。ネポースはそう言われ、ムッとした顔をするも、直ぐに見下したような笑みを浮かべて相手に告げる。
「違うよ。後ろの連中に頼まれて遺跡探索をしている最中に、別ルートを見つけてたどり着いただけさ。こんなゴミ溜めに好き好んでくる奴はいないよ」
「なにを!」
ネポースに馬鹿にされたとおもったのか、男は掴みかかろうとするが私達が前にでると直ぐに怯んで後ろに下がる。
「な、なんだよ! 地上の人間がこんなところに来るなよ!」
まるで、地下にある自分達の恥部を見られたかの様に狼狽える男の肩を、後継ぎと呼ばれた男が掴む。
「よせ、フィーリウス。親父のゴミ蒐集癖は事実だ。いつまでたっても片付けられらない俺にも責任がある……」
「片付ける? おい、レーグルス、いくらアンタが長男だからって勝手にあれらをアンタの持ち物みたいにいうなよ!」
「馬鹿を言うな、アレはゴミだ。ゴミの山だ。片付けるしかないんだ。お前の手を煩わせる訳にはいかないだろう……」
だから! と、ゴミ王の倅フィーリウスは続けて怒鳴り、ゴミ王の後継ぎレーグルスはボソボソとした声で否定を続ける。二人は兄弟のようだ。
「放っておけよ。いつでもこうさ。さあ、階段を昇れば2階の非常口に出る」
ネポースは呆れた感じで、見下すように二人をちらりと見て無視するように階段へと歩を進める。
「そんなルートは知らん」
エスペは、若干不満そうな口調でネポースを問い詰める様子を見せる。初耳のルートだからだろう。
「し、仕方がないだろう! 表からは決して開かない扉なんだ、向かったって無意味じゃないか」
ネポースはそう言うと、ほら、早く帰ろうといって私達を急がせる。エスペは不服そうだが、私達としては予定より早く帰れるのならば特に不満はない。
私達が進むのをジッと女二人は見つめている。早く行けと言うような視線だ。この二人は、今も言い争っている兄弟の妻なのだろうか。
そして、先を進む私達を又、別の目が見つめている。
それは、不満げでかつ、すこし寂しそうな視線。
どちらかの夫婦の子供だろう少女から向けられる視線だ。
「失礼」
私はそう言うとネポースの鞄から若干はみ出ていた保存食の入った箱を一つ取り出し、少女に手渡す。
「あ、勝手なことを……」
「うるさい。黙れ。先に行け」
文句を言おうとしたネポースの肩をエスペは押し、更に睨みを効かせる。
「通行料です。受け取って下さい」
「ありがとう。……今度は何か、話を聞かせて」
消え入りそうな声で少女は私に礼を言う。次に来ることはないかも知れないが、にこりと笑って頷き返してから皆の後を追う。
「次来るときはギョットを連れて来るかあ。ゴミの始末ができそうだ」
「勝手に片付ける訳にはいかないでしょう」
アトスの言葉に、そう返して上へと続く階段を昇って行く。明日は久しぶりに陽の光を見ることができそうだ。




