第四話 都市の共同体
廃都市アンカレッジは捨てられた都市であった。森林地帯と山間を切り開いた場所に建てられた都市は、幾度も襲い掛かる魔獣の大襲来に見舞われ、住人達は自らが造りあげた都市を捨て去った。
都市を捨て移るさいに、移住者の選別がされた。全員が南へ行くことは不可能だと、時の権力者達が考えた結果なのだと言う。
北に残された先住者の祖先は、都市から離れた場所に集落を作り、我慢強く魔獣の襲来を耐え忍んだ。
南の都市群を追われた先住者は北へと向かう。過酷な環境の旅の間に幾人もの同胞が倒れてもなお、新天地を目指した。
いつしか北と南の先住者達は合流を果たしたと言うことだ。
当初はお互いに反発もあったらしいが、知識、知恵を教え合い、いつしか伝統は融和し、今の生活が成り立ったと言うことだ。
「北と南、両方の祖先は都市を追われた。天啓だったのだ。結果として、捨てられた都市に俺達は集まり移り住んでいる」
エスペは私達が向かう都市の狩場へ案内をする道すがら、先住者の歴史を教えてくれている。時が流れているせいか、伝承的な昔話と言った感じも散見されるが、興味深い話でもある。
「ところでよお、これから向かった先にいる共同体の連中てえのはなんなんだ? 先住者じゃあねえのかい」
「うむ。違う。あいつらは、まあ、都市から逃げ損ねた者達の末裔だ。地下のターミナルで細々と暮らし続けている」
「アンカレッジが捨てられてからずっとですか? よく生き延びられましたね」
エスペの説明を聞き、私は驚きを隠せない。多くの都市遺跡には人の営みがギリギリまで続いていた痕跡は残っているが、人が住み続けていたことはない。時折、都市を追われた者が、やむなく住み着いていることがあるくらいだ。
「じゃあ、アンカレッジはそいつらが所有権を持っているって主張するんじゃあねえのか」
「いや、アイツラは地下から出ない。皆無だ。安全地帯を住処にした。危険と思っている、地上へ出ることを恐れている」
エスペの祖先がアンカレッジに辿りついた時、彼がいう幾つか存在する共同体は地下で細々と生きながらえていたらしい。魔獣の襲来を恐れ、安全地帯の柵の中で、いつも何かに怯えながら暮らしていたと言うことだ。
「食べ物などはどうしていたのですか」
「水は地下に湧水がある。キノコを栽培したり、鼠を育てて食ったりしていたようだ。どの共同体も滅びる寸前だったとも言われている」
地下ターミナルへ足を踏み入れた先住者達は驚きつつも、都市の共同体と交流を図り、いまではお互いに、物資を融通し合う仲なのだという。
「俺達を拒んだ共同体は、結局生き延びることはできなかった。食がなくなる、魔獣に襲われる、子供が産まれない、原因は様々だ」
時折、先住者に恋をした者が地下ターミナルから抜け出すこともあるらしい。逆に共同体に居つこうとする先住者はいないということだ。
「陽が当たらない地下の中で、アイツラみたいに生白く生きていくのは、ゴメンだ」
エスペは横を向いて吐き出すようにお断りの言を述べた。お互い交流はあるが、完全に認め合っているわけではないようだ。
「アイツラは地下に長く住んでいる。多少は道を知っている。臆病者ばかりだがな」
それか、地下ターミナルの地図でも持っているのだろう。エスペの話通りだとすると、私達が今、歩いている付近の地下にさえ通路は存在しているようだ。
「共同体が幾つか存在しているのなら、共同体同士で協力し合っていることはないのかい」
「ない。アイツらは意識やプライドが高い」
エスペは両掌を肩まで上げて、お手上げのような仕草をする。私とアトスはお互いに見合って肩をすくめる。
都市に執着する人種は、誰も同じようになるようだ。
ガレキをバリケード代わりにしているような、通路の入口を乗り越えて進む。階段を下って行けば、徐々に外界の光は差し込まなくなり、暗闇が当りを支配していく。
エスペがランタンに火を灯す。周囲の壁面がランタンの光に灯されてお互いの影が壁に大きく写り込む。
「もう少し先だ。足元が悪い。転ぶな」
「まあ、大丈夫だろうよ」
「私は問題ありません」
『僕も平気』
アトスはギョットの向けて当然だろうと笑って言う。彼は、ずっと私の肩に乗っている。自ら転ぶと言うことは、まず、ないだろう。
メインの通路に時おりの生える脇道へそれ、違う通路にでる。通路の角を曲がり、別の脇道に至る。そんな事を何回も繰り返している。私には、どう帰って行けばよいか分からない。
「なあ、エスペ、帰り道、本当に判るのか」
心配になったアトスがエスペへ恐る恐る尋ねている。不安なのだろう。先頭を歩くエスペは気にする素振りも見せない。
「問題ない。この辺りは案内無しでも大丈夫だ」
時折行き会う、威嚇を上げる小型の魔獣を蹴り飛ばし、天井が崩れた通路を抜け、壁が壊れた場所を潜る。地下水が浸水した場所が小川や池の様になった場所には、地下の環境に適応した生き物が住み着いていた。
「魚でも釣れそうだなあ」
「うむ。釣れる。だが、ここの水質では駄目だ。不味い」
冗談で言ったつもりのアトスは、釣れるのかよと呟いているが、一体何が釣れるのだろうか。それに、不味いと言うことは食糧にもしていると言うことだ。先住者の逞しさには呆れるばかりだ。
細い通路に入った先に、ひしゃげて隙間が空いたシャッターの手前に鉄製のバリケードが並んでいた。
「この先に、付き合いのある共同体がある」
エスペはバリケードを跨ぎ、シャッターの隙間を遠慮なく潜って行く。防護柵の代用品を置いている割には見張り役は置いていないのだろうか。
「誰か、いるか」
シャッターを潜った先でエスペが声を張る。応答がない。
「……誰もいないんじゃねえのか」
静まり返った黒く塗りつぶされた空間には人が何かを営んでいる感じは見受けられない。もしかすると、何かしらの理由で滅んでしまったのではないだろうか。
「おい、エスペ・ヒスモだ。早く誰か来い」
エスペは若干、苛立つ感じで大き目な声を張りあげる。彼はここに共同体の人間がいることを確信しているようだ。
闇の奥から、弱々しい灯がこちらに向かってくる。それの進み方はひどく遅い。何かを恐れている感じがありありと判るようだ。
「早く来い!」
エスペは苛立ちを隠せずに怒鳴り声を上げる。それでも相手は決して速度を上げることはない。
イライラと待ち続けるエスペに向けて、ノロノロと灯が近寄り、ようやく顔が判別できる程度の距離にまで歩み寄ってきた。
弱々しい明かりのせいかどうかは判らないが、痩躯で生白い肌をもつ、背が若干曲がったくたびれた感じの男が、キョロキョロと私とアトス、そしてエスペを怯えた様子で見比べている。
「やあ、エスペ。余り大きい声を出すなよ。みんなが吃驚するんだ。ここでは静かにしてくれよ。余計なモノが近寄って来ても困るんだ」
馴れ馴れしさと、卑屈さを合わせたような口調で男はエスペに対して挨拶代りの文句を言う。
「早く来ないお前が悪い」
「知らない人間を連れているだろう。困るんだ、余計な連中を連れて来てもらっては」
ぶつぶつと聞こえずらい声でエスペに対して文句を言うが、エスペは聞く耳を持っていない。
どうやら見知らぬ私達がいることで、何かを訝しみエスペへの呼び掛けに答えるかどうかを迷っていたようだが、苛立つエスペの様子に負けて、顔を出したようだ。
「失礼、私達はつい先日、エスペ達のもとに来たばかりなのですよ」
「つい先日、来た? どこから迷い込んだんだい」
「アラムとアトスは南から来た長老の客人だ。怪しい者ではない」
「南からわざわざ、碌な物がないこんなところに来たのかい? 酔狂な連中だ」
「客人への無礼は許さん」
エスペにじろりと睨まれた男は、侮辱をしたわけではないよと弱々しく反論をするが、私達の顔を下から珍しい物を見るような感じで見上げている。
「狩り場に行く。案内役はお前だ」
余計な事を言わせまいとしてか、エスペは要件をさっさと述べる。男が慌てた様子で首を振る。
「いや、ちょっと待ってくれ。誰が行くかは、まだ決まっていないし、それに、今日は――」
「B2の静かな大池の付近で釣りや狩り、採取をしたい。連れて行け。では、行こう」
断ろうとする男の襟首を掴み、強引に引きずり寄せてから一方的に要件を言った後に入って来たシャッターの隙間へと投げ出す。
「エスペいいのですか? ちょっと強引すぎるのでは……」
「これでいい。なんだかんだ言って断ろうとする」
私の心配をよそに、まだ、もぞもぞとして動こうとしない男の背中を押して前に向かわせる。男はブツブツと文句を言いながらも、渋々ながらに歩き始める。
「とっても、仲良く交流をしているって雰囲気じゃあねえなあ」
こんなんで本当に大丈夫かよと、アトスがもっともな意見をぼやいた後に、歩き始めたエスペの後について行く。私も共にその後に続く。
暗がりの中で、私の肩から背中へとぶら下がる、ギョットの姿があまり見えなかったのは幸いだったのかも知れない。見えていれば確実に案内を断っていただろう。
まあ、この後すぐに、存在は知られることになるだろうけど、気付かれる迄は鞄に隠れていてもらうとしよう。
廃都市アンカレッジの末裔――先導役を務める白人の青年は自らをそう語った。地下ターミナルの各所に存在すると言う共同体の住人は皆、そう語るのだとエスペは付け足す。
「多くの連中はアンカレッジを捨てて逃げだしたが、都市の末裔は地下に残って都市と共に生きぬく覚悟をもった住人の生き残りなんだ。特に俺達の祖先は、今の安全地帯を確保するのに――」
痩せて、眼窩がくぼんだ不健康そうな顔で、周囲をキョロキョロと不安そうに見渡しながら、奇妙な形をしたランタンを掲げ、先頭を歩く青年ネポースは、気味の悪い笑みを時折浮かべて、若干誇らしげに都市の末裔について語っている。
(適当に聞き流せ。嘘が多い)
隣をあるくエスペはネポースに聞き盗られない様に耳打ちをする。事実はどうかは判らないが、彼らが都市の末裔を名乗り、捨てられたアンカレッジに住み着いていたことは本当のようだ。
「貴方達は地上に出ようとは思わないのですか?」
彼の貧弱で生白く、背が曲がった身体つきを見る限りでは、この地下ターミナルから出たことはないのだろう。陽に当たらない者は病を持っていなくても病的な感じがいとめない。
「な、なにを言っているんだい! なんで、わざわざ危ない地上に出なくてはいけないんだい!? おかしなことを言わないでくれ」
安全な地下でさえ危ないのに、彼は消えそうな言葉をブツブツと呟いて私の言葉を否定する。
「付ける薬はなさそうだ」
アトスは呆れ顔でネポースのボサボサの金髪を眺めている。その脇をすり抜けてエスペがネポースの襟首を掴み歩くのを無理矢理止める。
「グェ」
いきなり襟首を掴まれたため、若干首がしまった感じとなったネポースは締める鶏のような声を一つ上げて、咽ている。
「ゲェ、ホー、ホー、エスペ、な、なにをする!」
曲がった腰を更に曲げ、膝に手をつき、非難めいた目付きでエスペを睨み、息も絶え絶えに文句を言っているが、エスペは聞く耳を持たずにひと睨みして、鼻を鳴らす。
「馬鹿者。よくみろ、吸血藤壺だ」
ネポースは吸血藤壺と聞いた瞬間にギョットした顔を浮かべて後ずさりして我々の後ろに隠れ、前を凝視している。
「う、嘘だろ。この辺りに水っ気はないはずだ」
ネポースはビクビクとしながら、前から目を離さず、怯えながら警戒をしてもなお、エスペの言葉を怪しんでいる。
私もジッと前を見る。私は闇の中でも目が効く。壁に大きな塊がへばりついているのが見える。
「あの、黒い塊が藤壺ですか?」
「ほう、見えるか。俺でも触手がでたから気付いたが」
一瞬だけ見えた触手で判断したのだろう。ネポースは捕食される領域に踏み込みかねたのだろう。私の目には、普通の人の目では判りにくいだろう黒い色の大きな塊が見えているだけだ。
「俺には見えねえがなあ。どうすりゃいいんだ」
眉間に力を入れて凝視しても見えないアトスは、どうにもならんと言ってエスペに対処方法を求めている。問われたエスペは私を見て、ニヤリと笑い、顎をバーナクルへと振る。
「見えるアトスが撃つ」
「……いいでしょう。相手の反撃は?」
ないとエスペは言い切る。肩から下げていたライフルを構え、肩幅に足を開き、息を大きく吸い、照準を一度合わせ、目を閉じ、再び照準を見る。ズレはない。撃つ。着弾した藤壺の殻は爆ぜ、撃ち抜かれた場所から肉片が飛び散る。
「見事だ」
エスペは銃声がこだまする通路をスタスタと歩く。私達もその後を続く。置いて行かれそうになったネポースは慌てて私達に追いすがろうと後を付いてくる。
先に進んでいたエスペは、藤壺の間近で屈み、ガレキの無い床の部分を指でなぞり調べている。私もその隣に座り、同じように通路を指でなぞる。
「湿っていますね。濡れていると言った方が良いですか」
「ああ。どこかで地下水が湧いたのだ」
「こ、この前はなんともなかったのに! ああ、まったく、だから嫌なんだ、安全地帯を離れるのは、いつも、かならず、どこかが、危なくなっている」
エスペの言葉を聞き、ネポースはイライラとした様子で不満を言っているが、誰も聞いてはいないだろう。アトスは撃ち殺した吸血藤壺を興味深げに眺めている。
「なあ、これだろう。昨日の干し肉。本当にこれを食わせたのかあ」
アトスは、人の悪い笑みを浮かべてエスペに昨日の件を改めて問い直す。そう言えば、エスペはこの魔獣の名を言っていたような気がする。
「うむ。そうだ。殻を外して肉だけを持ちかえればいい」
「へえ、教えてくれよ、殻の外し方」
エスペは良しと声を出し、立上り腰からぶら下げていた厚手のナイフを抜き、撃ち抜かれた殻がへばりついた壁にナイフを突き刺し説明しながら器用にこじ開けていく。アトスはその様子を、頷きながら黙って見ている。
ネポースはしかめ面をして、目を背け見ることはない。
「貴方方は食べてはいないのですか?」
「馬鹿を言わないでくれ、魔獣の肉なんて食べるなんて、汚らわしいことするわけないだろう」
私達も食べたのですけどねっとも思ったが、アトスの言った言葉を忘れているから出た言葉なのだろう。ネポースはあからさまに嫌な者を見る目付きでエスペの背中を睨んでいる。
「では、何を食べて暮らしているのですか」
「……ネズミやキノコさ。自生させてもいるんだ。時々、案内の報酬でカバやワニの肉をもらうんだ。魔獣は絶対に食わない」
「だから、滅びる」
ネポースの言葉が聞こえたエスペは剥ぎ取り作業を続けたまま、振り向かずに感情のこもっていない声でネポースへ反論をする。
「う、うるさい! そ、そこまでして、生きたくはない! 都市の末裔としての誇りをもっているんだ」
「埃の間違いではないか」
薄笑みを横顔に浮かべてエスペは嘲笑う。
顔を青白くさせ、手を握りしめてネポースは震えている。
「ま、まあまあ、喧嘩はせずに行きましょう」
私が割って入り、二人の間を取り持つような格好になる。余り得意なことでは無いが、この場で争い事になるよりかはマシだ。
ネポースは肩で幾度か息を大きく吸いつつ、落着いてきたものの鼻を鳴らした後に後ろを向き、小さいがれきをけっ飛ばして、小声で聞こえる様に野蛮人めと呟き、私達の傍を少し離れて座り込む。
「案内役に逃げられると困るのはこっちだぜ」
「問題ない。幾日か迷えば出られる」
迷いたくはねえんだよとアトスはぼやいた後に壁にへばりついたバーナクルが剥げ落ちる。
『食べてもいいの? いいでしょう?』
鞄の隙間から様子を伺っていたのか、ギョットが語り掛けてくる。エスペはにこりと笑う。
「ああ。遠慮をするな」
ギョットはスルリと鞄から抜け出して、剥がれたバーナクルの肉を包みこみ消化を始める。幸いなことにネポースは明後日の方向を向いていて気付いていない。
「彼の話、どこまでが事実なのですか」
私は都市の末裔の経歴についてエスペに真相を尋ねる。
「さあな。勇気ある者がこんな場所にいない。逃げ遅れだろう」
エスペは、勇敢な者ならば、安全だからと言って地下にこもり続けるようなことはしないだろうと言いたいのかも知れない。そして、地上に出ることをしない都市の末裔をただの、逃げ遅れた者達だと思っているようだ。
真相は判りはしない。もう、過去の事なのだから。私達が憶測でとやかく言う必要はないようだ。エスペは毛嫌いをしているようだが、そっとしておけばいいのかも知れない。
食事を終えたギョットが鞄に戻る頃、しびれを切らしたネポースが何時まで何をしているのかといきり立ち、先に行くぞとスタスタと歩き始める。
「小心者だが癇癪持ちでもある」
クツクツとエスペは小馬鹿にしたように小さく笑う。私もアトスも顔を見合わせ肩をすくめて呆れる。
この先住者と先を行く都市の末裔はどうにも仲がよくないようだ。




