第十話 その存在を許さざるべき種
「ヂヂヂヂヂ」
動きを止めた愛車に乗る私達を取り囲み、弾が切れ、なす術がなくなった様を見て、声を上げ笑うのは、ワームドッグの成獣達だ。
「ヂヂヂヂヂ」
あれが、何を言っているのかは私には判らない。ギョットは、こいつらの言葉を聞き当てたようだが、どうしてなのかは判らない。
「ヂヂヂヂヂ」
私の前で低く耳障りな擦過音のような、鳴き声を上げ続けている。いつでも、犯し、殺せると踏んでいるのであろう。
「ヂヂヂ――」
「アー、びっくりした! 前方不注意甚だしいね! アトス君、油断大敵だ!」
ストラーノ所長が車体の格納スペースの背面に取り付けられた、観音開きの扉を蹴りあげて、騒々しく出てきた。周囲を取り囲むワームドッグのことなど歯牙にもかけず、気にしていない。
「所長」
「ん? アラム君どうした、機関銃の弾が切れて諦めるのかい。こいつらは、キミの奥さんと娘さんの敵だろう」
所長は、私に向けて戦うことがさも当然だと言わんばかりに、酷薄な笑みを浮かべて問いかける。何故、これほどまでに余裕な態度でいられるのか。
「ヂヂヂヂヂ――」
「あー、うるさい犬共だ。多少は知性を持ち合わせているつもりかね。神になるだって? 誰を差し置いて、そんな思考に辿りついたのか――弾が切れたと思ったか? 残念! 奥の手は中々見せない
から効果的なのだよ!」
所長は言うが早いか、何もない場所に、手を伸ばし、肘より先が蜃気楼のごとくぼやけたと同時に、手の中に、私が受け取った前世代の銃火器製作の天才が作ったと言う自動小銃が納まっている。
「さあ、予定通り、これを使いたまえ! 僕は、こっちの方が好みなのだよ!」
そう言うと、再び、何もない場所へと手を差出し、揺らぎの後には、例の火炎放射器がその手に納まっている。どうやら、これが、ストラーノ所長の新人類としての能力のようだ。
所長の前で、鳴き声を上げていたワームドッグは見る間もなく炎に包まれた。甲殻も毛もない、この魔獣は他の魔獣に比べすこぶる耐久力が弱いと言える。悪魔のような嘲笑を上げながら、所長は当り構わず炎をまき散らしている。
「ブエックション!」
盛大なクシャミが聞こえた直後、一匹のワームドッグの頭がはじけ飛ぶ、アトスが能力を使い、吹矢を撃ちこんだのだ。
「アラム! ボウっとするなよ! 隠蔽の能力も解いちまった! 銃を使えねえ俺は、この場じゃあ、そんなに役に立たねえよ!」
「ヂィーーーー!」
ろくな抵抗が出来なくなったと思った相手から手痛いしっぺ返しを喰らい、ワームドッグは混乱と怒りの真っただ中にいる。
醜く、気持ちの悪い、べたついた粘液を纏わせた、薄桃色の肌を震わせ、あらゆるものを犯す尾を大きく振り回し始めている。こちらへと向かい始める犬に向けて、自動小銃を撃ち込む。甲殻の無い肉に弾丸はめり込み、朱く爛れた花弁を散らせて狂犬達は無様に散って行く。
時折、後方から向かってくる犬の頭が吹き飛んでいく。私の後ろは、火が舞い散っているようだ。かなり危険だ。近づいてはいけない。
「ヂィ〜〜〜〜」
「ヂィ〜〜〜〜」
最後方に位置する、何匹かの犬達が遠吠えのような鳴き声を上げる。あれは、まずい。確実に、仲間か人形を呼び寄せる合図なのであろう。これ以上の敵が増えれば、我々、三人だけではとても手に
負えなくなる。
切れた弾倉を手早く予備の弾倉に付替える。一瞬の隙が命取りになる。奴らは、仲間が増えればどうにでもなると思っているのか、当初の混乱は治まり、下卑た笑みを浮かべているようにも見えてく
る。
戦況はすこぶる悪いはずだ。前線都市ワシントンの持つ、機動力のある車体は数が少ない。これ程の奥まで来ているのは私達だけだ。他は、どこかで善戦をしているか、とっくに物量の波に飲みこまれ生きてはいないであろう。救援の望みはない。
そして、周囲にはひしひしと、先程呼び寄せられた人形や亜種の群れが近付いてきていることが肌で感じ取れる。奴らのいやらしい笑みが、あからさまになって来る。
そして、狂犬達が待ち望む後方の群れがはじけ飛ぶ。
何が起きたのかは、判らないが多くの人形や亜種達が竜巻に巻き込まれたかのようにはじけ飛ぶさまが、見えている。さらには、車両が放つ独特な排気音が辺りにこだましている。
「アラム! アトス! 無事か!」
「おいおい! 組合長かよ! どうしてここにいるんだ!」
「ギョットの声がこちらに向けて聞こえてきたのだ!」
「そう言うことじゃねえ! ジュノー復興村の人間が、なんで前線都市くんだりに、都合よく現れるんだよ!」
アトスの叫びは最もだ。私はこんな展開を思いつかない。狂犬達もまさかの展開に慌てふためき、再び、怒りをあらわにしている。
「僕がね、通信を送っておいたのさ」
「いつ? 事が起きてから通信したとしても、来るのが早すぎるだろう!」
戦場の中で、アトスの疑問は続く。周囲を取り囲むべきに集まった人形も亜種も、組合長の手で散々に蹴散らされているようだ。
「キミ達が持っている車両が切っ掛けだね。ジュノー復興村組合長に教えたのさ。まだ、かなりの数が国際空港にはあるはずだってね。当時の施設の図面の資料を引っ張りだして、燃料保管層なんかの位置も、詳しく教えたのさ」
私が、辛くも持ちだせたのは一台切りだ。ジュノー復興村の組合は、かなりの人員を割いて国際空港に向かったのだろうか。
「車両が手に入りさえすれば、寝ずにな、飛ばせば間に合うはずだと言われたが、ギリギリだったようだな。都市本部の馬鹿共は、保身に駆られて、周辺への援軍を拱いていたようだからな」
組合長は喋りながらも、両手に持つ、人が持てる大きさとは思えない丸太のような棍棒を振り回し続ける。人形も、亜種も、その原始的な武器の一振りでひしゃげ、潰され、原形を留めることはない。
「ハハハ! 噂にたがわぬ怪力無双だ! 軍部の連中が功績を妬むのが判るね! 流石は人間兵器と名高いフォルティ・トゥドゥ!」
「フン、あんたが最古の天才、都市貴族、ストラーノかい。通信、ありがとうよ。おかげで、良い戦力を手にすることが出来た!」
所長は礼には及ばないと、燃料の切れた火炎放射器を投げだし、新たに手にした凶悪そうな拳銃を的の大きなワームドッグに向けて続けざまに撃ち放つ。
あちらこちらで、歓声が上がり始める。ジュノーからの援軍はかなりの強力で、戦況は巻き返し始めているようだ。狂犬共が放つ、憎々し気な鳴き声が、心地よく聞こえ始めている。
しかし、私には懸念すべきことがある。今まで、打倒されて来たワームドッグは確かに、憎むべき種だが、私の憎しみの根源となる奴がいない。
『危ない! 避けて、アラムさん!』
ギョットが私に向けて放った念話が届くと同時に、地面が揺らぎ、足元が盛り上がる。咄嗟のことで転げる様に避けるが、私を追うように地面は盛り上がり続ける。
みっともなく、這うように盛り上がりから逃げ続ける。業を煮やした、地中の相手は、その姿を遂に見せる。
今までの、どの、ワームドッグよりも大きい。あちらこちらに傷を称え、肌を濡らす粘液が他の者よりも薄く、肌の色もくすみ、艶が無くなっている。
だが、それゆえに長年生き、無駄に知識を蓄えたたと言わんばかりの、凄みを持ち、他のどの、狂犬よりも狂犬らしい、王のような存在感を持つ犬。
「ヂイヂイヂイ」
気付けば、皆がいる位置から私だけが離されてしまっている。仲間達との狭間には、他のワームドッグや人形達が壁となり、他の皆をこちらへと近づけさせないようにしている。
こいつは、何を、私に固執しているのか。
妻と娘を奪っただけでは飽き足らないと言うのか。
「私に、捕まったことが、そんなにも気に障りましたか」
「ヂイィィィ!」
私の言っている意味が分かるのか、雄叫びのような鳴き声を放つ。
その声を聞き、渇いた笑いを上げてしまう。
「ヒハハ、私もねえ、待ち焦がれていたのですよ」
顔にはきっと、不気味な笑みがへばりついているはずだ。
「ようやくねえ、悪い夢から覚めることが出来るかも知れない」
念願の相手と会いまみえることができ、暗い喜びが到来する。
「貴様が、いることを確信して、この無謀な戦いに参加した意味があると言うものだ! 貴様が神になると言うのか? 馬鹿を言うな! その企みはここで潰える! 存在を許さざるべき種よ!」
ワームドッグは私の叫び声を聞くと同時に、天へ向かって怒りに塗れた吠え声を上げ、再び地中に埋没する。浅く潜るなどと言う範疇ではなく、完全に姿を地中へと消してしまった。
どこから来るかなんて判りはしない。私にそんな能力はない。私に出来ることは、数少ない。そして、この場で使える力は、三センチの能力だけだ。
手にしていた自動小銃の引き金を引く暇もない程の速さで、地中は再び盛り上がり、ワームドッグの王たる者は、姿を現すと同時に、私を、だらしなく開いた口で飲みこみ、食い千切ろうとする。手にしていた自動小銃は放りだし、両肘を開いた顎に掛けて、飲みこまれまいと抵抗をする。
胴全体を包み込むように展開した三センチの能力のおかげで、上半身と下半身が、狂犬の牙で離れ離れになる事態は避けられた。
「お前は、私を飲みこめたとでも思っているのだろう」
腕だけで身体を支えながら、能力の行使によって、脳が眩暈を起こすような感覚に襲われながらも、必死に体勢を維持する。
「皆を逃がしたあとに、私は一人でもここへ戻るつもりだった」
所長が、まき散らす炎や、機関銃の熱で、間違いが起きないように気を使うのは、一苦労でもあった。
「言っただろう? お前に巡り合うために戦いへ参加をしたと」
いざとなったら、銃座から身を投げ出す覚悟もあった。
「この銀のオイルライターは妻が私の誕生日にくれたものだ」
野外で活動するあなたには、しっかりした造りの物が必要よねと、はにかみながら手渡してくれた愛用の品だ。力を振り絞り、胸ポケットにある、形見の品を取り出して見せる。
「判るかな。この火の行先は、濡れても引火性能が落ちることのない、クリアジェムと言う素材を染み込ませた、この導火線の行先が」
厚手のジャケットの胸元をライターを持たない方の手で引き千切るように開ける。ボタンは弾け、私の胸元が露わになると、粘着テープで貼りつけた、細い導火線が露わになる。
「火薬は手に入っても、爆発力が心許ない。クリアジェムを染み込ませれば、その問題も解決をした。手製のね、強力なダイナマイトだよ。湿気ってもね、爆発力が落ちることはない!」
導火線に火を付けると、火花は瞬時に線を焦がし腹の方へと降りていく。瞬間を見極め、三センチの能力を解くと、奴は顎を閉じ牙を私の身体に食い込ませようとする。
導火線は牙の間をすり抜ける。ざまあない。これで終わりだ。
腹に巻きつけられた、複数の爆薬に火が届くと同時に、私の身体は爆ぜて、上半身だけが吹き飛んでいくのが判る。
糸の切れた凧のように身体は舞い飛ぶが、私の目には頭がはじけ飛んで崩れ落ちる狂犬の王の姿が見て取れる。
少し、後ろでは音に気付いた皆の目が私に向けられている。
アトスが馬鹿みたいに何かを叫んでいるようだ。
組合長が珍しく顔を歪めさせている。
所長は、ただ、こちらを見ているだけだ。
ギョットは?
車の助手席の篭に納まっていたはずの彼は、窓から這いずり出てきていたようだ。
もう、安心していい。皆が、キミを助けてくれる。
短い付き合いだったが、キミは良き友人だ。
待たせてしまった。私も、もうすぐ、そちらに行けそうだ。
私は皆に微笑み、残った身体を地面に叩きつけるであろう。
意識がもう、続き、そうも、ない。
私の、目には、青く、まばゆい、光が、眩しくて――




