第九話 無謀な殲滅戦
門が閉ざされてから、三日間が過ぎようとしている。現在も、都市行政、軍部のそれぞれが今後の動向を議論している最中であろう。
だが、都市の運営を取り決める連中の大多数の意見はおおむね決まっている。今は、反対意見を述べている人たちの抵抗を押し切るために日数が費やされている状態だ。その抵抗も、今日あたりで終
わりを告げることだろう。
「このまま、防壁のなかで籠城をしていても備蓄の食糧が尽きるのが先だね。急な事態を想定してはいなかったはずだよ」
ストラーノ所長は邸宅の一室で、他人事の様に薄い笑みを浮かべて、紅茶を優雅に飲みながら、そう語っていた。
他の都市からの援軍が来るまでには、まだ時間がかかるだろうと所長は言う。どの都市も、自分達の領域を支配管理するのに精一杯なのだ。他の事に構ってはいられないらしく、あわよくば、疲弊し
た段階で介入し、前線都市の権限を奪いに来るかもしれないとまで、冷ややかに想定している。
国の中で、協力し合う体制が整えられていない。いつから、ここまで、国の内部での分裂が進んでいたのか、私などには知るすべもない。
カツカツと軽快な靴音を立てながら廊下を歩く音が、私とアトス、ギョットが待機する部屋へと近づいてくる。
一つ一つの造りが細やかながらも丁寧で、美しい調度を設えた広い部屋の中、いまだに居心地が悪そうなアトスが廊下につながる扉を黙って見つめている。
ガチャリとドアの取っ手が動いて、扉が開け放たれる。この、邸宅の持ち主であり、本人も又、年齢不詳の美しい顔立ちをした男性、生物研究所のストラーノ所長がすっきりした笑顔を浮かべて、部屋に入り、朗らかに語る。
「動向が、決定したよ。五日後、門の外に打って出て殲滅戦を試みるそうだよ。築いた防壁は意味をなさない物になった。無謀だね。軍の連中は、絶対に勝てると息巻いていたけど、僕の予想では、相
手の圧倒的な量の波にもまれて、前線都市は終わる。まあ、死なないように逃げる算段を考えておこうよ」
ワームドックの大襲来を受け、外のスラム、又、前線都市近辺の村や部落は全滅したと考えられている。
あの日、からくも都市の内部に紛れ込めた私達は、ストラーノ所長の邸宅に匿われている状態だ。中では住民達が暴動寸前であったが、都市軍が乗り出し、平和裏に暴動を押え、今は、沈静化している。
所長の予想通り、私が見誤ったワームドックの未知の性質――雌、雄関係なく生態を苗床として活用することで、外には、人形(操られている生物を所長がそう呼び始めた)達で溢れかえっている。巡回として向けられた都市兵の姿も見られ、手に銃器を持ち、フラフラとしている。腹を食い破られてもなお、産みだされた子供である、ワームドックの亜種を守るかのように行動をしている。
守られている魔獣は、ふらつく人形を、餌としてしか見ていない。腹が減ると集り、喰らい付き、その場に骨を残すだけである。
人だけであれば、前線都市周辺を取り巻く程の量にはならなかったであろうが、ワームドック達は、他の動物や、他の魔獣、雄雌も分け隔てなく襲い、数を増やしていた。
そして、肝心のワームドックの成獣は姿を現してはいない。あれは、地中に浅く潜る性質も持っている。どこかに潜み、こちらの動向を伺っている可能性が高い。――そんな、知能を持ち合わせてい
ないことを祈りたいが、残念ながら期待は持てないだろう。
「ギョットくんの様子はどうだい」
「駄目だな。あれ以来ずっと震えて怖がったままだ。なにに、怯えているのかさっぱり判らねえが、そっとしておいてやろう」
ギョットは篭に納まったまま、青い透明な身体を小刻みに振るわせている。たまに語り掛けても『怖い、怖い』と言うだけだ。なにが、とまでは語ってはくれない。
「所長、決定したことに対して、行政機関は市民にどう説明をするつもりなのですか。又、暴動に発展する恐れがあります」
「何も考えていないと思うよ。ただ、通達するだけさ。これは、いわば戦争だって軍の連中は、喚いていたよ。次に起きた暴動は、まあ、強引にでもねじ伏せられるだろうね。ぼやぼやすれば、捕まっ
た連中は、盾として、そのまま前線に駆り出されるかもしれないね」
ストラーノ所長は他人事の様に語るが、彼も又、私達と同じ、渦中の人だ。だが、この落ち着き具合を見ると、なんらかの逃げる算段が付いているようにも思える。
「所長、もしもの時は、アトスとギョットをお願いできませんか」
「アラム!」
私の意見を聞き、アトスが何を言い出すと言わんばかりに私の言葉を遮る。私は、逃げることは出来そうもない。あれが、又、人を蹂躙すると思うと、どうにもできない。死ぬ覚悟を抱いて、戦うこ
とになるだろう。しかし、所長はそんな私の意見を聞き、小首を傾げている。
「もしも? ってなんのこと。僕はアラム君と一緒に行動をするつもりだよ。あの、高機動車を使えば逃げ切れる可能性も高くなるだろう。便乗させてもらうからね! なに、武器はあるんだ。僕も伊
達に、長年、上級管理職についていたわけではないからね」
所長は私に向かって、そう告げる。暗に、共に戦うと言っているのだ。唖然とする。所長は研究所から出ることも滅多に無い。都市の防壁の外に出たという話など聞いたことすらない。そして、武器
を持っていると言う。一体どこに?
アトスも又、所長の意見に乗っかった。
「どうせ、ここで手をこまねいていても同じだからなあ。覚悟は決まっていたのさ。まあ、長い付き合いだからなあ、お前さんとは」
浅黒い肌に映える白い歯を見せた笑い顔で、私と共に戦うことを伝えてくる。馬鹿な友だと思う。生きて帰れる保証はない。なぜ、そんな行動に付き合うと、言えるのであろう。ただ、飽きれて、当
惑するばかりだ。
「では、残り二日でやることはやっておこうよ。地下の車庫に収めた車も、もう少し改造しておこう。道具はあるから安心していいよ」
所長はそう言うが早いか、善は急げと言わんばかりに足早に部屋から廊下へと出る。私とアトスは、慌ててその後を追う。
古くも、高級な作りの邸宅だと思う。比べられるような他の建物を見たことがないため、実際には判らないが、間違いはないと思う。
都市の中で、そこだけが、切り抜かれた背景を貼り付けた、又は、前世代の名残が残ったままのように、ストラーノ邸は広く、重厚な造りをしていた。
「僕の家は、この都市では最古参だからね」
所長はそう説明するだけであったが、違和感は拭えなかった。アトスは、高級すぎて馴染めないと、とにかくぼやいていた。
そして、いま、くるぶしまで埋まりそうな厚い絨毯が敷かれた長い廊下を渡り、地下へと続く少し粗末な感じが漂う階段を降りると、研究所を思わせるようなヒヤリとした地下の空間に出る。
愛車のズィ・ナビは静かにそこに佇んでいる。地下の車庫もまた、広く、以前は何を収めていたのか伺えしれない。一足先に出向いていた所長は奥から、大きめの木箱を乗せた台車を押している。
「さあ、まずはこれを取り付けよう。装甲自体は、珍しい魔獣の甲殻でおおむね覆われているから、ガラスの部分をもう少し補強するくらいで済むね」
そう言うと、釘で締められた木の箱の蓋をバールでこじ開け始める。アトスと共に、黙って、様子を見ているうちに、箱の蓋は取り外され、無造作に床へと落される。箱の中身を覗いて見る。そして、私は顔を歪める。
「所長、個人でこのような物をお持ちになるのはいかがなものかと」
「何を言っているんだいアラム君! 今時自衛のためなら、何でもありじゃあないか! 真面目なことばかり言うのは感心できないよ」
無邪気な子供が悪戯を無事に成功させたかのような笑みを浮かべて、楽しそうに語っているが、私は若干、その笑みが邪悪な感じを受けてならない。
箱中身は、都市軍でもわずかにしかないと思われる前世代の遺物となる銃火器――機関銃が納められていた。
「前世代の頃は、この程度の機関銃は許可さえあれば民間人だって持てたんだよね。今は、希少価値が高すぎて持ち合わせがないのが実情だけどね」
ズィ・ナビの格納部の屋根を、先を鋭く尖らせた、透けた青い炎で、手際よく溶断をしながらも、所長は軽い口調で銃火器の所在について話をしてくれる。
軽く火の粉を散らしながら、目が痛くなるような輝きをする、オレンジ色と白色が混じり合ったような粘度の高そうな液体が、水を張った桶の中に落ちては蒸気を上げて、冷めていく。
グルリと切断部がつながると、ガランと音を立てて、屋根の一部が切り落とさせる。蒸気がさらに多くなるが、開けられた屋根の穴から漏れ出て散って行く。
「ああ、アトス君、熱いから気を付けてね。革手をきちんと、身に付ける様に」
「判っていますよ。先生」
湯気を立て、水からお湯へと変わったであろうタライを切断された鉄の塊と共に一緒に運び出そうとしているアトスに注意をしてから、身軽に屋根から飛び降りて、次の準備に取り掛かり始めている。所長の実年齢が一向に判らなくなって来る。
「悪いねえ、アラム君。戦闘のためとはいえ、キミの持ち物を改造する破目になって。もし、無事に帰れたら、必ず元に戻すから」
「いえ、この事態に、所有権をとやかく言うつもりはありません。ご存分に改造して下さい。私達では、手元を手伝うことぐらいしかできません」
手元がいるだけでも、随分と助かるよと、微笑みながらも、我が愛車に銃座を取り付ける準備を着々と推し進めていく。
傍らに置かれた、黒色に近い濃厚な緑の銃身は、部屋の明かりを反射して、鈍く輝く。新品さながらの銃火器である機関銃を愛車へと取り付けるために、所長はせわしなく動き続ける。
全てを葬り去るほどの銃弾は持ち合わせていないが、それでも十分すぎるほどの量が提供された。
そして、私達へも各々に別の武器を与えられている。流石に、手持ちの得物が貧相すぎて、生き延びることも難しいだろうと所長が貸与をしてくれたのだ。
私は、与えられた木製の部材が組みこまれた自動小銃の取り扱いを幾度となく繰り返し、身体に覚え込ませている。見たことがない銃火器だが、所長曰く、前世代の初期に作られたものとしては耐久
性が抜群に良いらしい。但し、癖があるから扱い方を覚える様にと同時に伝えられた。
戦場での私の役割は、専ら機関銃の銃手となるわけだが、愛車にトラブルがあった際には徒歩で逃げだす必要もあるから持っておけと言われている。
銃は扱えないというアトスには、火炎放射器と言うものが与えられている。軍でもいくつかは取り扱っているらしい。燃料となるものの量が少ないのが心配だとぼやかれたが、壊れた際にごまかせる
ように、所長には内緒でクリアジェムを薄めたものを流用して見たが、問題なく使えた。恐るべき、クリアジェム。
アトスはついでに、空き瓶を利用して火炎瓶も作っている。食用油は余り使えないよと、所長に笑われていたがアトスは苦笑いで誤魔化していた。
短い期間で着々と準備を進める最中に、幾つかの出来事が起きた。
私が受け持った食糧の買い出しの最中に、都市からの殲滅作戦についての短い通達が全市民に伝えられたこと。
そして、暴動が起きそうになったこと。
結局、鎮圧された事。
鎮圧をした部隊が、見た事の無い軍の部隊であったこと。
多分、あれは、新人類のみで構成された部隊なのだろう。人として、おかしな点が見受けられた。傍観していただけだが、同じ人種である私にはどことなく、そう分かった。
そして、どこから聞き尋ねたかは判らないが、軍の関係者が我が愛車を徴収に訪れたと所長から伝えられた。
「奴ら、強引に徴収するつもりだったみたいだけど、今回ばかりはこちらの強権を利用させて貰ったよ。使える時には使わないと損だからね。彼らには彼らの役割があるって言ってやったよ」
所長の言質を聞いたアトスは、ハッタリにもほどがあると、ゲラゲラと笑っていた。
「なあ、所長さんよお、この屋敷には使用人はいないのかい」
「いないよ。僕、一人で住んでいるね」
来客には、いちいち手を止め応対をする所長の行動や、私に食料の買い出しをさせることに疑問を抱いたアトスが、タライを片付け戻る最中に尋ねている。
「まあ、色々と秘密の資料も多いし、まだ、一人でなんでも片付けられるからね。ああ、始めに言ったように君たちも、僕の書斎や私室へは勝手に入らないでね。散らかっている部屋を見られるのは恥ずかしいからね。鍵を掛けてあるから入れないけど」
「人の家を無暗に探索するほど無礼でもありません」
「そんな、ヒマもないと言っても良いがなあ」
各々が、各々の役割をこなせるように、ほんの僅かな貴重な時間を無駄に使うことなく、職務に努める。私は銃座を、アトスが運転を、所長が弾の補給や、格納庫から後方の援護を行う予定だ。
ギョットはジッと固まり、ただ、私達の準備を見守っている。彼を守ることも又、私達の役割だ。人でもない彼を何故に守るかと問われれば、判らないと答えるしかない。
ただ、ギョットには重要な役割が与えられていると、漠然に感じているからだろう。――なによりも、彼も又、守るべき大切な友人なのだ。
「ストラーノ所長、気は確かですか! やめて下さい!」
「やめたまえ! 君には危険すぎる! もし何かあったら銃後の処理はどうするつもりか!」
「大丈夫、大丈夫。問題ないですよ。無事に戻りますから」
殲滅作戦の当日、完全武装された愛車に乗り込み、門の前まで辿りついた時に、ストラーノ所長当人が参戦することを反対する関係者らに取り囲まれた。
所長は、煩わしそうに軽く答え、さっさと散れとでも言わんばかりの仕草をしている。相手にされない押し問答が繰り返されるも、軍部が介入し、反対する者達を強引に押しやってしまった。お偉いさんもいたようだが、今は、軍部が強権を執行している様な状況なので、相手にされなかったようだ。
軍上層部の激励が静まり返った都市兵達に伝えられる。言う方は威勢が良いが、実行する側は冷ややかに受け流している。士気が余り高まっていない。外の様子をうかがい知る誰しもが、無謀だと、
感じている。
残念なことに、危機感が麻痺してしまった、一部の者が強い指揮権を持っているために、その意は伝わる旨はなかったようだ。何の為に、死地へと向かうのか。多くの者達が疑念を抱いたまま、この場にいるようだ。座席後ろについている、開いたままののぞき窓から、前方を見据えたままにアトスが語り掛けてくる。
「現在は、最前列の最後尾。外に出たら、一気にスラム街を駆け抜けて、群れを蹴散らし、戦線離脱。これでいいんだな、先生」
「そういうこと。むざむざ死ぬことはないんだよ、アラム君。生き延びれば、もっとましなチャンスが訪れるからね」
私達がいるのは、軍が持ち合わせていた他の車両の列の最後方だ。所長曰く、動くは動くが、燃費の悪さで途中で立ち往生するのがオチだろうと言う。
「始めは好い勢いで、群れを蹂躙するだろうけど、物量の波に巻き込まれたら最後、都市は丸ごと飲みこまれるだろうね」
都市の防壁の中に取り残された者達が、どのような行動を起こすかは判らないが、どっちに転んでも良い方向には向かわないだろうと所長は笑い、語る。
「おっと、いけない。アラム君のご両親は健在だったけ。逃げる様に告げてあるのかな」
「……言った所で、聞く耳を持つことはないでしょう」
そうは思ったが、買い出しの途中で、伝言代わりの文が届くように組合本部へ依頼をしておいた。
しかし、逃げる伝手も、手段もないであろう私の親達はどうするのかは判らない。薄情なことだが、私自身、何も術がないのだ。
出来るとすれば、この混乱を沈めて見せることしかない。
しかし、それこそが、最も過酷で、それでいて、私自身が最も望むことなのだが。
「行け! 都市の勇敢な兵士達よ! その命を持って、偉大なる我が国の復興の礎とならんことを!」
高らかな音と共に、大音量の声が、待機する兵士たちに掛けられる。士気を上げるための、我が国が建国してから今に至るまで、受け継がれる数少ない愛国の象徴たる、行進曲が流れる。
本来であれば、士気が上がるはずの高らかな楽曲も、今はさながら死に行く者達への皮肉にしか聞こえない。やけぱっちで、ささくれだった兵士の心情を逆なでる効果しかない。
誰もが、死の行進を続けながら、安全な場所から他人事のように繰り返し威勢の良い言葉を放ち続けるスピーカーを恨めしく睨み、門の外へと向かって行く。
「よし、そろそろだなあ。一気に行くぞ」
車両の列が途切れる。僅かな間、門と防壁の間に待たされるが、直ぐに、影の中から陽の光指す防壁の外へと繰り出される。即座に、風を切り、風景が流れだす。
スラムの狭い路地を無茶な速度と、ハンドルさばきで抜けていく。散乱しているバラックの一部や、テントのような物を構わず引っ掛け突き破り、突き進む。辺りには、無数の死体が散乱している。どれも、腹を食い破られ、四肢の何れか、又は全てが千切れてなくなっている。
銃座に構える私の目には、バラックの隙間から飛び出してくる様々な人形が映るも、速度を落とすことのない、我が愛車に弾き飛ばされて、無残な姿で木の葉のように舞っていく。
乱雑で、雑踏としながらも、人の様々な感情が溢れていたスラムは見る影もない。今は、死を恐れない、何の感情もない、ただただ、操られているだけの数多の人形が徘徊するだけ、狂気の街へと変貌してしまった。
与えられた機関銃を撃つこともなく、狂気の街を、狂った弾丸のごとく突き進む。誰も食い止めることなど出来ないような速度を保ちながら、このまま、突き抜けてくれればと思う。
しかし、現実はそう甘くはなく、バラックの街を突き抜けると同時に、目の前には、壁のように群れ広がる、ワームドッグの亜種とそれに付き従うような人形達がこちらへと向かってきている。
先に出ていた全ての車両が、速度を落とさないまま、群れに向かい突っ込み、狙いを定めることもなく、一心不乱に銃を撃ち続けている。あの調子で行けば、それ程待つことはなく、弾丸は尽きるで
あろう。
「アトス君! 速度は保ちたまえ! あれは、もう、人でも何でもない! 構わず突っ切れ! 車輪を取られるな!」
珍しく所長の怒鳴り声が下から漏れて聞こえてくる。周囲の騒がしい雑踏の中でも良く聞き取れる。今更、判っていますようと微かなアトスの声が返っている。
「アラム君! ボウっとするな! 進行方向に撃て! 道を作るんだ! この車両でも、あの数に集られれば、ひっくり返されるぞ!」
下から更に怒鳴り続ける所長の声が、私に向けたものだと気付き、目の前を見ると、群れの壁は間近に迫ってきている。人の姿をした者に向けて銃口を定める。不思議と心が泡立つようなことはない。
あれは、もう、人でも何でもないことは自分が一番判っている。
両手の親指で押し金を押すと、周囲の喧騒に負けない、けたたましい音を立ながら、薬莢が吐き出される。僅かな、弾しかまだ出ていないはずだが、目の前を塞いでいた肉の壁は、細切れに飛び散り、原形を留めてはいない。
狩りの時とは違う、悪臭が周囲に湧き立つ様に匂い始める。生き物の肉と臓腑と血に汚物が混じり合い、どうしようもないほどに、ここが狂った世界だと気付かされる。
撃った先にできた壁の隙間へ、車両は突っ込むが、隙間を埋める様に人形や人を畏れぬ魔獣の群れが、集ろうとして、道を直ぐに狭める。私は構わず弾丸を撃ち放つ。
だが、本当に突きぬけることが出来るのかは疑問に思えてしようがない。他の人達より、一段高い位置で銃を撃つ私にははっきりと見える。途切れることもないほどに、ワームドッグが生み出した狂
気の群れは、前にも後ろにも続いている。
弾は持つのか、車両は無事に突き進むことが出来るのか。
他の車両も、蹂躙を続けているのは判る。狙いを定める必要もない程に数がいる。乗車している連中はどう思っているのだろうか。都市がある方角からは、いまだに、が鳴り散らすような、行進曲が
聞こえてくる。
私達の後には、都市兵達が続いているはずだ。壊れた人形の呻き声しか聞こえなかったゴミ捨て場に、人の狂った怒鳴り声が彩を付け始める。
死ね、死ね、死ね! 来るな、来るな、来るな!
お前は、あいつか! あいつは、誰だ! あれは、彼女か!
様々な感情をぶつける様に、人の声がこだましていく。混沌と混乱の最中、私の耳は異常を来したかのように研ぎ澄まされて、数多の音を拾い上げている。
『こっちじゃないよ! 向こうにいるよ!』
雑多の音の中、突如、ギョットの声が頭に響く。
『どうしたんだあ、ギョット! 何がいるんだ!』
『アトスさん! 向こうにいるんだ!』
『なにが、いるのですかギョット君? あれ、おかしいね』
『なにが、どうしたのですかギョット』
『向こうで、笑っているよ! みんなの事をせせら笑っている!』
『おい、どうして、アラムの声まで頭に響く! ギョットの念話のせいか? 今まで、こんなことは……』
『試していなかっただけです』
『ハハハ! すごいことだね! まるで念話の中継塔だ! これは素晴らしい発見だね! それはともかく、何がいるのかな!』
『叫んでいる! 笑いながら叫んでいるよ!』
『だから、なにが、叫んでいるんだ、ギョット!』
『世界の全ての生態系を犯しつくして、神様になり替わるって!』
ギョットは一体何が言いたいのか、しかし、私達に伝えた念話で向かっている方角が違うとひたすらに叫んでいる。訳が分からないままに、アトスはハンドルを切り、私はその方角へ弾丸をまき散ら
す。弾がそろそろ尽きそうだ。
『所長! 弾が尽きます! 交換の用意を!』
『……へえ、そういう魂胆か。馬鹿な奴らだね。よし、わかったよ、アラム君! 大判振る舞いだ! 直ぐに用意しよう!』
銃座の脇に空いた空間から予備の弾と銃身を交換するために頭を出した所長は、その手にアトス手製の火炎瓶を手にして、揺れる車体の上で、熟練兵士のごとく手際よく火を付けると、後方に集まり
始めた人形達の群れへと放り投げる。
クリアジェムから作られた火炎瓶が群れの一角にぶつかり弾けると、盛大に炎をまき散らす。
「馬鹿に、火の付きが良いね、この火炎瓶」
少し呆気に取られて、小首を傾げる所長をよそに、残りの弾を撃ちつくし、車両の為の道を開く。所長は驚くべき速さで、用意してあった銃身と弾丸箱の交換を済ませてくれる。
ハンドルを二回引き、再び押し金を押す。勢いよく、薬莢が吐き出され、目の前の肉の壁を切り崩していく。
ギョットは、逐一、方向を知らせる。当初、考えていたものとは違った方向へと向かい始めている。
『アラム、右手の方向、狙いを定めて撃ってやれ!』
突如アトスから掛けられた念話の方向に銃身を向けると、ひと塊の都市兵達が、人形達の群れに集られそうになっている。彼らに当たらないように銃弾を放つと、飛び散るように肉体が弾けていく。
格納庫の後ろからは、群れに目掛けて勢いよく炎が飛び出し、黒こげになった人形達が脆くも崩れ落ちていく。
『ハハハ! 本当に馬鹿によく燃えるね! 何かしたのかな、アラム君!』
火炎放射器の燃料がクリアジェムにすり替わっていることを伝え損ねたため、所長は知る由もない。だが、嬉々として人形の群れに目掛けて炎の息を吹きつけ続けている。
猛速度で走り続ける運転席の中から知った顔を見たからと、アトスが念話でぼやく。そんなことは可能どうかは判らないが、今は、ただ、神経が研ぎ澄まされている。
銃弾をまき散らし、炎の尾が続く私達の車両の回りだけは群れが途切れる。弾も、銃身も一体どれほどあるのだろうか。とっくに積み込んだ分は無くなったようにも思うが、所長は続けざまに交換を
してくる。それとも、研ぎ澄まされたようでいて、私の感覚が鈍っているのだろうか。
他の車両や都市兵達はどうしているのか。もうとっくに、他の人の叫び声は聞こえていない。飲みこまれた者達は、生きてはいないだろう。私達だけが、孤立して、群れの奥深くまで突き進み続けて
いるようだ。
『これで、機関銃の弾は最後だね。覚悟を決めてくれたまえ、アラム君、アトス君』
突如として訪れた、弾切れの宣言に、どこか、茫洋としていた心が現実へと引き戻される。その瞬間、車両が前のめりに突っ込み位まで突き進んでいた速度が急に途切れ、危うく放り出されそうにな
るも、機関銃の握把にしがみつき難を逃れる。
『ちっきっしょう! やられた! 穴にはまった!』
我が愛車は、前のめりになり、後輪がわずかに浮いた状態になっている。迫りくる人形達に向けて、残った弾丸を撃ち続ける。弾が尽きたころには人形の姿は見えなくなったが、盛り上がった土の中から、私が、許さざるべき者達が姿を現す。
そして、私は気付かされる。ギョットの指示で向かっていたこの場所は、私が、もっとも思い出したくもない場所で、因縁深き者達と相対するにはふさわしい場所。
私が、この手で最愛の妻と娘を打ち殺した、この場所こそが、ギョットが言う、神になり替わると言う、狂った魔獣の指令拠点。
――ワームドッグの成獣達が、弾切れの中で辿りついた私達をあざ笑うかのように待ち構えている場所であった。




