第七話 訪問者
雑然としながらも、書籍や書類がそれなりに整理してあるのは、相変わらずのようだ。
今まで歩いてきた通路とは違い、湿度調整もされているためか、ひんやりとしながらも心地よい空気が感じられる。ただし、照明が灯す照度は低く、部屋全体は薄暗い。
印字機からヂィヂィヂィと、所長が先程出力した何かしらの書類が打ちだされている。背を向けた所長が向かった先から、コポコポコポと音がしている。芳醇な香しい香りが部屋に漂う。
「どうぞ、珈琲です。お酒はまだ早いからね。ああ、腰かけて」
「ありがとうございます」
所長手ずから入れてくれた高級品である珈琲を頂き、勧められた来客用のソファーに腰を掛ける。余り使われていないためか、所長は自分で座る場所におかれた書類をせっせとどかしている。
「ふう。もう少し、片付けておけばよかったね。さて、改めて、久しぶりだねえ、アラム君。どのくらいかな」
「はい、十年ぶりになります。その節はご迷惑をおかけしました」
「いや、こちらこそ力不足だったよ。あんな事態に発展するとは思いもしなかったからね。キミが抜けて痛かったのは事実だよ。で、こっちに戻る気になったのかな」
「いえ、都市に戻ったのは、いま携わっている仕事……新猟師組合から依頼された罪人護送のついでです」
「新猟師? 新生種の研究以外なら君にふさわしい職業かもしれないね。罪人の護送依頼はともかくね。野外研究活動はアラム君以上の人は中々育たないよ。で、その護送の途中で、あれに出くわしたというわけだ」
所長は穏やかな笑みを浮かべたまま、手にした珈琲カップに口を付ける。あれ――ワームドックの事だろう。
「……所長、近郊の人達はワームドックについて、あまり、と言うより何も知らないようでしたが、どうしてです? あれの危険性は判ってらっしゃると思いますが」
私が感じた疑問を、所長に対して正直にぶつける。この人が、ワームドックの危険性を感じないわけはない。
「個体の脅威を鑑みると、それほどの恐れはない。それが、前線都市行政機関が下した判断さ。個々の脅威ではなく、繁殖能力を考えろと言ってはみたけど、軍の関係者に一笑されたよ」
「なら、新生種の大繁殖の脅威から防護するためという名目で造られている癖に、繁殖能力の高い個体を脅威とみなさないのであれば、あのような防壁あっても意味はありません」
「全くその通りだね。まあ、ワームドック自体は他の新生種に比べ弱いと言うのは確かで、大森林で繁殖しても、他の生態の餌になるだけだろうと思われたというところさ」
手にしたカップを置き、素人考えの馬鹿げた話さと所長は笑みを浮かべたままぼやいた。私自身は苦い珈琲を飲み、渋い面をしている。
「だけどよお、実際に新猟師が集まって駆除をすれば、それなりの成果が出るのは事実じゃあねえのか。お前さんと、行き掛けにやった駆除もそれ程、難しい仕事とは思えなかったなあ。まあ、あの死体と相対するのは御免だがなあ」
私達の話を聞いていた、アトスは珈琲を少しずつ飲み下しながら都市に向かう途中で起きたワームドックの駆除活動についての感想を暗に述べる。
「駆除? 死体が上がっただけではなく、駆除もしたのかい」
「ええ、途中の小さい集落が襲われて壊滅状態になりました。そこで、食い止められたようですが」
「ふうん。あれ以外にも、繁殖していたということなのか。都市軍はまともに巡回活動をしているのかねえ」
両手を頭の後ろに組み、ソファーの背もたれに深く背を逸らして他人事の様に所長は呟く。
「所長、その辺りについて再度、駆除の巡回を増やすように働きかけては貰えませんか。ワームドックは発情期に入ったのではと思われます。大繁殖の恐れがあり、危険です。小さいとはいえ、集落が一つ壊滅しました。もし、近郊の猟師組合では手に余る事態になってからでは遅いと思われます」
「ううん、発情期かあ、そうだねえ。そうだよねえ。だけど、連中の脳みそはコンクリートよりも硬いからなあ。善処はしてみるよ」
困ったような笑顔を浮かべ、私の意見に対して答えてくれる。所長の言う通り、行政機関や軍の上層部の行動は遅い。特に都市に関係しないことに対しては尚更だと言える。
「ところで、アラム君。そっちの篭はなに? お土産か何かかな? 甘いものなら珈琲のお替りを作ろうか?」
話題を切り替えようとしたのか、所長はアトスが持つ篭に目を向ける。都市にいた頃、誰かを尋ねる時にはそのような篭を持ち歩くことはない、私の性格からして何かを感じ取ったのだろう。
「ええ、まあ、お土産みたいなものでしょうか。ご希望にはそわないものでしたが、実は所長のご意見をお聞きしたいものでしたので」
「なんだい。キミらしくないなあ。歯切れが悪い。あ、もしかして、新たな新生種かな。小型の? もしかして、もう、僕が見た事あるかもしれないとか心配している? 構わないよ! 滅多に見ることがない奴でも大歓迎さ!」
薄明りの向こうで、所長は何が出るのか興味を示す子供の様に、嬉しそうに篭を見て笑っている。篭の中身が新生種の新種か何かだと勘違いをされている。
確信に近いが、いくら所長でも見たことはないと思う。何かしらの文献で知っている可能性はあるかも知れないが、この様子だと驚き喜んでくれるだろう。
「はあ、実はこの生き物について既知であるかどうかをお聞きしたいのです」
アトスから篭を預かり、蓋を開ける。中から、ギョットが、青く透明で柔軟な身体を伸ばしてから、ゆっくりと、私の膝元に落ち着き、軽く震える。
『アラムさん。ここは、どこ。それに、この人は誰?』
「所長、先日、森で遭遇した、粘体知的生命体のギョットです。ギョット、こちらは、私の恩師であるストラーノ所長だ」
『へえ、初めましてストラーノさん。ギョットです。アラムさんの友達です』
私の説明に答え、ギョットは所長へと念話で挨拶をする。もしかすると、所長に念話は通じないかもしれないが、それでも、ギョットの様相は目に見えて判ったはずだ。
所長の表情から、無邪気な笑みが消えている。見た事がない感情の消えた表情だ。驚いているのかも知れない。それとも、危険性があると感じ取られたのか。所長は何も語らない。口を閉ざしたまま、沈黙が続く。
「所長、どうでしょうか。何か、お知りではありませんか」
このまま、沈黙が続いてはらちが明かないと思い、所長に対して私から語り掛ける。私の目をゆっくりと見て、再びギョットに視線を戻した所長は、顎に左手を当て、人差し指で唇をひと撫でする薄く笑みを浮かべて私とアトスを見比べるよう、交互に顔を見てくる。
「今のは、念話かな、アラム君。キミがしたのかい」
「私には念話をする能力はありません。身に付いたわけでもありません」
「では、そちらの方、アトスさんがしたのかな」
「違う。俺じゃあない。この、ギョットがしたんだよ。所長さん」
膝に乗るギョットを、悪戯に成功した小僧の様にニヤニヤと笑うアトスが軽く叩いて、所長に示す。所長は薄い笑みを崩さないままだが、若干、震えるさまで改めて私に視線を合わせる。
「アラム君、本当だね」
「事実です」
私が短く肯定すると、所長は再びソファーの背もたれに背を預け、疲れたあとのように息を一つ吐き。天井を見つめ乍ら、抑揚のない口調で感想を述べる。
「アラム君。判るかい。僕の今の気持ちが。僕の頭の上では、いままさに、羽の生えた赤子のような天使が数多に舞い降りて、ラッパを吹き慣らしている。僕には、君が言うギョットという生き物が、何だか分からないし、しかも、念話を使い、人と対話を成そうとしている、人間以外の知的生命体だという」
所長はそこまで言うと、勢いよく姿勢を戻し、直ぐに立上り、膝の上にいるギョットに手を伸ばし、宝物を持ちあげる様に丁寧に掴み取り、高々と頭上に掲げる。
「初めまして、僕はストラーノ・アエテルヌス。ようこそ、ギョット君。キミを歓迎する。キミの話が聞きたい。キミは一体何者なのかな」
『僕はスライムのギョットです』
所長は、ふは、と鼻から息を吐き、声量を押えつつも歓声を上げる。見る間に表情は満面の笑顔に変わり、ギョットを掲げたまま、その場で小躍りを始めそうな勢いだ。
「所長、では、所長でもギョットについて何も知らないと」
「ああ! 知らない! 見たこともない! スライムという名称は聞いたことはあるけど、精々、おもちゃか、物質の特性、それか創作上の生き物としての名称としか認知はしていないよ! 生命体として、それ以前に知性を持っているなんて考えてみたこともない! これは凄い! 凄すぎる! 僕が生きて、蓄えてきた、驚きの宝物庫の中の中身全てが、色あせて、ガラクタに思えるような発見だ!」
ギョットを顔の位置まで降し、まじまじと見つめる。ギョットは所長の手の中で、少し怯える様に小刻みに震えている。所長はお構いなしに、ギョットを近づけ、軽い口づけをする。
『ウウウ、お、降ろしてえ』
「所長、ギョットが驚いています」
「あ、ああ、御免御免。喜びの余り、気が狂ったみたいだよ」
所長は、自分自身の状態を狂ったと言ってしまうほど、ギョットという存在について驚き、歓喜したようだ。
ギョットは所長の手から身をよじらせて抜け出すと、私の膝元には戻らずアトスの頭へとよじ登る。
「ううん、凄い。これは、今まで地球上に居たどのような生物にも当てはまらないね! しかも、念話とはいえ、人と同程度の知性を持つことが判明している!」
アトスの頭の上に小刻みに震え鎮座するギョットを興味深く眺め続ける。手を出そうとすると、大きく震えるので胸元辺りで両手を広げ、指を動かしながら、どうにかしてもう一度触れないものかと狙っているようだ。
「なあ、所長さん、アンタ、ギョットの念話が聞こえたって言うことは、新人類ってことだよなあ。一体全体、歳は幾つなんだ?」
ギョットをターバンを巻いた頭に乗せたまま、何気ない様子で尋ねている。失念をしていたが、アトスの言う通り念話は新人類同士でしか通じ合わないというのが、ここ最近の研究成果のはずだ。
私を含めて、どの職員も、所長が新人類であるとは聞いたことがない。私は、ふと疑問の目を所長へと向ける。
「ううん、内緒にしていたわけでもないけど、言ってもいなかったっけ? まあ、歳はこんな見た目でも君たちよりかはズッと上だ。老い先短い身なのだよ。新人類であることは確かだね」
「新人類が認知され始めたのは、私が生まれる前ではありましたが、もし、所長が私達よりもかなり年上だとすると、その頃にいたと言う話は聞いたことがありませんが……」
所長の年齢が幾つかは判らないが、新人類誕生が認知され始めたのは私が生まれる数年前位からのはずだ。多少の誤差ならまだわかるが、所長の発言を鵜呑みにするならば、計算が合わなくなる。
「なにをいっているんだい、アラム君、誰かが行った下手な調査結果を何故に信じているんだ。キミらしくもない。今で言う新人類が持つような能力は前世代の頃から研究をされていた。念動力、透視、発火、予知等様々な能力を持つと自称する人々がいた。まあ、大概は、詐欺か悪戯みたいなものだったけど、中には、微力ながらも本質的な力を持つ者もいたみたいだね。ここ最近で顕著に力を持つ人々の存在が知れただけであって、新人類は、突然変異として現れた訳ではないよ」
所長の言質を聞き、私は少々、自らの発言に苦笑いをする。両親から「異能」と言われることを厭うていた新人類としての能力を、自ら、人類の中の特異点としているかのような考え方を持っているように指摘されたからだ。
誰かから言われて、嫌がり反目的になっていたことを、どこか、認めていたようだ。反省をしなければいけない。
「まあ、僕の持つ能力なんてたかが知れているから気にしないで良いよ。それよりも、ギョットくんについてもっと聞かせてくれたまえ! この存在は、人類にとって大変意義ある存在だよ! さあ、もっと詳しく――」
所長がギョットのことをもっと聞かせろと、私に鬼気迫る感じで近付き始めた最中に、部屋の外が騒がしくなる。部屋の前に待つ守衛が誰かと揉めているようだ。
「……無粋な誰かが訪れたみたいだね。アラム君、ギョット君を隠した方が良いみたいだね。僕みたいなものでなければ、彼の存在を間違った方向に捕える愚か者が多いからね。この都市では特に」
騒がしさを増す部屋をつなげる扉の方に、楽しい遊戯を無理矢理中断させられた子供が拗ねたような目線を向けて、ギョットを篭に戻せと指示をされる。慌てて、脇に置いた篭を手に取りギョットに戻るように急かす。間一髪、ドアが開く寸前に、篭の蓋を閉めることが出来た。
「ストラーノ所長、接客中に申し訳ないが、話を聞きたい。良いかね」
都市軍の軍服を来た、眼鏡をかけた恰幅のいい中年男性が護衛官とともに、遠慮することもなく部屋の中へと入って来る。停めきれなかった守衛が所在なさげに部屋の入口に立っている様子が伺える。
「ふう、良いねもなにも、もう入ってきているよね、君達は。軍関係のお偉いさんを無下にするわけにはいかないでしょう。で、話ってなんだい。忙しいから、手短に簡潔に判りやすくしてくれない」
ギョットを隠す手伝いをしてい為、立ち上がっていたが不満そうな顔を浮かべ、口早に軍将校に伝えると、音を立ててソファーに座る。篭を持ったまま立っていた私も、その気を見計らって座り込む。
「先日、連絡があったワームドックという魔獣についてだ」
「で、なにかあったのかい」
ちらりと、こちらの顔を見て所長は続ける様に促している。将校はアトスを見てしかめっ面をした後に、私を見て鼻を鳴らす。こちらの事も見下しているようだ。
「そこにいる男が、アラム・スカトリスと言うことか」
「何故、君がその事を知るのかな? 軍は令状の検閲でもしていると、暗に認めているのかい? それとも、この施設の関係者を脅しでもしたのかな? 越権行為で抗議してもいいんだよ。余計なことを言ってないで、話を続けなよ」
所長は不愉快そうに将校を見る。口調がいつもより、少しキツメだ。舌打ちを一つして、将校が煩わしそうに話を続ける。
「周辺を調査した結果、カナダ大森林の近くにある一つの村が襲われ壊滅状態にあったのが発見された。ここ数日の事だったみたいだ。住人に、生き残りはいない。生き残ったと思われた女の腹が避けて、そちらでいうワームドックの幼生体が溢れたとの報告もうけている」
どういうことだ。と将校は続ける。どうもこうもないと言いたげに、所長は目を将校に向けるも、手を口元に当て考えている。考えるまでもないはずだが、気位ばかり高く、頭の悪そうな将校に何と指示をすればよいか思案しているのだろうか。
私が思っていた以上に、奴ら、ワームドックはその数を増やしていたみたいだ。
――そして、これは想定以上に悪い方向へと事態が発展していることを知らせているようだ。