第六話 面会
手入れのされた芝のある小さな庭、見慣れた玄関口、小さいながらも木造の小屋。外壁の塗り替えはしていないためか、所々、塗膜が剥げている。
年老いた老夫婦だけでは、小さな庭の芝の手入れをするだけで手一杯なのだろう。人を雇って保全をするだけの蓄えや稼ぎはないから仕方がないことである。
十年前に比べ、幾分古びた様相を見せる私の実家を前にして、他人事の様に思う。一つ深呼吸をしてから、ノックをする。
「ハイ、どなたですか」
感情の乏しい、それでいて人を拒むような無機質な年老いた女性の声が玄関の向こうから聞こえてくる。訪れる者を不審者と思っている様な対応。相変わらず、緊密な人付き合いは余りしていないのだろう。
「……母さん。私です。アラムです。仕事の都合で久しぶりに戻って来ました」
ガチャリと玄関のドアが開き、隙間が出来る。隙間越しから、年老いた母は煩わしそうに私の顔を見て、久しぶりの挨拶もないまま、低く囁くような声を出す。
「何をしに来たの、アラム。貴方は、罪を犯してこの都市を追われた身でしょう」
「母さん、私自身は罪を犯したわけではありません。都市を追われたわけでもない。自らの意思で出ていっただけです」
貴方達が、執拗に私のやったことを責め立ててるので、居ずらくなったと言いたいが、言わないでおく。この人達に伝えても、理解をしてくれることはない。意味がないのだ。
「何を言っているの! お勤め先をクビになったのは、貴方がどこの馬の骨とも知らない、下賤な娘と結婚したからでしょう! 私とお父さんは散々、反対したのに、それを勝手なことをするから……」
相も変わらず、罵るように過去の出来事に対して、自己の正当性を全面に出して非難する。私は、グッと拳を握って我慢をする。愛した妻を貶めるような言動に腹が立つが、実の母に怒声を浴びせる訳にはいかない。
奥から、ドタドタとした足音が聞こえ、こちらに向かってくるのが分かる。そして、足音が玄関に辿りついたと同時に、乱暴に戸が開く。
「アラム! 貴様、どの面下げて戻ってきた! 貴様が私達を養えなくなったおかげで、どれだけ苦労をしているか判るか! 貴様を育てるのにどれだけ苦労したか判るか! 恩知らずが!」
捲くし立てるように、怒気を孕んだ罵声を浴びせる年老いた白人の男、私の父だ。ここを出る時より、白髪と皺が増えている。十年と言う月日は、老いるには十分な年月なのだろう。
「退職金もなにも、お二人に与えたではありませんか」
「あれっぽっちで恩を返したつもりか! お前のような、異質の子供を育てるのにどれだけ苦労をしたのか判るか! 全然足りんわ! 金がないなら帰れ! 金が出来たら持ってこい! そうでなければ寄るな、煩わしい!」
父は母の肩を抱き、引き寄せると乱暴に玄関戸を閉めた。私の事は、何も聞こうとしない。ただ、一方的に恩を押し付け、要求する。父は、私が新人類として異質の能力を持っていることが許せないのだ。他の人とは、違うということが許容できないのだ。
想定していた通りの事態に、軽くため息をついて、何も言わずに家から離れる。宿に居ますと伝えようかとも思っていたが、この調子では、全く意味がない、二人が訪れるようなことはないからだ。私の人付き合いの悪さは二人の血を引いているからだろう。思わず、苦笑いが零れる。
「感動の再会、とは、いかなかったみたいだなあ」
半ば呆れた顔をしたアトスが、続けて慰めの言葉を掛けようかどうか迷っている。
「予想通りの反応ですよ。あの二人にとって、もはや私は自分達を養ってはくれない、他人みたいなものですから」
「切ないことをいうなよ。実の親子なんだろう」
「血がつながっていようが、反りが合わないということはあるのですよ。全ての親子が仲睦まじく暮らせるわけではないと言うことです。次の目的地へ向かいましょう、アトス。」
自分で言って虚しく、そして不安になる。もし、私と妻の間に出来た娘も、成長していたら同じような境遇に立たされたのであろうか。それならば、私は誰かと結ばれない方が良かったのではないか。
「まあ確かに、どの親子だって、考え方や、生き方まで同じになるとは限らないからなあ。だが、まあ、お前さんの両親みたいなのは稀有な一例だと思いたいもんだ」
ギョットが入っている篭を持って先を歩くアトスが、何気なしに呟く。私は私であり、両親とはまた違う。似たようなものにはなっても、同じにはならない。そう、同じになる必要はないのだ。
行政区画となる都市高層建物群がある中央部から離れ、他のどの場所よりも広く、周囲を鉄製の柵で囲われいる。前世代では動物園だった場所を改築した施設――生物研究所の門の前に久しぶりに立っている。
「失礼、ストラーノ所長と面会をしたのですが」
「……面会状をお持ちですか」
受付所に待機している見慣れぬ守衛は帳簿に書付を行い、こちらを見ないまま面会状の有無を、どことなくうっとおしそうに訊き返してくる。
「こちらを預かっています」
私が出した面会状を胡乱気に眺めて直ぐに、守衛は、エッと顔色を変え、慌ててこちらに向き直る。
「た、確かに確認しました。失礼をしました。面会状なしに、所長に会いたいと言う方も結構いるものですから」
守衛は、余計な言い訳をしてから、こちらに軽く頭を下げる。相も変わらず、所長の美貌を見たさに用もなく女性が訪れるだろう。
門が開き、私達を招き入れる。案内役となる別の守衛が立っているが、こちらは見慣れた顔だ。
「ようこそ、生物研究所へ。所長の元までお連れ致します……って、アラム主任ではありませんか!」
「元が抜けているよ」
「あ、いや、確かにそうですが、いやはや、やっぱり生きていらっしゃいましたか」
「なんだい、生きていてはおかしいかな」
「馬鹿なことをおっしゃらないで下さい! 死ぬような方ではないと言いたいのです。私は貴方に連れられて散々、野外調査と言う名目のサバイバルに付き合わされましたから」
「まったく、悪いことをしたもんだ」
「いえ、おかげで、今でも死ぬことなく外回りの活動を続けられています。お連れの方もいらっしゃるようですから、早速、向かいましょう」
思いで話に華が咲きそうになるが、守衛の計らいで研究所内へと向かうことになる。後ろに控えていたアトスが耳打ちをしてくる。
「なあ、ここの連中はあんまり俺の事を変な目で見て来ないなあ」
「所長の方針がありますからね。人種差別的、排他主義は、仕事に持ちこむなという方針です。研究者も都市で珍しく、様々な人種がいますよ。ああ、絶対数が少ないですから、それでも二割程度ですけどね」
「ふうん、随分と良い所長さんみたいだな」
「まあ、都市に住む人たちからすると、いわゆる、アトスが言ったように奇人変人の類ですけどね」
アトスは、なんだ結局そうかと言うと笑い声を噛み堪えている。そう、ここは、都市では唯一と言って良い程に働く人種に対して寛容な施設なのだ。
「おいおい、ここにはこんなに様々な魔獣を飼っているのかよ」
道すがらにある、強固な檻のなかにいる様々な新生種、魔獣の姿を見てアトスが驚きの声を上げる。
「あくまで研究用に捕えているだけです。飼育しているわけではありませんよ。特に、第一世代は餌となるものを与える訳にはいきませんからね」
私の言葉に、アトスが少し嫌な顔をする。第一世代の餌とは『人間』に他ならないからだ。流石に、どのような訳があっても人肉を与えて飼育する訳にはいかない。
「てっきり死体でも食わせているかと思ったんだがなあ」
「一時期、そのような方法も検討されました。まあ、いわゆる生き倒れや、犯罪労働者の死体に限るといったものでしたが。結局は先送りにされました」
先送りとはいっても、二度と採用されることはないだろう。そもそも、魔獣を捕獲していること自体にあまり良い印象を与えてはいないのだ。
「第一世代と言われる魔獣は捕獲しても直ぐに解剖されたりしているのが現状です。それ以降の世代、といっても第二世代がほとんどです。檻の中にいるのも、全て第二世代ですね。これらは人以外のものを食して活動をすることが出来るため、許可を得て多少の間は生態研究のために飼育することが可能です」
私の説明にアトスは頷いている。守衛は、私の説明は不要ですねと肩をすくめている。
「第三世代と言う奴はいないのか」
「……今は、いませんね。認定されたのは、ワームドックが初めてでしたから」
私が発した言葉に、二人が黙る。事情を知っているからだ。
「アラム主任、檻から逃げたことに対する落ち度は貴方のせいではありません、それに――」
「いえ、管理監督責任は私にありました。そこを言い逃れすることはできません。下された処分は妥当である、私はそう受け止めたたのです」
私の言葉を聞き、守衛は少し俯きながらも判りましたと短く答えた。結果として起きた悲劇も又、私が要因となるのだ。それだけは、忘れたくても忘れることが出来ない事実である。
「アラム主任はご存知でしょうが、この先を下ります。幾分、通路は暗く、足元も悪いのでご注意ください」
「なんだ、研究所はともかく、所長室も地下にあるのか? 俺はてっきりこっちの建物の上階にあるとばかり思っていたんだがなあ」
研究所施設に隣接された地下へ向かう階段を前にして、アトスが疑念の声を上げる。
「まあ、あの方は先ほども言ったように奇人変人の類ですからねえ。今も、研究の真っ最中といったところでしょう」
「肯定もできませんが、否定もできませんな」
私の言葉に守衛は軽く下を向き、クツクツと小さく笑い声を上げている。彼も又、所長の人となりを良く知っているからだ。
「おいおい、なんだか、良い人みたにも思っていたが、かなりキている奴なのか、会うのがなんだか怖いなあ」
先を進み始めた私達の背を、及び腰になりつつあるアトスが着いてくる。彼も、会えば所長の人となりというものが直ぐにわかるであろう。呆れる人も多いが、決して悪い人ではない。
階段を降りきった先、人が認識できる程度の明かりを灯した照明がぶら下がる薄暗く湿った通路が続く。幾本もの様々な太さの配管が天井や床を這っている。
途中で幾人かの白衣を着た研究者とすれ違った。馴染みの顔も居たし、知らない顔も居た。馴染みの連中は驚き、そして、笑顔で私のことを迎えてくれた。
「アトス、配管には余り近づかないで下さい。過去の遺物ではなく、活きた配管です。感電する恐れもあります」
「生きた配管? なんだい、そりゃ」
「廊下に灯るこの灯りは電力が供給された照明です。容量は少ないですが、この施設は電気が利用できます。給水や排水管のほかに、電気を供給している配管も含まれているということです」
「はあ、電気ねえ。ジュノー近郊辺りじゃあ緊急通信連絡やポンプ以外には利用されない奴だろう。聞いたことはあったが、照明ねえ。松明で十分じゃあねえのかなあ」
アトスとそんなやり取りを交わしつつ、幾つかの角を曲がった先、通路のどん詰まりにある扉の前に立つ。守衛がノックをする。
「ストラーノ所長、お客様、アラム主任とそのお連れの方がいらっしゃいました」
「ハイ、どうぞ、お入りください」
軽い返事が部屋の中から帰って来る。相変わらず、秘書の類は付けていないようだ。
「では、私は部屋の外に待機をしています。お帰りの際はまた、お声を掛けて下さい」
「ありがとう」
守衛に礼をしてから、部屋の扉を開け中に入る。部屋の中には、雑多に書類や書籍が積み上げられている。周囲の壁は全て棚となっており、その中も様々な書籍で一杯だ。紙の束の量に、アトスが面食らっている。
そして、中央に設えた両袖机、個々の机の上だけは例外に書類が少ない。四角い画面を食い入るように見ている男が、大きめの椅子に浅く腰を掛けてキーボードを叩いている。
「お久しぶりですストラーノ所長。そして、相変わらずお元気そうです」
「いやいや、君がいなくなってから、色々な研究に差支えがあって困るよ。特に野外調査! みんなやりたがらなくって困ったものだよっと、書類完成! 打ちだせば終わり!」
指でキーボードを軽く叩くと、机の脇に設えてある箱から、軋むような音が鳴り、幾枚かの紙が吐き出される。
「アラム、ありゃ、なんだい?」
「小型の電子計算処理機と印字機ですね。都市遺跡にあったものを発掘して使用しています。所長の成果ですよ」
小声で訊ねてきたきたアトスに答えるが、意味が分からないようだ。仕方があるまい。電子計算機の類は電力がまともに無い、都市以外の場所では無用の長物だ。見たことも聞いたこともないのだろう。
「アトス、この施設では、前世代の幾つかの機器が利用可能な状態なのです。ストラーノ所長が過去の文献から、復旧されたのですよ」
「はあ、それは凄いな。お前さんの車みたいなものが、沢山あるようなものなのかなあ」
アトスは首を傾げている。普段は電気のない生活を長く続けている、新猟師の彼にとっては、どうでも良いことなのかも知れない。
「アラムくん、そちらの人がお連れさん?」
「あ、失礼しました。俺は、アトス……」
自己紹介を始めようとしたアトスが、画面から顔を上げた所長を見て、絶句する。
「やあ、始めまして、生物研究所の所長をしているストラーノ・アエテルヌスだよ。よろしく。キミはアラムくんの今の友人かな」
「ええ、まあ、はあ」
気の抜けた返事を返すアトスに対して、そうか、そうなんだと所長もまた、気の無い返事を返し、椅子から降りてこちらに背を向ける。その隙に、アトスがこちらを向く。
「アラム、ありゃなんだ。お前さんの所長だったんだろう? 十年前から」
「ええ、多分それよりも前からですけど」
「嘘だろう。一体全体、何歳なんだあの人は?!」
私にも判らない。どう見ても、私より年下だと思いたいが、そうなると色々なことに対して辻褄が合わなくなる。
以前と変わらず、透き通るような白い肌をした、皺やシミひとつなく、どのような女性でも振り返る美しい顔立ち。
今着ている服は何日着込んだのかわからない、よれた白衣と皺だらけのシャツと丈が少し短いズボンだが、彼が着ればどのような格好でも不思議と似合う。
世の女性が、一目見ればその美しさに惚れ惚れとしてしまうような、神話の時代の神々を切り取ったかのような容姿を持つ、華奢な、年齢不詳の男性。
――それが、生物研究所所長であり、新生種研究の第一人者、稀代の天才、ストラーノ・アエテルヌスという人だ。