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読書感想文 近大マグロの奇跡

作者: rey

近代マグロの奇跡は、当時の近畿大学水産研究所の研究チームが魚獲量激減、絶滅間近、生態はほぼ不明であるクロマグロの産卵と成長のサイクルを人口管理する「完全養殖」を確立するまでの苦闘の日々を書いたものである。この本の中で最も印象に残ったものは第二章、第四章、第六章とこの三つの章である。




第二章では近畿大学水産研究所の所長である熊井英水や熊井の恩師である原田輝雄が近畿大学水産研究所に所属するまでの出来事、近畿大学水産研究所に所属してからマダイの稚魚を養殖用に売り出す当たりまでが書かれている。


まず原田は近畿大学助手となって白浜で魚を研究していた。研究ではハマチが研究対象となっていたが、大学本部からの資金は少なく、餌の運搬は自転車とリアカーで、しかも、冷蔵庫はないため、餌の貯蔵には山の横穴を利用していた。餌は自分で一つずつ切るというとても重労働であった。

ここで思ったことは、これだけの重労働をしなければ研究が進まないような環境でも諦めずにやり続けることに感動した。それと同時に魚の研究がいかに大変なものであるかが分かった。ほかには疑問に感じた点がある。冷蔵庫の代わりに山の横穴を利用していたと書かれていたが、餌は腐っていたりしないのだろうか?それとも少しくらいなら腐っていても魚には問題がないということなのだろうか?という疑問が自分の中にはあった。


次に熊井が白浜にたどり着くまでである。熊井は高校卒業後、大学への進学を望んでいたが高校の成績はあまりよくなかったらしく担任からろくなところに行けないといわれていた。そのうえ、父親は熊井の就職を望んでいたため、父親との対立もあったが担任の協力もあって一度だけの大学受験の了解を得た。失敗は許されないという強い思いから熊井は大学に進学を果たした。熊井は学費と生活費をアルバイトと奨学金でやりくりしていた。アルバイトはメーデーの看板書き、アンケート調査、土木工事、着ぐるみを着ての街頭宣伝、原爆の資料整理、家庭教師などであった。

今の学生でも就職せざる得ない人は少なくはないと思う。しかし、熊井のように学費と生活費を稼ぐためにこれほど多くのアルバイトをする人は今の時代ではほぼいないと思うし、学費と生活費のためとはいえ、これだけのアルバイトをこなす人もほんの一握り度と思う。自分と比べるのは少し失礼な気もするが仮に自分が同じような状況であった場合、これだけのアルバイトをやっていけるかといえば無理だとおもう。熊井は大学で学びたい意志が強く、行動力もすごくあるとおもった。




第四章ではクロマグロの初めての自然産卵の確認、クロマグロの飼育について書かれている。

クロマグロの自然産卵の確認はクロマグロの幼魚であるヨコワの捕獲に挑戦し始めて一〇年目の出来事であった。クロマグロの卵は一粒一粒がとても小さく肉眼では確認ができないほどのものである。顕微鏡で見ると、大きさは一つひとつの卵の直径は約一ミリメートルであった。

たった一ミリメートルの卵から生まれたものがあの大きなクロマグロになるとは驚いた。近畿大学のオープンキャンパスの時に小さなヨコワが展示されていたが、卵はあれよりも小さいとは思わなかった。成体ではとても大きなクロマグロの数が少ないのは人による乱獲だけじゃなく、卵、幼魚のときの食物連鎖での階位が低く、他の魚に捕食されているからであるようにも思った。


自然産卵によって手に入った卵はすぐに実験場の孵化水槽に移され、産卵時の海と同じ環境がつくられた。三五時間後に孵化がはじまった。孵化をして三,四日目になると、口が開き、目もはっきりとわかるようになった。しかし、七日目に孵化仔魚たちは突然死にはじめた。その原因は全く分からず、後から持ち込まれた卵から孵化した仔魚を含めて、飼育開始から四七日目には全滅していた。

この項では一〇年かけて手に入った卵から孵化した仔魚が全滅するというものであった。当時の研究者たちはとてもつらかったと思う。この全滅という一つの結果は当事者ではない自分も気が滅入るような思いだ。それども諦めずに全滅しないように様々な条件で挑み続けたことは自分ではできないような努力であるとかんじた。


亡くなった原田に代わり熊井が指揮を継いでから産卵はみられなかった。そして、最後の産卵があってから丸一一年の月日が流れた。熊井は「このままクロマグロの研究を続けていいものだろうか?」という迷いから近畿大学二代目総長のもとを訪ねた。「もうやめろ」というような答えを覚悟していた熊井に、二代目総長は「生き物というのは、そういうものですよ。簡単にいくはずがない。気を長く持って、長い目でやってください」といった。この言葉で熊井はまたやってやろうという気力が湧き、初代総長の言葉を思い出していた。それは「不可能を可能にするのが研究だろ」というものであった。

挫折しかかっていた熊井を立ち直させるように言った言葉が初代総長に言われた「不可能を可能にするのが研究だろ」この言葉を思い出して、前に進むようになったこの場面は感動的であった。「不可能を可能にするのが研究だろ」という言葉はまさにそのとおりである。結果からみれば不可能だといわれていたクロマグロの完全養殖は三二年の歳月をかけて成功している。これはまさに不可能を可能にした実例に一つであると思う。この言葉は覚えておきたいと思う。



第六章ではクロマグロの完全養殖が達成されてからの様々な課題の解決について書かれている。


課題の一つとしては安定した産卵の確保である。完全養殖が達成されるまでで一番苦し時期として、一一年ものあいだ産卵がなかったというものである。その原因は解明されていなかったが次第に明らかになってきていた。原因は水温であると思われたため、水温のデータが取られた。結果は一日の中で水温が幾度も上下しているというものであった。その結果から一一年の空白を生んだのは水温であると推測された。

完全養殖にはまず卵がないといけないが産卵がなければできないことからこの課題の解決は最も重要であったと思う。この結果は従来の観測方法では得られなかったものであることから、誰かが一日中の水温観測を提案したから解決への糸口が得られたと思われる。もし誰かでなくとしても、このような細かな点に気付くことができることは素晴らしいものであると思った。


クロマグロは世界的にも消費が増加している。今後日本人が今までのようにクロマグロを食べていけるかが危惧されている。その原因は世界的な需要の増加である。日本食が健康志向で注目を集め、その中でも「SUSHI」という言葉は世界に浸透している。需要が高まったため、日本でも今までどおりの値段では買えなくなるという状態がすでに始まっている。

クロマグロが少なくなっていることは知っていたが、マグロが規制されたり、世界的に管理体制が敷かれていることは知らなかったので驚きがあった。「SUSHI」は世界的にも有名で特にアメリカ、中国、ヨーロッパには、寿司の店のもあるほどである。その中でもマグロは人気が高いため需要は高くなっているのだと思う。もしマグロの漁獲が禁止されてしまったら食べることができなくなる。それを防ぐためにもクロマグロの養殖の効率が上がることを願います。




今回本書を読んだだけでだけで実際に見たわけでもないクロマグロの養殖と聞いてもピンとこないし、近畿大学水産研究所の熊井のエピソードを中心にマグロ完全養殖までの32年間を水産関連の世界情勢やデータを交えて非常にコンパクトにまとめある。ただ、産業化をキーワードにした近大の取り組みや熊井所長のコメントなどに惹かれる部分が多いだけに、そのまとまり具合が返って読み物としては物足りない感じもしたが、要した年数32年を考えると、その努力には自分では真似ができないものだと感じた。稚魚の全滅という一つの結果ではこちらの気分も重くなった。「不可能を可能にするのが研究だろ」の言葉がとても心に熱く伝わった。さらに単なる研究ではなく、「実学」として取り組んでいたことが素晴らしいと思った。


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