うっかりミス
ある人はうっかりしていた。その日は友人との待ち合わせがあった。しかし、時間が経つのをうっかり忘れてしまっていたのだ。急いで準備をしたものの、予定のバスに乗ることはできず、一本遅れたバスに乗ることになった。
うっかりミスで、一本遅れのバスに乗る。理由はともあれ、バスをよく利用する人は、一度は経験したことがあるだろう。
そういったうっかりミスが、その後何かを引き起こす。
もし、そのうっかりミスがなかったとしたら
その後はどうなっていたのだろうか。
一本遅れたバスに乗ったあと、座席に座って友人にどうお詫びしようかということを考えていた。きっと理由を話せば許してくれると思うが、あまり言い訳がましいことはしたくなかった。あれこれ考えていると、おじいさんがバスに乗ってきた。おじいさんは、座席が満席だったので、その人の傍に立った。その人はそれに気付き、おじいさんに席を譲った。
「どうぞ。座ってください。」
「おお、すまないね。ありがとう。」
そんなよくあるやりとりである。そして、そのおじいさんが先にバスを降りた。おじいさんがバスを降りて発車し、ふと座席を見ると、そこにハンカチが落ちていることに気がついた。おじいさんが、うっかりハンカチを落としてしまったのだ。
慌てて渡そうとしたが、すでに手遅れ。バスは発車してしばらく経ってしまっていた。
仕方がないので、ハンカチは運転手さんに渡すことにした。きっとバス会社に連絡が来るだろう。そうして、自分が降りるときに運転手さんに落し物のハンカチを渡してその人はバスを降りた。
ハンカチを受け取った運転手さんは、そのハンカチを見てあることを思い出していた。
「そういえば、今の妻とまだ付き合いたての頃、誕生日にこんなハンカチをプレゼントしたことがあったな。」
その思い出を思い出すのとほぼ同時に、運転手はハッとした。来週はその妻の誕生日だったのだ。もう長年連れ添った妻である。ついうっかり忘れてしまっていた。
運転手は危なく当日まで忘れているところだったと、妻に何をプレゼントしようか考えたながら帰った。数日考えたあげく、妻は昔からぬいぐるみが好きだったので、今回はちょっと高めのぬいぐるみに花束を持たせてプレゼントすることに決めた。
そして誕生日の日の夜、帰宅してすぐに妻にプレゼントを渡した。妻は、どうせ忘れているのだろうと思っていただけに、とても喜んでいた様子だった。
ある日、その妻が部屋の片づけをしていて、貰ったぬいぐるみをちょっと移動しようとしたときのことだった。うっかりどこかに引っかけて、少し破いてしまったのだ。中からぬいぐるみの綿が出てきていた。破れ具合を確認していると、ポロっと何かぬいぐるみから落ちてきたことに気がついた。それは、指輪だった。
妻は、夫にこの指輪について聞いてみたが、夫は全く知らないようであった。夫からのサプライズプレゼントかとも一瞬思ったのだが、それにしては今までそれについて何も言わなかったのが不自然である。きっと、本当に知らないのだろう。一体誰の指輪なのだろうか。
妻は、個人の趣味でブログをやっていた。見てくれている人もそれなりにいた。ぬいぐるみがたまたま破けたところから、誰のか分からない指輪が出てきたという不思議なお話は、ブログの良い話のネタであった。それをブログに載せると、ある気になるコメントがついた。
「その指輪には、Y.Sと彫ってありませんか。」
指輪の写真はブログには載せていない。しかし、確かにその指輪にはY.Sと彫ってあった。そのことを伝えると、その人はそれは自分が失くした指輪であるに違いないと言ってきた。実は、その人はぬいぐるみを作る工場で働いており、いつもは指輪をはずして仕事をしていたのだが、うっかりはずし忘れてしまったときがあって、そのときに指輪をはずして近くに置いておいたらいつの間にか無くなっていたのだと言う。無くしたことに気付いたのは次の日の朝という遅さで、もうどうにもできなかった。もしかしたら、何かのはずみで製造中のぬいぐるみに混入してしまったのかもしれない、という可能性は考えていたようであった。
そんなとき、たまたまブログを読んでいて、ぬいぐるみを買ったというお店から自分の工場が製造元であることに気付き、もしかしてと思ってコメントしてみたらしい。
後日、その指輪はその人の手に渡った。確かにその人の指輪であった。どうやら結婚指輪だったようで、家でふと無くしたことに気付いたときはパニックになったということだった。
「翌朝、指輪を無くしたことに気がついて、パニックになってとりあえず家を探していたら、時間が経つのをうっかり忘れてしまっていて。友人と待ち合わせをしていたのですが、予定のバスには乗れずに一本遅れたバスに乗ることになってしまい、友人との待ち合わせには遅れてしまいました。もう散々だったんですよ。」
その人はニッコリと笑いながら、そう教えてくれた。