(SS)桜の木の下で
鬱注意。
デートとしては芸がないけど、今僕にできることと言えばこれくらいだ。
午前四時半、暁時。
僕はすっかり軽くなってしまった彼女を背負って病院を出発した。
若年性急性リンパ球性白血病……そう診断されてからの彼女は、いつも窓から病室の外を眺めては、外に出たい、もう一度二人であの桜を見に行きたいと口癖のように言っていた。
しかし、もはや彼女の体では自身でその願いを叶えることは適わない。
「待ってろよ……今連れて行ってやるからな」
だから、彼女の願いは僕が叶える。
彼女のその願いは、”彼女が見たい桜“を知っている僕だけが叶えることができるのだから。
僕は長期の化学療法にも関わらず、奇跡的に抜けずに済んだ彼女の短く整えられた黒髪の先を首筋に感じながら、どこまでも続くアスファルトをゆっくりと歩き続ける。
国道に響く足跡が、夜明けまでの時を一つずつ刻んでいく。
そして足跡が星の数にもなろうかというその頃、僕は彼女が見たかった桜――僕たちがかつて遊び、笑い合い、そして初めて口付けを交わした裏山の桜の元へようやくたどり着いた。
息絶え絶えの僕を歓迎するように、ざぁっ――と春一番が桜の花びらを散らす。
「よっ、と。着いたぜ」
僕は昏々と眠り続ける彼女を桜の根元に座らせ、彼女にそう告げる。
返事こそないが、彼女のその穏やかな表情はどこか喜びにあふれているような気がした。
「良かったなぁ。やっと外に出られて」
だから、気が付くと思わずそんな言葉が口からこぼれていた。
僕は彼女の隣に座ると、眼前に広がる街の風景を眺めながらこう続けた。
「僕はさぁ。実は本当はお前がこの桜を見たいって言ったあの日の内にここに連れて行くつもりだったんだよ。だけど、あの日母親に見つかってしまってなぁ。いやぁ……大目玉だった」
彼女の前髪が、苦笑するかのように揺れる。
「だけど、本当に良かった。やっと連れてこれたよ。ごめんな、待たせて」
僕は彼女の方に視線を移す。
彼女はもの言わず、静かに目を閉じたままだ。
だけど、その姿がまるで僕の話を聞くのも忘れて目の前の景色にうっとりとしているようで。
僕は何とも言えなくなり、視線を元に戻してとりあえずそっと彼女の冷たい手を握った。
と、その時であった。
「あ……」
地平線の向こうから、太陽がゆっくりと顔を出して街を照らし始める。
その柔らかな光が段々と広がるにつれて、僕の頬を何か冷たいものがつたう。
「綺麗だなぁ」
僕は独白ともつかぬ調子で彼女にそう語りかける。
彼女は息をするのも忘れ、目の前の風景に見惚れる。
「……本当に、綺麗だ」
あまりにもの綺麗さに、僕は目の前の景色を直視できなかった。
午前五時半、日の出。
桜の木の下で、僕と彼女が二人並んで街を見守る。
文芸サークルで書いた作品。テーマ:花見で書けとの事だったが、これのメインテーマってむしろ悲恋とか死とかそんなもののような……。
感情に任せて書いたので、正直自信はない。