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 その日は一日、授業はほとんど耳に入ってこなかった。何度か教師に当てられて冷や汗をかいた場面もあったが、何とか切り抜けた。

 そうなった原因は、間違いなく緋月の存在だ。それを恨めしく思いながら、帰り支度をするわけでもなく席に座り、朝と同じように頬杖をついて窓の外を眺める緋月を振り返る。

 多少なりとも、説明を求める権利くらいはあるはずだ。

 とは言え、緋月の態度を見る限り、桜が納得する答えを返してくれるとは到底思えなかった。だが、せめてもの抵抗だ。

「それで、説明してくれるつもりはあるの?」

「何を?」

「あなたが、こんな所にいる理由よ」

 学校をこんな所呼ばわりするのもどうかと思いつつ、桜はそう問いかけた。

 すると、緋月は聞こえよがしにも取れそうな、わざとらしい溜め息をついた。

「うーん、そうね。面白そうだから、かな?」

「え?」

「それ以外に、理由なんてないわ」

 端的過ぎる。それが事実なのだとしても、もう少しオブラートに包むという発想はないものだろうか、と思わずにはいられない。

「それよりも、私はあなたに聞きたいことがあるのよ」

「私に何を聞いたって、たいした答えは出て来ないと思うけど」

「彼に、会ったんでしょう?」

 一瞬面食らったが、それが、朝の男のことを言っているのだと気づき、桜はうなずいた。

「会ったと言うか、見かけたと言うか……。今朝、窓を開けたら目の前に浮いていたから」

「……へえ、そうなの」

 緋月は、やけに楽しそうに見える笑みを浮かべる。

「あなたには、彼が見えたのよね?」

「それ、あの人も言っていた。普通は見えないものなの?」

「私たちが意識して存在を見せようとしていない限りは、普通の人に見えることはないわ。そういうものなのよ。今は、見せようとしているから誰にでも見えているけど、それを意識しなくなったら私の姿は消えるわね」

「あなたたちは、何?」

「知りたい?」

 大きな瞳を悪戯っぽく輝かせて、緋月は笑う。

 その表情はやけに魅力的に思えて、緋月が普通の少女ではないことを知っている桜であっても、妙に心臓が跳ねた。相手が同性だとわかっていても、それは変わらない。

 彼女が何者であるのか、何のために高校生の真似事などをしているのか、わからないままではうっかりときめくこともできない。いや、ときめいたところでどうにもならないのだが、何となくの話だ。それに、彼女に関わるととんでもなく苦労しそうな予感がするのは、気のせいだろうか。

「そりゃ、知りたいと……思う。だって、あなたにしても、朝の人にしても、謎であることは確かでしょう?」

「……謎、ね。あなたは、やっぱり、何もわからないのね」

「何のこと?」

「ううん、何でもないわ。今は、そんなことを言っても意味がないもの。あなたが知らなくて、わからないことに、あなた自身の責任はないわ」

 自分から話を振っておきながら、緋月は自分で勝手に納得している。結局、桜の疑問に答えてくれる気などはなさそうだ。

「私の話は、全然進んでいないんだけど……」

「確かに、そうね。ごめんなさい」

 とりあえず謝罪の言葉は返ってきたが、その態度からして全く悪いとは思っていないようだ。

「とりあえず、場所を移しましょう。ここでは、どうにも落ち着かないわ」

 既に教室内に残っている生徒は少なくなってはいるが、それでも、いないわけではない。どんな話であれ、緋月の話が他人に聞かれて都合のいいものであるとは思えない。緋月や朝の男が普通の人間とは違う存在であるのならば、当然のことだった。

「場所を移すって、どこへ?」

「ついて来ればわかるわ」

 そのまま、桜の返事を待つことなくさっさと歩き始めた緋月を追い、桜は慌てて彼女に並ぶ。何かを話しかけて間をもたせようかとも思ったが、何となく気圧されてしまって何も言えないまま彼女と歩く。

 彼女は、やはり、謎だ。

 昨日から、妙なことが続いている。桜の周りで、何かが変わろうとしているような、そんな気がしてならない。

 掃除の最中に感じた変な視線のこともそうだし、いきなり現われた緋月の存在だってそうだ。おまけに、今朝は朝っぱらから空中散歩中の男と遭遇までしてしまった。ついでに言うなら、二人とも桜に会う前からその存在を知っていたようなふしがある。これを、妙なできごとと言わずして何と呼べばいいのだろう。

 緋月が向かったのは、特別教室などが入っている棟だ。特に授業で必要がなければ、縁のない場所である。緋月の目的とする場所は決まっているのか、彼女の足取りに迷いはない。ひとつのドアの前で立ち止まると、緋月は誰かの材質を確認することもなくドアを開けた。

「来たわよ!」

 勝手知ったる、といった様子で、緋月はずかずかと中に入って行く。それを見送ってから、桜はその部屋の入り口にある表示を見上げた。そこのプレートには資料室と書いてあったが、ちらりと見えた室内はほぼがらんどうだ。

 そこにあるのは、会議机がひとつと、数脚のパイプ椅子。使われていない教室の備品としては、妥当なものだ。

 ここは勝手に使ってもいい場所なのだろうか、と思わなくもないが、緋月はまるで頓着していない様子だ。

「何してるの? 早く中に入ってドアを閉めて」

 入るのに躊躇している桜を振り返り、緋月が苛立たしそうに告げた。

「……え、あ、うん」

 今ひとつ事情を理解しきれないままに、桜は資料室の中に入ってドアを閉めた。そうしてから、ようやくその部屋の中には緋月以外の人影がいることに気づいた。人数は、二人。一人は女子生徒で、もう一人は男子生徒。共にこの学校の制服を着ているが、その顔に見覚えはなかった。上級生か、別のクラスの生徒なのだろう。

 緋月と同様に、女子生徒は滅多に見かけないような美少女だった。男子生徒の方は、俳優かモデルだと言われたら納得してしまえるくらいの涼しげな美貌を持っている。

 この学校の制服を着ているということは生徒なのだろうと思うが、緋月がああである以上、それが事実だとは思えない。

「どういうこと? 私をここに連れてきて、何の意味があるの?」

「意味はないわよ。ただ、人に聞かれたらあなたが困るかもしれないって、静流しずるが言うから」

「ええっ?」

「別に、私はそんなことを気にする必要はないって思ったんだけど」

 説明する気があるのかないのか、緋月の言葉はどこか投げやりにも聞こえる。ここまで連れて来ておいて、と桜は苛立ちさえ覚えた。

「あ、あのぅ」

 そこで、最初から資料室の中にいた二人のうち、美少女の方が小さく声を上げた。

 緋月とはイメージが全くかぶらない、あどけない印象を与える美少女だ。同じ美少女という言葉で括ってはいても、緋月とは全くタイプが違う。男女の区別はともかく、何となく守ってあげたいような印象を抱かせる少女だった。そんな相手から縋るような眼差しで見つめられると、桜もトゲトゲとした感情が溶けて消えていくような気がした。

「あの、私たちは、自分で意識して見せようとしない限りは、普通の人間の目には映らないんです。でも、あなたは違うから。普通の人間だし、もし、何らかのきっかけでそんな光景を見られたら、困ると思って……」

「それって、私は緋月と話しているつもりでも、他の人には私が独り言を言っている変な人に見えるってこと?」

「……簡単に言えば、そういうこともあるかもしれないってことで……」

「別に、他人の目なんか気にする必要ないじゃない」

 緋月は何でもないことのように言い放ってくれたが、桜としては、さすがにそういう事態は避けたい。緋月と交わした会話はさほど多くないが、彼女が非常に我の強い性格であろうことは簡単にわかろうというものだ。

 もし、このもう一人の美少女の助言がなければ、そういうこともありえたかもしれないと思うと、何だか切ない。

「あなたはそれでいいのかもしれないけど、私は嫌だな」

「小さいことを気にするのね」

「小さくないでしょう」

 一人で何かと話している変人だと思われるのは、あまり嬉しくない。桜が憮然として言い返すと、緋月は不満そうに口を尖らせた。

 その態度に一種の腹立たしさを覚えもしたが、今更、何も聞かずに帰るというのも嫌だ。

 緋月の言葉を信じるのであれば、この二人もまた、人間ではないのだろう。朝の男も含めれば、四人の人外の存在が桜の傍にいる。四人と括っていいものかどうか、そもそも、それがどういうことなのか、問い詰めたいのは桜でなくても考えるだろうことだ。

「あの、桜さま。説明をさせていただけるのであれば、私たちは人間ではありません。たぶん、緋月から少しは聞いているとは思うんですけど……」

「それは、わかりました。私には、あなたたちはちょっと綺麗なだけの人間に見えますけど」

 その言葉は、本音だった。

 緋月にしても、最初のことさえなければ、風変わりで美人のクラスメイト程度の認識でしかなかっただろう。

 どういう方法を使ったのかは知らないが、緋月はクラスの一人として普通に存在していた。佐山や他のクラスメイトにそれとなく聞いてみたところ、緋月は四月に入学した時から同じクラスだと言っていたから驚きだ。昨日までは存在していなかったはずの少女を、誰もが知っていると口を揃える。それには、ちょっとした恐怖に似たものを覚えた。

 そんなことを簡単にやってのけるだけの力を持っているのだとしたら、人間であるとは思えない。人間であるのだとしたら、得体が知れなさ過ぎて怖い。人間ではないからこんなこともできるのだと言われてしまう方が、いくらかマシのような気がした。

 それでも、緋月を疑って嫌おうと思う気持ちにはなれなかったのも事実だ。確かに腹立たしさはあるが、それを許してしまいたくなるようなものも彼女は持っている。それが何であるのかは、わからない。彼女の口調や言っている内容はどうかと思うようなこともあるのだが、緋月からは敵意を感じないからかもしれない。そして、それは、目の前にいる緋月以外の二人から感じられるものも同じだった。

 ただ、朝の男は少し違う。あの男の言動からは、かすかにではあったが、桜に対する敵意にも似たものが感じられた。

「見た目は、あなたと変わらないと思います。でも……」

 あどけない表情を緩ませて、少女は笑う。

「証拠を、見せますね」

 そう言って、すっと手を上げた彼女の指先から、きらめく何かが零れ出る。一瞬、それが何であるかわからずにぽかんとして見ていた桜だったが、すぐにそれが水の流れであることに気づいてぎょっとする。

 彼女の指先から零れ落ちた一筋の水の流れは、空中で静止して複雑な文様を描く。それが、人の力で容易に為し得る業ではないことは、一目瞭然だった。

「私は、静流と申します。水を司る力を与えられております。それから……」

「蒼樹。属性は地」

 それまで言葉を挟むことなく物静かに佇んでいた少年が、抑揚なく告げる。それに割り込むようにして緋月が口を開いた。

「で、私が緋月! 火の姫って呼んでいいわよ」

「姫って……」

「ああ、もう、何だかまだろっこしいわ!」

「あなたのその説明では、わかるものもわからない。少し落ち着きと分別を学ぶべきだと、あの人にも言われたのに成長しないのはどうかと思うよ。知識の乏しい彼女に理解は難しいのだから、最初から順を追って話さなければ」

 苛々とした様子を見せる緋月に、またしても少年――確か、蒼樹と名乗っていた――が淡々と言葉を挟む。

「うるさいわね、蒼樹! 私がそういうのが苦手なのは知っているでしょう? だったら、静流、お願い」

「えっ、あう、私にもちゃんと説明できる自信はありませんっ」

「……」

 三者三様に押し付けあって、埒が明かない。しばしの押し問答の末に、それまではほとんど口を開くことのなかった蒼樹が進み出た。

「あなたがすぐにわかるように説明することは、難しい。それでもいいか?」

「……うん」

 これから、どんな話が出て来るにしても、何も聞かなければ理解するもしないも判断はできない。そもそも、ここに連れて来られている以上、既に巻き込まれているのだから、説明をしてもらわなければ割に合わない。

 蒼樹はあるかなしかのごとくにわずかにうなずいて、再び口を開いた。

「あなたが今までの流れから理解しているだろうことを推測して言うが、私たちは人間ではない」

 桜がそれにうなずきを返すと、蒼樹はそれを確認するように静流と緋月へと視線を向けた。

「あなたの理解できる言葉で言い換えるのであれば、私たちの存在は精霊という言葉が妥当だと考えている。私たちは、自然のもたらす力を糧にして生きている存在だから」

 彼の説明を要約すると、彼女たちは、かつて、地・火・風・水の四精霊と呼ばれていた存在なのだということだった。

 にわかには、信じ難い話だ。

 だが、彼女たちが人間ではないことは明白だ。それを、桜は肌で感じている。その上で、力の片鱗を見せられてしまえば、信じるより他にない。

 信じたくあろうがなかろうが、彼女たちは人間ではないのだ。彼ら自身の言葉を借りるのであれば、彼らは精霊なのだ。

「それで、その精霊たちが私にどういう用があるの?」

「あなたは、私たちの巫女」

「………………は?」

 咄嗟には告げられた言葉の意味がわからず、桜は目を瞬かせた。

「何の話、それ」

 巫女とは何だ。

 大体、巫女と言われて最初に思い浮かぶのは、神社にいるアレだ。だが、そうであるのだとしても、自分の家は神社などとは縁もゆかりもないはずだ。なのに、いきなりそんなことを言われても反応に困る。

「私の家は、神社じゃないんだけど」

「厳密に言えば、そういう意味での巫女ではない。血脈、もしくは魂の流れを顕す本質の名を指すのがあなたを巫女と呼ぶ意味。あなたの家の血統を辿って行けば、もしかしたらどこかで交わるかもしれない流れがあるのは事実だが、それはさして重要なことではない。大切なのは、あなたの魂に刻まれた古の記憶」

 蒼樹は淡々とそう語ったが、何のことやら意味がわからない。

 それでも、彼が本気でそれを語っているのだということはその表情から伝わってきた。そう感じてしまうから、桜はそれに冷たい反応を返すこともできない。だが、そんなことに実感を抱けという方が無理だ。

「今すぐ、あなたにそれを信じてもらおうとは思わない。あなたにとって、私たちの存在は異質だろう。それは知っている。この世界にとっても、私たちは異質だ。……それでも」

 やけに真剣な眼差しで桜を見据えて、蒼樹は言った。

「あなたの魂がそこに在る限り、あなたは狙われることもありえる。そして、私たちはそれを護る。それがかつて私たちがあなたと交わした契約であり、永遠に続くはずの約定」

「……ええと」

 わからない。

 それでも、その言葉が嘘ではないと何かが告げていた。


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