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あの夢のせいでいつも以上に早く目が覚めてしまった上、変な相手と遭遇したせいで余計に眠れなくなって寝不足の頭を抱えて、桜は気乗りしないままに学校へと向かった。いつもと同じはずの学校までの道のりが、やけに遠い気がしてならない。教室に着いた時には、既に疲労しているような感じがした。
もう帰りたい、と思いながらも自分の席に向かいかけた桜は、そこに思いもよらない光景を目にして硬直した。
教室の、自分の席の後ろ。昨日までは確かにそこにはいなかったはずの存在が、当然のような顔をしてそこに座り、頬杖をついてぼんやりと周囲を眺めていた。その人物には、嬉しくないことに見覚えがあった。
忘れられるはずがない。昨日の帰りに、桜に声をかけてきた少女だ。緋月、と名乗っていた。昨日の今日であるし、あまりにも突飛な邂逅であったことを考えれば、忘れる方が難しい。そんな存在が普通に教室の席に座っていたら、驚くに決まっている。しかも、昨日まではその存在など何もなかったというのに、だ。
立ち尽くして緋月を凝視していると、彼女はその視線に気づいたのか振り向いた。
「あら、おはよう、桜」
当たり前のように朝の挨拶をしてきたが、どう考えてもこの状況はおかしい。
「どうして、あなたがここにいるの」
「クラスメイトだもの、そりゃ、いるわよ」
「……はあ?」
昨日までは彼女がクラスメイトであるという事実はなかったはずなのに、いきなりそれを名乗られても困る。理解の範疇を超えている。桜が困っているのが楽しいのか、昨日、緋月と名乗って少女はにんまりとした笑みを浮かべた。
「どういうことなの?」
一応、周囲の様子を気にしながらも、桜は声をひそめて問いかける。
「私は、あなたのクラスメイト。そういうことになっているの。四月から一緒に過ごして来た仲間」
「それって……」
「まあ、細かいことを気にしたって意味がないわよ。あなたが考えたって、仕方のないことだわ。そういうことになっているんだから、それでいいの。考えるだけ無駄よ」
「あの、えっと」
どうやら、何らかの方法を使ってもぐりこんだらしいが、何のためにそんなことをするのか疑問に思うところだ。どう考えても、彼女――緋月は人間ではない。そして、今朝、窓の外に浮かんでいた男も。
そういえば、と思い返す。
あの男は、緋月の関係者であることを肯定していたはずだ。そして、人ではないことも。答えられない、と言っただけだ。
「聞きたいことがあるの」
「……何?」
「古風な着物を着た、やたらカッコいい男の人はあなたの知り合いで間違いはないの?」
「彼に、会ったの?」
緋月はそれに驚いたらしく、大きく目を見開いて桜を見つめ返した。
桜があの男と会っていたことは、緋月には想定外のことだったらしい。しばらくそうしてぽかんとしていた緋月は、妙にもったいぶった表情で溜め息をつく。
「全く、どうして、ああなのかしらね……?」
「ねえ、どういう意味?」
桜が問いかけたタイミングで、担任が教室に入って来た。緋月はそれに気づいてぷいと横を向く。
今は、これ以上話すつもりはないのだろう。そっぽを向いて窓の外を眺めているその様子から伺う限り、真面目に学生をやってみようと言う雰囲気は、全く見受けられない。彼女が何のために学生のふりをしているのやら、全く見当もつかなかった。
昨日からわけのわからないことばかりだ。緋月も、あの男も、人間ではないことは確かで、それが当たり前のように桜の傍にいる。
なのに、彼らは自分たちの姿が桜に見えることを不思議がっていた。それにしては、教室では誰もが緋月をクラスメイトとして扱い、彼女は普通に溶け込んでいる。その辺りは、おそらく、何らかの術でも使っているのだろうと思った。彼女が人間でないのなら、そういうことは簡単のはずだ。出席を取る担任の声に当たり前に返事をしている光景に、思わず自分の目と耳を疑いたくなってしまった桜である。
釈然としないながらも自分の席に座り、後ろから注がれる緋月からの視線に居た堪れない思いを味わいながらも、桜は一日を始めることになったのだった。