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 同じような夢を繰り返してみていることに気づいたのは、いつのことだっただろう。

 それは、夢と呼べるほど曖昧なものではない。けれど、現実に似たものであるとはっきりと認識して記憶に留めていられるほど、鮮明なものとも違っていた。

 言うなれば、水のような透明な膜越しに上映されている映画を見ているような、そんな感覚だった。

 そこにいる登場人物が誰なのかは、知らない。その人物たちが何かを話しているように見えるが、声は明瞭に聞こえない。薄い透明な膜に隔てられたその先では、表情もうまく見えない。それでも、その光景は延々と続き、言い知れない胸の痛みを桜に見せ付ける。

 そして、どこか懐かしいような、ひどくもどかしい想いを抱えて目が覚めるのだ。

 桜が現実の恋愛に対して積極的になることができないのは、おそらく、この夢が原因だ。夢に見る誰かの面影が、いつでも脳裏のどこかでちらつくからだった。

「……また、あの夢」

 まだ夜も明けきっていない時間に目が覚めてしまった桜は、ベッドの上で起き上がり、溜め息混じりにつぶやいた。

 ちらりと時計に目をやれば、いつも起きるよりもかなり早い時間を指し示している。だが、既に眠気などというものはどこにも見当たらなかった。もう一度横になったところで、眠れるとは思えない。

 これは、いつものことだった。

 その夢を見るのがいつというのは決まっていないけれど、夢を見た時は決まって朝早くに目が覚める。

 いつもは誰かが起こしにくるまで布団に包まっているのに、この夢を見た時だけは違っていた。家族の誰もが寝静まっている、白々と夜が明け始めたその時間に覚醒へと強引に導かれる。まるで、そうであることが当然であるかのように。

 何故、と、その理由を考えたことがないとは言わない。

 けれど、そんなことを誰に聞いたらいいのかもわからなかったし、胡散臭い夢占いなどというものを信じてみたいとも思わなかった。ただ、自分の中に在る感覚だけが全てだった。そして、これがただの夢ではないことを、自分は知っていた。

「どうして……?」

 この夢をきっかけに目覚めてしまえば、もう一度眠れないことは経験として知っている。かと言って、今から起き出して何かをするには早すぎる時間だ。

 桜は少し迷った後、パジャマの上に上着を羽織ってベッドから降りた。

 窓を開けたことに、それほど意味はなかった。

 何となく、朝の空気を吸ってみようとか、殊勝なことを頭の片隅で考えたのかもしれないが、その時にはそんなことを考えて行動したわけではなかった。何の気なしに窓を開けて明けかけた空を見上げ、桜は文字通り固まった。

 人が自然にいるはずもない高さに、ふわりと漂うように浮いている人影を見つけたからだった。

 それは、まさしく漂うといった言葉がしっくりと来る風情だった。特に力んだ様子もなく、ただ、風に任せるようにその人影はそこにいた。

 昨日の下校時に現れた美少女よりも、もっと不可思議な光景であることに間違いはなかった。緋月と名乗った彼女は、見た目だけは普通の女子高生に見えた。確かに、滅多に見かけないような場違いな美少女ではあったが、桜と同じ高校の制服を着ていたし、何よりも歩いて現れたのだから。多少、宙に浮いているように見えても、影が落ちていなくても、その光景はちょっと見ただけではおかしなものに見えるようなものではなかった。

 けれど、そこにいた人影は違う。普通の人は、支えもなしに宙に浮いたりはしない。

 ぼんやりと中空を見据え、膝を抱えて身体を丸めるようにして宙に漂うその姿は、どう贔屓目に見ても普通の人間には見えなかった。昨日の少女同様、場違いなほどに整ったその容貌はどこか人間離れした印象を与えていて、その身に纏うやけに古風な衣装がそれに輪をかけていた。それは、神社にいる者が着ている装束に似てはいたが、少し雰囲気が違う。だが、桜には何が違うのかはわからなかった。

 ただ、漠然とそう感じただけのことだった。

 桜がその姿を目で追っていると、彼女からの視線に気づいたのか、相手が顔を上げてこちらを見た。

「あ……」

 一瞬、その表情が嬉しそうに崩れかけ、けれど、すぐにそれは何かを飲み込むように気まずげなものへと変わった。

「あなたは、誰なの?」

 声に出して問いかけてしまったのは、自分でも思いもかけない行動だった。

 相手は驚いたように目を見開いて、桜を凝視する。

 それから、彼は宙でふわりと立ち上がり、空を滑るように移動して桜の目の前までやって来て静止した。

「あなたには、僕のことが見えるのですか?」

 近くで見てみると、彼は、見た目は桜と同い年くらいに見える少年だった。やけに整った顔立ちをしているために、少年と言うよりも青年と言った方がしっくり来るのかもしれないが、些か線の細いシルエットが彼を少年の域に留まらせている気がした。

 その眼差しはひどく冷たさを孕み、桜に突き刺さるようにして注がれる。顔立ちが整っているために、向けられる怜悧な眼差しは底冷えのするものとなってそこに在った。

 明け方の冷えた空気がそこに重みを加えて、桜は彼のその視線に気圧されるようにしてうなずいた。

 彼は困惑したような表情を浮かべ、目を伏せた。

「……どうして」

 長いような短いような沈黙の末にぽつりと落とされた言葉は、決して桜に向けられたものではなかった。何かに耐えるかのようにきつく引き結ばれた唇は、言葉を探すように小さく震えている。

 桜もしばらく黙っていたが、それ以上は彼が何も言わないことに焦れて口を開く。

「あなたは、昨日の人と何か関係があるの?」

「昨日、の……?」

 桜の問いかけの意味が即座にはわからなかったのか、彼はぱちぱちと忙しなく瞬きを繰り返した。

「緋月って名乗った女の子よ」

「……ああ、彼女ですか」

 くすりと笑って、彼は肩をすくめる。

「気になるのですか?」

「気になると言えば、そうなんだと思う。だって、あの子も、あなたも、どう見ても人間には見えないから」

「ふふ、見る目だけはあるのですね」

 彼は笑って見せたが、それが会話を楽しんでのものではないことは一目瞭然だった。どちらかと言えば、桜を見下したかのような薄い笑みだ。

「何なの」

 そのことに気づいてムッとした桜は、思わずきつい声音を返した。

「……僕たちのことに関しては、おのずと答えがわかるでしょう。あなたが、あなたであるのならば」

 まるで、謎かけのような言葉だった。

 それは、桜が向けた質問に対する答えではない。

「答えになっていないと思う」

「そうですね。では、僕と彼女が関係者であるかという問いに対する答えであれば、是、と答えましょう。けれど、僕たちが何者であるのかと言うといに関しては、僕に答えられるものは何もありません」

「どうして?」

「答えたくないからです。今は、まだ」

 彼は、迷いもなく即答した。

 だが、そこに、ついさっきまで存在していた冷たさは少し和らいでいた。少なくとも、桜はそう感じた。

「あなたが自ら知るのであれば、僕たちはその名に懸けて約定を違えることはしないでしょう」

「約定……?」

 彼の言っている意味が、わからなかった。それでも、どこか責めるような響きさえも含むその言葉は、桜の中に妙な重みを持って落ちてきた。その感覚は、ついさっきまで見ていた夢の中で味わったものにも似ていた。

「……あなたは、誰?」

「その問いには、答えられないと言ったでしょう。いえ、やはり、答えたくない、と言うべきでしょうか。答えることは簡単ですし、それをあなたに告げること自体は、おそらく禁忌ではないのでしょうね。でも、僕は、そうしたくはないのです」

 穏やかに告げられる言葉は、響きだけは優しく耳に滑り込んでくる。だが、それは強固な意思の元に紡がれる拒絶の言葉でもあった。

 桜は、呆然として宙に浮かぶ相手を見ていたが、彼はそれを無視するようにふっと姿を消した。まるで、朝の空気の中に溶け込むかのように。


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