4
「……本当に、頑固なんだから」
緋月は空を見上げ、溜め息をついた。
それは、決して呆れた物言いではなく、仲間の一人として心配する響きを持って憂いを含むものだ。
「仕方がないですよ、緋月。あの人と一番縁が深かったのは、彼なんですから」
割り込んだのは、軽やかに響く甘い声音。緋月と同じように憂いを抱いたその声に、緋月は小さくうなずいた。
「でも、もう、あの人はいないのよ。あいつが、一番それをわかっているはずなのに」
一瞬、相手が息を呑む。わずかな沈黙を挟み、小さな声でその先が続けられた。
「わかってはいても、求めてしまうことに変わりはないと思いますよ? 私たちだって、同じです。イナミと同じように、諦めきれない想いを抱えているんです」
「……そんなこと、今更言われなくてもわかっているわ。だから、あの馬鹿が頑固すぎて心配なんじゃないの」
わかっているからこそ、割り切ることのできない彼の気持ちは理解できる。けれど、失われたものは戻らないのだ。そして、あの人は、そうやって過去の想い出を惜しんで泣くことを喜んだりはしない。
誰よりもそのことを知っているのは、一番あの人の傍にいた彼のはずだ。
あの人の傍に在ることを選んだ時に、その時間は有限であることを知らされた。あの人と自分たちとの時の流れは違う。いずれ、別れの時は必ずやって来る。それを理解しても尚、契約を結んだ。命ある限り、その血の流れに従うのだと。
誰一人として、そのことを後悔する者はいない。おそらくは、彼も、同じだ。
あの人との約束は気の遠くなるような時が過ぎた今でもかけがえのないもので、それを無碍にすることなど絶対にできないことを知っている。あの時と今では何もかもが違うことも知っているけれど、あの人の残した言霊は、今でもこの身に宿るのだから。
だから、苦しい。そして、切ない。
言霊は今でも息づくのに、それを授けたあの人はいない。
それでも。
「私たちは、今、この時を選んで目覚めてしまった。それが、誰の意図なのかはわからない。あの人がいない限り、私たちはあのまま永遠に続く眠りの中にいるはずだったのに」
「それには、意味があるんだと私は思います」
甘い声音が、緋月の声に答えた。
「……イナミとて、それはわかっているはずだ。知っていても割り切れないのだろうな」
と、落ち着いた声が続ける。その声音どおり、そこに現れたのは落ち着いた様子を見せる物静かな風貌の少年だった。
「あんたの言葉を疑うつもりはないわよ、蒼樹」
「そうか」
蒼樹、と呼ばれた少年は、さほど表情を変えることなくうなずく。それは、彼のいつものことであったので、緋月は気にする様子も見せなかった。
「だからこそ、私たちは決めなければならない。あの人との約束を、守るために」
優しいあの声を、決して色褪せることのない鮮やかな想い出を、見知らぬ誰かに穢されないために。
「風が、吹きます」
少女の甘やかな声音が、穏やかに告げる。
ふと見上げた先に広がるのは、あの頃と変わることない蒼穹。
「そうね」
と、緋月はうなずいた。
「それは、新しい風なのかしら。それとも」
「わかりません。ただ、流れが変わって行くのは見えます。今は、それしか言えません」
「……ねえ、本当に」
緋月は、首を傾げた。
「彼女は、あの人と同じ?」
思い返して、そう、つぶやく。
「疑うんですか?」
「疑いたくないわ。私は、自分の中にある感覚を信じてる。色ボケしているイナミとは違うわ。でも、違いすぎるから不安になるのは事実なのよ」
「それでも、さだめの風は吹く。私たちの意思とは、全く別の場所から」
だから? と、表情を変えない蒼樹に重ねて問うことはできなかった。
たとえその流れが自分たちの本意ではなくとも、そこに定められたものがある限りは言霊に従うのが役割だ。それが、遥か時の彼方から受け継がれた、あの人との約束なのだから。