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――あなたは、魔を射るのだと聞いたけれど。
そうですよ。人の言う、形のある矢を用いて射るわけではありませんが。
――そうなの?
ええ。僕が使うのは、僕の力を形あるものに変換したようなものです。ですから、常に持ち歩いているようなものではありませんよ。
――その矢は、あの空の月まで届くのかしら。
それは……どうでしょうね。そんなことを考えて試したことはありませんので、確実にお答えはしかねますが。あなたが見てみたいとおっしゃるのであれば、やってみましょうか? そんなものを向けるなと、月読の神に怒られるかもしれませんが、それもまた一興。
――神を怒らせることを、そんな一言で済ませるの? では、質問を変えようかな。私は海というものを見たことがないの。波があると聞いたけれど、それを砕くことは?
それも……わかりませんね。やってみてもかまいませんよ。とは言え、僕も、海を見たことはないのですよ。ご存知のように、水守の乙女は神域の奥の湖を守護する存在ですし、火の姫はああですし、賢者殿はここから動くことなど考えもしないでしょうし。ここから動くことを考えたことも、残念ながらないのです。ああ、でも、あなたがそれを望まれるのであれば、今すぐにでも空を駆けて海とやらにお連れしてもかまわないのですよ? 皆さんには内緒で、僕とあなたの二人だけ、で。
――それは、楽しそうね。でも、難しいかもしれないね。私は神から嫌われた存在なの。私が海に行けば、海神さまを怒らせてしまうかもしれないわ。
嫌う……? 神が、あなたを? 何故、そのようなことを。神は人を区別することはありませんよ。あなたはこんなにも綺麗なのですから、愛されこそすれ嫌われるなど。
――それは……ちょと、褒めすぎじゃないのかな。
僕にとって、あなたは何よりも綺麗な存在です。それは、間違っているのですか? おや、何故、そこで顔を赤くなさるんです。
――あなたの言っていることが恥ずかしいから。
神から嫌われた存在とは、どういう意味なのですか。
――私の父と母は、人の世では決して許されぬ過ちを犯したの。それは、神を裏切ること。私は、生まれる前から罪人なのよ。
何故です? 生まれてはならぬ命など、この世界のどこにも存在していません。どんな命であっても、等しく祝福を受けるべきです。
――たとえそうだとしても、私には、その資格はないのよ。人の世の理は、それを許さない。巫女は、神以外の存在と通じてはならないのだから、神を裏切った巫女は存在してはならないのよ。父と母は、そういう罪を犯した。
でも、愛し合っていらしたのでしょう?
――そうね。だから、私がここにいる。
それを許せぬと神が言うのであれば、神というのは随分と狭量な存在だと僕は思います。過程はどうあれ、生まれ出る命の価値は全て等しい。それこそが自然の理。命あるものは全て同じくあるべきです。
――あなたは、そんなことを言っているけれど、神が怖くないの?
あなたを失うことに比べたら、神など怖くはありません。
――イナミ
はい。
――あなたの名前は、人の言葉で波を射ると書くの。私のために神に向かって矢を射掛けてもかまわないとあなたが言うから、波を砕くことも可能にするかもしれないと思ったの。
あなたのためであれば、神を敵に回すことも怖くはありません。実のところ、会ったことも見たこともない神よりも、僕は火の姫君の癇癪の方が怖いのです。……ああ、これも、内緒ですよ。
――緋月はそんなに言うほど怖くないと思うけど。あの子はまっすぐで可愛いわ。
そんなことを平然とおっしゃるのは、あなたくらいのものです。彼女を怒鳴りつける方を見たのも、あなたが初めてです。でも、火の姫君もあなたに怒られるのは嬉しそうなのですから、あなたという存在は本当に稀有なのですね。
――イナミ
はい、何でしょう。
――あなたの力の全てを、私に捧げてくれる? 神域に仕える巫女の血を引きながら、名も持たない半端な存在である私に、全てを預けてくれる? 私のことを守って、愛してくれる?
あなたの、望むままに。あなたが射よと命じるのならば、月を射ることも、波を砕くことも躊躇いはしません。あなたが僕に下さったこの名に懸けて、僕はあなたの命を守ります。あなたが望むのならば、神にさえこの矢を向けましょう。この手で神すら殺めることも厭わないと誓います。あなたのためにならば、僕は、何を失っても後悔はないのですから。
それは、誓約。
名もなき唯一の人に捧げる、絶対の誓いだった。
半年も空けてしまいましたね……。
このまま完結まで行ければいいな。