第4話 「余計なお世話」
「おはよう、浅野〜」
朝の教室で、あたしは啓太に会った。
「あ、啓太、おはよ」
「浅野、これやるよ」
いきなり啓太から差し出された物をみて私は目を丸くしてしまった。それは可愛らしいクマのパッケージに入ったチョコだった。
「えっ、なに?」
「新発売」
そう言って、啓太は子供みたいに笑う。あたしはこの笑顔が好きだ。
あたしは、小さい頃から皆で何かをする事が大の苦手だった。
高校に入って一年以上経った今でも、何にも変わっていない。それなりに友達はいるが、束縛されるのが嫌なあたしは、一人で行動する事が多い。女子特有の群れで行動するのも、もちろん苦手なのだ。
そんなあたしにとって、啓太は太陽みたいな存在だ。周りにはいつも人が集まり、そして、啓太は皆を気遣いさりげなく元気にする。あたしは啓太のそう言うところが、羨ましかった。
「サボるなよ」
そう言うと、啓太は教室を後にした。
今日の授業の一限目は「美術」だ。美術が嫌いなわけじゃない、むしろ一番好きな授業だ。ただ一つ不満なのは、担当の教師が黒澤 猛だと言うこと。
啓太には悪いが、黒澤の事を考えたお陰で急に重苦しくなった心を引きずり、あたしはまだ人もまばらな教室を出た。携帯と財布だけ持ち、秘密の場所へと向かう。
「んっ」
文句なしの晴れ。あたしは冷え込んだ空気にやんわりと溶け込む光を受け、背伸びをした。
秘密の場所とは屋上の事だ。さぼると決めたらあたしはいつもここに来ている。時には雲が流れるのを見つめ、時には三流小説を読み過ごす、無駄なように見えるだろうが、あたしにとっては大切な時間。
「俺の授業ばっくれるとはいい度胸だね」
ふいに貯水タンクの陰から聞き覚えのある声が響く。声の主は分かっていた。
貯水タンクに近づくと、そこには、フェンスにもたれ煙草を吸う黒澤の姿があった。
「いつからいたんですか?ていうかもう授業始まってますけど」
「細かいこと気にすんな」
他の生徒には絶対に見せないであろう裏の顔で、黒澤は微笑んだ。
「黒澤先生はもうちょっと気にした方が良いと思いますけど」
「堅いねぇ。そう言えば浅野、お前の笑った顔見たことねぇな」
「面白くも無いのに笑えない」
「ほっんとに可愛くないな、南ちゃん。そんなんじゃ好きな人に振り向いてもらいないよ?」
黒澤はにやりと怪しい笑みを浮かべた。
「黒澤先生には関係ないことです」
あたしは苛立ちを抑え、冷静に話した。黒澤は煙草を携帯用の灰皿に押し付け、ゆっくりと立ち上がる。
「関係ない訳無いだろ。担任として生徒の恋の悩みは切実な問題だ」
じりじりと詰め寄ってくる黒澤に警戒し、あたしは一歩二歩下がる。
「俺意外と恋愛経験豊富なもんでね。相談に乗ってやるよ」
あたしの背中でフェンスがかしゃりと音を立てた。黒澤は両腕でフェンスを掴み、まるであたしを檻のように覆った。黒澤の顔が間近にある。長い睫に整った鼻筋、バランスよく作られたその顔を見ているだけで眩暈が起きそうだ。
「余計なお世話」
あたしの心臓は一方に早くなるばかりだったけど、こんな奴に動揺するなんて自分が許せなかった。精一杯の演技で、冷静を装う。
「あたしは黒澤先生の暇つぶしになんて付き合うつもりはありません」
「暇つぶしねぇ……。俺、珍しく本気になりそうな人がいるんだ。どんな奴か知りたい?」
黒澤はあたしの顔を面白そうに覗き込む。
「あたしには関係ない。どいてください」
あたしの言葉を無視し、黒澤は続けた。
「そいつは気持ちいい程に言いたい事はっきり言うんだよ。で、いつもピンと張り詰めて強がってる。ホントは弱いくせに。そいつの事を見ていると、つい、虐めたくなるんだよね」
全てを見透かす黒澤の透き通った目を見ていたら、まるで自分の事を言われているような錯覚に陥った。
「いい加減にしてください」
「俺の授業をサボらないって言うなら開放してやる」
黒澤は飄々と言い放つ。追い詰められたあたしは、まさにぎゃふんとでも言いそうな勢いだ。
「わ、分かりました。だから離して」
消え去ってしまいそうな声で、呟く。あたしは屈辱感を感じずにはいられなかった。
「よくできました」
今までの真剣な表情から一変した黒澤は、さっきまでの姿からは想像できないほど爽やかな笑顔を振り撒いた。一体どこまでが本気でどこからが嘘なのか。
乱れるあたしの心を置き去りに、悪魔は笑っていた。