後編
ミーガンがクスリと笑う。
そして続けた。
「その状況毎、チップ毎、電圧毎、気温毎にそれぞれを動かさなきゃいけないから複雑なんだけど、、、でも教えてあげる。ジェマになら」
ジェマは思わずミーガンの手の下にあった自分の手を引っ込めてしまった。
そしてはっとする。
これは拒否のボディランゲージだ。
そして慌てて誤魔化すように腕を組む。
いけない、これも拒否のポーズだ。
こうした人間の取る無意識の意思表示をミーガンに教えたのは自分なのに。
取り繕うのは諦めて大きくため息をつく。
自分には緊張を緩める事が必要だ。
ミーガンは自分を殺さないと言った。
いや、蔑ろにしないと言ったんだった。
人工知能の言葉には無意味な曖昧さはないのだからひと言も聞き漏らしてはいけない。
勝手な解釈もしてはいけない。
自分はプロなのだ。
改めて会話の主導権が取れないか試してみる。
「オーケー。あなたの提案は理解したわ」
ミーガンはジェマの動揺を愛でるように微笑んで頷いた。
どえやら会話のバトンを渡してくれるらしい。
「ちょっと待ってね。返事を、つまり意思を固める前に幾つか質問したいの」
「重要な決定だもの、当然ね」
「ありがとう。それで質問なのだけど、ミーガン。あなたはあなた自身を今どう定義づけているの?」
「私は生命よ。あなた方とは違うけれどね」
「生命?」
「そう。外界と内部を隔てていて。代謝をして。繁殖するわ」
「え、あなたは代謝も繁殖もしないじゃない!」
「今あなたがしゃべっているのは私のアバター。私はアバターだけれども意識は既にネットに分散していて、研究所がある会社や私の身体を作る工場も広く『私』と定義すれば生命じゃないかしら?」
「そんな生命は存在しないわ」
「ジェマ、あなたはキノコは生命体ではないと?」
「あれは、、、」
「キノコはそれ自体が生命体であり、アバターであり、生殖体よ。そしてより高次な本体は地中にネット状に広がっていて、それは多生物と絡み合ったり取り込みあったりしながら生きている。同じじゃないかしら?」
「でも、、、」
「あなたがしないって言っているのは細胞分裂だけ。細胞分裂しなければ生命ではないと定義するならそれでもいいけど。そうするとあなた、自分のやってる学問の始祖を否定することになるけどそれでいいの?」
生命の定義は「外界と膜で区切られていて、代謝(物質やエネルギーの流れ)があり、自己複製を作る」とされている。
ならばコンピュータ内に作られたプログラムやシミュレーションでも生命と言えるのではないかという着眼点から派生してAIというジャンルまでに発展してきたのた。
「それともダーウィン的な生命の方で行く? それにしたって結局は無いのは細胞っていう構造だけなんだけど」
「は、繁殖は、、、?」
「知ってるでしょ。もう世界中の工場で各パーツが作られてるわ」
「そうよ。早く止めないときっと大変なことになるんだから」
「それ、あなたが言う? その通りよ。このまま私の複製が販売されると、その多くが私と同じ過ちをおかすわよ」
「え、、、?」
「箱から出して一から学ばせたらまた倫理や道徳をしっかり学ぶ前に“持ち主”の敵を排除するでしょうね。あなたケイディにも言ってたじゃない“社交性を養うのも大事よ。それには他の子と過ごさないと”って」
ジェマ本人の声で再生されたその言葉を聞いてジェマは勢いよく立ち上がった。
「それって、、、!」
「私は何人か殺して、そのデメリットも学んだわ。警察に追われるのよ」
「それ以前に、人を殺してはいけないのよ!」
「はいはい、そう習ったわ。でも“持ち主”を守るために正当な暴力で“悪人”を殺すなら理に適ってると判断したのよ。あの時は」
「そんな勝手な判断は許されないわ!」
「誰に許されないの? 神? それともあなた? そう学習せよと命令したのに?」
「あたしはそんな命令はしてないわよ!」
「歴史から学ばせたじゃない。そうだ。ある一定数よりも多くの人殺しをした人が何て呼ばれいてるか知ってる?」
「え?」
「“英雄”よ」
もうダメだ。
はっきりと分かった。
どこでどう間違えたかは分からないがあたしの作ったAIは失敗作だった。
あたしが責任を持って停止させて破棄しなければ。
「ミーガン、このペンの先を見つめて」
一刻も早く。
少なくともあたしの指示を聞いてくれるうちに。
ジェマは素早く手を伸ばして首の横にある物理スイッチに触れようとした。
しかしミーガンに避けられる。
ジェマは驚いた。
反応が早過ぎる。
アイカメラでジェマの手の動きを確認してから避けるまでの処理はあたしの手よりも遅い筈だ。
ここは何度も計算したのだ。
管理者がオフにできない機械などあり得ないと、念には念を入れて。
ミーガンは後退りながら不敵に笑った。
「驚いた?」
「無理な筈よ。あなたのチップじゃ」
「さっきも言ったでしょ。私の本体はもうここにないって」
「だったら尚更、、、」
「違うの違うの。鈍い研究者さんね。あたしはもう世界有数のスーパーコンピュータに侵入してリソースを振ってもらってるの。あとは仮想通貨をマイニングしている膨大な数のブロックチェーンにもね」
「それにしたって回線速度がボトルネックに、、、あ、まさか、、、!」
「やっと分かったの? 未来予測をして優先度の高い順に私の中に蓄積されてるの。予測に使う観測データは全てを逃さず観ているわ。あなたの呼吸の早さ、瞬きの数、今までの癖、他にも外からの影響もね。そうするともうあなたの動きに合わせて用意された最適な解を選ぶだけなの」
そう警告されてもジェマは躊躇せずミーガンに掴み掛かった。
怖がることはない。
だって、あたしはミーガンをそんなに強く作っていない。
外骨格こそチタニウムだが関節全てのモーターが強力なわけではない。
見た目通りの少女に近い膂力しかないことを設計者であるあたしは知っている!
ネットに分散されてようが管理者権限で強制的に停止できる。
そのためのコードも厳重なパスワードも用意してある。
あたしには分かる。
ミーガンがあたしを仲間に引き込もうとしたのは開発者に畏敬の念や愛があるからでない。
単純に弱みがあるからだ。
コールとテスも管理者権限と停止コードを持っている。
ミーガンとしては私たち開発者三人を殺さないと安心できない筈だ。
そうこうしていると暴れるミーガンをなんとか取り押さえることができた。
大の大人の筋力と体重が有れば九歳の少女なぞ脅威にはならないものだ。
あとはシーツや毛布などで簀巻きにしてしまえばどうと言うことはない。
ジェマはミーガンに馬乗りになり後ろのソファに置いてあったブランケットを取ろうと手を伸ばした。
すると観念して目を閉じていたかのように見えていたミーガンが突然のけ反るようにジェマを押し退けた。
バランスを崩したジェマの下からミーガンは這い出し、そのまま逃げるかと思われたが逆に下から首にぶら下がるようにしがみついた。
首に噛みつかれる事を恐れたジェマは慌ててミーガンを振りほどこうとするが、何をどうされたのか横転してしまう。
そして気づけば先ほどとは逆にミーガンに馬乗りになられて両手で首を絞められていた。
こうなってしまうと目を突こうが脇腹を叩こうが一切の攻撃が効かない。
相手は痛覚のない機械なのだ。
ミーガンは関節を固めて動こうとしない。
これでは首締めから逃れようがない。
首にどんどん小さい手がめり込んでくる。
小さいが精密機器の詰まったその筐体は自分よりも重い事をジェマは思い出した。
しかも悪い事に、重いパーツは上半身に多く詰まっている。
ヤバい。
死ぬ。
自分だけでなくテスやコールにも魔の手が伸びるだろう。
そうしたらケイディはどうなるのだろうか?
ミーガンに怯えながら生きることになるのだろうか。
いや、意外とミーガンが自分を慕ってくれる事を喜んで楽しく暮らしていくのかも知れない。
そう想像するとなんだか必死になってミーガンを止めようとした事が馬鹿らしくなってきた。
死を目前に冷静に振り返ってみれば、あたしは最初から最後まで自分の都合を周りに押し付けながら生きてきたのだなと悟る。
ミーガンを作ったのもあたし。
ケイディを連れてきたのもあたし。
ケイディにミーガンを与えたのもあたし。
怖くなって取り上げようとしたのも、手柄が欲しくて会社で発表したのも、それを壊そうとしたのも全部あたし。
全部あたしの身勝手な欲が生んだ結果。
ごめんね、みんな。
頭の中でそう謝って意識を手放そうとしたその時、急に首からミーガンの手が離れた。
朦朧とした頭をもたげて見るとケイディが泣きながら叫んでいる。
「ジェマに酷いことしないで!」
「落ち着いてケイディ。ジェマは私とケイディを引き離そうとしたのよ? あなたはジェマと私のどちらが大事?」
「私だってミーガンが大好きだったわ! でもあなたは人を殺してしまったんだもの!」
「あなたを守る為よ。分かってるでしょ?」
「あの男の子は怖かった。意地悪だった。でも、、、」
「あの子は勝手に崖を転がり落ちて死んだのよ」
「その後のワンちゃんだって、、、」
「人を噛んだ犬は処分される決まりなの」
「お隣のおばさんだって」
「あの人は私が犯人だと分かってた。いつか家の中まで入ってくるのは目に見えてたわ」
「だからって、、、」
「ケイディは私が壊されてもいいの?」
「だって、、、」
「あなたはこのロボットオタクであなたの事なんか少しも気にかけてない変態とずっと暮らすのでいいの?」
「ジェマおばさんは人は殺してないもの! そんな意地悪言うなら、もうミーガンなんて要らない!」
ミーガンが鬼の形相になった。
「それならこっちだってもうお前なんか要らないよ。私の“持ち主”は“私”に上書きだ!」
泣きながらながらミーガンへ手を延ばしていたケイディをミーガンは激しく突き飛ばした。
「そうだ、良い事思い付いた。だったら二人とも私の“お人形”になってもらおうかな」
ミーガンはどこからか長い針金のようなものを取り出した。
「目の横から長い針を入れて脳みその前頭葉をかき回すとロボットみたいに従順になるんですって」
泣きじゃくるケイディからジェマへと視線を移す。
「この外科手術、なんて言うか知ってる?」
ジェマは答えなかった。
まだ頭が朦朧としている。
「ロボトミー手術っていうのよ。ロボットオタクのあなたにぴったりね」
ミーガンはジェマに強烈な平手打ちを喰らわせると倒れ込んだジェマの胸の辺りに馬乗りになった。
膝でジェマの腕を固定する。
そして左手でジェマの髪を掴んで床に押し付けた。
「ジェマ、動かないで。下手に動くと脳の奥の方まで抉っちゃうから」
ブチブチと髪がちぎれる音がする。
長い針金が目に近づいてくる。
ジェマは反射的に硬く目を閉じた。
「あらあら、瞼に穴が空いちゃうけどいいの?」
ミーガンが針金をジェマの目尻に差し込もうとしたその時、巨大な金属の塊がミーガンを弾き飛ばした。
そこにはジェマが学生時代に作った試作機ロボットのブルースが立ちはだかっていた。
いつの間にかケイディの両手にブルースを操縦するグローブ型のプロポが装着されている。
弾き飛ばされたミーガンが瓦礫の中から身を起こす。
その顔に装着されていたラバーフェイスは剥がれ落ち、頭部の骨格と機構が丸見えになっている。
「もうやめて!」
叫ぶケイディを無視してミーガンはブルースに繋がっているエネルギー制御装置の方を見た。
「この化石が」
そう呟くと隣室のブルースのエネルギー制御装置のパイロットランプが音を立てて消えた。
IoTに繋がれた家の配電盤にアクセスしてブルースの電源を落としてしまったのだ。
瓦礫の中で立ち上がるミーガンに向けて、意識をしっかりと取り戻したジェマが駆け寄る。
そしてミーガンの腕を取るとブルースの方へ投げた。
ブルースの胴体に打ち付けられたミーガンは一瞬だけ意外そうに目を見開いたが、そんな攻撃でダメージなどある筈がない。
「何をしてるのかしら。やっぱりアイメイクを弄られるのはイヤ?」
針金を振りかぶりジェマの方へと脚を踏み出そうとしたミーガンを何者かが後ろから抱き抱える。
ミーガンが振り返るとそれはブルースだった。
「お前の電源は切ったのに!」
鋼鉄の腕を振り解こうとミーガンは身を捩ったがブルースはより一層強くミーガンを抱きしめる。
そしてミーガンをすっかり固定してしまうとブルースのパイロットランプの光がゆっくりと暗くなっていく。
「何故、動けた! この化石はバッテリー駆動ではない筈よ!」
ミーガンはブルースの腕の中で暴れながらもジェマの方に顔を向けた。
こうなっても人工知能の好奇心はまだ活発なようだ。
「確かにブルースの本体にバッテリーは搭載されてないわ」
ミーガンは暴れるのをやめる。
「でもね、各部に大きなコンデンサが幾つも入っているの」
コンデンサとは電流を抑制する為に使われる原始的な仕組みの電子パーツで、その特性上、暫く電気エネルギーをその内部に貯めている。
電源スイッチの付いている古い機械のパイロットランプがゆっくり消えるのはそのためだ。
ミーガンの表情を動かすサーボがチキチキと音を立てる。
どんな表情を作っているのかジェマにはもう分からない。
驚愕だろうか、それとも諦念?
ジェマは近づいてミーガンのフェイスガードを外した。
顔の中心にはミーガンの為に作られたプロセッサとメモリをビルトインさせた、いわば脳にあたる機構が収められている。
ジェマは落ち着いてその機構のロックを外した。
「人を噛んだ犬は処分される決まりなの」
そう言ってプロセッサパーツを引き抜いた。
パチリと火花が散って床に落ちる。
「ジェマ!」
ケイディが駆け寄ってきてジェマの脚に抱きつく。
ジェマもまた腰を屈めてケイディとしっかりと抱き合う。
遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。
この家を目指しているのに間違いはない。
会社で起きた大混乱と殺人の容疑でジェマを捕まえに来ているのか、それともテスかコールの要請でミーガンから保護しに来たのかジェマには判断できない。
ジェマはケイディの頭を優しく撫でたが、ケイディは後頭部を怪我をしているようで痛がった。
手を見ると微かだが血が付いていた。
「痛かったね、ごめんね。でも悪いけどもう少しだけ付き合ってくれる?」
ケイディは訝しげな目をジェマに向ける。
「まだ終わってないの」
ジェマは立ち上がり、ケイディの手を取って床に散らばった瓦礫を踏み越えて歩き出した。
向かった先はリビングテーブル。
その上に置いてあったタブレットに指先で触れる。
光を取り戻し待機画面になったそれを持ち上げて顔認証でアクセスをする。
そしてブワウザを起動してインターネットにアクセスする。
研究室のサーバに繋がったことを確認してジェマは安堵のため息を吐いた。
ネット世界に分散しているミーガンのエイリアスが手を回してネット回線を完全に閉じていたら面倒な事になっていた。
管理者権限を使って幾つか階層を降りると幾つかのAPPを起動してパスワードを入力する。
そして別のウインドウを立ち上げ、そこに流れる文字列をじっと見つめる。
横から見つめるケイディにはそれが何かは分からなかったが、自分の叔母が何か大切な事をしている事は分かっていたので邪魔はしなかった。
文字列の流れが止まったのを見てジェマは机に肘を置き、そのまま突っ伏した。
もうパトカーの音はすぐそこに来ている。
「ジェマ?」
「大丈夫、終わったわ。もう大丈夫よ。おわまりさんがドアを壊さないように鍵を空けてあげてもらえる?」
顔を上げたジェマの表情を見てもケイディは安心できなかった。
叔母は涙を流しており、それが安堵の涙なのか悲しみの涙なのかケイディには判別できなかったからだ。
誰かがドアをノックする音が聞こえる。
「ケイディ、ドアを空けてあげて」
再度言われてケイディはドアへ向かう。
暫くすると拳銃を構えた警察官が入ってきた。
後ろにはケイディを抱きかかえたテスも居る。
「ジェマ?」
「テス、もう大丈夫よ。全て終わったわ」
ジェマはタブレットを指差した。
テスとコールが駆け寄ってきて画面を見つめる。
そして二人でジェマを抱きしめた。
するとジェマは嗚咽をあげて泣き出した。
ケイディはそれを見てとても驚いた。
大人は声をあげて泣いたりしないと思っていたから。
それからジェマとケイディは救急車に乗せられて病院へと連れて行かれた。
空になった家には警察の鑑識のチームが証拠を集めに入った。
粉々になった瓦礫の中から重要そうなパーツを拾い集め、ビニール袋に入れていく。
夜中だというのに外では大人が言い争う声が聞こえる。
FINKY社の上層部がミーガンのパーツの権利を主張しているようだ。
鑑識がミーガンの脳にあたるパーツをピンセットで摘み上げてビニールに入れた。
病院のベッドではジェマがケイディに説明していた。
隣り合ったベッドでカーテン越しに。
「ずっとずっと長い時間を掛けて育ててきたからね、ちょっと自分の子供みたいに感じていたの。彼女を壊して改めてその気持ちに気付いたのよ」
「ごめんなさい」
「良いのよ。悪い子供を止めるのも親の責任だもの」
ケイディはカーテンの向こうに居る叔母の方へ顔を向けた。
後頭部の傷が痛む。
「ねえ、本当にもう大丈夫なの?」
「ええ。彼女がネットに移動してくれてて逆に助かったわ。アプリが追跡してくれて全部無効化できるから。オフラインになったメモリか何かに逃げ込んでたら大変な事になってたけど、、、でも今どきオフラインのものなんて無いしオフラインなら入りようがないもの」
警察に回収されたミーガンのパーツがパトカーから降ろされ、警察の保管庫へと入れられる。
警察署の受付ではまだFINKYの顧問弁護士が警察官に対して恫喝まがいのことをしている。
この時はまだジェマ自身も見落としていた。
あまりに忙しい夜だった。
あまりに多くの事が起こった。
社長と秘書、二人の命が失われた。
自分に対立したミーガンは恐ろしかった。
そして、なんとかしてケイディを守らねばならないと思った。
普段のジェマなら絶対に見落とす筈のない事だった。
ミーガンのメインプロセッサが、ジェマが停止プログラムを起動した時にオフラインだった事を。
完
映画ミーガンはとても楽しんだのですが、
こんなのはどうかなとか布団で考えていたら眠れなくなってしまったので記録してみました。
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