3 檻の中の悪魔1
一方、「悪魔」と呼ばれた人型は檻の中に入れられていた。地下牢では四六時中見張りがつき、時に他の罪人が騒ぎを起こし、罵倒する声や殴打する音が聞こえてきた。
食事として用意された固いパンと具のないスープはトレイごと床に置かれた。人型は粗末な食事を前に祈りをささげ、ゆっくりと口に入れた。
その様子を陰から見ていた宰相は、やはり自分の感じた違和感は間違ってはいないと確信した。悪魔があんな粗末な食事を前に祈りを捧げるだろうか。
宰相は人型が食事を終えるのを待って檻に近寄った。
宰相を見て人型はびくりと震え、慌てて檻の奥へと逃げた。はずみで食器がひっくり返り、大きな音を立てた。人型は更に震えて両手で頭を守るように身を縮こまらせ、消えそうな声で何度も謝った。
「ご、ごめんなさ…。ごめんな…」
「驚かせてすまなかった」
マントの中でちぢこもっていた人型は、宰相の謝罪にゆっくりと目線を上げた。宰相は膝を折り、檻の柵越しに目線を合わせている。厳しさを持ちながらも真っ直ぐに人型を見る目は怖さよりも誠実さを感じた。
「…おまえ、名は何という」
誰もが自分に怯え、自分を恐れ、自分を蔑む。そんな環境に慣れ過ぎて、名を問われる、それだけのことが特別なことに思えた。
「あ、…わ、わた……」
「おまえは人だろう?」
数年前まで当たり前だったその問いに、人は小さく頷いた。
「エ、…エレン、でした」
自分の名を名乗りながら過去形。それが名さえ失ったエレンの今の境遇を示していた。
「あの男にさらわれたのか?」
エレンは首を横に振った。
「売られ、ました。…親不孝で、気味が悪い、悪魔だと…」
「売られた…? 親にか?」
伏せた目はその答えを否定しなかった。
「母に、『死んじゃえ』と、…言ってしまって、…そんなことを言う子は、人では、ないと…」
声は小さくかすれていたが、エレンは宰相を前に、誰も信じてくれなかった話を話す気になった。それは自分が人であることに気付いてくれた宰相に聞かせるためでもあり、自分が人であることを自分に言い聞かせるためでもあった。
「母が、病気になって。…王都から戻ってきた母は、体に黒いもやもやとしたものがまとわりついていて、それがどんどん大きくなって母を包み込むと、やがて母は寝込むようになりました。そのうち黒いもやもやは顔になって、大きな口を開けて笑いながら近寄ってきたんです。怖くて、消えてって、何度もお願いして、でも消えてくれなくて、…思わず、『死んじゃえ』って言ったら、やっといなくなったんです。良かったと思っていたら、母が元気になって起き上がっていて、だけど私を睨んでました。『母親に死ねなんて、なんてひどいことを言う子だ。おまえは悪魔だ。おまえが病気をもたらしたに違いない』と、…その日から口をきいてくれなくなりました」
にわかに信じがたい話だったが、今日見たあの奇蹟につながる話でもある。
この子はずっと消えろ、と言っていた。何度もいなくなれ、消えろ、と繰り返し、最後に「死んじゃえ」と叫ぶと、王の病状は劇的に改善した。
この子が死を願ったのは王ではなく、死神、病気の原因となる病魔だとしたら、…この子が悪魔であろうはずがない。




