第7話 揺れる祭り、終わりの決断
祭壇での儀式も佳境に入り、太鼓と笛が激しく楽曲を奏でる。広場には大勢の人々が息を飲んで踊りや祈りを見守っていた。
しかし、つい先ほど起きた“毒の中毒者”騒動のせいで、ざわついた空気も完全には消えていない。兵士たちは警戒態勢を取り、アリーシャもマルクと共に再び会場を巡回していた。
「さっき倒れた人は、医者のところで安静だって。命に別状はないらしい」
「よかった。でも、もし偽薬商人や関連する組織が祭りを狙ってるのなら、このまま終わるとは思えないわね」
アリーシャの声に緊張が混じる。何事もなく儀式が終わるに越したことはないが、万が一新たな被害が出れば、祭り全体がパニックに陥る恐れもある。
「こっちから先に探りを入れようか。さっきの男が倒れた辺りを再確認してみない?」
「そうね。行ってみましょう」
踊りの熱気が渦巻くステージから少し外れた場所。人の流れが少ない道沿いで、先ほどの騒動が起きたはずだ。二人が足を踏み入れた途端、どこからか低い唸り声のようなものが聞こえてくる。
アリーシャがマルクと目を見合わせ、警戒するように杖を握った。
「……物陰に誰かいる?」
「待って、行くなら一緒に」
路地裏に回り込むと、やせた犬のような魔物――グールに似た小型のクリーチャーが唸っていた。その足元には、祭り用の木箱や布袋が散らばっている。
明らかにこの街には生息しないはずの異形。しかも、何かを飲みこもうとしている――袋の切れ端には怪しい薬瓶がついていた。
「まさか、毒入りの瓶……?」
グールのような魔物が“わざわざ町中まで侵入”してきた理由は定かでないが、明らかに危険。アリーシャがさっと杖を構える。
「捕縛の糸環――!」
蒼白い糸が飛び、魔物の足元を絡め取る。動きが鈍ったところをマルクが槍で牽制し、あっという間に仕留めた。
魔物の体液が臭うなか、アリーシャは薬瓶を拾い上げ、眉をひそめる。
「偽薬商人のものかしら……瓶の形が同じ。どうしてこんな場所に? まるで、誰かが魔物に運ばせたようにも見える」
その言葉を聞いた瞬間、背後からパチパチと手を叩く音が響いた。
「ご名答だね、お嬢さん」
振り返ると、そこには黒い布のフードを深くかぶった人物が立っている。その装いは以前アリーシャが拾った“黒い布”とよく似た質感だ。
フードの奥はうっすらとしか見えないが、獰猛な笑みを浮かべているのがわかる。
「あなたが……この偽薬や毒を広めてた張本人?」
「さあね。でも、私たちは人々の愚かさを試しているだけ。……“お前たち”の町は、ちょっとした毒にすら無防備だからね」
フードの人物がひそひそとした声で嘲るように言う。マルクが槍を構え、一歩前に出る。
「ふざけるな! 祭りを何だと思ってるんだ?」
「はは、無粋な兵士だこと。まあ、どうせすぐ混乱が広がる。お嬢さん、今なら止められるかもね? まあ間に合うかどうか、見ものだ」
嘲笑とともに、“フードの人物”は何か小瓶を地面に投げつけた。白煙が立ちこめ、一瞬で視界が奪われる。
アリーシャとマルクが追おうとするが、煙が晴れたときにはもう姿は消えていた。
「くそっ……」
マルクが悔しそうに歯ぎしりし、アリーシャは煙にむせながら立ち上がる。
すると遠くから、何かが破裂するような音が響き、悲鳴が広場にこだまするのが聞こえてきた。
「急ぎましょう! まさか本当に大規模な毒を散布しているとか、別の魔物を放ったとか……」
二人はすぐに広場へ駆け戻った。そこでは、観客たちが苦しげに倒れかけている集団と、慌てて避難しようとする人々が入り乱れている。おそらく、何らかの方法で毒の混ぜられた香や薬酒が拡散されたのだろう。
演舞は中断。兵士たちが「落ち着け!」と必死に声を張り上げるが、パニック状態の群衆にうまく対応できない。
「マルクは人々の避難を。私は解毒魔法を試すわ」
「わかった……気をつけてな!」
アリーシャは震える手で杖を握り、一気に魔力を高める。複数の人に同時に効果を及ぼすには、それなりの大規模な術式が必要だ。
頭痛がじわりと広がるが、今はそんなことを気にしていられない。
「――癒流の網……!」
空気に淡い緑の光が走り、広範囲を包み込むように広がる。倒れかけていた人々の呼吸が少しずつ安定し、咳き込んでいた子どもが目を開けて泣き出す。
一方、大人たちの中にはまだ重症らしき者もいて、アリーシャは汗だくになりながら一人ずつ魔力を注ぎ込む。
「がんばれ……大丈夫、きっと治るから……」
祭りは一瞬にして阿鼻叫喚の場と化した。普段なら引きずりそうな恐怖と絶望を感じつつも、アリーシャは必死に魔法を維持する。
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騒動からどれほど時間が経っただろう。
アリーシャが魔力を振り絞り、兵士や医師、町の人々も協力して数多の被害者を手当した結果、大半の人が命を失わずに済んだ。
霧が晴れた広場には、ぐったりと横たわる人々と、やりきれない表情の仲間たちがいる。魔物の襲撃こそなかったが、“毒”による最大級の混乱が祭りを台無しにしてしまった。
「……ありがとう、アリーシャさん。あなたがいなかったらもっと死人が出てた」
息も絶え絶えのマルクが、深く頭を下げる。服は埃まみれで、騒動を鎮める間にかなり消耗したようだ。
アリーシャも魔力をかなり消耗し、ふらつきそうになりながら微笑む。
「被害が最小で済んでよかった……だけど、逃げたあの黒いフードの集団は、きっとまだ動くはず」
「そうだな……いずれ追わなくちゃいけない。だけど今は、この町を立て直す方が先だ」
兵士や町民が後片付けや被害者の搬送を進める中、アリーシャはふと視線を祭壇へ向ける。捧げられた供物が無残に踏まれ、血と毒の気配が残っている光景に心が痛む。
――この町で、もう彼女の役目は終わったかもしれない。
「アリーシャさん……オレ、もっと強くなる。こんな悲惨なことが起きないように、この町を、いずれは国だって守りたい。だから……」
マルクが言葉を詰まらせる。苦悩と揺らぎの表情だ。
「あなたの気持ちは嬉しい。でも、ごめんなさい。私はここには留まれないわ」
アリーシャは震える声で告げる。痛いほどマルクの心が伝わってくるが、もうこれは決めたことだ。
「ど、どうして……」
「まだもっと大きな危機が待っている。それを防がないと、未来で私が目にした滅びは変えられない」
当然マルクは彼女の“本当の出自”を知らない。まるで予言者のようなセリフに困惑するが、必死で受け止める。
それでもマルクは、片想いを捨てきれない。祭りの惨状で泣きそうな瞳をしながら、最後の抵抗のように聞いた。
「戻ってきてくれるかな……いつかは」
「約束はできない。でも、もし……また、この町に必要とされる時がきたら」
それだけ言うと、アリーシャは言葉を切ってマルクの肩をそっと抱き、「ありがとう、あなたは立派だったわ」と耳元で囁いた。
次の瞬間、背を向けて歩き出す。人々が片付けに追われる広場を後にし、破れた装飾や暗くなったランタンのあいだを抜けていく。祭りの終わりを告げる冷たい風が、彼女の髪を揺らした。
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翌日。
町は深い悲しみに沈んでいた。毒騒ぎによる死者こそ少なかったが、多くの人が負傷し、気力を失っていた。
ランド軍曹やベリック隊長は偽薬商人や黒い組織の手がかりを探していたが、有力な情報を得られずじまい。
そして、誰もが求めた“魔法使いの助力”――アリーシャは、朝早くにそっと旅立ってしまった。
「朝起きたら、もういなかったんだと。挨拶くらいしてくれたらいいのに」
グリーンリーフ亭の女将が寂しそうに呟き、マルクはうつむく。
「仕方ないよ。彼女は……きっと、もっと大きな何かを背負っているんだと思う」
そう言いながら、マルクは心の中でアリーシャを想う。ほんの数日だったが、彼女がこの町にいてくれたことは奇跡に近い。救われた命が多いことに感謝しなければ。
しかし、彼の片想いは報われずに終わった――いや、まだ終わっていないのかもしれない。どこかで再会を夢見ながら、マルクは兵舎へ向かう。
「オレももっと頑張らなきゃ。あんな悲劇は二度と御免だ。いつか、どんな形でもいいから、また会えたら……」
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こうして、時空転移でこの町へ来たアリーシャの“最初の旅”は幕を下ろした。
彼女は傷ついた体を引きずりながら、次なる目的地を定め、広い世界へ足を踏み出す。
手の中には、滅亡を回避するための事件リストと、未来で作った魔法や研究成果のメモ。それだけを頼りに――「二度とあんな惨劇を繰り返さない」ために、今日も一歩ずつ歩み続けるのだ。
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