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第6話 揺れる祭典と、蘇る不安

 夜明け前から聞こえてきた太鼓や笛の音が、ヴェルトナ町をゆっくりと目覚めさせる。


 今日は豊穣神の祭りの本番当日――前夜祭を軽く楽しんだ人々も、今朝から気合を入れ直して準備に取りかかっていた。装飾品や灯篭が一斉に街道に並び、祭壇には豊作を祈る供物が飾られ始めている。




「あれだけ前夜祭で盛り上がったのに、早起きもできるなんて。すごいわね……」


 アリーシャはグリーンリーフ亭の窓辺から、通りを眺めて小さく驚嘆の声を漏らす。眠たいはずなのに、大人も子どもも目をキラキラさせて外に繰り出していた。




「今日は本番だからさ!」


 食堂の扉からひょいと顔を出したのは、いつものように兵士の姿をしたマルク。


「アリーシャさん、もしよかったらだけど、今日の昼すぎから町の中央広場で儀式的な舞踏があるんだ。警備しながらになるけど、よかったら一緒に見ない?」




 彼の瞳は期待に輝いている。昨晩の前夜祭でアリーシャが見せた“楽しそうな表情”を思い出し、今日も少しでも彼女に祭りを味わってほしいと思っているのだろう。


 アリーシャは少しだけ笑って、「ええ、できるだけそうしたいわ」と返事をした。


 本来なら、彼女は“何か起きるかもしれない”と身構えている。だが、楽しい雰囲気を壊したくない――そんな気持ちも同時に抱いていた。




 





---




 




 午前中は比較的穏やかに過ぎていった。商店や露店が一斉に営業を始め、人々が行き来して食べ物やお土産を買い求める。


 アリーシャは市街地をぶらつきながら、先日から気になっている“怪しい偽薬商人”や“謎の組織”の気配を探ったものの、これといって不審な動きは感じられなかった。


 ゴブリン騒動も再発しておらず、町は平和そのものに見える。




(もしかしたら、何事も起こらずに終わるかも……)




 そう思いかけると同時に、“フラグを立てるような不安”が胸の奥で蠢く。


 未来を変えるという大きな運命を背負う彼女にとって、“何も起こらない平穏”は逆に怖いほど儚いものに思えた。




「……考えすぎかしら」


 溜め息を吐き、昼前に一度宿へ戻る。あまり身構え過ぎても何も始まらない。


 ここぞというときに力を発揮すべきなのだ――そう自分に言い聞かせる。




 





---




 




 正午。陽射しが少し強くなってきた頃、広場には待ちに待った“大陸伝来の楽師”や踊り子たちが集い始める。町の人々はあちらこちらに座って演舞を待ち、屋台の軽食をつまんだり、子どもたちは走り回って大はしゃぎだ。


 アリーシャは一足先に兵舎を訪ね、ベリック隊長やランド軍曹から「特段怪しい情報は入っていない」と聞かされる。


 その際、マルクとも合流し、祭りの昼~夕方の警護ルートを大まかに確認した。




「オレたちは広場の西側を中心に見回ることになったよ。人が多く集まるだろうから、何か揉め事やスリがあったら対応する感じ」


「わかったわ。でも、私がいなくても兵士さんたちで充分なんじゃない? 私はただの旅人だし……」


 アリーシャが少し遠慮すると、ベリック隊長は「いや、君がいてくれるだけで心強い」と笑ってみせる。


「魔法に詳しい者が常駐するだけでも抑止力になるからな。よろしく頼むよ、アリーシャ殿」




 兵舎を後にして、アリーシャとマルクは広場の西側へ向かう。そこでは、すでに笛や太鼓が忙しなく調整され、豊穣神の儀式に備える踊り手たちが円陣を組んでいた。




「ほら、始まるよ。あそこに祭壇が見えるだろ?」


 マルクが指さす先に、簡素な石造りの小さな祭壇があり、そこに果物や穀物の束が供えられている。地方独特の信仰らしく、優しい雰囲気を醸し出していた。


 アリーシャは初めて見る光景に、興味深そうに目を向ける。




「私、こういうのを見るのは初めてかも。未来じゃ、もはや伝統行事もほとんど消えてたから……」


 思わず本音がこぼれそうになり、慌てて言葉尻を誤魔化す。


「っていうか、こういう祭壇の存在自体が新鮮ね。大陸の他の地域ではまた形が違ったりするのかしら」


「そうだね、国が変われば祝う神様や祭りのやり方も違うって聞くよ。オレも詳しくは知らないけど」




 そんな会話をしながら、二人はざっと広場を巡回し、一通り露店や観客の様子をチェックして回る。


 人々が大挙して押し寄せる割には、怪しい動きは見当たらない。確かに酔っぱらいが騒ぐくらいの小トラブルはあるが、今のところ大きな危険はなさそうだ。




 





---




 




 やがて、小さな鐘が鳴り響き、演舞の開始を告げる。太鼓が低くうねるようなリズムを刻み、華やかな笛の旋律がそれに乗っていく。


 踊り子たちが祭壇の周りをぐるりと囲み、民族衣装のような揃いの服でステップを踏み始める。観衆は手拍子と歓声で応え、広場は一瞬にして祝祭の渦に包まれた。




「わあ……すごいね、やっぱり」


 マルクが感激したように声を漏らす。


 アリーシャも足を止め、目を奪われる。これほど活気に満ちたお祭りは、彼女の記憶にない。――かつて幼少期、母と市場へ出かけたときに似た賑わいを見た気がするが、はるか昔の曖昧な思い出だ。




(ああ……戦争で崩壊した未来にも、もしこんな祭りが残っていたら。どんなに素敵だっただろう)




 そんな切ない想いがこみ上げる。


 しかし同時に、町の人々やマルクの笑顔を見ていると、心が少しだけ満たされるのを感じた。過去の世界ならではの平和と温もり。自分が救おうとしている未来に、こうした光景を残したい――強くそう願う。




「……どうしたの、アリーシャさん? 泣きそうな顔してるけど」


 マルクが不安げに覗き込む。アリーシャはハッとして苦笑を返した。


「ごめんなさい。あまりに素敵だったから、つい感極まっちゃったの。大丈夫よ」


「そっか、なら良かった。……あ、危ないよ、ほら酔っぱらいの親父さんがこっちに寄ってきてる」




 酔客がフラフラと踊りの輪に入ろうとして周囲に迷惑をかけている。マルクが慌てて静止しに行き、アリーシャは後ろからサポートに回る。


 そんなバタバタした光景も祭りの風物詩――大した問題にならないうちに丸く収まり、再び笑い声の輪が広がる。




 





---




 




 そして、演舞が最高潮に達し、祭壇での儀式を行う巫女(神官)が中央へ進み出た。その瞬間、歓声が鎮まり、広場に静寂が訪れる。


 観衆たちが息を飲んで見守る中、巫女は神への祈りを捧げ、穀物や果物を象徴的に掲げてみせる。――その優雅で厳かな仕草に、多くの人が胸を打たれる。


 アリーシャも、なんとも言えぬ神聖な空気を感じ、そっと手を合わせた。別にこの神を信仰しているわけではないが、“人々が生きる喜びを分かち合う”という行いに、心が震えるのを覚える。




「きっと、すべてうまくいくよ……この町も、みんなの生活も」


 マルクが優しい口調で囁く。確証はないが、そう信じたくなる光景だった。


 しかし、その時。


 ――広場の端から、小さな悲鳴が上がった。




「な、なんだ!?」


 マルクが反応するより早く、アリーシャはそちらへ目を向ける。人ごみの隙間で誰かが倒れこんでいるのが見えた。周囲の客たちがざわざわと声を上げている。




「怪我人、もしくは急病かしら……! 行ってみましょう」


 二人は人混みをかき分け、倒れた人物へ近づく。そこには中年の男性が苦しげにうめき、周りの人が「大丈夫か!?」と声をかけている状態。




「ど、どうしたんだ?」


「わからない。急に倒れて呼吸が乱れて……」


 様子を見る限り、外傷はなさそうだ。アリーシャは脈を取りながら顔色を確認する。少し汗ばみ、痛みに耐えているような表情だが、どこが原因か不明だ。




「……魔法で診てみるわ」


 アリーシャは杖を取り出し、倒れた男性の胸元に手をかざす。


簡易透査かんいとうさ――」


 静かに呪文を唱えると、うっすら青白い光が男性の身体をなぞる。体表や内臓のごく表面的な状態を読み取る初歩の診断魔法だ。




「これは……何かの毒?」


 微弱ながら、体内に不純な成分が巡っている反応を感じる。治癒魔法をかければ緩和できるかもしれないが、完全に解毒するには専用の対処が必要だ。




「君、最近何か変な食べ物や薬を摂った覚えは?」


 アリーシャが問いかけると、男性は苦しげに「あ、ああ……昼に屋台で買った薬酒が安かったから……」と答えた。


 薬酒――もしかして、あの偽薬商人が流した粗悪な液体なのか? まさか祭りの屋台にまで出回っているとは……。




「少し治癒魔法で軽減するから、あとでちゃんと医者に診てもらってね」


「お、お願いします……」




 アリーシャがすぐに“癒しの火種ひだね”の上位魔法である「癒流ゆる」を試み、毒素を緩和させる魔力を流し込む。男性は「う……」と一瞬苦しそうな声を上げるが、徐々に呼吸が落ち着いていくようだ。


 周囲の人々が「す、すげぇ……!」と感嘆の声を漏らす中、マルクが不安げに耳打ちする。




「アリーシャさん……こんな場所で大掛かりな魔法を使って、目立ちすぎない?」


「でも放っておけないわ。……大丈夫、これぐらいなら大きな欠片を見せたわけじゃないし。何とかなるわよ」


 そうは言いつつ、アリーシャの心は騒いでいた。この騒動の裏には、やはりあの“偽薬商人”の影があるのでは……?




 





---




 




 その後、倒れていた男性は一応歩ける程度には回復し、近くの医療所へ連れられていった。アリーシャも簡単な解毒の処置しかしていないので、継続的な治療が必要だろう。


 一方、広場では人々の不安が広がりつつある。「怪しい薬に当たったのでは」「これは何かの呪いか」など、憶測が憶測を呼び始めた。




「こんな大事な祭りで、嫌なトラブルが起きちゃったね」


 マルクは苛立ちを押し殺しながら、兵舎に報告の使いを出す。アリーシャは周囲を見渡して、次に倒れる人がいないか警戒を強める。


 大規模な混乱にはまだ至っていないが、波乱の予感が漂っている。




(どうして、こんな時に。祭りの喜びが台無しになるのは嫌だけど、もっと大きな事件が起きるよりはマシ、なのかな……)




 アリーシャは心中でそう呟き、未だ沈まぬ胸の鼓動を感じる。


 ――もしかすると、これはまだ始まりに過ぎないかもしれない。昨日まで姿を消していた偽薬商人が、こうして別の形で悪影響を残している。さらに、ゴブリンやその他の不穏な要素も潜んでいるのでは……?




「大丈夫。私が何とかする……」


 自分自身にそう言い聞かせるように呟く。泣きそうなほど穏やかだった祭りの光景が、一気に色を変えていくような嫌な予感が拭えない。




 豊穣神の儀式はまだ進行中だが、一部の観衆は動揺で広場を離れてしまった。アリーシャは奥歯を噛み、心の中で祈る。どうか、これ以上の混乱が起きませんように――。


 けれど、この小さな波紋がどんな方向へ膨らんでいくか、誰も知る由はなかった。

ご一読くださりありがとうございます。

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これからもどうぞよろしくお願いします

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