表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/7

第5話 前夜祭と揺れる心

 朝の光が町の石畳を染め始める頃、ヴェルトナ町は普段にも増して慌ただしくなっていた。


 いよいよ明日に迫った豊穣神の祭り――通称「収穫祭」とも呼ばれ、秋に豊作を迎えるための感謝と祈願を込めた行事だ。飾り付けや屋台の準備で町中が活気に溢れ、人々の笑い声がそこかしこから聞こえてくる。




「ここに花を飾ったらどうかしら?」「屋台は広場の端に並べて」「こっちは果物のジャムが足りないぞ」


 早朝から、そんな声が飛び交い、通りには様々な品が運び込まれていた。


 アリーシャは宿の窓からその景色を眺め、ほんの少し微笑む。町全体が喜びに包まれているようだ――こんな暖かい雰囲気を、未来ではほとんど見られなかった。




「おはよう、アリーシャさん。今日はどうする? 祭りの準備でも手伝うの?」


 食堂の入口に姿を現したのは、マルク。最近は毎朝のように挨拶を交わしているが、今日は妙にそわそわしているように見える。


「そうね。何かできることがあれば手伝おうかしら。私、そこまで手先は器用じゃないけど……」


 アリーシャが苦笑いを浮かべると、マルクは「大丈夫だよ」と笑ってみせる。




「見たところ、人手はいつもより足りてそうだし、何より祭り前日は前夜祭的な催しもあって賑やかなんだ。兵舎からも数名が警備に回るけど、よかったらアリーシャさんも一緒に回らない?」


「警備を手伝うってこと?」


「うん、そんなにガチガチじゃないけど、露店とか踊りの練習に人が集まるから、もしトラブルが起きたら対応しなきゃいけないし」




 確かに、つい最近も偽薬商人やゴブリンの話があったばかり。そうした小さな事件が祭りを台無しにしないためにも、注意は必要だ。


 アリーシャは「わかったわ。少しは役に立てるかもしれないし」と答えると、マルクはほっとしたように笑顔を返した。




「じゃあ、お昼過ぎくらいから広場を回ろうか。祭りの本番は明日だけど、前夜祭は今日の夕方ごろから始まるし……それまでは自由にしていいと思う」


「了解。何かあったら声をかけるわ」




 





---




 




 午前中、アリーシャは町の露店や商店を手伝いながら、地元の人々と触れ合っていた。装飾用の花を配達したり、屋台で簡単な道具を運んだり――細々した作業でも意外と楽しいと感じる。


 中でも新鮮な果物や焼き菓子を扱う屋台は香りが良く、つい食欲をそそられる。未来では合成食料が中心だった彼女にとって、この町の「手作りの味」は新鮮そのものだ。




「祭りの時はみんな大喜びなんですよ。子どもも大人も、踊りや歌を楽しみますし、それに……恋のチャンスだって言われてますからね!」


 ニコニコと話す屋台の少女がそう囁き、アリーシャは思わず苦笑いを浮かべる。


「恋のチャンス……それは、どういう……?」


「恋人と一緒に踊ったり、勇気を出して告白したり――ほら、年頃の若者同士が盛り上がる時期でもあるんですよ。アリーシャさんなんか、たくさん誘われそう!」




 確かに、アリーシャは目を引く容姿をしている。周囲から見れば、昨日今日で町に溶け込んだ不思議な美女、という認識なのかもしれない。


 しかしアリーシャ自身は、“35年後に帰る使命”が頭から離れず、誰かと本気で結ばれるなどと考えられないでいた。まだこの時点では、マルクをはじめとした町の人々を好意的に思ってはいても、「いつか離れなければならない」という気持ちを強く意識してしまうのだ。




「そんな余裕は……今はまだ無さそうね」


 曖昧に笑ってごまかし、屋台の少女と別れる。


 さっきの会話がどこか胸に引っかかる。 “恋をしてはいけないわけじゃない”。頭ではそう思いながら、心の隅でストッパーがかかるのを感じるのだ。




 





---




 




 正午を過ぎ、広場の準備もいよいよ大詰め。特設ステージや踊りの輪のために空間が作られ、飾り紐があちこちに渡されている。


 アリーシャは一度宿に戻り、簡単に昼食をとってからマルクと合流。兵舎からは彼のほかにもう一人、ランド軍曹も見回りに出るらしいが、軍曹は別ルートを回るようだ。




「よし、それじゃ、オレたちで商店街のあたりを見て回ろうか」


「ええ、今日のところは大変な事件が起こらないといいけど」




 歩き始めた二人の周囲では、すでに楽器の音や歌声が聞こえ始めている。夕方から本格化する前夜祭に向け、練習や打ち合わせをする人が多いのだろう。


 そんな華やかな雰囲気の一角で、誰かが転んだような騒ぎが起きた。




「きゃあっ!」


「大丈夫ですか!?」


 声のほうに目をやると、年配の女性が荷物を落として倒れ込み、周囲の人が集まっている。行商人らしき男性が慌てて手を貸しているが、どうにも人だかりで状況が混乱していた。




「行ってみましょう」


 アリーシャはマルクとともに駆け寄る。


 どうやら女性は足を挫いただけのようだが、重たい荷物を落とした衝撃で痛みが増したらしい。


 アリーシャはすかさず膝をついて声をかける。




「すみません、足、見せてもらえますか? 少しなら治療できます」


 女性がうっすら涙目で頷いたので、アリーシャはそっと「癒しの火種ひだね」を発動し、小型の炎のような光を足首に当てて治癒魔法をかけた。


 周囲で見守る人たちは「おお……!」と驚嘆の声を上げる。




「は、はぁ……なんだか痛みが和らいだような……」


「無理に歩かないでくださいね。しばらく休めば良くなると思います」


 痛みが緩和された女性は、アリーシャに頭を下げ、傍にいた行商人が手荷物を持って支えてくれた。その光景を目にした町の人々は、「あの魔法使いさんだ」「また助けてくれたのか」と噂し合う。




「いやあ、アリーシャさんがいてくれて助かったよ。本当にありがとう」


 マルクも素直に感謝する。


 アリーシャは周囲の注目を浴びながら「大したことはしてないわ」と笑うが、内心、まだ慣れない感覚にくすぐったさを覚えた。




(私が魔法を使うたびに、こうやって注目を集めるのかしら……。いつか正体を深く追及されないといいけど)




 そう思う一方で、こうして目の前の人を助けられたのは素直に嬉しい。未来では、こんな穏やかな“感謝”の場面は少なかったのだから。




 





---




 




 やがて、日が傾き始める。町のあちこちから灯りや音楽が漏れ出し、祭りの“前夜祭”へ向けて準備が整いつつあるのが見て取れた。


 広場では、小さな舞台で楽団がリハーサルをしており、踊り子たちも鮮やかな衣装を着て腕や腰を動かす練習をしている。露店には早くもお祭り気分のお客が訪れ、賑わいを見せている。




「すごい、もう始まってるのね」


「正式にはまだだけど、こうやって夕方から盛り上がっちゃうのが、うちの町流なんだよ」


 マルクが苦笑しながら言う。兵舎からも「前夜祭のうちはそこまで厳戒にしない」という通達が出ているそうだ。


 ただ、ラフな雰囲気だからこそ、万が一トラブルが起これば対応が遅れがち――そこが警戒ポイントというわけだ。




 しばらく露店を回り、お酒や軽食を扱う屋台の状況をチェックする。


「おや、兵士さん……そっちのお嬢さんは彼女かい? いやあ、美人だこと」


 屋台の親父が茶化すように言うと、マルクは慌てて「ち、違います!」と声を上げ、アリーシャは思わず苦笑する。




(まるで恋人同士みたいな言われ方ね。でも、そんな関係にはなれない……)




 そんな寂しさを心の奥に閉じ込め、アリーシャは笑顔を作る。


 一方でマルクも顔を赤らめて口ごもりつつ、「ホ、ホントに違うんだからな!」と強調して屋台から離れていく。その姿は少し可愛らしくもある。




「ごめんね、変なからかい方されて」


「あ、いや、オレは別に……」


 マルクは困惑しながらも、視線をそらせない。一瞬、アリーシャと目が合うと、なぜか息が詰まるように感じる。


 彼女の瞳の奥には、何か計り知れない憂いが浮かんでいるように見えたからだ。




「……あの、もし迷惑じゃなかったら、祭り本番の明日、少しだけ一緒に回ってみないか? オレの任務が落ち着いたらでいいし……」


 マルクが意を決したように誘ってくる。


 それは半ばデートに等しい提案だ。仕事の合間とはいえ、兵士の彼が誘うとは勇気が必要だったのだろう。


 アリーシャは迷うが、断る理由もない。


「……ありがとう。もし余裕があったら、ね」


 そう柔らかく答えると、マルクは「ああ、うん」と嬉しそうな笑みを浮かべた。




 





---




 




 そうこうしているうちに、すっかり陽が落ちた。


 広場では前夜祭が本格始動し、賑やかな楽曲が奏でられ、踊り手たちが華やかな衣装で躍動する。見物客も増え、輪になって手拍子を打つ人々の笑い声が町に響きわたった。


 アリーシャとマルクは、時折声をかけられながらも、警護の視点で周囲を見回っている。




「いまのところ、変な人影やトラブルは見当たらないね」


「ええ、偽薬商人の影もないし、森の魔物が攻めてくる気配もなさそう」




 ホッとする反面、アリーシャの胸には微かな不安が宿っていた。


 ――この平和な光景はとても素敵だけど、今までの経験からすると「何も起こらない」とは考えにくい。もし明日、本番の祭りで大きなトラブルが起きたら……。




 そんな思案に耽っていたとき、突然ステージ上の楽団が切れのある演奏を始め、観客たちが拍手喝采で応える。


「わあ……」


 思わずアリーシャも、その迫力に目を奪われる。太鼓のような打楽器と弦楽器が組み合わさり、身体の芯に響くリズムが生まれる。




「はは、すごいだろ? この町じゃ年に一度くらいしか見れない本格的な演奏なんだ。普段は近隣の都市で活躍してる芸人や楽師が集まるんだってさ」


 マルクが得意げに解説する。


 アリーシャはしばしその音色に聴き入り、気づけば微かに体がリズムを刻んでいた。魂が揺さぶられるような感覚――こうした祭りのエネルギーを感じるのは初めてかもしれない。


 自然と笑みがこぼれる。こんな時間が、ずっと続けばいいのに。




(でも、それは無理なのよね……私はいずれ、この世界を去らなければならないんだから)




 そう心の中で呟き、切なくなる。だが、今だけは余計なことを考えず、この一瞬を楽しんでも罰は当たらないはず。




「……うん、いい演奏」


 アリーシャが素直に言葉を漏らすと、マルクも嬉しそうに「だろ?」と笑う。二人の間に、なんとも言えない空気が流れた。




 





---




 




 前夜祭は夜が更けるにつれ、さらに熱を帯びていった。


 しかし本番はあくまでも“明日”だ。遅い時間になる前に人々も休みに入り、屋台の一部は片付けを始める。踊りや演奏も、翌日に備えてほどほどで切り上げる習慣らしい。


 アリーシャとマルクは、日付が変わる前に一旦退散しようということになった。警護隊員も交代が来るためだ。




「今日はお疲れさま。明日こそ本番だけど、アリーシャさんは祭りを楽しんでね。もし何かあればすぐ呼んで」


「ありがとう。あなたも夜更かししすぎないように」


 そんな軽い冗談を交わしつつ、二人は町の中心部で別れる。


 マルクは兵舎方面へ、アリーシャは宿へ戻る道を進む。




 夜風が心地よい。アリーシャは宿の近くまで来たところで、小さく伸びをした。


 この町で過ごす時間が、こんなにも穏やかで温かいものだなんて――未来の荒廃した世界しか知らなかった自分には、まるで夢のようでもある。




「……明日、何も起こらなければいいけれど」


 月明かりを見上げながら、アリーシャはぽつりと呟く。


 この土地で芽生えた人々への愛着。それを壊さないためにも、そして自分が成すべき使命のためにも、大きな混乱は避けたい。


 しかし、未来を変えるということは、いずれは大きな歪みと向き合うことに他ならない。怯んではいけない……そう言い聞かせながら、アリーシャは静かに宿の扉を開けた。




 ――こうして、にぎやかな前夜祭の夜が更けていく。


 明日行われる豊穣神の祭りが、果たして平和に終わるのか、それとも新たな波乱が待っているのか――誰もまだ知らない。


ご一読くださりありがとうございます。

感想、レビュー、評価、ブックマークいただけると創作のモチベーションにつながりますので、お待ちしていますm(_ _)m


これからもどうぞよろしくお願いします

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ