第4話 噂と祭りの支度
朝陽が差し込むヴェルトナ町の大通り。
昨日のゴブリン退治の話題は、町のあちこちで持ちきりだった。あの森に巣食う群れを追い払ったことで、商隊も安心して街道を使えると喜んでいるらしい。
そんな噂の中心にいる“魔法使いの女性”――すなわちアリーシャは、宿のグリーンリーフ亭で朝食をとりながら、複雑な思いを抱えていた。
「昨日だけで、ずいぶん町の人に感謝されたみたいじゃないかい?」
朗らかな女将が、バスケットいっぱいのパンをテーブルへ置く。
「ええ、ありがたいとは思うけど……何だか変に注目されている気がして。どう答えればいいのか困っちゃうわ」
アリーシャは軽く苦笑いする。人前で魔法を使った回数はまだ数回。とはいえ、派手な場面での活躍が続いたことで、町の噂好きな人々の目が集まりつつあるのだ。
「ご心配なら大丈夫さ。この町は根っからの善人が多いし、よほど大きな問題でも起きない限り、嫌がらせなんてしないよ」
「……そうだといいけど」
女将の言葉に少し安堵しながら、アリーシャはパンを一口かじる。まろやかな小麦の風味が口いっぱいに広がり、なんとも優しい味だ。
ふと、食堂の入口が勢いよく開き、見覚えのある兵士――マルクが駆け込んできた。
「よ、よかった。まだ朝食中だったか」
「どうしたの? そんなに慌てて」
アリーシャが顔を上げると、マルクははぁはぁと息を整えながら言った。
「隊長から伝言があってさ。あの、ゴブリンの残党の件で追加調査をするって話が出たんだけど……今日は、ひとまず俺たち兵士が中心で回ることになったよ。アリーシャさんは今日は『自由にしていい』って」
どうやら当面は、彼女を最前線に借り出すほどの危険はないと判断されたようだ。確かに、昨日の戦闘だけでゴブリンが完全に消えたとは思えないが、毎度アリーシャを動員するのは良心的に気が引けるのかもしれない。
アリーシャはホッとしたような、物足りないような、妙な感覚でマルクを見つめる。
「わざわざ教えにきてくれたのね。ありがとう。……じゃあ私は少しのんびりしてもいいのかしら」
「そういうことになるな。……あ、でも、もし何か怪しいことがあったら隊長や軍曹に一報くれると助かる。最近、町の様子がなんだか騒々しいからさ」
マルクはそう言い残すと、「オレはこれから準備があるんだ」と急ぎ足で兵舎へ戻っていった。
町の様子が騒々しい――それは、アリーシャ自身も感じている。
小さな事件が続いているのだ。スリ、魔物の出現、そして噂によると“偽薬”を売りつける行商人まで出没しているらしい。
さらに、もうすぐ行われる豊穣神を祀る祭りの準備も佳境に入り、町中が浮き足立っているのかもしれない。
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「――それで、あなたがその妙な行商人を見かけたのは、どこかしら?」
昼前、アリーシャはいつも市場に顔を出すポーロという行商人の話を聞いていた。
彼は最近、市場で怪しい薬瓶を売る男を見たといい、気味悪がっているのだ。
「自称“錬金術師”とか言っていたんだが、実際売っている薬は効き目があやしいんだよ。しかも、値段が妙に高いし、やたらと押し売りっぽかった」
「なるほど……もっと詳しい場所は?」
「西の外れの路地の方だ。人通りが少ないエリアに立って、旅人や女性客を狙って声かけていたんだと」
この町には、普通に正規の錬金術師がいる。もっと大きな都市やギルドにも専門家がいるのだから、わざわざこんな田舎町で怪しげに売り歩く行商人など、なにか裏があるかもしれない。
アリーシャは「少し調べてみようかしら」と市場をあとにした。
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西の外れは、メインの大通りから外れた場所で、倉庫や古い建物が立ち並んでいる。昼でも薄暗く、人通りがまばらだ。実際、歩いてみると、どこからか妙な薬草の臭いが漂ってくる。
しばらく探し回っていると、裏通りの角に小さなテーブルを出し、その上に薬瓶らしきものを並べている男を見つけた。派手な色合いのローブをまとい、大仰な帽子をかぶっている。
アリーシャは建物の影からそっと様子を窺う。
「さあさあ、怪我も病も一発解決! 私の秘薬をひとつ買えば、どんな呪いにも効く!」
そんな大声で通行人を呼び止めようとしているが、人通りが少ないこともあって、なかなか売れていないようだ。
通りがかった若い女性が興味を示すと、男は「あなたの体調は悪いでしょう? すぐに回復するんですよ」と言って、強引に買わせようとする。女性が怪しがって断ろうとすると、男は嘲るように「後悔しても知らないぞ」と言い捨てる。
どうやら評判通り胡散臭い。
アリーシャは表に出ていき、「こんにちは」と声をかけた。
男は驚いた様子で、しかし客が来たのだとわかると、すぐにニヤリと不気味な笑みを浮かべる。
「おやおや、お嬢さん。これはなんとも素敵な容姿……さぞかし色々とお悩みを抱えているでしょう! この薬を使えば、美容から健康まで完璧ですよ」
「ええ、興味あるわ。中身はどんな成分?」
アリーシャは、錬金術師としての視点で薬瓶をチェックする。小さな瓶に入った濁った液体は、見た感じただの染料と水を混ぜただけにしか思えない。かすかに安いハーブの匂いがするが、効能があるとは到底考えづらい。
「ふふ、ヒミツの材料だ。魔術の香りが漂う最高級の――」
「鑑定の瞳」
男の言い訳を最後まで聞かず、アリーシャはそっと右手をかざして呟いた。目には見えない魔法陣が瞳の奥に広がり、瓶の中の魔力反応を探る。
……何もない。
ほんのわずかなハーブの残滓以外、魔力など皆無と言っていい。
「なるほどね。要するに、ただの染料とハーブのカスってとこかしら」
アリーシャが微笑みながらそう言うと、男の顔が途端に青ざめた。
「な、なんだと……? あ、あんた何者だ!?」
「ただの研究者よ。……あなた、こんな粗悪なものを高値で売りつけるなんて悪質じゃない? おかげで町の評判は落ちるし、被害に遭った人もいるわ」
「う、うるさい! こっちは商売なんだ。お前みたいな素人が口を挟むな!」
男は怒鳴り声を上げ、テーブルを蹴飛ばすと、何やら閃光玉のような物を地面に叩きつけた。
パッと白い煙が上がり、アリーシャの視界が一瞬遮られる。
「くっ……!」
咄嗟に袖で口元を覆うアリーシャ。視界がぼやけるなか、一瞬、人影が左手のほうへ逃げるのが見えた。
「逃がさないわよ……」
アリーシャは急いで路地を抜け出し、逃げ足の速い男を追いかける。
しかし、このあたりは倉庫や雑木が多く、曲がり角や細い通路だらけだ。視界の悪い路地を何度も曲がるうち、どこかで撒かれてしまったのか、男の姿が見当たらなくなった。
「いない……。ちょっとやりすぎたかしら」
溜め息をつきながら、周囲をざっと見回すも怪しい足跡はどこにもない。
(どうしよう……このまま見逃すのは気になる。偽薬をばら撒かれても、すぐ人が命を落とすほどではないけど……)
実害はそこまで大きくないかもしれない。だが、こんな調子で悪徳商売を続けられては町の人々が迷惑だ。
アリーシャは仕方なく兵舎へ通報しようと方向転換する。
「……あれ?」
ふと、足元に何かが落ちているのに気づいた。先の男が落としていったのか、黒い布の切れ端のようなものが路地の隅に転がっている。
拾い上げてみると、少し変わった刺繍が施されていた。どこかの組織や結社の紋章にも見えなくはない――見たことのない模様だ。
「偽薬だけならまだしも……裏で誰かが関わっている?」
アリーシャはそう呟く。町外れの森の魔物襲撃、偽薬売り、その他にも最近起きている小さなトラブルが、どこか一本の筋で繋がっているような嫌な予感がした。
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夕刻、アリーシャは兵舎を訪ね、ベリック隊長やランド軍曹に偽薬商人の件を報告した。
隊長は眉をひそめ、「町の安全を乱すなら見過ごせんな。こちらでも調べてみよう」と言いつつ、今はゴブリン残党への対策で手一杯らしく、すぐには大掛かりに動けないという。
外部からの組織的な犯行があるのかは分からないが、とりあえず情報を共有するだけで精いっぱいだ。
「ありがとう、フェンブリック殿。何かあればマルクたちが動くから、遠慮なく言ってくれ」
「はい……私も時間があるときにもう少し調べてみます」
そんなやり取りを終え、兵舎を出ると、ちょうどマルクが帰ってきたところだった。どうやら森の追加調査から戻ったらしい。
「やあ、アリーシャさん。こっちもゴブリンの巣穴らしきものは見当たらなかったけど、何かまだスッキリしない感じでさ……」
マルクが疲れた顔で首を振る。
「そちらも成果なし、って感じ?」
「うん。でも、あと数日もすれば町の祭りだし、警戒態勢は強めておくって隊長が言ってた。ここのところ、町がどうも落ち着かないからさ」
祭り――豊穣神を祀る祝祭――が近づいている。市場では飾りつけ用のリースや神殿への供物を準備する人々で賑わっている。
一方で、アリーシャの周囲では何かと不穏な出来事が重なっている。魔物の集団、偽薬商人、未知の組織らしき刺繍……。大きな事件の前触れのようにも思える。
「今年の祭りは盛大に行われるはずなんだ。みんな、豊作を祈って楽しみにしてるからね。……まあ、オレも参加する予定なんだけど、警護の役目があるから落ち着かないよ」
マルクは苦笑いしながら言う。
「もしよければ、アリーシャさんも祭りをのぞいてみてよ。絶対に楽しめると思うから!」
彼の瞳は期待に輝いている。本来なら、アリーシャも異世界の祭りを心底楽しんでみたいはずだ。しかし、未来を変えるために来たのだ、という緊張感が頭の片隅から消えない。
それでも、あまり神経質になりすぎても前へ進めない。今は町に溶け込みながら、着実に情報を集める――それしかないだろう。
「そうね、せっかくだし……祭りが始まったら、少し覗いてみる」
「ほんとか! ぜひぜひ。案内するからさ」
マルクは嬉しそうに微笑む。
一方、アリーシャは胸に秘めた焦りを抱えながら、彼の笑顔にわずかにほっとする自分を感じていた。いつも世界の行く末や人々の命を背負っているわけでは、身が持たない。
たまには祭りという非日常に身を委ねるのも悪くない――そんな考えが頭をよぎる。
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その夜。
いつものようにグリーンリーフ亭で夕食をとったあと、アリーシャは自室であの黒い布切れを取り出し、ランプの明かりで観察してみる。
よく見ると、刺繍はただの飾りではない。奇妙な紋様が重なり合い、周囲を細い糸でかがっている――まるで呪術陣か何かの一部にも見える。
「やっぱり普通じゃないわね……。偽薬売りが、どうしてこんなものを持っていたのか」
彼女は小さく息を吐き、机に広げたノートをめくる。これには未来での研究成果や、世界滅亡の要因となった戦争の記録などが断片的に書かれている。
過去の世界で得られる情報を突き合わせて、滅びへの道を少しでも防ぎたい――それが彼女の使命だ。
だが、まだ第一歩を踏み出したばかり。町の兵舎や学術ギルドを頼りにしながら、世界の大きな動きにも目を向ける必要がある。
「……こんな小さな町でも、気になる動きが多すぎるわ」
偽薬騒ぎに魔物の群れ、この先は祭りに紛れたテロや魔法犯罪が起こりうる可能性も捨てきれない。
「もしこの世界が大戦へ突き進むなら……今のうちに手を打たなきゃ」
眠りにつく前に、アリーシャはベッドサイドで深く息をつく。
遠くから夜の風が窓を揺らす。外では一日の終わりを告げるような静かな空気が漂っている。けれど、彼女の心は片時も休まらない。
――未来を変える。それは単に魔物を倒したり、偽薬商人を取り締まったりすることとは桁違いに大きい目標だ。
この町を出て、もっと広い世界を見なければならない日も近いだろう。
だが、その前にこの町での役割をきちんと終えねば。祭りが終われば状況は変わるかもしれない。
「……もう少しだけ、ここにいさせて」
自分自身に言い聞かせるように呟くと、アリーシャはランプを吹き消す。闇が部屋を包み、彼女のまぶたが静かに降りた。
何も分からないまま突き進むしかない道のり。しかし、一歩ずつでも踏みしめていかなければ、未来は変わらない――それが彼女の意志だった。
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