トラウマ
吐き気が止まらない。
鬱はずっと続いているかも知れない。
私は歩いて、地下排水を垂れ流す場所を通って、階段を登って、ゴミ捨て場に辿り着く。
ゴミの仕分けがされておらず、ただいらない物を置いただけのこの場所は家と似ていた。
誰もいないことを察知し、外へ出るドアを開ける。
大きな窓から入る日差しが、廊下を照らす。
進む、進む。
誰もいない、特に使われていない部屋の前を通り過ぎ、歩く。
不気味だ。
が、話し声が聞こえてくれば、ここは人がいる場所だとわかる。
一際荘厳な、一際巨大な扉の席では、怒鳴り声が聞こえてきた。
隠密の力を、スアナから貰った力を最大限発揮する。
この状態は大きなアクションが出来ないのだが、それ以上の効果がある。
それは認識の改変、事実の誤認。
私が起こす、多少の事を、無いものとして扱う、ということだ。
試しにドアをゆっくり開く。
いやでも音が鳴るが、部屋の中にいる人たちがこちらに気づくことがない。
もっと早くドアを開ければ、気づかれる。
本当に、ゆっくりと開けているから能力が働いてくれて、誰も気づかない。
中では青年が目上のものに意見を呈しており、納得がいかないと、そう感じているようだった。
「王様、このままでは負けてしまいます!」
アレが!勇者!
私を除いて5人が、部屋で言い争っている。
ここまでくれば人の世など勝手に破滅してくれそうであるのだが、念には念を入れなければならない。
「黙れ!そもそも貴様らのせいでこうなっているのだ!民の信用を裏切ったのは!貴様らだ!異世界から召喚して、ギフトを授けてやってこれか!」
ギフトをあげたのは、貴様じゃないだろうに。
結果は立場じゃない。
貴様が呼んだコイツらをうまく使えなかった貴様が悪いだろうに。
「その噂を蒔いたのものも見つかっていないのだ!人だ!人が我が身を堕とそうとしている!この神に選ばれし王家の血を!」
聞くに耐えなかった。
聞いていたら、殴られた記憶だけが頭の中を支配しそうで。
あの話し方が、父親のそれと同じで。
盗聴器の役割を持つ石を、誰にも見えない場所に置く。
能力により、これが発見されることはないだろう。
だから、すぐにここから抜け出した。
本当は聞かなければならなかった。
隙があるのなら、あの場の誰かしらを殺すべきだったからだ。
けれど、私は逃げた。
急いでゴミ捨て場へ戻って、吐いた。
自分の体内に吐けるものがあったことにも驚いたが、それ以上に私の震えが異常だった。
父親の記憶ではなくて、高圧的な態度が怖かった。
父に関することは、復讐を二度も出来たから、ある程度は割り切れた、とは思う。
けど、けれど、物理の痛みが消えてくれたわけではなかった。
最初は両親が嫌だった。
しかし分け隔てられるようになってしまえば、高圧的な人が嫌いになる。
それで私は、嘔吐している。
あの王様は、私が嫌いなものだった。
腹の底を吐き終わり、また廊下を歩く。
盗聴器から聞こえる内容をまとめれば、王様はこの城からほとんどの人を無くしたらしい。
先日の勇者達の真実が、人の手により広められた事を突き止めれば、臆病な王は人を信じなくなる。
ここにいるのは、さっきの部屋にいた王と勇者達と。
「寝ちゃった……」
王の妻と、その子供だけだ。
「あら、お客さんなんて珍しい」
「なんで……」
「王女なのよ、多少の事ぐらいねえ。無視できるわよ」
能力がある、つまり誰からにも認識されるはずがないのに、私を見つめる女がいる。
子供部屋の中に、私を見つめる親の目がある。
その目は、優しかった。
私を見てなお、優しかった。
「殺すの?」
その問いに、直ぐに答えられなかった。
考えていた行動が取れなくなって、私の脳はショートしている。
「よく見れば子供じゃない。なんでこんな事を……」
「……私は、人ですけど、魔物の仲間です。だから、貴方の敵です。元から、最初から」
捻り出す声が情けなかった。
そこに威厳は、少したりともなかった。
「で、殺すの?」
「誘拐……するつもりです」
思いついた事を、話したくなってしまった。
私の考えそのままを、目の前の女がどう受け止めるのか気にしてしまったからだ。
「この子も?」
「はい」
動じず、我が子を撫でる彼女は、やはり私を見つめている。
「……わかった、着いていく」
なんで優しいと思ったのだろう。
なんで、殺さなかったんだろう。
わからないが、私はこうした。
なあ、私は、人殺しだ。
沢山殺して、沢山殺す。
なのになんで、目の前の女だけ、特別に扱うのだろう。
「へえ、連れてきたんだ」
「……作戦に、使えますから」
「ふふ、さようか」
夜だ。
誰もいない、二人だけの時間が、私の安らぎとなってしまった。
「貴様は本当にかわいいな……本当に、愛していてよかった」
「……ありがとう、ございます」
「そんなに、人といるのが辛いのか?」
「……どうでしょう」
「ふふ、そうだよなあ。我が身の姿とても、人と対して変わらぬというのに……お前は、私に抱きついている、自分から!」
興奮を増すスアナが私を強く抱きしめる。
けれど、けれど、私の虚無は埋まる気がしなかった。
パズルのピースが沢山あるように、私を埋めるものも一つだけでない。
それも寧ろ無限にあると言えるのかも知れない。
自分の空虚、自分の人生全てを埋めるためには、どれぐらいのかけらが必要なのだろう。
「なあ、貴様が提出した作戦だが、もっといいのを思いついた」
食事を運ぶ。
硬い鉄のドアを開いた先には、女が二人いた。
「案外、人並みなのね」
「捕虜ですので」
人は、人として扱われるべきだろう。
「私たちを捕まえて、どうするの?和解の交渉でもするのかしら」
それは無理だろう。そのことは、現地人の貴方が一番わかっているのではないか。
「それとも、脅すのかしら」
「はい」
物語というのは、性行為であると本で読んだことがある。
つまり具体的な事象ではなく、人間関係の進展が物語なのだと。
だから世のストーリーの大半は、最終的にまぐわうらしい。
ならこの物語にも、私が行っているらしい戦争にも、終わりがあるのか、セックスがあるのか。
あるのかも……しれない。
スアナともっと近付くのかも知れない。
肌と肌が触れて、魂まで一体になったかのように錯覚して、愛を感じたと思い込むのかも知れない。
「できるわけ……ないだろ」
あの行為に愛など感じたことなどない、脳を支配する快楽なんてなかった。
私は、あの綺麗な人と結ばれる条件は、ない!
人間達が攻めてくる。
そうだ、これだってラブストーリーなのではないか。
勇者が攫われた王女を助けるため、魔王に挑む。
なのなら、私は悪だ、途中で倒されるだけのやつだ。
攻めてくる、ただまっすぐ。
なぜ、王がいないこの場で王の勅命を実行しようと思うのか。不思議だ。
勝てるわけがないのに。
ここまでの戦争で得た地形のおかげで、私たちは人間を挟み撃ちにすることができた。
大勢、殺されていく。
私も続いて殺す。
「左に回り込んで!」
私の雑な指示に、魔物達が従う。
強力な力を持つ勇者から離れるように、私たちは人間を殺す。
死体の数は圧倒的に人間が多く、魔物はほとんど存在しない。
「殺させない!」
魔力による大きな障壁。
「オージア、アレスティナさんは他の場所の援護へ!こいつは私がやります!」
勇者パーティの一人、ファランクスの者。
圧倒的な守りの力は、この状況において人間からは女神のように思えるだろう。
が、私との相性は最悪である。
能力を使い、私を認識できぬようにする。
人間達の内側へ潜り込み、あたりに毒を撒いた。
物理的に防げても、毒物は防げないらしく、誰も守れぬ女神は、そこでようやく私を認識する。
「きっさまぁ!」
筋肉質な腕から、巨大な盾が振られて私を叩き潰さんとする。
後ろに飛んで避け、懐からビンを取り出す。
その中には気持ち悪い虫が、大量に蠢いている。
空中でビンを叩き割れば、中の生物が弾けて人間に喰らいつく。
「寄生虫!?」
噛まれて、体内に侵入され、更には脳のコントロールを奪われる。
目に血が走る兵隊達が、その他の人間を殺す。
同仕打ちが始まり、より人間の死体が増える。
「押し込め!押し込んでこい!」
私の前、つまり魔物の軍勢側から、魔物が一気に詰め寄る。
当然盾の女は通さぬため、魔力の壁を作るが、それを維持するのに手一杯である。
「やめろ!」
つまり私からしたら、彼女は格好の的なのだった。
私に見えるのは、押し合う彼女の背中、周りの同志撃ち。
私を邪魔するものは何もないから、そのまま彼女の背中を思いっきり突き刺す。
突き刺し、抉り、しかし殺さぬように、痛みだけを与える。
壁が解かれ、魔物の軍勢が傾れ込む。
そして、盾の聖女に、寄生虫をつけた。
どんどん人が死んでいく。
ああ、いま、アレスティナとオージアによって、格闘家の女、勇者達の一人が殺された。
いかに強かろうが、四天王が二人いればこんなものなのだろう。
もう残っているのは、勇者と、回復薬の女ぐらいだった。
勇者が剣を奮い、疲れた体を女が癒す。
それがしぶとく残っている。
「逃げるよ!」
そう、わざと残した。
殺そうと思えば殺せるのかもしれないが、その時の被害は甚大なものになるという。
戦果はもうすでに取ってある。
王女を誘拐された王が、怒り狂い少ない兵で突撃させ、魔物にズタボロにされたという、事実が。
だから私たちは帰る。
帰って、どうするのかは知らないが。
後ろを振り返れば、満身創痍の二人は、互いを支え合っている。
愛し合うというのは、ああいうものなのだろうか。
ならば憎らしいと感じてしまう。
邪な存在が、死んで欲しい奴が、美しい論理で生存している事実が、恨めしい。
そこまで考えて、この思考が父親と同じだと気づいた時には、考えるのをやめた。
自分勝手に人を恨むのは、本来愚かなのだ。
私が、彼らを恨む必要はないのだ。
この時は、そう思っていたのだけれど。
ゼルリはあの女に、母性のようなものを無意識で求めています。
だから殺さずに、攫ったんですね。
あと勇者は普通に強いので、四天王が束になっても勝てません。




